本日はかなり強引な暴論を吐きますのでご注意を。

これは自分の個人的な感覚なんですが、経済政策で何が合理的であるのか?というのは、いろんな経済政策がそれこそありますけれど、多分それぞれ言っている事は全部ある意味では正しい事なんだろうと思う。それはある局面では正しいというのかもしれない。

だからどんな対策を打つかという事では本当はないんじゃないか?と思う時があります。要するに人々の心の問題なんじゃないかと。もちろんこれは極論ですよ。合理的な政策を打つ事自体は重要な事だと思いますけれど、それを人々が信用出来なければ、あまり効力を発揮出来ないのではないかと。

経済というのはタマネギの皮みたいなもんで、ある種のルーマン的な社会システムの一形態でしかありません。なんで金が欲しいのか?金が欲しいからだ。というか、それが合理的かどうかは別として、自己増殖機能によって何が理由なのかはわからないけれど、それはそういう事になっている。そして理由をつきつめても理由はない。なんで株が上昇するのか?みんなが上がると思うからで、本当に上がる理由がなんであるかは定かではない。みんながこれでいいと思ったものが合理的なんだみたいな、ある種の理不尽さによってドライブしてしまうものです。時に暴力的なまでに暴走し、その反動で多くの人々を理不尽に叩き込む。人の無意識的な意志が暴走を引き起こし、多くの人がそれに熱狂し、必ずトレンドは上昇してピークを示し、ピークアウトする。だから資本主義を否定する人達なんかが無意味だと切って捨てるのだろうと思う。民主主義制度も同じようなものでしょう。

しかし意味なんてものはそもそもありとあらゆるものの中には無い。勝手に人が意味付けしているだけ。自ら意味付けをして、それに自縄自縛でとらわれているのが人間であり愚かさであり、愛すべき所なのかもしれません。だから人の意志が介在する以上、それが無意識的であれ、意図的であれ、どんなものでも必ずトレンドがあって、必ず暴走を引き起こす可能性を秘め、やがてみんなが忘れ去る。そこに意味は何も無い。意味付けするから意味がある。意味は所与のものではない。

いろんな経済や政治や社会や様々な分野での合理的な政策はこれこれだというのをそれぞれ見て行くと、それぞれ正しいと思える所もあるし、間違っていると思える所もある。だけど一番重要な事は、みんながそれが合理的だと思って信用出来るという事なのではないか?と思えます。

社会システムというのはすべて、なぜそうなるのかはわからないけれど、それはそうなっているというのが駆動原理でであって、そこに疑問を持ったり、なぜそれはそうなっているのか?おかしいのではないか?と感じた瞬間にそのシステムはすでに壊れている事を意味します。

そしてそのままほ放置して元通りになる事は無いし、人工的に再構築して上手くいく事も無い。人工的だと自覚している時点でもとのようなものは作り直せません。ある意味人が人工的に社会システムを設計して構築するという事はそもそも出来ないと、ルーマンは言っています。ハーバマスなんかも最初は出来ると言っていましたが、ルーマンとの論争を経て限界があるという事を認めている。

壊れているにもかかわらずいまだに駆動しているものが民主主義と資本主義なのかもしれません。だから失敗だらけ。というか失敗を人々が自覚し、誰もが信用していないけれど、それしか合意調達が無いないからいまだに機能していないのにそのままそれはそこにある。

道徳が機能している時には道徳主義者はいません。みんなが道徳的に生きている時代がはたしてあったかどうかはわかりませんが、みんなが道徳的に生きている時代が仮にあったとして、そういう時代に道徳を守れなんて言ったって意味が無い。みんな守っているのだから。守っていない奴がいて、価値観が破壊されているから、道徳を守れ、伝統を守れ、愛国心を持て、という輩が出てくる。道徳が機能しなくなって壊れて初めて道徳主義者というのが出てくる。

そう考えると、何々主義にしろ、何タラ経済学にしろ、ウンタラ政治学にしろ、アホダラ教にしろ、である「べき」だというのは全部すでに壊れているか、人工的に再構築しようとする試みであると言えますので、そもそも不可能なんだと言えるかもしれません。だから一番重要な処方箋はどういう政策が合理的だとか、どういう風にする「べき」かではなくて、合意の問題なんだろうと思えます。最近特に合意調達という言葉をよく使うのはそれを意識してです。

そもそも我々は何らかの社会システムを合意して駆動させているわけではありませんし、合意を必要としている時点でそのシステムは壊れていると言える。だから逆説的なのですけれど、どんな合理的な政策であろうと、人工的にシステムに介入してコントロールする事には所詮限界があるし、ハナっから無理な話なわけで、どんな介入を行おうとしてもシステムの制御はそもそも不可能なのだから、どんな政策によってコントロールするのかに意味は無いのではないか?それよりも合意さえ出来ればどんな政策を打ってもそれほど結果は変わらないのではないかとも思えるのです。

乱暴に言えば、民主制のプラットフォームがあって政権交代が機能していてある程度の牽制さえ働いていれば、その中での政策的な違いにはさほど意味が無いのではないか?みんなが合意出来れば、少々政策的な難点があっても結構上手く言っちゃうもんじゃないのか?と。その間に的確に分配してこぼれ落ちる人達を手当てすればいい事で、分配出来ないような袋小路のままでいるよりはマシなんじゃないのって気がするのです。その方が救えるじゃないかと。もちろんこれは暴論覚悟で言ってますから話半分で聞いて下さいね。

それを考えると例えばある政権が政策を実行して、それなりに景気が回復したとする。しかしそれに対して批判もあるし、景気がピークアウトして落ち込んでくると、更にやれこれこれの政策が間違っていたのだとか、そもそもこれこれの政策が原因なのだとか、言う人が途端にいっぱい出てくる。

小泉政権時代、自分は批判していたのですが、実際問題、りそなを救ったあたりから株価が回復し始めて、郵政選挙で更に加速して政権末期の頃はかなり株価も上昇していた。検察の介入で一気に下がっちゃいましたけれど、それまでの間は失業者も減っていたし、バブルだ!!なんて言っている人もいた。その事は批判的な自分から見ても確かにそうなっていたと思えます。バブルだったかどうかはわかりませんけれど、はじけた後にしぼんだのだからそうだったのかもしれません。だけどそれ潰したのって検察や小泉以降の政府だよね、って話で、その後の無策やコンプライアンス不況、官製不況によって、どんどん株価も先進国の中でダントツに下げまくっていた。世界的に好景気でみんな株が上昇しているのに。それって小泉竹中改革が潰したわけじゃなかったはずです。

断っておきますけれど自分は小泉政権を擁護したくてそんなことを言っているのではありませんよ、むしろ文句の方が山ほどあって書ききれません。しかし事実としてそう言えるのではないかと言いたいだけです。

派遣を喚き立てていたけれど実際は失業率は減っていて、サブプライム後に急激に失業者が増えたのは派遣規制をしたからで、派遣規制していなければ昨年の年末派遣村というのは無かったかもしれない。あれほど一気に失業者は増えていないかもしれない。もちろん派遣で搾取されている人達は辛いのでしょうけれど、仕事が無いよりある方がマシなわけで、そう考えると派遣がない方がいいという理想は正しいと思いますけれど、派遣を認めて失業率を減らす事と、派遣を認めずに失業者を増やす事と、どちらがよりよい政策なのか?一概には言えません。もちろん派遣を規制して、失業率を減らし、景気が回復すれば最高に決まっているわけですが、そんな方法があるのなら誰かやれよって話です。派遣を規制しろといっている人はいっぱいいます。だけどそれで失業率が減らせているのかと言えば、減ってるどころか増えているわけで、それで救っているという事になるのか?

