【Wahoo!スポーツ】コンバートが変えた運命 | 欧州野球狂の詩

欧州野球狂の詩

日本生まれイギリス育ちの野球マニアが、第2の故郷ヨーロッパの野球や自分の好きな音楽などについて、ざっくばらんな口調で熱く語ります♪

【管理人注】

 この記事は、管理人自身の頭の中にあるものをそのまま文章にした、完全な創作です。急になんだか書きたくなったので、文章を書く練習も兼ねて、SLUGGERあたりで執筆している、スポーツライターになったつもりでやってみました。実在の人物や団体などとは、一切関係ありません。あらかじめご了承ください。以下のような設定や世界観を前提に、読んでいただければ幸いです。


・舞台は2041年のヨーロッパ

・主人公は、イギリス代表でプレーする若き速球派右腕(26歳、右投右打。ロンドン・メッツ所属)

・プロ入り当初は三塁手だったものの、野手としては目が出ずに投手転向し才能が開花

・オランダ・イタリア・サンマリノ・ドイツ・スペイン・イギリス・フランス・チェコ・スウェーデンの9か国32球団からなる、ヨーロッパトップリーグとしてのEUBL(European United Baseball League)が成立している

・EUBLの事実上の下部組織として、各国にそれぞれの国内リーグ(1部、2部、3部…)が併存している


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 どんな分野であっても、結果を出すことができない、使い物にならないと思われる人間たちがいる。「あいつには何もできない、うちの職場には無駄な存在だ」と、周囲の誰もがそう思っているような人材も、少なからずいることだろう。しかし社会人である限り、何一つ取り柄がないような人材など、実はいないのだ。往々にして、ほんの小さな些細なきっかけがあっただけで、途端にその能力を存分に発揮し始めるようなケースもあるのだから。


 野球界においても、ふとしたきっかけで突然大爆発する選手が、毎年決まって何人かは存在する。その背景には、フォームや練習メニュー、あるいはメンタルなどにおいて、何らかの変化が起きたことがある。守備位置を変更するコンバートも、そうしたきっかけの中の1つと言えるが、そのコンバートにこれまでに挑戦した選手の中でも、ジェイク・ポールが経験した浮き沈みは、とりわけ大きなものだったと言えるかもしれない。


 現在でこそ、イギリスを代表する剛腕として名を馳せる彼だが、8年前のプロ入り当時は三塁手。それも、どちらかといえばそのバットで期待をかけられていた選手だった。生粋のロンドンっ子であるジェイクは、留学先のアメリカ・フロリダ州のコロンバス高校で、才能あふれるアメリカ人やドミニカ人を押しのけ、1年生の頃から主軸としてプレー。2033年には、39試合出場で打率.442、12本塁打、69打点という圧倒的な成績を残し、イギリス人選手としては史上初となる、リーグMVPと高校の全米ベストナインにも選ばれた。


 そんな彼に、当然彼自身も周囲も、右のスラッガーとして超一流になるという期待を、ジェイクの両肩にかけることになる。しかし、高校卒業後に母国に帰り、地元クラブであったロンドン・メッツに入団した彼は、スペイン・テネリフェ島で行われた新人時代のキャンプから、いきなり予想もしなかった壁に直面することになる。


 「高校時代は、本場アメリカでも物凄く騒がれて、自分自身打撃には非常に自信を持っていた。ところが実際にプロに入ってみると、僕なんかよりも遥かに上手い奴がゴロゴロいる。フリー打撃で年上の投手に、僕が手も足も出ないのを尻目に、すぐ横で涼しい顔をしながら、柵越えを連発している選手がザラにいたんだ。正直、覚悟していたとはいえショックだったね。これがプロ野球ってものなのかと。そこから、自分の打撃が全く分からなくなってしまったんだ」(ジェイク)


 トレードマークであるフルスイングをすると空振りばかり。バットを短く持ってヒット狙いに徹しようとすれば、今度は打球がまともに外野に飛ばない。プロの実力を目の当たりにしたショックからくる力みは、予想以上に彼の打者としての開花を妨げ、少しずつその力を奪っていった。気づくと3年が経ち、通算打率は2割前後に。引退後のキャリアのことが、頭の中に常にちらつく日々が続くようになった。


 そんな日々に、これまた予想もしなかった形で終止符が打たれた。「最後のチャンス」として武者修行に送り出された、リトアニア2部リーグのKKSCウテナで、コロンバス高校時代に投手コーチを務めていた、アメリカ人のグレッグ・スミスと偶然再会したのだ。スミスは高校時代から、ジェイクの強肩と送球の精度の高さに、心底惚れ込んでいた。ウテナでの守備練習中に、その能力が依然として衰えていないことを確信した彼は、思い切って彼に投手転向を持ちかける。


