さて、いやはや民主党バッシングが凄いですね。蜂の巣をつついたような大騒ぎ。鳩山首相の献金問題で騒いでおりますけれど、こんな問題は選挙前からわかっていた事であり、それでも自民党よりはマシという事で民主党を多くの国民が支持しているのだから、たいして問題にならないのかなと思っていたら、いやはや叩く叩く。凄いですね。

あれだけ選挙で大勝をおさめた割には、すでに支持した人も批判に回っているのか、何とも手のひら返しが凄まじいもんです。結局文句が言いたいだけなのか?政権交代した瞬間にあっという間に何とかなる処方箋があると思っていたのに落胆しているのか?

民主党に対するチェックをして行かなきゃならないなと思っていたのですが、ここまで世の中で梯子外しが多いと、そういう気分にもなりません。そのチェックが的を射ていれば、まだ納得もできようものですが、ことごとくお門違いばかり。そのチェックや批判じゃ意味ねえんだよって感じのものばかりです。小泉を支持したときの顛末に懲りてなのか、早くも民主党の梯子を外す事によって知ったような顔して俺はわかっているんだ的ポジションを取りたい輩が多すぎて、正直ムカついてきますので、今日は民主党の政策について公平に少し考えてみようと思います。

自分も個人的に非常に興味がある民主党の政策の一つ、高速道路無料化の是非についてです。

民主党は2003年からずっと高速道路無料化を掲げて選挙を戦って来た。今回のマニフェストにもそれを掲げ、いざ政権を取って政策を実行するとなったら、今度は世論がなぜか高速道路無料化には反対の声が大きい。マニフェストを支持したわけではないという、読売や産経の大合唱に乗せられてか、それともこの国の財政を心配してなのか、国民にとって悪い話ではないにも関わらず、反対の声が嘘か本当か多いと大マスコミは騒いでいる。

仮にそれが本当だとして、未来にツケを残すのではないかと心配して反対しているのだとしても、日本人ってそんなにパブリックマインドあったっけ?って感じがしないでもないのですが、実際にマスコミから出てくる声は大反対キャンペーンばかりですので、反対する理由のようなものは取りざたされますけれど、なぜ必要なのか?という議論が出てき難い。

この国のマスゴミクオリティにかかると、情報がインチキにねじ曲げられて報道されますので、無料化の難点は嘘ばかりです。その背後には霞ヶ関が総力をかけてネガティブキャンペーンを仕組んでいます。何が何でもこの政策を潰そうと。その情報をもとにすれば一般の国民が反対するのも当然かもしれません。当然背後に霞ヶ関がいるという事は彼らの権益であり、それを国民が拳を振り上げて守ろうとしている。相も変わらず繰り返される不思議な構造です。天下り根絶!!と騒いで、郵政の社長人事に世論もバカマスコミも吹き上がっているくせに、一方では役人の権益護持に加担している。なので本日はなぜ必要なのか?そこに問題は無いのか?その辺から見て行こうと思います。

この政策ははっきり言って民主党政権の政策の要であるとも言えます。これをやれるかやれないかでは今後の日本の展望も大きく違う。同じように子供手当や母子加算復活と言ったセーフティネットの構築、分権化、CO2-25%削減、対米関係に巣食う基地利権の見直し、ワークライフバランス、マスコミのクロスオーナーシップの見直し、等々、こういった事とすべてセットになった一つの国家像を示してもいるのですが、その辺があまり啓蒙されているように感じられませんので、本日は高速道路無料化についていろんな角度から考えて行こうと思う次第です。

今現在の民主党は時間のなさとマンパワーの不足、既得権者の抵抗とバカマスコミのネガティブキャンペーンによって、予算の組み替えにかなり手こずっています。もちろん今度の予算に関しては時間がなさ過ぎるので、不完全なものにしかならないでしょう。それによって不人気になる事につけこもうと狙って自民党はあの次期に選挙をやったわけです。政権交代後に保険をかけていた。

ここで国民が適切なプレッシャーをかけないと、このままで行けばせっかく政権交代したけれど、サブスタンスは何も無いというパターンに陥ってしまいます。早くも民主党に対して諦めの空気も漂っていますが、ずっと自民党を野放しにして来たのに、民主党政権になれば速攻景気が回復するとでも思っていたのか?んなわけねえだろって話です。徹底的にチェックにさらす必要があるのですが、そのチェックが不適切だと意味が無くなる。高速道路無料化なんてけしからんと思っている人には是非この構造を最低減前提としてふまえてから判断してもらいたいもんです。それではおっぱじめます。

普通、日本と同じ政治システムをとる国で、政党がマニフェストを掲げて戦い、選挙に勝ったにもかかわらず、それを役人ごときが反対するという行為は許されない事です。普通クビになる。ましてその役人の情報をベースにして、政権党のマニフェスト政策に公然と反対するような報道も非常識というしか無い。文句があるのなら問題点を正確に伝えなきゃフェアではない。とてもじゃありませんが現在出てくる情報というのはフェアとは言えません。あまりにも偏っています。

それに対して普通であれば国民自身が俺たちが決めた事をとやかく言うなと思えばまだしも、そうだそうだ!マニフェストを支持したわけではない!!とコントロールされてしまう。困った構図です。ちゃんと情報を得てそれで反対だと思うのはしょうがないと思いますが、現状の反対の声というのは殆ど何が問題なのかもわかっていないように見える。役人の言っているネガティブキャンペーンと全く同じロジックで反対している人ばかりです。基本的にそもそも高速料金が1キロあたり25円、100キロで2500円という料金設定に対して何も疑問を感じていないという事がまず島国日本独特の感覚ではないかと思えます。

高速道路はただで出来るわけではありません。もちろんお金がかかります。それは世界中どこの国でもそうでしょう。当たり前ですね。しかし日本ではその金の使い方、税金の使われ方に非常に問題がある。まあありとあらゆる所にこの構図がこの国にはあふれかえっているのですが、この高速道路利権も全く同じ図式です。

高速道路の通行料金というのがだいたい2.3兆円今現在でも国民は支払っています。それ以外にも高速に乗ろうが乗るまいがガソリン税は払っているし、それ以外にも11種類の税金、すべて合算すると約9兆円の税金を自動車ユーザーは国に支払っています。もちろん高速道路ユーザーも高速料金とは別にこの税金を二重取りされています。(ちなみに高速道路ユーザーという言い方をすると、限定的なイメージがあるのですが、本当なら免許を持っていない自動車には乗らない人であっても、高速の恩恵は受けています。物流を間接的に利用していない人はいないからです。スーパーで何かを買えば、それは必ず物流の恩恵を受けていますので、この問題は物価に直結しますので無関係な人はいないでしょう。なので高速ユーザーというと本当は全国民になるのですけれど、ここでは一応高速道路を自動車で利用している人という意味での高速ユーザーの話としておいて下さい。)

この高速道路利用者の二重取り部分の税金がだいたい2兆円。高速道路料金とは別の2兆円の税金というのは本来であれば受益者負担の原則で言えば、高速道路の建設費とか、せめて借金の返済にあてられるべきなのが当たり前なはずなんですが、それが一般道路の建設費に使われています。

高速道路ユーザーからとった税金を一般道路建設に流し、高速道路の2.3兆の通行料金を高速道路の建設費と借金返済に充てています。ここに二重取りの誤摩化しがある。高速道路ユーザーが支払う税金を高速道路建設費と借金の返済に回せば、高速道路の通行料は無料にしても何の問題も無い。

猪瀬直樹なんかが高速を無料化すると、借金返済する金を国民に負担させる気かと言います。高速道路ユーザーではない人の税金もつぎ込むのかと。受益者負担の原則を逸脱しているではないかと。多くの人が反対する根拠もここにあると思います。

はっきり言えばバカ言ってんじゃねえよって話で、現段階でも受益者負担の原則を無視して、高速道路ユーザーの税金を流用しているじゃねえかって話です。この構造がバレると、無駄遣い出来なくなるので反対している連中がいる。今の高速道路無料化反対の声の大多数はこの力学にコントロールされている。ここをぶった切って無料化にするという事は無駄な道路建設に金が流れている構造を止める手だてにもなる。無駄な道路建設には反対しておきながら、高速道路無料化にも反対するという意味の分からない連中が多すぎます。高速道路が有料だから、無駄な所に金が誤摩化されて流れて行くわけです。