それにサブプライムがはじけて、日本は関係ないと政府も有識者もマスコミも騒いでいたけれど、すでにダントツのぶっちぎりで下がっていて、関係なかったはずなのにこれまたどかんと先進国最悪の下げっぷりだった。そして全然元に戻っていない。この違いは何なのか?と思うと、小泉の時の経済政策が合理的だったわけではないのでしょう。みんなそう言っているのだから。だけどそれを是正しろとその後とった政策が合理的であったとはとてもじゃないけれど言えないでしょう。だって実際問題小泉竹中の頃より景気を悪化させているのだから。

景気を悪化させていても正しい事をしているからいいのか?全部小泉竹中路線の負債なのか?と言えば、その時の政策を的確にうっていないからという問題の方がでかいような気がする。そしてこの差は何かと言うと、一番の違いは国民が信用しているかしていないかの差ではないかと。

最初の頃、小泉人気が絶頂の頃は、それこそ小泉政権の政策にノーを言っている人は少なかったけれど、政権が不人気になって、更に辞めたあとはどんどんノーを言う人が増えて行く。そもそもこれこれが悪かったのだみたいな感じの、俺にはわかっていた的議論がいっぱい出てくる。まあ確かにそれはそうなんでしょうよ。専門家さんの言う事だから。

だけど、実際景気が回復していたのは何だったのか?それはバブルだとか、アメリカの不合理な経済政策故だとか、竹中平蔵の利権であるとか、いろんなことを言う人が出てくる、それはそうなのかもしれませんよ、わかるんだけど、いや、実際株価が上がっていて景気もちょっと回復基調にありましたよね?それはそのとき取るべき政策として合理的だったとは言えないのですか?とひねくれ者の自分は聴きたくなる。

そうすると粉飾決算で景気が回復していたようなもので、実態は中身の無い改革と、アメリカのでたらめな政策への追従によって、偽りの景気回復なのだ!!という話になるのでしょう。偽りの景気回復という言い方もよくわからなくて、本当の景気回復って何なんだよと思ってしまう。だってそもそも景気なんてもんは実態が何かそこにあるわけではないわけで、偽りだろうがインチキだろうが、本当だろうが真実だろうが、実際問題国民にとって生活が楽になれば、それは景気が回復している事になるわけで、それを目指すこと自体は、それほど断罪出来るのか?と。金なんてもんはそもそも実態があるものではなくて、単なる信用に基づいた合意システムでしかないわけで、そういうものに基づいた資本主義自体の正しさを論じる事にどれほどの意味があるのだろうと。

だいたいそれがわかっているのなら、なんでみんなではじめっからそれを言って、何が何でも小泉竹中路線を潰さなかったのさ?みんなで賛成していたじゃない、マスコミも含めてさと、愚痴の一つも言いたくなる。最初からわかってたんでしょ?

まあクリントンの時代にしろ、ブッシュの時代にしろ、今のオバマさんにしろ、ありとあらゆることを言う人はいる。だけど、それなら景気回復を今実現してくれよと思ってしまう。わかってるんでしょ?あとから意味付けする事はいくらでも出来るでしょう。それで結果的に経済がダウントレンドになれば、インチキだったというのも嘘ではないのかもしれません。

じゃあ合理的政策を合理的プロセスで誰かが決めれば、国民がみんなそれに対して疑心暗鬼で反対し、文句を言いまくっていて誰も信用していなかったとしたらどうなのだろう?と思うと、それもやっぱり上手くいかないような気がする。

そりゃどんな政策だって失敗もするだろうし、あとから見ればこうすればよかったああすればよかったと言う事は出来る。だったら実際問題一番合理的な方法は何なのですか?と問えばそれこそ十人十色で言う事がバラバラ、年初の今年の株価予想なんて後から見ると笑っちゃう。例えば9000円~14000円台を推移する。なんて真面目腐った事を書いているけど、5000円の開きって・・・・それってわかっていると言えるの?9000円に近づけば買いで、14000に近づけば売りってことなんだろうけれど、そんな事誰でもわかってるよ!!偉そうに言うなって話です。明日は曇り時々晴れで、所により雨が降り夕方からは雷雨の恐れが、深夜には霙に変わり雪になる所もあるでしょう。暴風雨や波浪注意報にはご注意くださいというのは、天気予報とは言いません。

わかっていればみんなそれを当てていてもおかしくはない。要するに早い話が先の事は誰にも分からないし、何が合理的なのかもそのときその時であるにしろ、その時どうなるのかを適切に考えて、最前の手を常に打ち続けるなんて事は出来るわけないわけで。要するにみんなが信用して景気が回復すると思えれば、結構それで何とかなっちゃうもんなんじゃないのって気がするのです。要するに一番のネックは、日本の場合誰もそれを信用出来なくなってしまっている事の方が重要なんじゃないのかと。

もちろんこれは暴論ですから本気にしないで下さいね。話半分で聞いて下さいよ。

バブル崩壊以降とバブルの頃、何がそんなに違ったのかと考えると違いは国民が信用していたかどうかの差くらいしか、厳密に言えば無いような気がするし、その後の90年代の迷走と小泉竹中の頃の違いだって、国民が希望を持てたかどうかの違いくらいしかそれほど大した事はやっていないように思える。いずれにせよ合理的な政策もあっただろうけれど、出鱈目な政策だったとも思える。バブルの頃にいろいろポジティブな、これからも日本経済は盤石だと言っていた人がどれだけいっぱいいたか。

少なくとも小泉政権の頃と言うのはそれまでの数年間の自民党に比べたらそれこそみんなで支持して信用していた。間違っている!!と言っている人はいたし、自分もブーブー文句を言っていたけれど、実際には一時期7000円台まで株価が売りたたかれて、かなりどん底状態にはなりましたけれど、その後、どんどん回復し、久しぶりに本格的に株価が上昇した。後になって意味付けすれば、そりゃ問題は沢山あるのはわかりますよ。自分もそういう事を言い出せばキリが無いし、文句も沢山言った。どうせすぐに落ち込んでくるとも思っていたけれど、仮にライブドア事件が起こらなかったらどうだったのか?と想像すると、急激な回復だったのである程度でピークアウトはして、調整局面にはどの道入っていたでしょうけれど、もう少し続いて景気も多少回復していたんじゃないかと思えない事も無い。まあどの道下がったでしょうけれど。もちろんインチキしていた奴らを野放しにするなという正論は正しいのでしょうし、それはそう思いますよ。だけどあれだけ大騒ぎして大混乱にしてパニック状態にしてまでやるような事件だったの?と思うと、どう考えてもやり過ぎだったと思うし、それは経済政策に無知な検察のある種の失敗だったと思う。

正しい事を優先させて不景気なままの方がいいのかと言えば、困窮状態に放置して正しい事をやっていると言ったって、ハイハイわかりました、凄い凄い。正しい事ね。って感じで、そんな事はいいから、何かしらの効果的な景気対策を打たんかい、コラ!!の方が切実な実感ではないかと思える。

もちろんみんなが熱狂してバブルが膨らんでしまえば、必ず崩壊しそれによって痛みが生じますから、むやみな熱狂によって暴走はしない方がいいに決まってますよ。今暴論を書いていますのでそれは大前提ですから勘違いしないで下さいね。

