ONESTAR7
家に帰りつくと、玄関に女物の靴があった。キッチンからお袋が顔も見せずに「お友達が来てるわよ。」と言う。
どうせリホコだと思い、わざとゆっくり靴を脱ぎ、俺の部屋へ向かった。
今日バックレたのがそんなに気に入らなかったんだろうか。
だけど約束をドタキャンしたくらいで怒るほど、リホコは俺に興味がないはずだ。
「リホちゃんだと思ってたでしょ?」
ドアを開けた途端、絶句した俺の顔を指さして、イチムラが笑った。
「おまえが俺の家知ってるとは思わないからさ。」
「案外簡単に見つかったわよ~。」
イチムラはわざわざクラス住所録を広げて俺の目の前でひらひらと振った。
「何の用だって顔ね。今日の現国の宿題のプリントを届けに来たの。そしたらいないし、ポストに入れて帰ろうとしてたんだけど、ちょうど帰って来たあんたのお母さんに会って、すぐ帰るから待ってらして、なんて言われたからさ。」
別にあたしはどうでもよかったのよ、と言う顔をつくりながらイチムラがすらすらと用意しておいたウソをつく。
現国のプリントなんて口実だ、と俺がすぐ見抜くのを承知の上で、この女は何しに来たんだろう。
「お母さん、きれいね。」
「そうか?」
「あんたにそっくり。」
一番嫌なことを言われて、イチムラを睨みつける俺の顔が窓ガラスに映った。
大きな二重の目と薄い唇。
冷ややかに口元を歪めて見せるだけで、女共が黄色い悲鳴を上げる。
「いーなー、男の子なのに、そんなにきれいな顔で。」
だけど、俺は、この顔が嫌いだ。
それは、ねーちゃんがきれいなお袋の顔が大嫌いだからだ。
だから俺もねーちゃんが嫌いな俺の顔が嫌いだ。
「何しに来たんだよ。」
「だから現国のプリントを、」
「わざわざ届けに来るようなやつじゃねーよな、おまえは。」
「おまえって言わないでよ、あんたの彼女じゃないんだから。」
「イチムラ。」
「名前がいいな。」
「リョーコ、だっけか?」
心底嬉しそうな顔をして、イチムラは「はい、何?」と答えた。
俺が一瞬面食らうほど、それは素直な笑顔だった。
「何しに来たって聞いてる。現国のプリントを渡しに来たってのはお袋対策だろう?」
「あったまいーなー、ヨッシーは。リュージとは大違い。」
「おまえの彼氏だろ?」
「名前。」
「リョーコちゃんの彼氏じゃありませんでしたか?」
「そうですよ。1ヶ月がかりで口説き落としたあたしの彼氏です。」
1ヶ月がかり、と言うのは大げさでも何でもなく、本当に5月に入ってすぐ、何を思ったのかイチムラはリュージにモーションかけ始めた。
俺以外の3人は幼稚園の頃からの腐れ縁で、リュージは幼稚園の頃からリホコが好きで好きでしょうがなかったのだけれど、リホコの方は小さい頃から知ってるリュージに何の興味もなく、友達以上の目で見ることは一切なかったらしい。
なのに、何を思ったのかそんな二人を見守って来たはずのイチムラがいきなりリュージに告ったのだ。「ずっと好きだった。」と。
リュージがリホコが好きなのを承知の上であの手この手で1ヶ月間アプローチを続けた結果、
とうとうリュージはイチムラを彼女にした。
頭がいいことに関しては、クラスでは俺の次くらいかと言うくらいイチムラを認めていた俺にとってそれはまだ、
2010年に地球が滅亡する、と言う予言を信じたほうがマシなくらい信じられない出来事だった。
「家に帰ったら、どうせリホちゃんから電話が入ってるだろうから。」
突然そう言ったイチムラのせりふが、俺の「何しに来た?」の返事だと気づくのに暫く時間がかかった。
リホコから電話が入るのはわかる。
俺がリホコとの約束を破ったからだ。
リホコが恋愛相談出来るような女友達はイチムラしかいない。