そうすると必ず出てくる話として、高速道路利用の税金を高速道路にまわすのはいいけれど、、今までそれによって一般道路に流れていた金がなくなるではないかとなる。猪瀬直樹なんかもこういう頭の悪いロジックで高速道路有料を護持しようとする。これは何の問題も無くて、高速道路を無料化するのだから、それは一般道路と同じ扱いになるわけです。高速道路を高い料金設定で作っておいて、そのとなりに無駄な一般道を作ったり、その一般道が混んでいるから、またとなりにバイパスを作りましょうと、こういうデタラメを行って来たのがこの国の腐りきった道路行政でもあった。高速道路が無料になるのだから、無駄な一般道の建設は必要なくなる。本当に必要な道路に金が流れる為にも、これは必要な措置でもあるわけです。

宮崎県のそのまんま知事なんかがこの路線を反対していながら、宮崎県に高速道路を何が何でも作ってくれと言います。これは完全にお門違いの発想で、今までの金の流れの仕組みでは、高速道路がすぐ隣にあるのに、訳の分かんないピッカピカのバイパスを莫大な金をかけて作ったりして来た。逆に必要な道路や高速道路が無い所にその金が流れて行かないような仕組みだった。だから高速料金をとり続ける限り、無駄な道路に金が流れる仕組みを断つ事は出来ません。

生活に困っている地域の必要な道路に金を回す為にも、無駄な道路建設に無駄な金が流れる仕組みを止める必要がある。高速道路を一般道化する事によって、本当に必要な道路に金が流れて行く仕組みに転換も出来る。少なくとも高速道路が目と鼻の先にあるのに誰も使わないとか、そのとなりに莫大な金をかけて道路を作る事は出来なくなる。本当に困っている所に金を流す為にも必要な措置でもある。にもかかわらず、そのまんま知事は強固に反対している。まあ理由は単にバカか、道路利権を守りたいかのどちらかでしょう。少なくとも宮崎県民の為ではない。あの人の行動作法を見ていると、要するに芸能界で再びチヤホヤされたかっただけなんじゃないかという風にも見える。バカマスコミや既得権者の権益護持に手を貸せば祭り上げられるわけですから、単に目立つ為に知事という役職を利用しているようにしか見えない。

国民を二重取りによって欺き、受益者負担の原則を無視して一般道の無駄な道路建設に金を流し、役人の天下り先を確保し、政治家にキックバックが入って行く構造を守っているのが、高速道路無料化反対の最大の力学です。この事をまず最低限ベースにして是非を問わないと、この問題の本質には届きません。

仮に民主党の無料化案にこの問題を誤摩化すような所があった場合は、それこそボロクソに批判すべきだと思いますが、多分骨抜きになれば、大マスコミのネガティブキャンペーンは無くなるでしょう。だからその時には国民も興味が無くなっている可能性が高い。逆にボロクソに批判されているという事は、その構造を白日の下にさらしてしまえば利権が温存出来なくなる連中が多いという事に他なりません。最低限こう言った前提を共有して、その上で賛成反対を論じないと実りがありません。

もちろん無駄であったとしてもそれで食っている人がいるのだから、財政を悪化させても公共事業は必要なんだという立場もあり得るわけだから、そういう意味で高速道路無料化反対というのはそれはそれで筋は通っています(もちろんこういう先の無い戦略ではパイが減って行って自滅するだけであり、本当は高速道路無料化こそが、その先にはそういう人達への救いの手段も実は含まれるのですが、その事はもう少しあとで書きます)。だけど、今の高速道路無料化反対というのははたしてそういう意味で反対しているのか?と言うと、むしろ無料化にすると無駄なバラマキになって財政が悪化するという反対論者が殆どではないでしょうか。はっきり言えばそれは間違っています。全く逆なのです。その事をバカマスコミは殆ど報じようともしません。彼らが何を守っているのかもわかるってもんでしょう。

この国の発想は国を豊かにするとか、国民生活を立て直すとかそういう事とは無関係に行政が営まれて来た。税金が適切に使われて来なかった。無駄と非効率にまみれた特定のステークホルダーの懐を潤す為だけに利用されて来たわけです。税金の二重取りなんてのはその大きな誤摩化しの一つでしょう。ちなみに我々がガソリンスタンドで給油をする時に、ガソリン税がだいたい半分くらいとられています。そしてガソリン税とガソリン代の合計金額に再び消費税を重ねてとられている。税金に税金をかけるという誤摩化しのネコババ構造を今現在でも放置しています。至る所にインチキ構造が複雑に入り組んでしまっていて、それに対して国民も疑問を持たず、その事につけ込んで無駄と非効率にあぐらをかき己の権益を貪っている統治権力に、同じく独占構造を護持したいバカマスコミの援護射撃に乗せられて国民が無関心に隷属して来たのがこの国の最大の問題だったわけです。

無料化反対論の一つのロジックとして、せっかく今有料で取っているのだから、それを適切に使えばいいのではないか?という意味での反対の声もあります。例えば環境なんかに使うとか、どうせだから道路の借金に充ててしまうとか、それは一つの考え方としては筋が通っています。要は使い方の問題なんだから、せっかく財源が足りないと騒いでいるのだから取れるものはそのまま何らかの適切な使い方にすればいいではないかと。

自分は高速道路を無料化にする事のメリットとデメリットを考えると、大都市部では有料のままでも構わないと思いますけれど、多くの地方都市の高速道路は無料化にしてしまった方がいいと考えております。単にしぼんで行くパイからより多く金を集めるのではなく、パイを増やす発想こそが必要なので、この反対にも同意は出来ないのですが、とりあえずその無料化のメリットは後で書くとして、まずは税金の使われ方が不適切という事を問題にするのなら、そういう反対論はその事がわかっていて反対しているので、ここに差異はあまりないように見える。要するにその後の国家像の問題に違いがあるだけです。だから同じ反対と言っても、理にかなった反対と、利権温存の反対論があるので、そこの見極めが重要です。そして理にかなった反対論を隠れ蓑にして利権温存勢力も利用しようとしていますので、そこの注意も必要でしょう。

例えばガソリンの暫定税率引き下げの議論とともに、環境税の案が持ち上がって来たりすると、結局国民負担は変わらないではないか誤摩化しだと、バカメディアとそれに釣られた国民が吹き上がるわけですが、税金の使い道に対するチェックや所管が変わるという事によって、権益の配置を入れ替えるというのは重要な所があります。

特定の部署や役所が持っている財布をいったん取り上げて、別の使い道を議論する為にも、そういう措置は必要不可欠です。単に国民負担は変わらないではないか従来の構造と同じだという言い方をしてしまうと、もともと財布を握っていた連中へのバックアップになってしまいますので注意が必要でしょう。

もちろん新たな部署にその財布を渡せばそこが今度は腐り始めますから、結局変わらないという見方もあながち間違っちゃいないのですけれど、重要なのは権力が入れ替わる事によって、利権の配置が常に入れ替わる可能性があるというのが牽制になる。その牽制が無いから腐るわけで、権力が入れ替わっても正統性を主張する為には腐敗してしまったのでは主張出来なくなる。そのチェックが常に選挙によってなされる事が、役人の意識も変えて行くのだろうと思う。要するに自民党のバカ議員がほざいていたように、民主制で政権交代を前提としている制度なのに、恒久財源という発想はあり得ません。何年かに一度、その財源や予算が適切であるのかをチェックする必要があり、役所に取っての恒久的なお財布にしてしまうから腐ってしまうのです。

そういう事をふまえて考えれば、高速道路の料金を適切に使えば、別に無料化する必要は無い、という意味での無料化反対論者というのは、反対する意味が権益護持しか頭に無い連中とは根本的に意味合いが違いますので、単純な賛成反対の二元論では切れません。ただ問題はそれを隠れ蓑にしている輩がいるという事と、装っている輩がいるという事です。この切り口で自民党なんかが反対する資格はありません。彼らは利用しているに過ぎない。その事は心にとどめておくべき事でしょう。

元々高速道路料金を取り始めたきっかけは、名神、東名の高速道路を作り始めた時で、その時はそれしか手が無かったので仕方が無いと言えます。当時の日本の道路財源は全体で200億しか無かった。

名神東名は4573億かかっています。200億に対して約23倍、23年分の道路財源をつぎ込む事になってしまうので、当然財源が足りないですから借金をした。借金の4分の1がアメリカというか世銀。残りを郵貯や簡保、これを財政投融資で借りた。この時点では他に方法が無いので適切であったと言えます。