だけど政策的な合理性云々も大切なんだろうけれど、一番重要なのはみんなが信用してそれに乗れると思える合意の問題なんじゃないのか?と。もちろん繰り返しますけどあまりにも酷い政策は論外に決まってますよ。麻生の景気対策みたいなやつは。それは大前提です。

このブログでは小泉政策そして自民党政策についてそれこそボロクソに批判してきました。そういうお前が合意が重要だと?と思う方もいるかもしれません。しかし自分は政権交代主義者ですので、実際問題政策的な合理性云々よりも政権交代の方が優先度が高かったので、それを主張していた。だから支持はしていませんでしたけれど、みんなが支持しているのだから、小泉政策が実行される事に関しては反対はしましたけれど、選挙で負けたのだから、しょうがないと腹も括っていたし、小泉以降の自民党が小泉政策とは違う方向性を打出したり、マニフェストとは違う方向性が見えたときは、小泉政策が不人気な世論になっていた時であっても、自民党が小泉政策を否定する権利は無い。否定するなら選挙で問えと言って来た。

要するに小泉自民党を支持し、郵政選挙で自民党を支持した人達とは違いますので、少なくとも自民党に文句を言う権利は支持した人達よりは多少は自分にはあると思っていたし、少なくとも小泉がやると言っている事をもちろん自分としては反対だったけれど、自民党議員が総裁選で支持しているくせに反対してる姿は美しくないと思っていた。実際小泉改革が不人気になってからは、どちらかと言えば小泉を批判するスタンスというよりも、国民が支持したんだろ、というスタンスで書いて来た。自分にはそれを言う権利はあると思えるし、今その時と同じスタンスで民主党の事を批判する資格は無いと思っています。民主党を支持して来たのだからエチケットというものがある。

小泉以降の自民党はそこそこの期間、それなりに自民党支持層からは支持を受け、政策を実行する期間もあったと思う。小泉が首相の頃なんて、後期高齢者医療制度のような、絶対合意不可能ではないかと思える政策まで通した。拉致被害者まで連れて帰って来ちゃった。その後の自民党は強行採決によって半ば強引に合意をぶんどっていたけれど、それだって、そこそこ支持を保っていた。

それが政権交代がやっと実現出来て、自分としてはやっとこれで念願の第一歩だと思い、しかしこれだけ大勝し、これだけ支持をかき集めているのだから、今度は民主党をしっかりチェックしなきゃならないな、今度は自分も加担して民主党を勝たせたのだから尚更だ、なんて思っていたら、あっという間にマスコミから世論からブーブー文句が出て来て、みんな自民党支持者だったと言うなら話は別だけれど、民主党に投票しておいて、まだ一度も予算も組んでないのに、マニフェストなんて無視しろ、とか言っている人が出て来ている。これでは政権交代した意味が殆どない。何も出来なくなってしまう。

そりゃあね、気持ちはわからないでもないですよ、マニフェストつったって穴はあるし、特に外交政策なんかは外国との約束もありますから、実行出来んのか?というのもあるし、実際実行しちゃうとマズいんじゃないのというのも確かにありますし。アフガン問題なんかは危なっかしい。だから実行出来ないものがあるのはしょうがないけれど、ハナっから実行するな!!と外交問題ならいざ知らず、内政問題で民主党支持者までみんなで大合唱というのでは、何も変えられません。

チェックすると言っても政権交代が本当に起こっているのか?と思えるような梯子はずしが横行し、まるで政権末期のように打出す政策、打出す政策、ことごとくネガティブキャンペーンによって邪魔されるだけではなくて、民主党支持者まで批判している。これはどうした事なのか?

あげく民主党は血迷い始め、マニフェストとは関係ないような話が出て来たり、増税話の言質を取られ、まず徹底的な予算の見直しという事に対して、国民からのバックアップも無いし、マスコミや役人の大バッシングで、身動きが取れなくなってしまっている。実際予算の組み替えにしても時間もマンパワーも無い、アメリカなんかでは各省庁にそれぞれポリティカル・アポインティが数百人単位で入る。要するにオバマさんが大統領になって各省庁に引っ張って来た人材が数百人入れ変わるという事です。それだって忙しくて寝る暇も無いほど、疲労困憊するというのに、日本では大臣、副大臣、政務官、基本的にこの三人しか各省庁に入って行かない。これは絶対に是正出来ない仕組みをそもそも抱えている事を示しています。政治主導なんて不可能な制度です。

大臣は一人だけ政務秘書官を連れて来れるのだけれど、副大臣や政務官にはそういうポストが無い。スケジュール、アジェンダ・セッティング、アポイント、とにかく何から何まで外部からシャットアウトされて役所の役人が決めてコントロールし、公務をバンバン入れて予定をぎっちり詰めて、考える間を与えない。

副大臣や政務官は政策秘書を同行させているのだけれど、これの守秘義務が無いという事で、会議に出れなかったりしてはじかれてしまう。そこで、党の職員を党から給与を出しながら、国からは無給のまま(無駄遣い!!と叩かれるので)、専門調査官という臨時的な身分を作って入れたのだけれど、公務員と同じような仕事になるわけだから、民主党の党職員では中立性が担保されていないという事で、今度は野党からごもっともな反論で叩かれている。この部分の制度をとっとと変えればいいのだけれど、民主党はアホなので、その三人でなんとかしようと奮闘している。そんなの無理に決まっているわけで、実際各省庁はやりたい放題で民主党の方向性を邪魔しまくっている。全くコントロール出来ない状態になってしまっている。

実際怒濤のスケジュールとやるべき事が山積しているので、プライオリティをどこから手を付けていいのか大臣達は翻弄されている。油断して言質を取られた瞬間に大バッシングで叩かれ、国民も拳を振り上げてしまう。大臣、副大臣、政務官の顔を見れば明らかですけれど、明らかに怒濤のスケジュールとやるべき事の多さ、そして不満の声の盛り上がりによって、生気を失った死人のような顔になっちゃっている。疲れ果てているのが一発でわかる。実際厚労大臣なんかは鬱病になっちゃってるなんて説まである。

自民党のように全部官僚にお任せしてしまえば楽なんだろうけれど、それでは国民は納得するわけないので、大臣達が抱え込まざるを得ない状況に陥っている。大臣がいっぱいいっぱいになってしまっていたのでは全体像を俯瞰する事なんて出来ない。ポリティカル・アポインティを増やすなりして、大臣の仕事を大臣まで上げずに処理して行って、本当に大臣が向き合うべき仕事に没頭出来るようなバックアップが必要なのに、それをやるとなればなったで、無駄遣いと叩かれるだろうし、今のままで官僚達に任せればそれは自民党の官僚にお任せ政治と同じになる。とにかく役人の管理の手のひらの上で、いいように操り人形状態になってしまっている。それを見て国民は、無能!!やる気が無い!!官僚にコントロールされている!!と怒ってしまう。これで世論のバックアップが無ければ、何も出来るわけがない。約束した事を実行する為の制度が整っていない。皮肉な話ですがマニフェストなんて実行しなくていい!!と吹き上がっている人は心配する事ありません。この状況では出来るわけがないからです。全部骨抜きになるに決まっている。

天下り人事だと批判されている所なんかもそうで、実際問題人材がいないのでしょう。郵政の西川社長に対する対応を見れば、そりゃ西川氏は問題が無かったとは言えないと思うけれど、自民党の時でさえ叩かれて、自分をバックアップしていた人達はみんなトンズラしちゃって、民主党には叩かれるし、あげく政権交代が起こって、亀井が大臣になれば、そんなの直接辞めろというよりも陰湿なプレッシャーの掛け方です。それを見れば普通誰だって尻込みするし、給料だって別に大してもらえるわけではないので、民間の方が安全だと思うに決まっている。

