【Wahoo!スポーツ】暗黒大陸の夜明け | 欧州野球狂の詩

欧州野球狂の詩

日本生まれイギリス育ちの野球マニアが、第2の故郷ヨーロッパの野球や自分の好きな音楽などについて、ざっくばらんな口調で熱く語ります♪

【管理人注】

 この記事は、管理人自身の頭の中にあるものをそのまま文章にした、完全な創作です。急になんだか書きたくなったので、文章を書く練習も兼ねて、SLUGGERあたりで執筆している、スポーツライターになったつもりでやってみました。実在の人物や団体などとは、一切関係ありません。あらかじめご了承ください。以下のような設定や世界観を前提に、読んでいただければ幸いです。


・舞台は2045年のアフリカ大陸

・長らく開催されてこなかった「アフリカ選手権」が復活している

・有力なアフリカ人選手が、日米欧にどんどん進出し始めている

・カナダにMLBのような大規模リーグが生まれている


(本文ここから)

 ピーター・フォーチュン(58)はこの2週間の間、これまでには予想だにしなかったような日々を過ごしているという。アフリカ選手権の会場となっている、地元南アフリカ・ケープタウンの、「グレートアフリカン・ボールパーク」で彼と会った時、彼の眼は赤く充血していた。しかし、「この大会の間中、まともに眠れていないんだ」と語る彼の声は、信じられないほど明るい。無理もない。大会統括責任者である彼にとって、この大会はあまりに、刺激と興奮に満ち溢れたものなのだから。


 「もう何年も、この大会のオーガナイザーを任されてきたが、こんな光景は生まれて初めて見た。まさか、自分の目が黒いうちに、こういう場所に自分が居られるようになるとは、全くもって信じられないよ。このような大会の開催を指揮できたことは、自分にとって心から誇れることだ。確実に流れは変わってきている。そう実感するよ」(フォーチュン)


 そう、興奮した口調で語る彼の周りには、20人をゆうに超える各国の報道関係者が、ずらりと勢揃いしていた。目の前では、総勢2万人収容のスタジアムが、観客たちでぎっしりと埋めつくされている。白人も黒人もアジア人もいっしょくたになったその光景は、さながら古い時代のヨーロッパのモザイク絵のようだ。「あそこを見てごらん」とフォーチュンが指差したその先には、バックネット裏に陣取る数多くのスカウトの姿も見える。皆、これからまさに始まる試合-地元南アフリカと、北アフリカの雄であるエジプトとの決勝-を、一目見ようと集まってきたのだ。


 かつてアフリカは、その無残な姿を指して「暗黒大陸」と呼ばれた。ちょうど1世紀前に終わった戦争で、アフリカ人たちは皆、欧米列強の支配から解放されたかに見えた。しかしそれは、結果的にはさらなる悲劇の始まりに過ぎなかったのだ。是非はともあれ、各国にある一定の秩序をもたらしていた、旧宗主国による支配という「タガ」が外れたことは、結局住民同士の殺戮と、更なる貧困を生み出したに過ぎない。多くのアフリカ諸国は、政治にも経済にも大けがを負い、自国民を幸せにするだけの力を、失うだけに終わってしまったのだ。


 しかし今、その暗い時代は彼方に消え去った。93億人が暮らす現在の地球上で、30年前と比較して最も人口の伸びが著しいアフリカ。大量の労働力を、安く調達できることに目を付けた先進国が、競うようにして生産拠点を設けるようになリ、ヒト・モノ・カネの動きが、かつてとは比べられないくらい活発になった。かつて、原油の採掘と売買によって繁栄していた、古き良き時代の夢に溺れ始めている中東から、今や経済の軸足はほぼ完全に南へと移った。暗黒大陸に、ついに日が昇ったのだ。


 そしてその大きな変革は、この大陸の野球界にもドラスティックな変化をもたらした。30年前、自身も-残念ながら、代表歴こそなかったものの-南アフリカリーグで現役選手だったフォーチュンは、当時のアフリカにおける野球の在り方を、次のように回想している。


 「当時、アフリカで野球といえば、かろうじて南アフリカの名前が挙がる程度だった。その頃、経済的に最も裕福だったのが我が国だったからね。そもそも、大陸全体でまともなスタジアムが数えるほどしかない時代だ。競馬で例えるなら、レースの遥か先頭を南アフリカが行き、10馬身離れてナイジェリアが、さらに10馬身ほど離れた後に、ジンバブエやガーナがかろうじてついて行っている、という感じだった。もちろん、国の間での実力差が大きすぎるから、活発な競争なんてあるわけがない。でも、大陸で先頭を行く南アフリカでさえ、世界大会では断トツの最弱クラスだったんだ」