元々その時点で高速道路で料金を取るという事に対して、今からすれば信じられないでしょうけれど憲法論争にまでなった。天下の公道で金を取るなんて憲法違反ではないのかと。それを田中角栄が見事に突破してこの政策を通した。この時点ではこれしか方法が無かったし、このスキームを編み出した田中角栄は天才だったと言えます。

この時点ではきちんと条件があって、名神東名の借金を返済したら、名神東名はただにするとなっていた。これが守られていれば何の問題も無い。今頃みんなただになっている。本当は無料である道路の料金を有料化するという事で、道路整備特別措置法というのが出来る。あくまでも特別措置であるという約束だった。それが1956年、今から53年前。

その特別措置を半世紀過ぎた今でも取り続けているのが、自民党が行って来た道路行政であり、民営化と言いながら2050年まで後40年も取り続ける仕組みに変えたのが小泉のインチキ改革で、特別措置を100年にもわたって取り続け、それを政治家や役人の利権の為に無駄と非効率まみれに垂れ流されて来て、今後も垂れ流されて行く構造を守って行くのが高速道路無料化反対の最大の力学でもある。

名神東名は4573億の借金をした。通行料金で取った金は今までで8兆円に達している。1990年に世銀の借金はとっくに返し終わっている。にもかかわらず今も取り続けている。なぜか?

1972年に田中角栄が総理大臣になって、その時点で200億しかなかった道路財源が2兆円に達していた。100倍になっていた。借金に頼って高速道路を作る必要なんて無くなっていた。たかが4600億程度の借金なんか、三ヶ月分の4分の1の道路財源で返済出来た。普通であればそこで返済してしまえば借金がなくなるのだから返そうと思っても不思議は無いのですが、田中はそれを永遠に取り続ける仕組みへと変えた。名神や東名で取った金を、他の道路に流用する事をやり始める。これが二重取りの始まりで、それを今でも守り続けているのが財務省であり、国土交通省であり、道路公団であり、小泉改革であり、猪瀬直樹なんかが必死で護持している。

東名や名神の利用者の税金は一般道に使われ、通行料金は他の高速道路建設に流れている。受益者負担の原則もクソも無い、二重の意味でこの原則を無視している連中が、高速道路無料化案に受益者負担の原則を無視しているとかほざいているのだから笑い話にもなりゃしない。バカマスコミはそれをそのまま報じ、国民もまんまと乗せられてマニフェストだけが重要じゃないと拳を振り上げている。どうにもなりません。このインチキ構造を止めさせないと延々と借金は増えて行くばかり。

20世紀中に無料にすると約束をして作り始めた高速道路の原理原則に立ち返って、まやかしの二重取りを止めさせて、高速道路ユーザーが払っている税金で借金の返済と高速道路建設費に回せば、高速道路は無料化出来る。というかそれをやらない事には延々と借金ばかりが増え続ける。

一般的に高速道路無料化案に対して素朴に反対している人達というのは、国が800兆とか900兆とかの膨大な債務を背負っているのに、高速道路を無料化にして料金収入の減収なんていう大盤振る舞いのバラマキ行政みたいな事をやっていて大丈夫なのか?という疑問があるのでしょう。債務が増大する事によって金利上昇のリスクを抱えるのではないかと。国民にツケが回ってくるのではないか?未来に借金を残す事になるのではないか?と。

しかし今の道路公団民営化のスキームをよく見ましょう。今の34兆円の借金が減って行くかのような誤解を猪瀬直樹にしろバカマスコミにしろ国民にすり込んでいますが、これはとんでもない嘘で、これからも借金を新しくして、赤字路線を作る計画があり、実行しようとしている。

更にあと20兆円の借金をする計画になっている。その借金を2050年までし続けて行くというスキームを作られてしまっている。借金は増やし、料金と税金の二重取りも続ける。未来にツケをまわさないどころか、未来に借金を押し付けて逃げ切るスキームが回っている。

その借金を返済出来なくなったらどうなるのか?国民が負担するしか無くなる。入って来た税金を借金返済に充てないというスキームを作っている。これから更に赤字路線を作り、全部で50兆以上の借金をする事になる。金利上昇のリスクもある。

今現在の料金収入というのは大都市圏は黒字になっているけれど、地方の路線は基本的に赤字が多い。バカ高い料金設定で一時間走れば、今の普通の人の時給よりも高い料金をふんだくられる。そんなものに払う余裕があれば、日本経済もここまで疲弊していないわけで、せっかく高速道路があっても使う人が非常に少ない。日本の高速道路8000キロのうち65%の5000キロは効果的に使われていない。

しかしかといって地方は車が圧倒的な交通手段でもあるので、一般道路は混雑していたりする。一般道が混んでいるから、また新たにバイパスを通しましょうなんて事をやっている。無駄と非効率を是正しないと財政再建は出来ません。その最大の無駄と非効率にまみれているのが、道路利権そのものでもある。

日本の道路に対する支出は年間77869億円、約8兆円も使っている。フランスが32968億、ドイツが25043億、イタリアが15232億、イギリスが13553億、この四つの国をあわせても約8.5兆、国土面積から言えば圧倒的に小さい日本一国で、ヨーロッパ主要先進国の合計金額に匹敵する道路予算を毎年使っている。

ドイツとイギリスに関して言えば基本的に高速道路は無料。イギリスなんか1兆円ちょっとしか使ってないし、ドイツは世界一のアウトバーンという高速道路があるのに2.5兆程度しか使っていない。日本の3分の1の財源で、一般道と速度無制限の世界一の無料の高速道路アウトバーンを維持している。速度無制限なので、日本の高速道路とは比べ物にならないくらい滑らかで堅牢で、しかも事故が起きたらヘリコプターで助けにまで来てくれる。そこまでやって無料でしかも財源が3分の1しか無い。いかに日本の官僚組織が無駄と非効率にまみれた無能な集団であり、利権しか頭に無いのかがよくわかる。

確かにドイツのアウトバーンなんかは結構財源的にも苦しいらしくて、今は大型のトラックなんかは有料化になっていますし、その事を取り上げて、猪瀬直樹とか道路利権を護持したいバカ共が、世界では高速道路は有料化の流れなんだ!!みたいなふざけた事を言いますが、日本の道路行政がそれをいう資格はみじんも無い。莫大な財源を抱えていながらこれだけ借金まみれにし、しかも今の今までというか、今現在でも有料で運営しているにも関わらず、これだけ無駄と非効率にまみれ、まだ整備も終わらず、借金が減るどころかこれから益々増やしましょうなんて事をやっている連中がそんな事を主張する資格は無い。そういう例を取り上げて日本の道路行政の正統性を主張するなんてのは、バカも休み休み言えって話です。一緒にすんじゃねえよ。このクソ共が!死ね!!

これで税収が少ないので高速料金を取っているとバカマスコミなんかが言っているわけですがとんでもない話です。真っ赤な嘘。要するにそもそもこの構造こそがバラマキであり、将来にツケをまわすスキームであるわけです。

例えば未来の為の先行投資である子供の教育費と比べるとよくわかります。先進国OECDの中で、日本はGDPに占める教育に対する支出の割合は最低レベルで韓国よりも少ない。2万6千円の子供手当を毎月支給したとしても、OECD加盟国平均にもまだ届かない。

それなのに道路にはこんなにバカみたいに金を使っている。しかも日本は人口が減り始めている。凄まじい高齢化によって、実際に車を運転して道路を使う人口も激減している。若者ももう車に対して昔ほどの消費をしなくなっている。この構造を転換させないとどうにもならない。

道路利権というのは要するに役人や政治家の利権です。なのでいっぱい取れるものは取った方がバラまける。だから二重取りも止められない。そういう財布として利用させない為にも、高速道路を無料化する意味がある。役人の天下り先やファミリー企業に金が流れ、それが政治家に4000億程度キックバックとなってかえって行く。だから延々と是正出来ない。今是正出来なければやがて民主党も籠絡されてしまうでしょう。

これが角栄の編み出した利権のスキームであり、猪瀬直樹はこれを壊すと言っておきながら実際にはこれを守っている。郵政民営化と全く同じインチキスキームです。道路公団は民営化したんだとほざきますが、実際株は100%国が握っている。そんな民営化会社なんてない。民営化という名前を借りた特殊法人化です。しかも今でも国土交通省がどの高速道路を作るのかを決める権限はそのまま。トップは民間人ですと誤摩化していますが、民間会社のトップ25名のうち、13名は天下り。

