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そうやって即席でなった日本語教師

東京の生活に疲れて大阪にUターンしてきてからも続けました。


当初は、自分自身が勉強しながらの自転車操業
で、4時間の授業をするために、家で4時間準備をするという状態。


もちろん小さな子どもがいるので、朝3時から7時まで準備をして、745分から1830分ぎりぎりまで保育園に預け、帰ってきてから家事をしての激走生活あせるでした。


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(日本語学校の運動会。韓国、台湾、ブラジルの学生と)


でも、仕事は本当に楽しくて、この時期数えてみたら世界18ヵ国のべ1000人以上に日本語を教え、プライベートでも一緒に遊んだりして、さまざまな国の習慣や文化、料理を教えてもらいました。


そんな中で、3歳の娘を連れて最初の離婚。


人生最低に貧乏だったこの時、何を思ったか当時の私にとっては大金をかけて新しいことを始めたのです。


それが、多言語・多文化共生の活動。


どうも私は、普通の人なら守りに入ったり、動けなくなってしまうような時に、

ガーンと前に進む習性があるみたいなんですよね。



落ちるところまで落ちたら、あとは上がるしかないビックリマーク


っていうか、


いつまでもそこにいても仕方ないでしょう>自分!!


って思っちゃう。



失うものがなくなるって、ある意味強いのかもしれませんね キラにこ



この活動の中で、文字通り世界中の人に出会いました。

(そうそう、娘を可愛がってくれていた人とも再婚しました)


自分自身では、韓国、ロシア、フランス、メキシコ、台湾、イタリアにホームステイに行き、20ヵ国以上の方々を家に泊めました。


1人暮らしをしていた頃、恋人以外は友人でさえも家に入れるのが嫌だった私が、です。


さまざまな国の方と直にふれ合うことで、


日本で常識だと思っていたことが、他の国では全く違う


ということも知りました。


自分はなんと狭い世界で生きてきたことか。


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初めての韓国

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ロシアの男はすぐ裸になりたがる(笑)

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怪しい手作りのお酒を飲んでいるところ
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イタリアの高台の教会にて。 
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バイクの後ろに乗せてもらって「命預けます!」を実感!
これで走ってるとき、彼女がちょっとヤキモチ焼いてたのよ。でも、イケメン好きなワタシとしては全然タイプじゃないから(失礼!)心配ご無用でした(笑)
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この研究所では、最初はメンバーとして活動を始めたのが、4年後には研究員となり、そのうちに講演会やセミナーの講師として招致してもらえるようになって全国23都道府県を飛びまわりました。



日本国内でも数十件のお宅に泊めてもらう機会があり、同じ日本に住む同じ日本人ながら、まぁ本当に各家庭さまざまで、


世間で常識や一般的と言われているものが、いかに根拠のないものかを身をもって知りましたあせる


反対に、国や民族や文化が違っても、

嬉しいときには笑い、悲しいときには泣く、

そういう人間のシンプルな感情に違いはないのだということも実感しました。


大切なのは、自分から心を開いて、相手の心の真ん中にふれることなのです。

それには、相手と自分との違いを知り、それを丸ごと受け止める覚悟が必要です。


ただ単なる知識としてではなく、実際に多くの人に出会ってきたこの頃の経験が、私の許容範囲の広さとなったのは確かです。


また、この仕事をしていた時には、赤ちゃん~大学生までの子ども達とも数多くつきあってきました。

元々そんなに小さい子どもが得意なわけではなく、ひたすら走り回る男の子達の行動が謎でした。



彼らとどうやったら仲良くなれるか、どう話したら私の話を聞いてもらえるか知りたくて、心理学脳科学思考パターン性格分析等の本を片っ端から読みあさりました。
(はい、第1話からここまで読んできてくださった方はもうお分かりだと思いますが、私の『読みあさる』は本当に半端ないですあせる


その延長線上に、西洋占星術の出生図読みもありました。

占いというよりも、統計学からの性格分析という感じです。

そうやって様々な視点を取り入れることで、より他者を理解し、受け入れやすくなっていきました。

私にとって、自分にはないもの(違い)を持った人は、自分を拡げてくれる人です。


新しい世界、新しい人との出会いが、自分を成長させてきてくれました。


そしてこの後・・・

人生を変えるほどの新しい出会いが待っていようとは、まだ私は知りませんでした。


(つづく) 次章