しかし西川たたきをして辞めさせろ!!と国民が騒いで後押ししていたのも間違いなくて、民間から連れてくれば薄汚れているとノーを突きつけ、引き受けてがいなくなっちゃって、丁度いいのがいたと飛びついたら、今度は天下り人事だと叩かれて、クリーンで優秀な人材を希望するのはわかるけれど、そんな奴いるのか?って感じもするし、仮に高額で誰かを引き抜くという事をやろうとすれば、無駄遣いと言われるだろうし、そのまま何もせずにいれば今度は無策と言われてしまうでしょう。

政治主導を掲げていたのに、役人にコントロールされやがって!!と吹き上がる人も出て来て、支持した人達からのバックアップもどんどん減り始め、マニフェストは実行しなくてもいいかのような話になっている。これでは実質政権交代が本当に起こったとは言えないんじゃないかと思えます。所詮自民党なんてのは役人の操り人形、ステークホルダーの二人羽織でしかなかったわけで、お飾りを取っ払っても、本当の問題点はそのまま君臨している。そして同じようにお飾りであるしか無い民主党がまさに今ぶっ叩かれている。

当然民主党の甘さというのはありますし、アホだというのもそりゃそうです。何考えてんだよと思う。そんな事わかっていたんじゃねえのかよと。実際天下り人事と言われて当然の方向性を出してしまえば、不人気になるに決まっている。マニフェストと矛盾しているような政策をうっておいて、マニフェストを必ず実行すると言ってもそりゃ説得力も無い。そもそも記者クラブをそのままの状態にしてしまったのは今の官邸であり、自業自得だし、プルサーマルは始まっちゃったし。頭にくるのもごもっともなんですけれど、ここで叩き潰してしまえば何も変わりません。それは政権交代というのは事実上この国では無意味だという事を示してもいる。


少なくとも小泉自民党にしろ、安倍、福田くらいまでは、もう少し様子を見ようという空気があったはずです。少なくとも自民党を支持していた人は。

しかし民主党を選択肢が無いとは言え、支持したのに、自民党からの延長線上で、末期政権を叩くかのようにやる事なす事ことごとく否定しているような輩までいる。これはいったいどうした事か?少なくとも自分は自民党の頃とは違い、民主党には投票してしまった。そして後悔はしていない。ずっと政権交代こそが重要だと思って来たし、やっとの思いでそれが出来た。もちろん民主党には問題点はいっぱいあるけれど、とりあえず投票したからにはマニフェストや政策インデックスにあるような政策をきちんと実行してくれよ、という思いだし、それと関係ない事をやり出さないようにチェックをしなきゃならないとは思っているけれど、支持した以上、梯子を外して批判する前にやる事があると思っている。支持したケツは自分でふかなきゃならないと。

だから自民党を批判して来た時のように、ボロクソに批判する気にはならない。みんなが民主党翼賛なら、そういう事を書くでしょうけれど、自分の立場を棚に上げて退路を確保し、梯子外しをする気にはならない。だって民主党には自分は投票してしまっているのだから。民主党を支持した人は少しそういう事を考えた方がいい。そういう人の中には自民党を支持し小泉改革に拳を振り上げ、そして政権交代に拳を振り上げて民主党を支持した人もいるでしょう。というか大多数がそうであるはず。政権交代が起こっていて、今は麻生政権じゃない。自民党政権ではないのです。民主党は初めて政権についた政党だし、だから甘く見ろって話じゃ無いけれど、批判するならエチケットってもんがある。少なくとも民主党に票を入れた人は。

正直、自分は自民党が打出して来た路線の中には支持出来るものもあったから、その事は支持出来ると言って来たし、自民に投票する気はさらさらないけれど、時には民主党、お前らが言っている事の方が合理的じゃないぞと批判もした。郵政にしろ、道路公団民営化にしろ、公約を破れと言って批判していたわけではなくて、公約とやっている事が違うだろという意味で批判していた。公約を守れよと。そりゃ郵政にしろ、道路公団民営化にしろ、問題は金の使い方なわけで、郵政そのものや道路公団そのものを叩くのはちょっと違うんじゃないかとは思えたけれど、その先を見据えて改革するのなら、それはそれで一つのやり方なので、公約をしてそれを多くの国民が支持をしているのだから、公約をキッチリ果たす事には文句は無いというか、言ってもしょうがないと思っていた。

最初に小泉が出て来たときなんかは完全にやられたと、歯噛みをして悔しがった。せっかく森喜朗が超不人気で、加藤の乱なんかが起こって、自民党はもう末期症状だった。しめしめこれで政権交代が出来るわいと思っていたら、いきなり彗星のごとく現れて、政権交代の可能性をぶっつぶして人気をかっさらってしまった。それに01年の所信表明演説なんかも、言っている事も魅力的だと思ったし、民主党が言わねばならない事を、わかりやすく、しかも何より愛嬌もある。みんなが支持するのもわかった。超面白い奴が出て来ちゃったなこりゃと嫉妬した。民主党の醜い必死さに比べると、ユーモアもあるし(中身ないけど)余裕も見えたので、ああやられた。駄目だこりゃと。

もちろん森と派閥が一緒じゃねえか、どうせ自民党だろ、どうせ大蔵族なんだろ、と斜に構えて観ていましたが、実際に手を付けて行った政策も最初の頃はかなり目のつけどころが的確だったので、この人はひょっとするとやる気なのかもしれないと一瞬思えたし、もし本当にそれを実行出来るのなら、この人は大宰相なのかもしれない。郵政民営化にしろ、道路公団民営化にしろ、当初言っていたような事を貫徹していたら、土下座じゃ済まないなと思っていた。自分が全部間違っていましたと。もちろんすぐ後に馬脚を現し、その考えは跡形もなく吹き飛びましたけれど、支持者からの人気は下がらなかった。

民間から大臣を起用し、どんどん知恵袋を取り込んで、それまでの自民党の意思決定のプロセスからすると、随分オープンに変化したようにさえ最初の頃は見えた。政権交代こそが民主制のチェックになるはずだと思って来たけれど、もしかすると日本というのは結構特殊な国なので、自民党の多様性さえ維持されていれば、アホな国民の投票行動なんかに期待するよりは、よっぽど民主制を代替するような機能があり、それがまさに今機能して世直しが始まったのかなとまで錯覚した。

この間死んじゃったのでレヴィ=ストロースをここんとこ読み直していたら、日本というのはフランスと違って革命によって近代化したのではなく、復古(明治維新)によって近代化した。古きものをすべてぶちこわして新たなものを構築するのではなくて、古き善きものを呼び出してそれを今必要な形に焼き直して、古いものはそのまま尊重し、時代に合った形に融合させる日本人的価値観。

みたいな話があるのですけれど、もちろんそこまで明確に思ったわけじゃありませんけれど、自浄作用というか善きものを呼び出して、古い構造が再活性化するような日本の独特の伝統みたいなものが機能しているのかもしれないなんて、冗談じゃなくて、一瞬錯覚するほどだった。自分の偏見が全面的に間違っていたごめんなさいと改める必要があるのかもしれないと思った。組織自ら自浄作用なんて絶対に働かないはずだと思っていたけれど、その腐敗が一定の水準を超えると、日本というのはそれを是正するような英知があるのか?と。歴史に学ばない俺のバカ!バカ!!自民党の伝統は伊達じゃないのかもしれないと。