民営化だと威張っていますけど、公団で無くなったという事で、国会に呼ばれなくなる。しかし国が100%持っているので、証券取引所に上場するわけでもない、金融庁もチェックしない。ノーチェックで責任を取らなくて済む構造に変化させたのが小泉改革です。これは郵政と全く同じスキームです。

国鉄が民営化したから道路も民営化するのだというロジックが使われるけれど、鉄道というのは無料化は出来ないので比較するのは間違っている。国鉄はしっかりと民営化した。借金も時間はかかりましたが処理をした。JRは借金を11兆引き受け、汐留とかの土地を売却して借金を背負ってそれを返しながら経営している。ところが道路の民営会社というのは、前の公団よりは経営はおもいっきり楽になっている。

90人しか人がいないペーパーカンパニーである、独立行政法人高速道路資産保有債務返済機構、略して「機構」という所に、借金を全部丸投げした。ここが資産を持っているという話になるのですが、売れる資産は一円も無い。名神や東名は売れない。サービスエリアやパーキングエリアの土地はどうなったのかと言うと、そっちはちゃっかり貰っている。とんでもないインチキをやった。

借金を帳消しにしてもらって、簿価で何十年も前の土地が安い頃を基準にした1兆4千億の土地を貰っている。今では時価で10兆を超えるでしょう。10兆円の資産をただで貰い、借金も付け替えてしまっている上に、これからまだ20兆もの借金をする計画になっている。破綻しても何の責任も取らずに済むような仕組みに変えた。金利が上がってどうにもならなくなったら誰が負担をするのかと言えば、売れる資産が一円も無い90人しかいない機構が責任を取れるわけも無いので、国民が負担する事になる。とんでもないインチキ構造の逃げ切りスキームです。

こんな馬鹿げたものを国民はみんなで支持していた。国鉄の民営化と比較するのもバカらしい。前の公団の頃の方が責任の所在がはっきりしていたのでマシ。この民営化会社には借金返済の義務が無い。資産だけを貰っている。これのどこが民営化と言えるのか?国民の資産のネコババ以外の何者でもない。これを守っているのが猪瀬直樹という事になる。気付いていて国民を欺いて利権を貪る為に加担しているのなら何も言う事はありません。コイツは人として最低の人間でしょう。しかし気付いていないとしても、自分の行いを俯瞰出来ないような奴が知識人を語る資格はない。気付いているにもかかわらず、自分が愚か者で自分の行いが失敗だったと認める事が出来ないような男は、男として最低のクズです。いずれにしても全く評価に値しないウジ虫野郎です。

都合のいい所では国民にツケをまわす国の100%子会社、具合が悪くなると、民間会社に国家が介入するなんておかしいって話を利用する。バカマスコミも官から民への逆行と騒ぎ立てる。猪瀬のようなクズをコメンテーターとしてアホな番組に出し、そのことが正しかったかのような誤解を絶えず国民にすり込んで行く。独占構造で牛耳っていながら、ジャーナリズムを気取っているのだから、少しは郵政民営化にしろ、道路公団民営化にしろ、調査報道の一つでもやればいいのに、そういうものは皆無。

道路公団の時もそうだったし、今の郵政の社長交代劇なんかもそうですが、やれトップの人事が誰だとか、かんぽの宿のような細かい無駄遣いみたいな話は得てくるけれど、構造的な最大の問題点は全くのスルー。細かい話をガス抜き作用として利用し、不満をそらしてしまう。

これを本当の意味で民営化し、不動産を売却するなり、上場して株を売却するなりすれば、10兆以上の借金は返そうと思えば返せる。それを猪瀬はやるやる言ってますがやる気配すらない。今返そうと思えば返す原資があるのに、40年も先延ばしにして更に借金を20兆も増やす事の何が民営化なのか?高速道路を無料化にすると未来に借金が残るというのは大嘘もいい所で、今現在のスキームは未来に借金を残し、国民に負担を強いる逃げ切りスキームであり、それを止める為に必要な措置は無料化にするのが一番手っとり早い。

続きますよもちろん!!
本日は前回書いた郵政民営化の問題というか、小泉竹中路線の問題に対して、mickey-72様から、政策そのものに例え制度上不十分なところがあったとしても、その過程で浮き彫りになった問題点が可視化出来ただけでも無駄ではなかったのではないか。というコメントをいただきまして、その辺を少し考えてみようと思った次第です。

結果的に可視化に結びついた部分が多々あったのは間違いありませんので、このコメントはおっしゃる通りだと思います。それにこの路線は自民党が初めて明確に表面上とは言え方向性を示した。それまでのリベラルなんだか保守なんだか、タカなのかハトなのかよくわからない集団であった、政権交代の無いこの国の政権を担当してきた自民党の、良くも悪くも何でもかんでも網羅しようとして来た方向性から、明確にスタンスが見えた。だから対抗軸も示しやすくなった。したがって問題点も見えるようになった。それまでの何でもかんでも網羅してしまっていた自民党に対して、対抗軸を示す事が出来難い構造を変えたという意味では劇的な変化だったのではなかろうかと思います。

なので、本日は政策的な問題点というよりも、なんで自分がその事にムカついたのかという事を政策的な穴がどうだったのかは脇において考えつつ、なるべく小泉竹中路線の良かった点を考えながら、なんで不人気になってしまったのか?とか、それが今後どのように生かされれば良いのか?とか、それでもやっぱり政策的な合理性があったかどうかは別にしても、やっぱり問題点はあったのかどうか?とか、少しレイヤーを変えて相対化してみようと思います。まずは郵政民営化の問題から行きましょうか。

この問題は結局何が問題なのかわからずに賛成したり反対したりしている人達が多すぎる所に問題があるような気がします。元々郵政民営化なんていう話は(道路公団民営化もしかり)、あんまり面白いイシューではありませんし、経済学者なんかが小難しい理論に基づいてああだこうだと議論しながら、政策を煮詰めて行くような話だったんじゃないかと思います。それを小泉の見事な(と一応言っておきますね。)手法によって国民一丸となって大騒ぎして祭り化してしまった所が最大の問題だったのではないかと。

最初から支持していた人、要するに問題の本質は財務省であり、財投にありとわかっていて、だから早く株を売却せよ(出来るように整理せよ)、郵政は犠牲になってもらうしかない(実際問題非効率である事は間違いないのだから)と言っている人。問題はあるが政治家や役人に預けておくよりは、市場のチェックの方がマシ。

と、最初から反対、問題は財務省にあるのだから、そっちを不問のまままるで郵政が全部悪いかのような言い方はフェアではないではないか、民営化するなら将来の国民負担を強いるような構造を是正するのが先だろうという人。

この二つの意見は対立してますけれど、基本的にどこに問題があるかもわかっているので、そんなに違いは無いように見えます。要するに手続き論とプライオリティの違いだけでしょう。

自分は後者ですけれど、民営化自体には別に反対しているわけではありません。あの問題点をちゃんと説明しないままの(非常に議論を単純化したまるで郵政を民営化するかどうかが日本のこれからにとっての分水嶺であるかのごとくの煽り)動員にムカついたというのと、民営化以降の郵貯銀行の目指している方向性が、大丈夫なのか?と思って危惧しているだけです。なんか逆に行っちゃっているように見えるので。

改革も道半ばととらえるか、中途半端ととらえるかによって、要は同じ事でも違うように見えてしまいますからね。細かい穴はあるけれど、路線は間違ってはいないのだからと心を広く構えられる人と、自分のように細かいディティールが気になってしまうキモヲタの差ではないかと思います。

細かいディティールが気になる人ばかりがマジョリティを形成するのも気持ち悪いですから、マイノリティ的ノイズで牽制として人を不快にさせるくらいで丁度いいと自覚もしています。

小泉竹中路線も細かいテクニカルな穴をあえて無視して、敵を設定して動員装置として利用していたから、ふざけんじゃねえぞと思っていただけで、政治とはそういうものでもありますのである意味しょうがないとも思っています。今回の「政権交代!!」というスローガンだって似たようなもんですし。

じゃあ何にそんなにムカついていたのかというと、今思えば特に小泉竹中路線の頃の、なんと言いますかマイノリティ的ノイズに社会が寛容じゃなくなっちゃった空気に対してムカついていたのかもしれません。多分それが何よりだと思います。実際に右傾化していたのかどうかわかりませんけれど、若干保守化した空気(といいますか、同じ仲間として同胞や故郷に対する愛着、場合によっては統治権力であっても好き勝手は許さねえぜ、ではなくて、統治権力の言う事に従う奴が愛国者で、言う事を聞かない奴が反日分子みたいな感じの全くお門違いの逆向きのインチキ保守化なんですけど)、誰もが国益を口にする空気、居心地が悪いと言いますか、キモチワリーと言いますか。

それをまた世耕弘成あたりが得意げに利用していた所もこれまたむかっ腹が収まらなかった原因ではあると思います。あとは、自己責任だ!!って言う輩が多かったのもムカついた。んな事はわかってるよ。だけどそれをわざわざ追いつめられている人間に向かって普通言うか?って感じで。イラク人質事件とかありましたよね。当時の福田官房長官が自己責任を口にした時なんか気がおかしくなるかと思うくらいはらわたが煮えくり返った。親の臑をかじって政治家になっているのような輩が自己責任だ?

