イギリス野球殿堂に4名が新たに選出される | 欧州野球狂の詩

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 その国の野球界の発展に多大な貢献をした選手や球界関係者の名を称え、彼らの功績を刻み込む場所である野球殿堂。日本の野球ファンにとっては、東京ドームに併設されている野球殿堂博物館や、ニューヨーク州クーパーズタウンに併設されているMLB野球殿堂が有名かと思います。しかし、こうした殿堂を設けているのは実はこの両国だけではありません。


 のちにIBAFワールドカップの第1回大会として認定されることになる、1938年のアメリカとの対抗戦「ジョン・ムーアズ・トロフィー」を制したイギリスもそうした国の1つ。先日、イギリス野球殿堂(BBHoF)の第5回選考が行われ、その結果ピーター・クルック、レイ・レイノルズ、ブラッド・トンプソン、ウィリアム・モーガンの計4氏が選ばれました。モーガン氏は野球ジャーナリストとして、それ以外は選手としての選出になります。この4名が加わったことにより、BBHoFに名前が刻まれたのは計22名となりました。今回は、この誇るべき栄誉を手にした4名の経歴を紹介したいと思います。


(1)ピーター・クルック

 ピーター・クルックは過去60年もの長きにわたり、選手や指導者として南イングランド地域における野球発展に貢献してきた人物である。現役時代は一塁手だった彼は、第2次世界大戦終結後間もない1948年にダルウィッチ・ブルージェイズに入団、ここでまず1959年までの12シーズンにわたってプレーする。彼のキャリアはイギリス陸軍砲術部隊への招集により、たびたび中断することを余儀なくされたものの、彼は軍人としての職務に当たる間もなるべく多くの試合をプレーするよう努めた。


 クルックは元来の武器であった堅実な一塁守備に加え、打線の中核を担うスラッガーとしても頭角を現すようになり、1959年にはその才能に目を付けたMLBのデトロイト・タイガースから、春季キャンプへの招待を受けたほどだった(もっとも、アメリカへの渡航費をねん出できなかったことから、残念ながらこの話は幻となってしまったのだが)。翌年からはリッチモンド・レッドソックスに移籍、69年までの10年間の間に選手兼任監督として優勝杯を手にし、リーグの選抜チームにも2度選ばれた。


 1970年には、当時のイギリス南部における最強クラブであったサットン・ブレーブスに移籍。ここでは7シーズンプレーし、6年連続でリーグのオールスターチームに選ばれたほか、MVPにも2度輝いた。1977年、キャリアの出発点となったブルージェイズ(この時はチームは本拠地を変え、クロイドン・ブルージェイズと名乗っていた)に復帰。老兵となってもその実力は衰えず、ここでも7シーズンで2度のMVPを獲得。ラストシーズンとなった1984年には、ついに国内タイトルの栄誉も手にする。


 その後1988年には、高齢者野球チーム「オールドタイマーズ」の創設メンバーの1人となる(このチームの創設には、「火の玉投手」として有名な伝説的豪腕、ボブ・フェラー(元インディアンス)も関わっていたとか)。1993年には、彼が率いたオールドタイマーズはドイツで行われた国際大会で優勝を果たした。またチームへの参加とともに、20年にわたって「野球アンバサダー」として普及にも尽力。フレンドリーリーグの主催者として、メッドウェイ・マリナーズやバージェスヒル・レッドハッツといった新しいチームを次々と生み出す土壌を作り上げた。


(2)レイ・レイノルズ

 イギリス野球史上に残る強豪クラブで、計31シーズンにわたってプレーしたレイ・レイノルズは、イギリスのトップリーグのチームにおいて最年少でレギュラーを掴んだ経歴の持ち主。レイノルズが1950年にテムズボード・ミルズに入団した時は、彼はなんとまだ12歳だった。しかし彼が加入して以降、チームは計12度のリーグタイトルと2度の国内タイトル(1959年と60年)を獲得するビッグクラブに成長する。彼は内野を本職としたが外野手として、あるいは捕手としてもマルチな才能を発揮し、文字通りの若き天才として名を轟かせた。もちろん、リーグオールスターにも何度となく選ばれている。


 1967年には、ブリティッシュベースボールリーグ(BBL)の最優秀打者賞を獲得。サザンリーグのMVPにも2度選ばれた。また、その才能は1950年代から60年代にかけてのイギリス代表においても、常連の主力メンバーとして如何なく発揮された。1970年のヨーロッパ選手権本大会で、イギリス代表は銀メダルを見事獲得しているが、この時のチームにもレイノルズは名を連ねている。