何しろその頃の民主党の体たらくと来たら、ずっと支持して来た人ならわかるでしょうけれど、トホホな状態だったわけで、今でもトホホですけれど、当時のトホホは半端じゃなく、ちょっとやそっとのトホホじゃありません。正直政権交代が重要だと思って来たから民主党を支持しているけれど、こんなアホ共に期待しなきゃならないのかと怒りまくっていた。このバカ共死ね!!呪われちまえ!!お前の母ちゃんでべそ!!!と。あの小泉旋風のさなか、政権交代という言葉は虚しく、織田鉄砲隊に正面突撃を敢行する武田騎馬軍団の気分だった。オリャー政権交代!!!バキューン!みたいな。

郵政選挙のときなんかは、それこそ全く民主党の政策なんて誰も気にしちゃいない。構造改革対抵抗勢力の図式に絡めとられてしまって、政権交代こそ構造改革になるんだよ、なんて言ったって、お前バカか?的扱いを受け、最初から、民主党?民主党がどうかなんて関係ねえんだよ。今重要なのは改革か後戻りかだろ。みたいな感じで自民党対自民党の意味の分かんない仁義なき戦いにばかり目が奪われて(まあ面白かったのは否定しませんけどね)、それこそ土俵にも乗れないような有様。観客席から野次っている気分でした。否、競技場の外から歓声を聞いて虚しく愚痴っているような気分。声は全く届かない。

ずっと政権交代を待ち望んで、小泉政権で世論が8割も支持し、イラクに派兵し、インチキ改革をどんどん実行し、民主党のような売国政党を支持する輩は反日分子だ、売国奴だと罵られ、ケッ望む所だぜ、自民党を愛する事が愛国者なら、売国奴でも反日分子でも、むしろ誉れであり最高の褒め言葉だぜと開き直りながらも、その政権交代の届かなさに全然歯が立たないと何度も諦めかけて、一方、民主党は民主党で年金未払い問題で自爆し、郵政選挙で絶望的な気分になり、ライブドアメールで自爆し、支持しても不可能性を感じ、絶望を突きつけられて、やっと小沢が挽回したと思ったら検察が出て来て、それでもなんとか、麻生の自爆によってやっと政権交代出来たというのに。それをその時の空気で、小泉を支持したり、民主党を支持したり、右往左往しながら、政策の中身も吟味せず、わかったような顔をして、マニフェストなんて実行するなは、そりゃ無いよ。

自分がかつて自民党を批判していた時のように、自民党支持者はいくらでも民主党に文句を言っていいと思う。だけど民主党に入れちゃった人は、せめてもう少し支持した事の責任を自覚してほしい。今の民主党に必要なのは適切なバックアップです。何も翼賛しろとは言いませんけど、このままじゃ何も出来ませんよ。

自分はかつて小泉支持者や竹中の政策や、猪瀬直樹の政策をボロクソに批判し、その支持者もろともクソミソに叩いた時のように、自民党支持者が自分の言っている事をボロクソに批判して、論破して、数年後に自民党がちゃんと復活を遂げて、政権交代が再び起こった時に、民主党のようなダメ政党を支持をしていた奴はアホだったと言われる覚悟を持って民主党を支持してきた。そうなる事はしょうがないと思うし、そうなる事が真の民主制の第一歩だろうと思う。実際今の今までそういう扱いを受けて来たのだから、別に気にするほどの事も無い。言いたい奴は好きなように言えとも思っている。だけど、民主党を支持していた連中がこれほどあっという間に、俺は最初からわかっていた的に高みの見物を決め込んで、お任せ主義は変わらないのはどうかと思う。民主党は引き受ける政治だと言っていたのに。

別に俺には最初からわかっていたなんて偉そうに言わなくとも、そんなのアホでもコケでもわかる事で、自分だってそんなのは100も承知です。だけど自民党がずっと政権を牛耳っている状態では民主制が機能しないから、政権交代だ!!とずっと言って来たし、それは今でも変わらない。自民党がもう少しマシな政党になったあかつきには、政権交代をぜひとも再び実現してほしい。だけど今は政権交代が、すでに起こっていて、一歩でも一ミリでも、少しはマシな状態になるようなサブスタンスが必要なのに、このままではそれが殆ど期待出来ない。

最低3回くらいは予算を組まなくちゃ、全体的な権益の配置が入れ替わるという事にはならないでしょう。それをまだ一度も予算を組んだわけでもないのに、麻生政権末期の時みたいに叩いてしまっては何も出来なくなってしまう。

そりゃね、気持ちはわかりますよ。すでに民主党のやり方の中には、こ、このバカ野郎と言いたくなるのもある、自分も文句を言っているし、ガッカリしている事もある。だけどチェックする事とバッシングする事は違う。何も出来なくなってサブスタンス皆無にまでしてしまったのでは、何の意味も無くなってしまう。

ここまで落ちる所まで落ちてしまった衰退国家を、政権ヴァージンの政党が半年とか一年くらいで何とかなるのだったら、自民党がとっくに何とかしているでしょう。合意したと思ったのに、合意が壊れてしまっている。それは民主党のせいでもあるけれど、それだけではない。合意調達それが問題です。それが無ければ、この梯子外しが繰り返されるだけでしょう。それでは出口がありません。

ふーっ続きましゅ。
本日は少し寄り道しまして、高速道路無料化の是非というよりも、なぜこれが問題になってしまうのかを少し考えてみようかと思います。これはどこどこ省の権益だとか、誰々の利権だとかそういう事とは別のレイヤーから書こうと思います。

自民党が行った大変不人気な政策に後期高齢者医療制度というのがありました。しかしこのままで行けば団塊世代が後期高齢者の年齢に達する頃にはこの国の財政にかなり重い負担になってのしかかってしまいます。後期高齢者制度が不人気だからと言って、これを止めるとなると、そこの問題をどうするのか真剣に考えないとどうにもなりません。

この国では子供への手当が先進国中最低レベルとは対照的に、今現在でも先進国中トップクラスで老人に対して金を使っています。それでもその事を実感出来るお年寄りは少ないでしょう。これは道路予算と同じで、適切に金が流れていない。

今のこの国は景気回復の兆しは全く見えず、仮に大企業が景気を回復したとしても、末端の人々はそれを殆ど実感出来ない構造に変化してしまっている。

閉塞感に満ちあふれ、生活に困窮している人がこれだけ増えて、失業者も増え、自殺者も減るどころか増えている。人口が増える見込みも短期的にはありそうも無いし、移民政策には日本人は積極的ではない。

八方ふさがりの出口なしの状況に陥っている。今困っているお年寄りを救えと、減って行くパイから金を吸い上げてただ救うのでは、今は何とかなるかもしれませんが、団塊の世代を救うとなると、もうどうにもならなくなる。もうすでにかなりの負担を他の先進国と比べてもつぎ込んでいる。

現役世代が仕事が無かったり、病気になっちゃったりして困窮している状態を放置したままでは、高齢化の手は打てない。人口を増やすつもりが無いのなら、いったん地獄を見るしか無い。

そういう事を逆回転させて、超高齢化社会をこれから益々迎えても、お年寄りがハッピーだと思えるような国に変えないとどうにもなりません。都会の大量に増える老人達の行き場所を作らないと、そういう人達を救えない。高速道路を無料化するというのは実はそこに対する起爆剤にもなりうると思えるのですけれど、それはひとまず脇に置いておきます。