長崎男児誘拐殺人事件の際に、加害者の親までも「市中引き回しの上、打ち首獄門ですよ」とかほざいていた政治家がそのまま活動を続けられるだけじゃなくて、結構人気があって、よく言った的に評価されていたりと、とにかくケッタクソ悪い空気が蔓延していたので、そういう事が怒りに拍車をかけていたようにも思います。それは小泉竹中路線だけが悪いわけではありませんけれど、そこに乗っかって利用していたのも確かですので、ムカついていたのだろうと思う。先日の衆院選での民主党の政権交代一色の空気というのは、そこの所はありませんからね。まだ許せます。多分そこが決定的にイヤだった。なんで対立を煽るんだよと。

しかし政策的な所に関しての評価、ちまたで騒がれているような批判、弱者切り捨てとか、市場原理主義者とか、格差拡大とか、そういった批判は全く的外れだと思っています。確かに金持ち優遇の減税なんかがあったので、金持ちに優しいように見えた部分はあったでしょうけれど、それを国民は支持していたわけですし、小泉竹中じゃなくたって、今のこの国の袋小路はどの道変わらなかったような気がします。

彼らの問題は改革したからじゃなくて、あれだけ動員して圧倒的な人気を得て大騒ぎした割には改革が足りなかった、大騒ぎした割には中身がともなってないと言いますか。

祭り化して政策を一気に畳み掛けて合意してしまうというのは、非常に危険でもあるんですが、そういうやり方を使わないと合意を調達出来ないような問題もありますので、自分は使い方次第ではその事すら反対するつもりはありません。民主主義の暴走無くしては変えられない問題もあると思います(もちろん民主主義を無視しないと変えられない問題もあると思います)。オバマなんかがどのような顛末になるかはわかりませんけれど、あの人が大統領になれたのはある種の祭り効果によってでしょう。

ただ問題は、こういうお祭り騒ぎは一回利用してしまうと、祭り効果が消えた後は国民の疑心暗鬼が増大してしまいますので、しばらくの間は政策的な合意調達が難しくなってしまうという副作用があります。

実際その後の自民党の自滅にしろ、今の民主党の支持者でも意見がバラバラで、マニフェストなんか無視しろと言っている支持者もいる。小泉政権の流れが支持されていた頃は、郵政民営化にしろ、イラクへの派兵にしろ、北朝鮮への断固決然とした対応にしろ、もの凄い支持があった。靖国参拝のような微妙な問題ですら、かなりの支持があった。この違いは合意調達という事に関して考えると、かなり変わってしまった感じがします。

多様化すること自体は悪い事だとは思いませんので、構わないのですけれど、あれだけのお祭り騒ぎをして、民意を味方につけて、国民一致団結して、自分のような非国民の意見は全く届かずに突っ走ったのに、なんか中途半端な印象が拭えません。醜い妥協の産物ばかりです。仮に本当に改革する気があったとして道半ばなんだとしても、簡単に巻き返されてしまうものばかり。しかも自民党内部ですら。

例えが変かもしれませんけれど、スーパーマリオでせっかくスターを取って無敵状態になったのに、敵が一匹も出てこなかったというか、穴におっこっちゃったというか(逆にわかりづらかったらごめんなさい)。祭り的動員というある種の無敵状態を使った割には、その見返りがあまりにもしょぼかったのではないかと思えるのです。

北朝鮮問題しかり、民営化問題しかり、後期高齢者医療の問題しかり、派遣の問題しかり、財政再建問題もまたしかりです。無敵状態でなければ突破出来ないような問題に、祭り的動員というある種の禁じ手をもう少し効果的に使うべきだったのではないかと思うのです。まあどの道、自分のような人間は細かい所で文句を言っていたでしょうけれど。

一回国民的合意による副作用を自覚してしまった我々は、もう向こう10年から20年はその事が脳裏に残ってしまうので、政策的な国民的合意調達は難しく、多分妥協の産物にしかならないのではないかと思ってしまうのです。根本的な問題は先送りするような。特に日本人である我々は、民主主義は不完全なものであるという自覚や、政治は綺麗事や理想ではないという自覚も無い。自ら支持していたのに、騙されていた!!と吹き上がって自分に責任が無いと思い込む戦前から変わらぬ癖もある。それを考えると、どうせインチキなんだろ!!という感覚が更に蔓延し諦めの空気に支配され、どうせ何にも変わらないという感覚が広がってしまった所は、やっぱり問題だったのではなかろうかと。

ただ小泉の政治的センスに関して言うと、非常に興味深いお人だったと思っています。民主党の体たらくを見ていると、それを強く感じる。民意を味方につけるのも上手かったし、愛嬌があった(だから余計イライラした)。どこに問題点があって、どこのボタンを押せばどういう風に反応するのか?という事を、非常に的確に捉える事の出来るセンスがあったように思います(だから余計ムカついたんでしょうけれど)。しかしそこに理念があったのかというと、あんまりそれが感じられなかった。彼の改革に賛同した竹中を含めた多くの人々がそれなりに奮闘したのでしょうけれど、肝腎の親分がサブスタンスよりも政治的に利用する事に熱心だった為に、せっかく改革に集った人々も、あまりにも抵抗が凄まじかったので、中途半端なものにならざるを得なかったように個人的に見えてしまう。せっかく世論を味方に付けたのに、それを政策的なサブスタンスに上手く結びつけなかった。少なくとも小泉にはその事に熱心だったように見えなかった。あくまでも個人的な見解ですけど。

まあ梯子を外された竹中とか、猪瀬直樹とかは、今でも小泉を讃えていますので、人間的な魅力があって、本当はもの凄く熱心なお人だったのかもしれません。自分は竹中平蔵氏にしろ、猪瀬直樹氏にしろ、以前は本を読んだりしていたので、どちらかと言えば嫌いじゃなかった。特に小泉政権の知恵袋として活躍する以前の竹中氏に関しては結構好意的に見ていた所もあります。まあいろいろ批判されたりもしてましたけれど、なんと言いますかあのソフトさが経済系の知識人という肩書きを持つ人にしては好感が持てた。

経済系の学者とか知識人とかに多い傾向として、的を射た発言をする人というのは、そのラディカルさ故に、なんと言いますかギラギラしていて相手を論破してバカ扱いする事に喜びを感じてんじゃなかろうかと見えてしまうという欠点がある人が多いのではないかと思います。本質的な問題を鋭く斬り込んで行く人ほどそういう風に見えてしまう。

ネタとして受け取る事が出来る人にとってはたいした問題ではないかもしれませんけれど、多くの人の合意を得る為の一般的な啓蒙という意味で考えますと、そこは結構問題があると思えます。どんなに正論を吐いていても人がついて行きません。結局その事を理解出来る人達の間でしか通じない。同じ誰かをバカ扱いして自分が優秀だと思い込みたい連中の間での内輪受けのマスターベーションに見えてしまう。もちろんそれはネタとしてやっているだけで、本当はいい人なのだとしてもです。

言っている事がもの凄く切れ味鋭く本質をつていると思える人であるほど、もう少しソフトな言い回しをしたらいいのにと思ってしまう傾向があるように感じる。自分のような凡人の戯言というか、ある種の愚痴で不満をたらたら言うようなブログでの罵詈雑言のようなレベルの話とは次元の違う話をしているのだから、尚更もったいないと思ってしまう。