(3)ブラッド・トンプソン

 ブラッド・トンプソンはイギリス野球史上において、公式戦9回・非公式選手権2回の合計11回という、誰よりも多くの優勝タイトル獲得を果たした選手である。1976年にゴールダーズ・グリーンソックスでキャリアを始めた彼は、その長いキャリアの最も序盤の時期からタイトルに縁のある選手となった。1977年と79年には、グリーンソックスはイギリスリーグ制覇を見事成し遂げているが、トンプソンは79年の時にはファイナルで鍵となる働きを見せている。彼はこの試合で本塁打を放っただけでなく、延長11回には同点打も放ってみせた。グリーンソックスによれば、彼はこのクラブに在籍中通算で打率.456、長打率.779という破格の数字を収めている。79年にはシーズンでも打率.500を記録し、首位打者の座に輝いた。


 その後は当時強豪として名をはせていたロンドン・ウォリアーズに移籍、1981年からのチームの国内2連覇に大きく貢献する。現役時代からシリーズ男として名をはせた彼は、81年のファイナルで2打数2安打1二塁打4得点という成績を残し、その名にたがわぬ活躍ぶりを見せる。その後1986年から3年間はコブハム・ヤンキースに所属、3シーズン合計で打率.404、長打率.603という活躍でチームを国内3連覇に導くも、ヤンキースの解散に伴い再びウォリアーズの一員として復帰。ここで、トンプソンは1997年と2000年の国内王者を含む数々のタイトルを総なめにした、国内最強チームの主力として君臨することになる。


 2003年に28年間のシーズンに幕を下ろした時、彼はイギリス国内のトップリーグで300を超える得点をマークしていた。これは、イギリス球界における様々な記録を取りまとめる「プロジェクトCOBB」の記録によれば、史上唯一のものとなっている。現役時代にはリーグの運営にも携わり、1979年から84年まではサザンリーグのコミッショナーを、1987年から89年まではスコティッシュアミカブルリーグのチーフ管理者をそれぞれ務めた経験の持ち主でもある。


(4)ウィリアム・モーガン

 1923年9月9日にこの世に生を受けたウィリアム・モーガンは、歴史家・ジャーナリスト・学術的研究者の立場からイギリス野球界に多大な功績を遺した人物である。本日我々が知ることができるイギリスにおける野球の歴史は、このモーガンこそが掘り起こしたものだ。彼の最大の功績の1つは、1890年にイギリス国内でオーガナイズドリーグ(高度に組織化されたリーグ戦)が始まってからのナショナルチャンピオンを、1つのリストにまとめ上げたことである。今日、彼が作ったリストは公式記録を作成するうえでのベースとして用いられている。


 もう1つは、彼が独自に編集し発行したニュースレターだ。彼は1963年から67年にかけて、「ベースボール・クーリエ」と題した全24篇からなるニュースレターを世に送り出した。それに引き続き、1972年から1989年までは全51篇で構成される「ベースボール・マーキュリー」を発表した。「クーリエ」「マーキュリー」のいずれにおいても、それぞれの時代に行われていた試合の結果が掲載されていたことは言うまでもないが、同時に彼がこの2誌においてフォーカスしていたのはあくまでも、イギリス野球の歴史研究だった。「クーリエ」と「マーキュリー」の存在抜きには、イギリスにおける野球競技が拡大していた頃の歴史的な記録は失われてしまっていただろう。


 彼はこの2つのニュースレターを、20か国以上で発行することに成功していたが、これは当時海外に板野球ファンがイギリスにおける野球事情について知ることができる、おそらく唯一の手がかりといってもよかった。イギリス野球を世界に発信するという意味でも、モーガンが果たした役割は大きかったのだ。そんな彼も、かつては短期間ながら選手としてプレーしていた。1938年にウェールズのカーディフで初めて野球と出会った彼は、後に同地で展開された7チーム(イギリス空軍チームA&B、セントラルYMCA、メール&エコー、セント・デイビッド、ランバージャックス、ペンザンス・ソーシャルクラブ)からなるリーグ戦に携わった。彼はリーグの公式戦には出場できなかったものの、シーズン前のオープン戦のような非公式な試合で、セントラルYMCAの二塁手として数イニングプレーしていたのだ。


 また歴史家という側面に加えて、モーガンはリーグ運営にもとても熱心に携わった。彼は広報として、あるいは会計担当として、イギリス野球連盟の運営メンバーの一員に名を連ねた経験を持つ。彼は「公式野球史研究家」として参加した1976年のファイナルで、MVPのトロフィーを渡す役割を担った他、そのちょうど10年後の1986年大会では特別ゲストとして招きを受けた。彼のその卓越した知識と経験は、BBHoFの記念すべき第1回選考委員に選ばれる原動力にもなった。


ソース一覧

http://www.mister-baseball.com/members-british-baseball-hall-fame-inducted-2013/

http://www.baseballgb.co.uk/?p=17411

http://www.wongo.pwp.blueyonder.co.uk/index2.htm