子供手当なんかはこれは未来への先行投資なのでいろいろご不満もあるでしょうけれどやった方がいいでしょう。人口減を受け入れて、どこかで老人達には地獄を見てもらうしか無いとか、自己責任だというなら話は別ですが、そんな合意は出来るわけも無いので、むしろ今からでは遅いくらいです。子供が成人するのに最低でも20年かかるわけですから。

それにこの国は子供の教育に対して全く金を使って来なかった。繰り返しますが毎月2万6千円支給しても、先進国平均を下回っている。これは道路予算や老人への予算の使い方と比べると段違いに低い。全部個人個人にまかせっきりで、それがそのまま格差の固定化を生み出して来た。貧しい家庭でも、子供に罪は無いわけで、子供は子供で機会が与えられるような社会にならないとどうにもなりません。日本に必要なのは道路よりも人材でしょう。

もちろん本当は給食費をただにするとか、子供の教育に直接その金が使われるようにした方がいいに決まっているのですが、そうするとどこにその予算をつけるのかで話も全然進んで行かないですし、何より役人の恣意性を挟むとろくな事にならない。

それに親が洋服を買うとか旅行に使うとか、そういう事に使っても、その事によって子育てのモチベーションが上がるのなら、それはそれで子育て支援にもなるわけで一つの使い方としてはまあ腹が立つ人の気持ちもわからないではありませんが、子育ての息抜きが出来る余裕という意味であるのなら、そんな固い事言いなさんなと言えた方が理想的です。

子供がいない家庭は損だという話もあるし、子供を産みたくとも産めない事情だってあるとか、まあ不満はわかるのですけれど、子供がいようがいまいが、誰しも必ず年を取れば次の世代が負担をするわけですから、子供がいないから関係ないと言っちゃったら、身もふたもありません。子供を社会で育てるという発想を持ち、次世代の人的資源だと思えば、人の子供は関係ないってのよりは、社会で育てましょうの方が健全でしょう。

そして生活困窮者へのセーフティネットも必要です。現役世代が一人でも多く必要になるのに、そういう人達が困窮してしまっていたのでは、人的資源の無駄遣いになる。まして自殺しちゃうなんていうのを放置しておいたのではどうにもならない。自殺対策も必要でしょう。

しかしそれを配るにしても、金がなければ配れないわけで、この構造を転換させる具対策がでて来ないというか、出て来ても合意調達が出来ない。

子供もお年寄りもそうですが、例えば親とか親族が生活が困窮しているのに、どこからも救いの手が無く、それを抱えて苦しんでいるような構造に対して、今のこの社会はあまりにも冷た過ぎる。国家が配分すればいいという感じで、国家に依存して無関心でいます。それで配分したらしたで、今度は抜け駆け感を感じたりして、あそこに弱者を装っている奴がいると叩くような連中も出てくる。国家に依存しているくせに、役人叩きは大好き。

これでは人が生きていても幸せにはなれない。社会が子供を育て、社会がお年寄りをサポートするようにならないと、誰もハッピーになれない。それは病気になったり、ドロップアウトしてしまったような人達にたいしても同じです。

しかし理想を言うのは簡単ですが、みんながみんな余裕の無い状況ではそんな事は言っていられない。

例えば子供手当にしろ、母子加算復活にしろ、親がパチンコに使っちゃうとか、生活保護利権で真面目に働いている奴よりも裕福な生活をしているとか、そういう事を騒いで例えば舛添なんかが、パチンコ代に使われる為に国民は真面目に働いて納税しているのではない!!なんていう話に利用されて、そうだそうだ!と一部の人だと思いたいですが拳を振り上げている現象がある。

本当勘弁してほしい。そりゃズルをする奴はいるでしょう。なんでこんな奴が生活保護受けとんじゃと思うような奴もいる。自分もそれはそう思う。

だけどそこを問題にしてしまうと、これは犯罪をなくせと喚いているのと同じで、絶対になくせない。必ずそういう不届きものが出てくる。車の事故がなくならないから車を作るなというのと同じで、そういう所をフックにしてコントロールされてしまえば、絶対に不可能な事を権益にした利権が生まれる。誰が公正だと判断して分配するのか?そこが問題で、まんまと国家権力の恣意性増大に加担してしまう事になる。

所得制限なしという所に引っかかって喚いている人も多いのですが、所得制限を設けてそれを誰に選別させるのかと言えば、それは役人の権益になる。なるべくそういうのを引っぱがさないと意味が無い。

所得による格差は昔のように累進制をきつくして取った方がいい。自分は民主党の問題点としてはその事を全く言わない事が問題だと思えます。この問題に対して消極的なようにも見える。

アメリカのクリントン政権が財政再建出来たのも、徹底的に累進制をきつくしたからです。金持ちが逃げて行くというロジックをよくいいわけとして使われますが、パブリックコントリビューションする気の無い金持ちはとっとと出て行けばいい。いてもらっても意味が無い。持てるものの義務というのがあるはずです。

日本のシステムが破壊されてしまえば、日本で金儲けも出来なくなる。日本で金儲けをしているのなら、金儲け出来なくなるまで社会が壊れてしまえば意味がありません。社会が壊れても関係ないと思っているという事は、金儲けの場所として利用しているけれど、コミットするつもりは無いと逃げ切り宣言しているのと同じですので、そういう人を優遇する必要は無い。出て行け!!それでいいのです。この部分を全く手をつけずに消費税増税のような事を仮にやろうとしているのならば、それに対しては容赦する必要は無いでしょう。

金持ちバッシングみたいに取られてもあれなので、一応書いておきますけれど、金持ちは出て行けと言いたいのではありませんからね。というか社会の側も金持ちに対する偏見をどうにかした方がいいと思う。競争によって利益を生み、何らかのイノベーションを発揮したり、才能を発揮したりして、それに対する対価を得るのは当然の事であって、むしろ日本はその事に対する評価が低過ぎると思うし、それに対して拝金主義者呼ばわりするのもどうかと思う。抜け駆け間を煽られて、別にあんたを抜け駆けしたわけじゃないだろうと思うのですが、邪魔する奴が多過ぎる。

不正や競争を免除されたり、コネや親の初期手持ち料の差によって、ただ単に金持ちなだけな奴とは区別する必要があります。もちろん不正はマズいけれど、コネであっても、親のすねであっても、金を持っていること自体が罪なんじゃなくて、その立場をきちんとわきまえて、社会貢献していれば、それだって問題ない。それにそういう人達が上手く社会貢献出来るような仕組みも整っていないのが現状でもあるので、ただ単にそういうものを叩くだけでは実りがありません。そういう人達だって蔑まれているのに、社会貢献したいとは思えないのも当然でしょう。貧乏人に対しても同じ人間だということを忘れず、金持ちの貢献にはリスペクトを忘れない。そういう風にならないと不毛です。

母子加算の話なんかは、これはセーフティネットの話なので、いざという時になんとかなる助け舟があると思えるかどうかは重要です。今現在母子家庭で苦しんでいる家庭も、いつ親が病気になったり事故に遭うかもわからないのですから、いざという時に何とかなると思えるセーフティネットは必要な措置なはず。

これを絶対になくせない一部の不正に煽られて、抜け駆け感をくすぐられて、公正に取り締まれと騒ぎ出すと、絶対に制度を構築出来ない。もしくは必ず役人の権益になって腐敗し、無駄に税金が垂れ流される構図を生み出す。