これは学者や知識人やジャーナリストによくある病で、特にこの国では一般的に経済音痴が多いという事も影響があるのだろうと思いますが、経済系のそういった人達に特に強く感じてしまいやすいのではないかと感じます。文章は面白いのだけれど、端々から冷たい感じがしたり、なんか恐い人のように受け取られてしまう。こういう印象は結構重要で、面白いけど好きにはなれないというか、多分話をしたらバカ扱いされんだろうなという近寄り難さみたいなものというのは、その手の人達の啓蒙が悲しいくらいに世の中に響かない原因のいったんでは無かろうかと思う。ロジカルだからと言って合意を得られない。論理的で正論であればあるほど情緒が拒否してしまうという、日本人には特にそういう傾向があるのかもしれませんけれど、不条理な拒絶反応。

実際本を読んだり話を聞けば面白いし、目から鱗もしばしばなのに、ある種の近寄り難さを発しているように感じる。隙がない。もちろん物事の本質を理解して伝えるという事に関して言えば、人柄は関係ないし、読んでいる人間に媚びる必要なんてみじんも無いのは確かなんですが、やっぱり人はそれだけでは動きませんので、それを発している人がどういう人に見えるのかというのを気にしてしまう。そこは専門分野の知識の正しさや優秀さとは関係がない所が、結局その専門分野の正しさを調達する合意に関係してしまうという厄介な問題に直結してしまう。なので隙がない故にちょっとアラが見えた瞬間に(何らかの容疑がかけられた瞬間に)、やっぱりあの野郎はインチキ野郎だったぜと、正しかったはずの理論までももろとも葬り去ってしまう事態もよくある。

自分はあんまり好きじゃないですけれど、森永卓郎氏なんかが比較的人気があるのは、あの隙だらけの風貌と、隙だらけの立ち振る舞い、そしてキモいながらも愛嬌の良さと情けなさ、ある種のソフトな弱々しさにあるような気がする。なんかあの人に言われると、まあ聞いてやんないと可哀想かなと思えちゃう。彼に対してはそれこそ経済系の知識人からボロクソに批判されたりもしてますし、大手メディアにとって都合のいい事を言う人として重宝されている現状を、まあ物の見事に叩かれまくっていますけれど、彼が人気を得ているのは、大手メディアにとって都合がいいからというだけではないでしょう。あの人柄と、弱者に対して絶対に冷たい言葉を吐かない姿勢が一般受けするのだと思います。それが綺麗事のお為ごかしだと批判もされるわけですが、人に何かを伝えて世の中を変えるという意味で言えば、斜に構えているよりは確実に世の中に伝える事が出来ると思う。残念ながらそれは論理的正しさとは関係がない。

経済系の知識人で非常にサブスタンスのある話をしている人というのは、冷徹な計算上の答えを言わねばならないからなのかもしれませんけれど、弱者に死ねと言っているかのようにとらえられかねない言い回しをしてしまう人が結構な数でいる。ちゃんと話を聞けば、そんな事は言ってないのだけれど、そういう風に誤解されかねない言い方をしてしまう。言葉尻をとらえられて反発を招くような。

自分はそういう言い方はある種のフックなんだろうと思っていますので、別に気にもなりませんが、気になる人にとっては気になるのではないかと思ってしまう。そういう事を考えると、竹中平蔵氏というのは小泉の知恵袋になる前までは、非常に多くの人々に伝える能力に長けていたと思う。話も面白いし解りやすかった。同じ冷徹な現状分析をするにしても、物腰が柔らかかったし、笑顔を絶やさない印象があった。小泉政権の知恵袋となってからは、それ故に自分のような人間にとって胡散臭く感じムカつく要素でもあったのですが、それが小泉政権を経て逆風が吹き始め現状を見ると表面上は随分変わってしまったなあと思ってしまう。それが何しろ残念です。

自分のやった事を誇り、他者を断罪する。そういう芸風だったっけ?と思えるような変わりっぷり、まるで田舎の土建屋の市会議員が偉そうにしている光景とあんまり変わらないように見えてしまう。あの人の一番良かった所が無くなっちゃっている。散々多くの人に売国奴扱いをうけたからそういう風になっちゃったのでしょうけれど、あんたの良さはそういう所じゃなかっただろと思ってしまう。そのスタイルでどんなに正論を吐いたとしても、一般受けはしない。それじゃあまりにももったいない。

特に自分は散々批判はしてきましたけれど、根っからのひねくれた性格故に、今の世論の梯子外しに関しては何度も言うように逆にムカついているので、竹中氏の擁護の一つもしたくなるのですが、今の彼の顔が恐い所や、立ち振る舞いや余裕の無さを見ていると、その気も失せてしまう。その部分は非常に残念でもある。小泉政権が諸悪の根源と叩かれている今だからこそ、彼の意見は社会にとって必要でもあるのに。つくづく思うのは権力というのは人を変えてしまうものだとよくいいますけれど、そうなのかもしれないと思います。自分なんかには想像もできないようなプレッシャーや価値観の変化があるのでしょう。まあとは言いましても、彼らの方向性を賞賛する気にはなりませんが、賞賛出来ないからこそ、彼らの言い分は聞かなきゃフェアではない。

それに自分は全く支持しちゃいませんけれど、小泉チルドレンという言葉が踊り、タイゾー君のような人達がそれこそボロクソに批判されました。気持ちはわかるし、自分もそう思うのは山々なんですが、厳密に言うとそこも自分は違うと思っていて、確かにタイゾー君はバカっぽいので、政治家としての資質はなかったのでしょう。その他の小泉チルドレンの中にも、こんな奴が政治家になっちゃったら世も末だぜと思う人もいた。だから文句を言いたい所もありますが、しかしじゃあそれ以外のベテラン議員がまともなのか?と言えば、最近の自民党なんかは、党内の利害調整ばかりで国民を無視するばかりの本当にクズばかり。世襲ばかりのどうにもならない構造です。それはどこの党も同じような構造を抱えているでしょう。

ああいう新人議員(さすがにもう少し賢い人の方がいいと思いますが)でしがらみも無く、好き勝手な事を発言し、それが支持されて民意をバックに力を握れるようにならないと、本当の意味での国民の意志は国会には届かないと思う。だから今回の小沢チルドレンだか、小沢ガールズだか知りませんけれど、そういう人達が宣伝目的で利用されるとか、テレビのバラエティ要員として利用されるとかだけではなくて、どうせ勢いで間違って当選しちゃった次は落選の可能性の高い、ある意味での失うものは何も無い人達が、権力闘争という薄汚れた世界では甘いかもしれませんけれど、正論をはいて、民意をバックに問題に斬り込んで行けるようになる事はむしろいい事だとも思う。

それを小泉チルドレンという言葉が踊り、こんな非常識な連中が政治家になっちゃったとボロクソに叩いてしまったのでは、薄汚れた連中の権力闘争の頭数として利用されるだけの使い捨てで終わってしまう。これはある意味もったいない。確かに自分も失望しましたし、多くの人が失望するのはわかるのですけれど、本当はそういう国民に毛が生えた程度の普通の感覚をもった人間が政治の世界に入って行って、政治のある種我々の常識からかけ離れた非常識に対して問題意識を持ってもらうのは本当はいい事なはずです。そういう可能性を見せてくれた事も、また無駄にしてしまった所も、やっぱり小泉改革のいい所でもあるだろうし、悪い所でもあったような気もする。

そういういろんな意味での様々な要素を考えますと、政治が完全に袋小路に陥っていた90年代の感覚を、ある意味で新たに活性化させたという部分では、小泉の功績はそれなりに評価されてしかるべきかもしれません。ブッシュの評価と同じように、小泉がいたから、我々は問題意識を持てたのだろうし、このままではマズいという感覚も芽生えて来た。投票によって政治に影響を与える事が出来ると気付かせたのも、小泉の郵政選挙が出発点であったかもしれない。だから自民党は完全に死に絶えて政権交代も起こったと言える。

ある種の成熟したおまかせなんて出来るわけがないという民主主義国家としては当たり前の感覚をともなった政治体系へと変化するための通過儀式だったと見れば、ある種の戦後の一つの分水嶺でもあったようにも思える。その事は政策的な合意調達を失ってしまったとしても、それ以上の成果とも言えます。