 「率直に言って、当時のジェイクは高校時代から比べると、投手上がりの自分にもはっきりと分かるほど、明らかに打者としては劣化していた。バッティングの方法を、完全に忘れてしまったんじゃないかと思うほどにね。ただ、肩の強さに関しては当時から変わらぬままで、依然として力強い球を投げることができていた。これなら、投手として十分に成功できるはずだと思ったんだ」(スミス)


 「グレッグにコンバートを打診された時は、正直驚いたよ。僕は高校時代にも投手はやっていたけれど、そこまで本格的じゃなかったしね。それに投手よりは、毎日プレーできる野手の方が好きだったんだ。ただ、当時の自分には2つの選択肢しかなかった。投手に転向して再起を目指すか、野手にこだわってゲームからドロップするか。僕は、少なくとも現役を簡単にあきらめたくはなかった。だから、投手を本格的にやろうと思ったんだ」(ジェイク)


 スミスの見立ては当たった。ジェイクは転向初日から一週間も経たないうちに、最速157kmのスピードと球威があり、しかも制球力にも優れたフォーシームを繰り出せるようになっていた。チェンジアップとカットボールを覚え、緩急を使うことを身につけたことで、その威力はさらに際立つことになる。2037年シーズン、彼は96試合中22試合に登板。シーズン途中からは先発ローテに定着し、通算8勝をマークする。翌年、24試合登板で15勝1敗、防御率0.39、WHIP0.87という圧倒的な成績を残すと、リトアニアにはもはや彼の球を打てる打者はいなくなっていた。


 ジェイクの投手としての才能を語るうえで、決まって口にされるこのような逸話がある。投手に転向してから1か月が経った頃、オランダ1部リーグ(EUBLよりも1つ下のクラス)のクラブと、強化試合を戦う機会があった。3番手として、7回表のマウンドに上がったジェイクが、3イニングを無失点に抑える間、打者11人で計7本ものバットが、彼の剛速球の前に尊き犠牲となった-彼が剛腕として、本物であることを証明するための。もちろん、わずか1イニングでこれだけのバットがへし折られたのは、野球史上でも例がないだろう。


 その後のジェイクは、まさにうなぎのぼりともいえる活躍を見せるようになる。わずか2年で、ヨーロッパトップリーグのEUBLに復帰を果たすと、古巣メッツで先発ローテの柱に定着。3年連続で13勝と200奪三振以上をマークし、昨年のヨーロッパ選手権では、ついにイギリス代表の一員としてもデビューを果たした。ここ数年世代交代が進んでおらず、投手陣の頭数に苦しんでいたイギリス代表にとって、ジェイクの台頭は心強いものだったに違いない。


 そしてジェイク自身も、かつては「驚いた」という投手転向を選択したことを、現時点では全く後悔していないと言う。「野手時代の僕は、プロでやっていけるという自信が全く持てなかった。投手に転向したばかりの頃にしても、先が見えない中でひたすら格闘していたというのが本音だ。でも今は、投手になって本当によかったと思っているよ。もし三塁手のままでいたなら、今のように選手として輝くことはできなかった。たぶん今頃はロンドンのどこかで、新聞配達の仕事でもやっていたんじゃないかな(笑)」


 「大切なのは、どんなに困難な状況であっても諦めないことだ」とスミスは語る。「プロ野球選手である以上、どんなに不振の選手にだって必ずいいところがある。それを決して忘れてはいけないんだ。選手として大成するためには、自分が秘めた長所に気付き、日々ブラッシュアップしていかなくちゃいけない。どんな形でも、自分はビッグになるんだという覚悟を持たなければ、その他大勢で終わってしまうのがこの世界なんだ。少なくとも、簡単に自分自身に負けないことだよ。諦めたら、そこでゲームセットなんだからね」


(本文ここまで)


 はい、久しぶりのWahoo!スポーツです。このカテゴリーで記事を書くのは、オランダネタ以来のことになるでしょうか?今回はイギリス野球がテーマでしたが、楽しんでいただけたなら幸いです。


 実はこの「困難な状況であっても諦めない」という精神は、俺自身も非常に大切にしています。イラン代表のアミール・カーリグ・サケット投手(32)の移籍支援に関しても、今回はこうやったから失敗したけど、じゃあ今度はこういう風にやってみよう」といった具合に、その都度簡単に投げ出すことなく、粘り強く進めたからこそ、受け入れていただける球団が見つかることになりました。


 どんなにきつい状況であっても、愚直なほどに前を向き続けて、日々戦い続けること。それこそが分野を問わず、人として成長していくための唯一の道なんだろうなと思っています。今回の記事はあくまでも、あまりにも現実離れした世界観をもとにした、1つのフィクションでしかありませんが、こんなぶっ飛んだ「作品」であったとしても、読む人に何かしら伝わるものがあったとすれば、本当に嬉しいです。