東京の大学に入って、初めての一人暮らし。
自由を謳歌し、自分自身あるがままで良いというのは、本当に心地の良い世界でした。
大学のクラスメートからは、当初、タロットカードを操るネクラな不思議キャラと思われていたようで、
私のアパートは別名『占いの館』と言われていました
しかし、2~3ヵ月もすると気の合う仲間もできて、自由に個性的に生きる同級生、先輩や先生から大きな影響を受けました。
そして、この頃は、ありとあらゆるアルバイトを経験しました。
喫茶店のウエイトレスに始まり、映画館のもぎり嬢、百貨店やスーパーのマネキン(試食販売)、TVの再現ドラマの殺される妻役、どこかの会社のプロモーションビデオのナレーター、素人カメラマンの撮影モデルetc・・・
大阪に帰省した折に、友人のピンチヒッターで行った百貨店の「九州物産展」では、食べたこともないムツゴロウの蒲焼や柚子胡椒を言葉巧みに笑顔で売りまくり、売上倍増
そのお店のオジサンからこれからも来てくれとスカウトされました。(東京に住んでいたので無理でしたけど
)
(演技コースの合宿で富山の演劇際に行ったとき能登半島にて)
芝居はもちろんのこと、映画も年間100~150本は観ていました。
人生に大切なことは映画で学んだと言っても過言ではありません。
毎日芝居に明け暮れて、稽古の後は飲みに行くという日々。
酔って記憶をなくし、朝起きたらゴミをまとめて、洗濯してあったというような笑える武勇伝
も数々あります。
小中高と運動嫌いの私でしたが、芝居の稽古の前には、かならず走って柔軟体操をしなければならなかったので、この4年間はいやいや真面目にそれを続けていました。
まぁその後再び、運動とは全く縁のない生活に戻るわけですけどね・・・![]()
(卒業制作の舞台)
どんなことをしてでも女優になりたい
というほどのド根性もなく、
美術系の会社でアルバイトをしていたところ、彫刻家志望の最初の夫に一目惚れ
され、猛アタックを受けて電撃結婚。
一同を唖然
とさせました 
ほどなく女の子誕生
今まで生きてきた意味があった
と初めて心の底から思えました。
「生まれてきてごめんなさい by 太宰治」系だった私が、救われた瞬間でした。
そして、私の人生の役目は終わった、と。
(いやいや、終わってないし
)
その子が生後半年くらい経ったころ、
日本語教師をしてくれないか![]()
という話が降って湧いてきました。
演劇をやってたんなら、きっとできる
ということで・・・
(ホントは全然関係なかったですが)
当時、前夫はまだ学生(研究生)で、私も仕事が必要だったので、3か月夜間の養成講座に通い、お得意の集中力で2週間一心不乱に試験勉強をして日本語教育能力検定を取り、日本語学校に勤め始めました。
そこは、共通語こそ日本語ですが、民族や文化は全く違う人たちの集まりで、大学以上にカルチャーショックの世界でした。
(つづく) 次章