とまあいろいろ考えて行きますと、小泉竹中路線というのも全くの無駄骨では無かったと言えます。もちろん安倍晋三にしろ、福田康夫にしろ、麻生にしたって、そういう連中がいたからこそ、自民党が死に絶えたわけで、国民もうんざりしてこのままではヤバいと思うに至った。歴史をテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼと全く逆の力学ですら、次のステージへの役割を担っているととらえれば、すべて無駄ではなく、何らかの役割を果たしている。ただ個人個人がどこに目線を置くかによってムカついたり賞賛したりと意見が分かれてしまうだけだとも言える。

それが例え本当に悪意に満ちていて、どうしようもないくらいに評価に値しない事であるとしても、寛容さは忘れたくないものです。それにムカついて小泉や竹中を叩いていた自分としては、同じように寛容さを無くしたら、彼らがとった政策を批判する資格は無いと言える。社会もその事に気付かないと、同じ事を繰り返すしか無い。

そしてあくまでも監視するべきは権力であるという事も忘れちゃなりません。小泉竹中改革というのはすでに過去の話であり、今更彼らを断罪した所で、それを支持していたのは国民自身でもある。今彼らを叩いた所でたいした意味は無い。権力者がどこかに敵がいると、小泉竹中路線を叩いている構造は、小泉竹中が権力を握っていた頃にやっていた事と同じ図式でもある。今目を向けなければならないのは当たり前ですが小泉竹中ではなく、民主党になる。

それではこのネタはこれまで。
問題は民主党がそこをきちんと改革する気があるか否かが問題で、本当の意味で官から民にする気がないなら、民営化なんてしない方がマシです。民主党は民主党で、株の売却を止めるとか言っているくせに、郵政を国営化するとは言っていない。民営化するなら一刻も早く株を売却するべきだし、それを止めるのなら国営にするべきで、いまの状態が一番駄目。見直しなんてぬるい事言ってねえでどっちかにしろよ。

本気で民営化にするのなら、その事以外にもクリアすべき問題は山積している。郵貯や簡保はかつて、0.2%程度の上乗せ金利が付いていた財政投融資に金を回していた。01年に財投の改革が行われたことで、今度は財投債を買うというシステムになった。現在の資産運用を見ると、保有有価証券の約9割を10年物中心の国債が占める一方、負債は相変わらず定額貯金がその6割程度を占めていると推定される(民営化以前に預け入れられ た定額貯金の額は、現在開示されている貸借対照表には「特別貯金」の項目に、同じく民営化以前に預け入れられた定期貯金の額と合算で記載され、その内訳が示されていないため推定するしか無い)。

日本は20年間近く低金利状態が続いたけど、これからは超低金利が続く保証はないどころか、金利が急騰する可能性もある。人口が減少を続ける中、少子高齢化に伴う日本の財政状況の悪化も見られる一方で、 中国やインドなどは成長を続けていて、近年の石油などの一次産品価格の高騰も記憶に新しい所です。今後更に中国やインドの通貨が力をつけてきたら、それは世界に対し大変なプレッシャーを与えることになり、世界的な物価や金利の上昇が連鎖的に起こりうる。

今の財政状況では本当に資金不足になった時、実質金利が跳ね上がっていく可能性もあるので、例えば国債が暴落したと聞いた預金者が金をおろしに殺到したらどうなるのか?郵貯銀行の窓口では、 定額貯金は即日払い戻しに応じなければならないので、その現金を確保するために国債を売るしかなくなる。その結果として、国債価格の暴落がさらに暴落を呼ぶということは充分に考えられる。

もともと、郵貯のALM(Asset Liability Management<アセット・ライアビリティ・マネジメント>資産・負債の総合管理)は普通の銀行のALMでは許されないような、預金者のオプションをただで売っているという構造。定額貯金の仕組みは預金者にとって非常に有利で、郵貯にとっては不利なことをしている。それでも自己資本が潤沢にあればまだしも、非常に少ない。郵貯が発表しているBIS規制(国際業務を行う銀行の自己資本比率に関する国際統一基準。バーゼル合意とも言う)に基づく自己資本規制比率は85%となっているが、 実は、そこに国債のリスクアセットは計算されていない。

リスクは、信用リスク、価格変動リス ク、流動性リスクなどたくさんある。10年国債の信用リスクが仮にゼロだと考えても、デュレーションを加えると立派なミドルリスク商品になる。金利が上がれば暴落のリスクも有り得るミドルリスク商品を、郵貯銀行ではリスクゼロとしている。一般企業でいう総資産に対する自己資本を見ても、単体で3.8%、連 結で2.6%程度しかない。これは完全な過小資本です。

この最大の経営問題に郵政民営化は手をつけていません。資金のほとんどを10年の長期国債に入れ、一方で、貯金という負債は預け入れてから半年以降はいつでも引き出せる、という資産負債のミスマッチの典型である定額貯金は存続したままです。金利上昇での経営の爆弾を抱えている。

今後、これまで通りビジネスモデルを維持するのなら、大幅にバランスシートを縮小しないとどうにもならない。こんな状態で上場するとか言ってるのだから、頭がおかしいか逃げ切りスキームを構築しているかのいずれかしか無い。改革と声高に言っていたわりには中身も無く何とも無責任でお粗末な話です。小泉が行った民営化というのは道路にしろ郵政にしろこの逃げ切りスキームであり非常に無責任きわまりないものです。それを止める事に対して、国民の借金が増える!!とか騒いでいるのだからどうにもなりません。逃げ切りスキームを止める事が逃げ切りスキームだと言われてしまう。

郵便局の良さは、3事業を一体で行っていたため、制限があったところで、他の銀行や生命保険会社が手をつけていたリスクの高いビジネスを手がけることが出来なかった。不良債権問題でも直接自分たちでは手をつけていない。そのおかげで80年~90年代に民間銀行が失敗した時も、簡保や郵貯は無傷だった。それなのに、民間の方が良いと言って郵政を無理やり民営化したところに無理がある。

ゆうちょ銀行のビジネスで改善しなければならなかったのは、ALMが歪だったり、定額貯金を持っていたり、自己資本比率が低いという状況自体で、民営化しなくたって出来る事ばかりです。というか民営化するならそれをやってからやれって話で、最悪同時進行でせめてやれよって事です。ALM の問題を解決するためには、国債一辺倒の資産運用を見直して株式の比率を上げたり、定額貯金を金利を上乗せしてでも解約してもらいダウンサイジングが必要です。

しかしそれが進んでいるのかと言えば、実際には4つに分社することでコストが上がり、さらに、ローンへの参入など新たな事業への取り組みなんて話もどんどん進んで行ってしまう。これでは確実に人件費などのコストは上がり、加えてリスクも上昇してくる。歴史ある大銀行さえほとんどが失敗するくらい、銀行の経営は難しいのに、大銀行ですら失敗した貸し付け業務に進出して稼ごうとしている。自滅の道です。大企業向けの貸し付けは利ざやが薄くて儲からず、中小企業向け融資は新銀行東京に見られるようにリスク管理ができなければ大穴が開く。

無理に住宅ローンを貸そうとすれば日本版サブプライム問題になりかねない。貸し付けを行うには巨大な貸し付け審査部門と営業部門が必要であり、巨額のコストとリスクを伴います。人口が減少し、経済が停滞し、かつ民間金融機関は飽和状態に近いくらい競争が激しい中で、経験もなく、人をたくさん雇えばたちまち経費率が上昇する。こんなんで本当に競争力を持ってやっていけるのか? 普通に考えれば危ないから止めといた方がいいよと思うでしょう。それがこの国のクソメディアバイアスにかかると、改革逆行って話になるのだからどうにもなりません。またそれで踊らされてる人もいたりするから悲しくなってくる。

別にそういう方向性に進みたいなら、自分は勘弁してほしいと思いますけど、みんながそれで構わないと言うのなら仕方が無い進んだっていい。だけどその事をきちんと啓蒙するなり情報公開するなりして、国民の合意を得てからやってくれよって話です。啓蒙するどころか隠しているのだからどうにもなりません。今のままで行けば、国民に重い負担がのしかかる事になった時、みんなそれを選択したのだから仕方が無いと思えるでしょうか?

