【管理人注】
この記事は、管理人自身の頭の中にあるものをそのまま文章にした、完全な創作です。急になんだか書きたくなったので、文章を書く練習も兼ねて、SLUGGERあたりで執筆している、スポーツライターになったつもりでやってみました。実在の人物や団体などとは、一切関係ありません。あらかじめご了承ください。以下のような設定や世界観を前提に、読んでいただければ幸いです。
・舞台は2041年のイランとフィリピン
・フィリピン・マニラで行われたWBCアジア最終予選で、史上初めてイランがWBC本大会出場を決めた
・大会形式や出場国などについては、こちらの記事を参照(http://ameblo.jp/systemr1851/entry-10837757482.html )
(ここから本文)
試合終了を告げる27個目のアウトが記録されたその瞬間、アザッド・ナッダフィは歓喜の雄たけびをあげながら両拳を天に突き上げていた。その姿はさながら、何日も何日も波間を彷徨い続けた後にようやく陸地を発見した時の、遭難した船舶に乗り込む船乗りのようだ。いや実際のところ、ずっと長きにわたって追い求め続けてきた夢をようやく叶えたという意味では、彼のそこに至るまでの道のりは船乗りのそれと同じようなものだったのかもしれない。
野球イラン代表がマニラの地でWBC本大会への切符を掴んだというニュースは、この2041年におけるアジア球界はもとより、国際球界全体で見てもエポックメイキングな出来事と言えるだろう。アジア選手権の3位決定戦における逆転勝ちによる、最後の滑り込みでの出場権獲得という結果とはいえ、タイ、パキスタン、スリランカといったアジアBグループの実力派たちを率いる筆頭格のフィリピンに、それも彼らのホームで勝利したことは、イランにとっての初のWBC本大会進出を彩るうえではあまりにドラマティックだ。
「正直今でも信じられないよ。この感情を何と表現すればいいのか全く分からない」 イラン代表のキャプテンとして、フィリピン戦に5番・三塁でフル出場した32歳のアザッドは、試合後のインタビューで目を真っ赤に腫らしながらそう語った。「俺たちは今まで何度も大きな夢を叶えようとしながら、高い壁に数えきれないほど跳ね返され続けてきた。あともう少しのところで、嫌というほど煮え湯を飲まされてきたんだ。その壁を今日乗り越えられたことに興奮が抑えられないよ!!俺たちイランがついにWBCに出られるんだ!!」
イランの野球人たちにとってのWBCは、大会が生まれてからの35年もの間ずっと、果てしなく遠い道のりの彼方にある存在でしかなかった。その最初の11年間に至っては、イラン人たちにはその舞台に挑戦する権利すら与えられなかったのだ(2017年大会までは、WBCはMLB機構による招待制の大会だった)。現在でこそ西アジアトップレベルのプロリーグを有し、日本・アメリカ・ヨーロッパにも選手を輸出するまでになっているイランだが、当時の国内における野球をプレーする環境は信じられないほど脆弱だった。正式な野球場は1面のみ、国内全体で左投げ用グラブがたった1つしかないという時期すらあったのだから。
2021年大会からはWBCもそれまでの招待制を取りやめ、文字通りの世界一決定戦として全ての大陸別選手権とリンクするようになったが、それでもなおイラン人たちのWBC本大会への道のりは茨の道だった。東南アジア、南アジア、西アジアに分かれての1次予選では、ネパールやアフガニスタンといった無名ながらも成長著しい新興国に胸を貸す立場。しかしそこを突破してアジア選手権に進出すると、今度は前述のBグループの実力国たちに加え、アジア4強の一角を占める台湾や中国と対戦しなければならないのだ。イランからしてみれば、アジア選手権で相まみえるのは2010年代からずっと格上だった国々ばかりで、白星が計算できる相手など皆無だった。
アザッド自身も、そんな苦しい時代を選手としてずっと体感しながら育ってきた1人だ。2029年、当時20歳という若さでシニア代表に名を連ねた彼は強肩強打攻守の三塁手で、イランなどの中東5か国16球団で構成されるMEPBL(Middle Eastern Proffesional Baseball League)を代表するスラッガーの1人。ドイツで指導者としての経験を積んだ監督のホセイン・ハシェミアンの元で、8歳年下のアフシン・ダガカ(倉敷スパークス)とともに、代表でも強打の主砲コンビとしてビッグボール志向のチームを支え続けてきた。もっとも、そのあふれんばかりのパワーは1次予選では十全に発揮できても、アジア選手権に進んだとたんに息をひそめてしまうことが多かったのだが。
「冷静に見つめ直してみれば、俺たちの一番の問題はメンタル面にあったんだと思う」とアザッドは言う。「1次予選は基本的に格下の国が多くて、よくて同じくらいのレベルの国としか当たらない。だから言葉は悪いけれど常に上から目線でプレーできるし、気持ちよく打つこともできる。でもアジア選手権で当たるのは力が上のチームばかりだ。そして不幸なことに、俺たちは今まで格上の国々を破ってきた経験があまりなかった。だから打席でも守備でも慎重にプレーしようとしすぎて、変に気負うあまりに本来のプレーができなくなってしまうんだ。技術的には、そんなに他国の選手たちと違いはないはずなのに」