だからきっと、リホコはイチムラの家に電話をかけているだろう。
何たって親が許してくれないとかでイチムラは携帯を持っていなのだ。
「あたしが居ないとは思わないだろうから。」
床のクッションに座り、膝の上に置いた学生カバンの蓋を開けたり閉めたりしながら、イチムラは呟いた。
ウソはあんなに平気で言うくせに、どうして本心を言うイチムラは、小さく震えてるんだろう。
「おま……じゃねぇ、リョーコちゃんがいないとなると、リホコのヤツ、リュージんとこ電話かけんぞ。」
「だろうね。」
「リョーコちゃんは、何がしたいわけ?」
どうしてリホちゃんをもっとしっかりつかまえといてくれないの?と説教でもされるんだろうか。
あたしの彼氏がリホちゃんに盗られでもしたらどうしてくれるのだと。
「よくわかんない。」
そう答えたイチムラに、よくわかんないのはこっちだ!と言おうとして出来なかった。
イチムラの目にうっすらと涙の膜がかかったからだ。
「あたしね、名前で呼ばれるの、嫌いなの。」
「おまえが名前で呼べっつったんじゃねーかよ。」
「小さい頃からリホちゃんってきれいだったのね。近所でも評判だったし、公園とかで遊んでると知らない人によく写真撮られたりとかしてたんだ。」
イチムラの話が突拍子もないのはなぜだだろう、と考えながら真剣に相槌を打つ。
それくらいイチムラの瞳は思い詰めていた。
「でね、あたし、幼馴染だからさ、ずっと一緒に遊んでるでしょ?
でさ、ま子供心にも、ああ、このおじさんはかわいいリホちゃんの写真が撮りたいんだなって思うじゃない?
でさ、写真に入らないように横に寄ったりするのよ。
でもさ、リホちゃんはリョウちゃんと一緒じゃなきゃ映らないとか言っちゃったりするわけ。何の悪気もなく。
で、仕方なくおじさんは、あたしも撮ってくれるわけ。
リホちゃんの引き立て役として。」
ふと顔をあげ、俺と目が合ったイチムラは、
口元だけで笑ってみせる。
大丈夫だ、とでも言いたげに。
「あ、リホちゃんは無頓着な人だからさ。全然引き立て役なんて思ってなかったと思うよ。
あたしが勝手にそう思ってただけでさ。
名前もそうなの。リホちゃんて言いにくいからはっきり発音してくれないとリョウちゃんって聞こえるのよ。リホちゃん小学校とかでも有名だったからさ、みんな顔を見たくて名前呼ぶわけよ。リホちゃんって。
そしたら一緒にいるあたしはさ、リョウだかリホだかどっちだかわかんなくてさ、振り向くじゃない。
そしたらさ、おまえじゃないよって顔されんの。」
イチムラが何を言いたいのかよくわからない。
当のイチムラも「何言ってんのかわかんないって、顔、してるわ。」と言った。
「だからね、きれいな幼馴染を持つと惨めな思いをするって話。
ずっとずっとあたしの隣には誰よりきれいなリホちゃんがいた。」
「確かにリホコはきれいだけど、」
ぱちん。
イチムラが、カバンの蓋を音を立てて閉じる。
「それが、どうした?」
リホコは特別だ。
日本中の美少女を集めてもリホコに敵うヤツは3人といないだろう。
そんな女とわざわざ張り合わなくてもいいはずだ。
「やっぱあんたにはわかんないか。」
「わかんねーな。あんたがリュージを好きなのとおんなじくらい疑問だね。」
こんなわけわかんない話、とっとと終わらせたくて、からかうつもりだったのに、イチムラは冷ややかに俺を見てこう言った。
「知らないの?リホちゃん、リュージのこと、ずっと好きなんだよ。」
ONESTAR8~「優しいなら言って」に続く。
こんなとこで終わる予定じゃなかったのに、パソコンの調子が超悪いので、
いったん切ります。
続きの気になる方は、押して頂けると嬉しいでっす