ウェルフェア・クイーン問題というのは重要なので、ただ乗り野郎を許すなという牽制は必要ではあると思いますけれど、今現在そこを問題にするほど、バッチリセーフティネットが構築されて、バッチリ子供への投資を国家が行っている状態ではないのですから、そういう事を吹き上がる状態ではない。自殺者が実数だけでも年間3万人以上、もう10年以上続いている国であるわけで、明らかに弱者に冷たい死を選択させてしまうような構造になっている。老人の福祉の問題にしたって、景気が回復するとか、人口の頭数がそろわないと出口は無い。人口が増える見込みがあるのなら、多少借金したって何とかなりますけれど、その見通しが全く立たない。

そして今現に苦しんでいる人達がセーフティネットによってちゃんと救ってあげられるような国にしないとどうにもならない。その為には今の経済状況じゃ手の打ちようが無い。困っている人達の分は俺たちでなんとかするぜ!!と思わなきゃこれも不毛です。苦しんでいるのに、そもそも生活保護が受け難い制度上の問題もあるだろうし、それより更に厄介なのは生活保護を受けると世間の目が気になって、苦しみを抱えてしまうなんて可哀想過ぎる、もしくは実際に受けたら受けたで、それが悪い事でもあるかのような、怠け者であるかのような偏見は許せません。我慢するな俺たちに任せておけ、ゆっくり休んで早く帰ってこいよ、と言える社会の方が健全な社会だと思えます。

金を直接バラまく事に問題を感じるのは理解出来ますけれど、それを例えば役人達に権限と予算を与えてなんとかさせようとしたって上手く行くわけが無い。それがこの国の最大の問題だったわけです。

理想を言えば国民全員にベーシックインカムをまいてしまうとかのほうが、一番腐敗も防げて、効率のいい政策だとも言えるのですが、これはかなり反対されるでしょうし、財源もかなり必要になる。これには越えるべき分厚い壁がある。

本当はパチンコに使われてしまうようなのは問題だとは思いますけれど、役所に権限と予算と恣意性を与えて、利権化されるよりは全然マシです。

それに一部そういうバカな使い方をする奴が出て来たとしても、全員がそうなるわけではないし、むしろごく少数の話でしかない。それをそういう奴らだらけになっちゃうかのように喚いているバカに乗せられて吹き上がり、散々この国の様々な制度が役人の恣意性によって利権化され、コンプライアンスを喚き立ててコストが跳ね上がり不景気に繋がる事態に陥って来た。

これは選択的夫婦別姓に吹き上がっている構造も同じでしょう。選択的だっつってんのに話を聞く能力が無い。だいたい選択的夫婦別姓で壊れてしまうような絆なんて無いのと一緒。そんなものは守る価値なんて無い。

これは三島由紀夫が愛国心という言葉が嫌いだと言っていたのと似ています。三島はどう見ても愛国者であり天皇主義者であったわけですが、彼ははっきりと愛国心という言葉は嫌いだと言っています。官製のイヤな響きであると。

要は何を言っているのかと言うと、愛国心というのは教育されたり誰かに教わったり、制度によって縛るものではないからです。内発的に自分の内側からにじみ出てくるもので、そういう気持ちが持てないような国家など愛する価値もありません。

夫婦の絆が大切だと思うのなら、そんなものを制度で縛るのなんてナンセンスで、別姓だろうが同性だろうが好きにすればいい。というか制度上は選択的夫婦別姓を受け入れた上で、伝統主義者や道徳主義者は、それでも夫婦は同性であるべきですよ。その方が夫婦としての絆もまずは形からという事で深まりますし、と説得すればいいだろって話です。みんな夫婦別姓にしたいと思っているわけじゃない。もちろん自分も同性の方がいいと思っています。だけど別姓にしたいという人がそれでいいと思うのだったら、別にそれでいいじゃねえかって話です。肝腎なのはいかにして絆を築くかであり、それは制度が守ってくれるものではありません。

滅茶苦茶単純にいえば、選択肢は二つしか無い。このまま人口減高齢化を受け入れて貧しくなってどこかでいったん地獄を見るか、それを打開する為に何らかの対策をうって人口を増やすか、どちらかしかない。

ちょっと本音の所を書きますけれど、自分は高齢化は問題だと思いますけれど、実は少子化は別に構わないと本当は思っています。というか人口が減って国力が下がるという言い方がされますが、本当は別にたいして問題だとは思っていません。もちろん負担は増えるので、今の人口バランスが是正するまでは結構苦しいだろうとは思う。だけど、女は子供を産む機械ではない!!ではありませんけれど、国策的に産めよ増やせよという政策を取ろうとすると、というか何らかの言質を取られてしまうと、何かと問題が起こってしまう時代でもあるわけで、実際問題もう間に合わないとも思えますので選択肢は事実上無い。

だから数十年重い負担を背負い地獄を見て、人口バランスが適正化されるまで我慢し、国力が縮小した日本をそれに見合った経済規模でそれなりに営んで行くしかないだろうと。かなり絶望的な展望を本当は持っています。もちろん出来る限り無駄と非効率は是正してもらいたいというのは大前提ですが。

昔々少子化って何がそんなに問題なんだ?という記事を安倍政権の頃の柳沢大臣がボロクソに叩かれている時に書いた記憶があります。柳沢大臣の失言に盛り上がっている世論でしたから、少子化対策が大切な時期にこんな発言をする大臣なんてけしからん!!って感じで。当然そういう風潮に毒を吐いて、失言くらいでがたがた言いなさんなと、柳沢擁護と取られかねない事を書いたあとに、少子化問題について触れたわけです。ちょっと引用しましょうか。