 しかし、現在のアフリカ球界に、そんな時代の面影はほとんどない。アフリカ諸国が、世界の強豪国(例えば、ヨーロッパや中南米の国々)に対して、アンダードッグの立場であることは変わらないが、その差は小さくなっている。2041年のWBC1次ラウンド(東京)で、南アフリカが強豪ドミニカ相手に、3-1で競り勝つという大番狂わせを演じてみせたのも、その1つの象徴的な出来事といえるだろう。


 経済的に裕福になり、野球をプレーする環境が整ってきたことで、個々の選手の力も大きく伸びてきた。その中には、日米欧の野球先進国から、レギュラー候補生として目をつけられる者たちも数多くいる。ナイジェリアのエース右腕であるロイド・マルティンス(バンクーバー・ジャイアンツ/カナダ)は、今季国内リーグで13勝5敗、防御率3.58をマークした。ケニアリーグで打率.334、32本塁打、94打点をマークし、初代三冠王に輝いたケビン・ローランド(ナイロビ・ワイルドナイツ)は、両親の祖国であるイギリスのロンドン・メッツから、レギュラー候補筆頭としてオファーを受けた。そのメッツの主砲として、打率.326、28本塁打、117打点をマークしたジェイソン・ルイス・エスピノサ(南アフリカ)は、「ブラックダイヤモンド」との異名までつけられ、若き5ツールプレーヤーとして、現在日米欧の50以上もの球団による、凄まじい争奪戦のさなかにいる。


 そして、最も特筆すべきことは、そうしたハイレベルな個の出現と合わせて、大陸内での活発な勢力争いが生まれていることだ。今回のアフリカ選手権には、本大会の3か月前に行われた予選も含めると、かつて野球連盟が存在していた国の数の2倍近くにあたる、32か国が参加。本大会ベスト8以降の全試合では、5点以上の差がついた試合は皆無で、しかもゲームの中身も非常に濃いものだった。


 「今大会では、ロースコアの接戦が非常に目立っているが、それらは単に野手陣が低調だったから、というわけでは決してない。むしろ、どの国もディフェンス面が非常にハイレベルで、素晴らしかったことが原因だ。今では、どのチームにも140km台半ばの速球を投げる投手が複数いるし、守備陣ともきちんと連携が取れているケースがほとんど。(16チームが参加した)1次リーグならともかく、ベスト8以降はつまらないエラーもない。どのチームも、決して日米欧の強豪に引けを取らないし、しっかり戦えていると感じたよ」(フォーチュン)


 決勝戦の試合も、そんな今大会を象徴するような接戦となった。1-1で迎えた8回裏、試合の均衡を破ったのは、イタリア下部リーグでプレーするエジプトのエース、ムハンマド・マリク(コドーニョ)の151㎞速球を、右翼席中段に叩き込んだエスピノサの一発だった。結局2-1で辛くも勝利し、優勝の美酒に酔う選手や観客の姿を見ながら、フォーチュンは目を細めてつぶやいた。


 「今はまだ、アフリカ野球は先進国と比べれば、挑戦者の立場にいるにすぎない。それは我々自身が一番自覚していることだ。しかし、我々は今、かつてないほどの進歩を遂げていると思うし、これからもまだ成長の余地は残されている。今戦っている彼らの下の世代にも、ポテンシャルを秘めた若者たちが大勢いるからね。南アリーグのシーズンが始まる直前の11月には、今大会で活躍した選手たちでアフリカ選抜を組んで、日本に遠征に行く予定だ。日本は「日出国(Rising sun)」の国だというが、アフリカにも太陽は上ってきているよ(笑)。彼らは紛れもなく、世界最高のチームの1つだが、どこまで我々が勝負できるか、それが非常に楽しみなんだ」


 かつてと比べて、大きくその姿を変えつつあるアフリカ球界。彼らが、アジア・米大陸・ヨーロッパに次ぐ、国際球界の第4極として躍り出てくる日は、そう遠くないのかもしれない。


(ここまで本文)


 いかがでしたでしょうか?今回は、アフリカ野球ネタでやってみました。まさか、2日連続でこの手の記事を書くことになるとは。正直、今日はそこまでやるつもりじゃなかったんですが、「続けてくれ」と言ってくださる方がいるなら、そりゃブロガーとしてはやるしかないですよね。


 現在のアフリカは、残念ながら文字通りの「野球不毛の地」。その深刻さはヨーロッパ以上で、現時点での姿を知る今の時代の常識では、この記事の内容程の盛り上がりは、まるで予想できないものかもしれません。しかし、この大陸の野球のレベルが上がることは、国際球界全体にとっても、競争のレベルをもう1段階引き上げることであるのは間違いないはず。この記事の舞台は、今から33年後という設定ですが、その頃にはこの記事で書いた内容の数%でも、実現していたら嬉しいですね。