身長192cm、体重102kgの立派な体躯とは裏腹に、誰よりも生真面目で繊細な彼にその弱点を気づかせたのは、今回の1次予選突破とアジア選手権進出を機に、本大会進出の切り札としてチームが呼び寄せたイラン系アメリカ人右腕、アクセル・ノスラティーだった。現在ダイヤモンドバックスでバリバリの先発ローテの一角、代表チーム唯一の現役大リーガーであるアクセルが、大会の開幕前にチームメイトたちに向けて語った言葉は、文字通り同級生のアザッドにとって転機となるものだったという。
「大会で一番格下の俺たちに、どうせ失う物なんか何もない。変に相手を怖がって萎縮したりせず、とにかくイラン本来のベースボールに徹しよう。たとえ誰が相手でもやることは一緒だろ?」(アクセル)
「その言葉で、自分の中で何かが吹っ切れたよ」(アザッド)
1次予選でも見せてきた豪快に打ち勝つ野球を貫いたイランは、格上揃いのはずの舞台で快進撃を開始する。1次リーグ初戦のスリランカ戦に8-3で勝利すると、第2戦の香港、第3戦のタイには2戦続けての2ケタ得点で圧勝。全勝同士の対戦となった第4戦の中国には3-7で敗れたものの、番狂わせに次ぐ番狂わせで決勝トーナメント進出を果たし、世界中のスポーツメディアの度肝を抜いてみせた。しかし決勝トーナメントの準決勝では、後に大会優勝を果たすこととなる台湾相手に初の2ケタ失点で大敗。開催国フィリピンとの運命の一戦に回ることになる。
リサールボールパークに集った3万人の大観衆のうち、大半がフィリピンの応援団で埋まるという異様な雰囲気の中で行われた一戦は、今大会ではイランが一度も経験していなかった1点を争う投手戦に。イラン先発のアクセル、フィリピン先発のフェリックス・ムニョスによる緊迫した投げ合いが続く中、1-1で迎えた7回表にアンジェロ・クルーズへの四球を足がかりにフィリピンが攻勢に。二死満塁からローランド・バティスタが浅いフライを打ち上げるも、これが内外野の間のスペースに落ちて2点適時打となり、フィリピンがついに3-1とリードを奪う。
フィリピンの大応援団が色めき立つ中、後がないイラン代表を救ったのはキャプテンのバットだった。8回裏、二死から内野安打と遊ゴロ送球エラーで一、三塁とチャンスを作ると、打席にはこの日左前打1本を放っていたアザッド。フィリピンの2番手マイケル・ロブレスが、2ボール2ストライクから投じた真ん中やや低めの速球を思い切り振りぬくと、「完璧なスイングと感触だった」と自画自賛した打球は右翼席へ。満員の観客を一瞬にして静寂へといざなった逆転3ランが、イランの初のWBCへの切符を手繰り寄せたのだった。
「実は、アジア選手権で本塁打を打ったのはあれが初めてなんだ」 激戦が終了してから3日後に母国に戻り、地元テヘランでシーズンに向けてのトレーニングを再開したアザッドは笑った。「どんな舞台であろうとも自分のスイングをしっかりする、その意識がしっかりあったからこそあの3ランが打てた。大会で一番格下と言われたチームが、6試合で4回も白星を挙げられたということも含めて、本当に今回の大会は俺にとって大きな自信になったよ」
その目は早くも、次なる高みを見据えている。「WBCで当たることになるのは、アジアレベルではなく世界レベルの強豪チームばかりだ。もしかしたら日本とも対戦するかもしれない。もちろん、客観的に見れば楽な戦いでは全くないよ。チームの地力を考えれば楽観視なんかしていられないのは分かっている。でも、俺たちだってこの舞台に立つために必死で戦い抜いてきたんだ。もし運よく次の大会にイランが出られたとしても、俺はその時は36だし年齢的に代表に呼ばれるかどうかは微妙だろ?だからこそ、俺はこの大会で同じ国を背負うチームメイトと一緒に、1つでも上に行きたいんだよ」
今一番行きたい場所はどこかと問うと、「決まってるだろ。(WBCの決勝が行われる)ローマだよ」とにやりと笑った。中東の雄から世界の雄へ。アスリートとして更なる進化を目指し、走り続ける男の物語はまだ、終わらない。
(ここまで本文)
ずいぶんお久しぶり、気づいたら去年5月以来になっていたWahoo!スポーツでございます。今回は、今まさに俺がベースボールブリッジの代表として支援をしている対象である、イランを主人公にしてみました。やはり支援団体さんサイドの人間からすると、最低でも未来にはこのくらいのチームにはしたいところではありますね。もちろん、実際にはこの記事で描かれている以上に強い国になってもらいたいし、そのための手伝いが少しでもできるなら光栄なことです。俺らの目下の目標は、西アジアから世界レベルの野球強豪国を生み出すことであり、それは現場で選手としてプレーするアザッドが抱いている思いとも共通していると思ってます(というより、選手の立場から代弁してもらってると言った方が正確か)。
ちなみに、登場してもらった選手たちのプレースタイルや成績を実在の選手を使って簡単に説明すると、アザッドは2007年のアレックス・ロドリゲス(もちろん性格はあんな畜生ではありませんが)、アフシンは2011年のホセ・ボーティスタ、アクセルは2010年のマイク・ペルフリーって感じでしょうか。