そもそも自己資本比率が2%そこそこしかない郵貯銀行は、貸し付け業務を始めるには資本不足です。資本金を増やすには、政府の信用を使うか財政資金を投入するしかない。財政再建のはずが財政負担になる。そこまでして始めた貸し付け業務が新銀行東京のように破綻して再び国営化すれば洒落にもなりません。

郵貯だけでなく、社会のネット化や競争の荒波を受けた簡易保険と郵便事業も巨大な組織を維持するには経営基盤が脆弱であり、国家信用という後ろ盾がなくなれば倒れかねません。

そうした課題に対して、いま進められている郵政民営化では、民間銀行が失敗した貸し付け業務に明確な戦略なく進出してコストと経営リスクは増大し、失敗した場合の責任や国民負担も明確ではありません。

ユニバーサルサービスとしての郵便事業をどうするのか?という問題も、ダムを建設するか否かでこれだけもめるのだから、必ず騒ぎになるに決まっているし、亀井が郵政に反対する理由も表面上はそこの事ばかりを騒いでいる。だけどこれをどちらにした方がいいのか?という問題は脇に置いて、この問題を新聞各社が少なくとも官から民への逆行と言う資格は無い。なぜならお前らまず再販価格制度によって権益を守ってもらっているから、日本全国津々浦々まで毎日新聞を配達出来る構造の上にいるではないか。非効率で無駄だから止めろと言うのなら、再販制度を止めたらどうだ?少なくとも価格はそれによって下がり、新規参入もやりやすくなる。競争原理が働く。都市部の人間が負担して過疎地に毎日下らない読むに値しないようなクソ情報満載のクソ新聞を送り届けているではないか。一方で公共的サービスを盾に取って己の利権を温存しておきながら、国民負担を理由にしてユニバーサルサービスの民営化を言うのはフェアではない。

郵便事業にしろ再販価格制度維持にしろ、この類いの権益ははっきり言って前時代的なものでしか無く、これだけパソコンや携帯が普及した時代に残すのなら、もう少し工夫しないとどうにもならない。郵便局を全国津々浦々維持して、国民の平等なサービスを担保するというだけでは弱すぎる。せっかく津々浦々整備されているのだから、その事を何らかの利点として利用していく方向性を考えないと、ただこの制度を残すというだけでは非効率だといつまでも問題として残り、政治利用されてしまう構造を残す事にもなる。

その辺の問題が全くクリアされていない状況では、民営化と言ったって何のビジョンも無ければ名前をただ変えただけ。官から民へなんてなってない。責任を国民に押し付けて、負担を強いるためのものでしかない。どの道国民が負担せねばならないのだとするのなら、現状の官か民かの違いに意味は無い。民にするのなら、どうやって民間企業としてまわせるようになるのかという事をキッチリ示す必要が有るし、それをやらないのであれば、それが出来るまでは、責任は国に有るとしていた方がマシです。いまの状態を許してしまえば、いざとなったら我々は民間企業ですから、と逃げられてしまい、国民がバカを見るだけになる。国の100%子会社と同じようなものという言葉を利用して利権も貪れる、最悪の状況。

順番が逆で、民営化を本気でやるなら先にクリアするべき問題が有る。それを全くやってこなかったし、放置しておいてもやる気は無いでしょう拡大路線なんてやってんだから。だったら亀井が言っている事の方が全然まともです。

バカマスコミや自民党のバカ共のように、民間企業であるのに不当な介入だ!!というロジックも勘弁してほしい。これのどこが民間企業なのか?自民党にそのことを言う資格は無い。いざというときに結局ツケを払うのは国民になるのだから、本質的な問題を是正するつもりが無いのなら、そんなものを認めるわけにはいかない。本質的な問題を手当てして、とっとと株を売却した後に、同じような振る舞いを国家権力がしたのなら、それは大問題だけど、ただ看板だけ民営化に付け替えてアンタッチャブルな構造にシフトするような、インチキ改革のインチキ構造を放置しておく事は自由経済とは言わない。インチキを放置する事と自由は別です。

ただそれは国営化にすれば上手く行くと言いたいわけではない。いまの民営化でも国営のままでも問題は解決出来ない事は一緒。民主党がその辺をどうやって解決する気があるのか?もしくは単なるポピュリズムであるのか、そこの所が最大の問題で、要するに票が欲しいというだけで、そこの奪い合いがこの問題の現状の本質でしかないままであるのなら、民主党のやろうとしている事も何のサブスタンスも無い。

批判をするのならこの本質的な問題に対してどのようにするのか経路をキッチリ示せと政権与党さらし上げる事が一番重要であり、官から民へというインチキスローガンはいったん捨てた方がいい。少なくとも郵政に関して言えば、そんな事やってないしやった事も無いのだから。

前原大臣の大失態であるJAL再建策で絶望的なように、政治家なんかに民間会社をキッチリ管理する能力なんて無いし、国営になった所で政治家に期待するだけ無駄です。民主党にそういう能力は無い。だから本質的な問題をしっかり解決する気がないのなら、現状の郵政問題は出口が無いと言ってよい。いずれにせよ国民が負債を背負う事になり、長期金利がいずれ上昇すれば、国債の大暴落の引き金を抱えたままでもある。そうなれば間違いなくこの国の財政は強烈なダメージをうけ、多くの国民が手痛い思いをする事になる。自殺者も失業者も犯罪も激増するでしょう。これはいまの民営化か国営かという議論では出口は無い。その事が一番の大問題で、人事が誰かなんてのはどうでもいい話です。民主党は方向性をきちんと示せ、一体何がしたいんだ?とプレッシャーをかけて行く事こそが重要です。

自民党の行って来たインチキ構造を白日の下にさらし、政権交代の正統性を調達しようとしているのなら、別にそれはやりたきゃ勝手にやればいいけれど、その事を暴き立てて、悪者を名指しした所で、問題の本質は何一つ解決出来ない。もちろんそれをやらないと、自民党の再生もないだろうから、徹底的に暴き立てたければ好きにしろよって感じですけれど、もういい加減そこから先も示さないと、いつまでも野党気分で自民党の腐敗構造を叩いているだけでは話は前に進まない。

別に民営化しなくたって改革しようと思えば出来るわけだから、国営化反対と言うつもりは無いけれど、何をどうやろうとしているのかが見えてこない。だから元官僚人事である斉藤次郎氏に対しても批判が起こる。その気持ちはわかる。だってこんな盗人集団を信用しろという方が無理というものです。

旧来の自民党的利権構造に斬り込むという意味で言うのなら、斉藤次郎という人事は評価しても良いと思うけれど、結局その先に何をしたいのかがわからない。鳩山にしろ亀井にしろ、方向性は同じだとか言っているけれど、何をどう解決するのか?どういう方向性で一致しているのか?財務省への脅しとして利用するならまあいいけれど、財務省の利権を更に強固にする為のインチキ人事なら、小泉改革と同じです。国債への金の流れが今後増えて行くような事を仮に狙っているのなら、危なっかしくてどうにもならない。はっきり言って、もうこの国に残された破綻回避のシナリオは無いのではないか?とさえ思える。

小泉竹中の改革を否定するのはいいけれど、どのように否定するのかで評価も分かれる。改革と拳を振り上げていたわりには旧来の利権構造は誤摩化せるように改革しただけで、実態はたいして変わっちゃいない。しかし旧来の利権構造に斬り込むならまだしも、そこを更にプロテクトして、集票の為のお財布として利用しようと言うのなら、この人事は全く評価出来ない。だからこれがどのへんに真意が有るのか?これを問いただす必要が有るのだけれど、バカマスコミはこういう肝腎な所では役に立たず、元大蔵次官という所にばっかり大騒ぎしている。そこに本質は無くて、まさか理財局の権益護持の番頭役じゃないだろうな?と牽制しなきゃ意味ねえだろ。民営化自体には現状ではサブスタンスは無いのだから、逆行もクソも無い。郵貯の規模はどうするのか?まさか出来もしない事業拡大路線を今後も続けるのではあるまいな?とか、国債残高はどうするのか?とか、いくらでも聞くべき事はあるだろう。小沢との関係が!!みたいな話はどうでもいい。

今の今まで散々問題の本質をはぐらかされて、囮に引っかかって大騒ぎして来たのが郵政民営化であると言える。そろそろその辺の空疎な構造に踊るのは止めて、本質的な問題をどうするのか考えないと、地獄は目の前に迫っているかもしれません。我々がその事に対していかに目を光らしてチェックする事が出来るのかにかかっているのですが、まあ駄目でしょうね。

一度政権交代したくらいでは多くは期待していませんので、そこから先はサブスタンスがあれば儲け物くらいに思っちゃいますが、まだこの期に及んでこんな空疎な郵政民営化の問題で踊っている様を見ると本当絶望的な気分になってきます。本日はこれにて。