少子化の一番の問題点は年金という事なのだと思いますが、賦課方式から積み立て方式に変えれば別に何の問題もないと思うのですが、積み立てだと差がつくのがいやなのでしょうか。年金の方式を移行する過程で、ずっと年金を払い続けて来た方々が少子化によって、自分の取り分が減るのがいやなのでしょうが、そもそも国民の年金を箱ものに変えたりしてしまい、借金だらけにしてしまった事が問題であるはず、しかし少子化を叫んでいれば、年金の問題の諸悪の根源は少子化にあり、と誤摩化す事が出来ます。冷静に考えましょう。積み立て方式に移行しないで、従来の賦課方式のままにしておけば、ほとぼりが冷めた所で利権を再びむさぼろうと考えている浅ましき連中がいるかもしれませんよ。
年金の方式を移行する事によって困る人とそうでない人がいます。困る人だけが何とかしろと考えているのはまあわかりますが、国民全員の由々しき事態というわけではないはずです。それを少子化と叫ぶ事によって何となくみんなの問題のような感じがしてしまう。確かに身内に困る人がいればそれは我が事の問題として何とかしろというのはわかりますが、少子化を何とかしようっつったって、そんなに簡単に打開出来る問題でもありませんし、今年から急に子供が増えたとしても成人するのに最低二十年かかります。本当の原因は国民の年金を使っちゃった事であるはずです。そうは言っても何とかしなければ困る人達はいるわけですからそこをどうするか、それが一番問題なはずです。つまりこのまま何もせず、ただ少子化を叫んでも、積み立て方式に移行しても、遅かれ早かれ困る人達が出てくるという事で年金のシステムはとっくに破綻しています。その事を認めずに問題を先送りにし続ける格好の口実となっているのが少子化問題なのではないでしょうか。いつの間にか年金の問題も少子化のせいにすりかえようとしているような気がします。本気で少子化を問題だと考えている人もいるのでしょうが、現在この国を動かしている政治家や官僚のトップの多くは、自分が現役の間は逃げ切れます。つまり時間稼ぎして先送りしていれば、後の人が困る事なのでなるべく目をそらさせる為に、少子化是正と叫んでいるのではないかと感じます。後の事は無責任に、前小泉総理もなんか似ていますね。
しかし少子化が原因ではなく問題は他にあると言っても、使っちゃったものは戻ってきません。無い袖は振れないわけですから、そこをどうするかが肝心要の部分のはずです。消費税率の引き上げというのが一般的なコンセンサスなのだろうと思いますが、そこに踏み込むと選挙に負ける恐れがありますので、政治家は及び腰になりがちです。少子化が年金問題の諸悪の根源だというデマには騙されない事が肝心だと思います。
少子化になると労働人口が減るのが問題だという考えもあると思いますが、減るのは労働人口だけではなく、全体の人口も減りますので別にたいした問題ではありません。経済のダウントレンドと同じで永久に減り続けるという事は考えにくいと思います。ある程度減りやがて底を打ち、再び上昇するものだと思います。人口が減れば経済の活力や国際競争力がが弱まる可能性はありますので、今のままというわけにはいかないと思いますが、だからと言って滅亡するわけでもありません。今より多少不便になるかもしれませんが、人口が減れば間違いなく環境は良くなるでしょうし、車が減るので事故も、渋滞も減ります。どこかに行って今ほど混雑するという事もなくなるかもしれません。土地の値段も当然安くなり、今より広い家に住めるかもしれません。別荘だって夢ではなくなるかもしれません。人口が減るのでさびれる地域はあるでしょうが、それは現時点でもかなり顕在化しています。経済大国として世界と張り合う為、一極集中している現在のこの国のシステムが問題でもあるのですから、経済活力が弱まれば何も一極集中する理由もなくなります。ヨーロッパ的な余暇をたっぷりとってのんびり過ごすスローライフも不可能ではないでしょう。消費に煽られながら物質文明にまみれて暮らす事は難しくなるのかもしれませんが、むしろ健全なんじゃないでしょうか。もちろん弊害だってあるでしょう。労働人口の低下を補う為に、移民を受け入れたりするかもしれませんので、今よりは流動化した社会になるかもしれませんが、移民を受け入れている国なんて沢山あります。そこに住んでいる方々がみんな不幸かと言えば、全然そんな事はありません。経済大国、先進国と呼ばれながら、幸せそうな人ばかりではない今よりも、むしろ悪くないのではないかと考えます。子供だって健全に育つのではないでしょうか。少子化が問題なのは今のままのこの国の形を、維持していかなければならないと考えるからだろうと思います。人口減少したってそれで回る経済や仕組みが整えば何も問題はないはずです。
人々が急に沢山子供をつくる政策などそう簡単に打てないのではないでしょうか。フランスのように育児手当をたっぷり保証すれば増えるかもしれませんが、少子化になっている一つの原因として、子供を産み育てる事が何も幸福な事だとは限らないという考え方が浸透している事にもきっと原因はあると思います。価値観を簡単に是正するのは難しいと思います。そこにインセンティブが働くような政策をこの国の政府が適切に打てるとも思えません。少子化対策を打つのは悪くはありませんが、ダウントレンドの時には何をやってもあまり上手くいきません。例えば流行遅れのファッションをいくら安く売ったって、売れないのと同じです。ある意味この小さな島国で暮らしていく為に最適化している最中だと考えれば悪い話ばかりではないと思います。ヘタにこの国の政府が少子化対策を打つと、箱ものが沢山建ってしまったりしそうですので、余計な干渉はより状況を悪化させかねません。少子化がこの国の絶望的な状況を作り出すわけではないと思いますので、冷静に考える事が大切なのではないでしょうか。
引用終わり。


基本的な考えはこの頃と発想はあまり変わっていないのです本当は。ただこの頃は安倍晋三という大っ嫌いな首相だったという事と、まあ今に比べると上品に書いておりますけれど、自民党が少子化対策と叫んでいるのは利権に決まってんじゃねえか!!これは年金政策の失敗の問題そらしだぞ!!という思いが込められています。若干安倍政権の人気が下がって来た頃なんですが、まだまだ政権交代の実現可能性は想像もできないような感じだった。ちょっと自民党の人気にかげりが見え始めたのに、柳沢当時の大臣の失言を突破口にして、野党が騒いでいたので、お前らライブドアのメール問題を忘れたのか!!こんなくだらない問題で騒いでいても、今は世論も熱狂しているけれど、すぐに梯子外しを始めるぞという意味で、失言に吹き上がっている風潮をボロクソに叩いて、当時の野党の体たらく、政権交代の遠さに自暴自棄になって毒をまき散らしていたわけです。少子化?何が問題なんじゃコラ!!って感じで。お上品ですけど。

この文章の中にはやっぱり困ってしまう人達が出てくるけれどそれはしょうがないだろ、どうにも出来ないからみんなで負担して我慢するしか選択肢も無いのだしという目線も入っている。

少子化が進んで行ってある程度立てばそれが普通になるのだから、少子化=破滅ってわけじゃないだろという感じの、若干ドライな目線で書いていますので、高齢化が進んで行って、人口が適正化されるまでの事をスキップしているのでそこの所の厄介さは書いておりません。というかどうにもならないという諦めを書いてしまっています。自民党の箱もの利権なんかに使われるくらいなら、あんなバカ共を支持して来た自業自得なんだからやむなしと。

この頃はまさかこんなに早く政権交代が起こるなんて思ってもいなかったので、皮肉を混めて書いたのですけれど、さすがにその頃からすると、結構急速なスピードで状況が悪化し、政権交代まで起こってしまった。なので今は政権交代が起こったという事と、一応中抜きを排して、直接子供手当としての給付を打ち出しているので、今の路線には賛成しております。が、今の段階での少子化対策について無駄だというつもりは無いですが、逆に今度は合意出来ないくらいにまで、正統性の困難も進んでしまっている。だからこの頃とは別の意味で、仮に対策を打てたとしても、それが高齢化の処方箋としてバッチリ機能するわけではないので、人口規模が適正化されるまではある程度人口も減るだろうし、ある程度の地獄は不可避なんじゃないかと思い、不可避なんだから対応するしか無いわけで、お年寄りもつらいでしょうけれど、現役世代の我々も地獄を見るしか無いというか、選択の余地のない問題だと、本当は思っています。

ただ同時にこれを政治の場で言えないだろうなとは思いますので、これが国民的合意になる事は無いでしょう。だけど、諦めや無関心、梯子外しばかりの風潮、希望の無い風潮が蔓延していますがはたしてそういう人達が、これから数十年の理不尽な可能性に覚悟をしているのでしょうか?

いろんな経済学者なんかが、これこれこういう政策が合理的であるとか、いやいやそんなのはナンセンス、これこれこういう経済政策の方が有効だとか、具体案だと主張している政策はそれこそ数限りなくある。しかしそれに対して、多くの国民はよくわかんなーいというパターンか、どうせ上手くいくわけないだろというパターンか、アイツの経歴は実はこれこれこう言う経歴だから裏に斯々然々の力学があるとか、単なる恣意的な推論であるとか、立ち位置をぼやかして常に退路を確保する。無関心、諦め、梯子外し、そして絶望、これがありとあらゆる所を覆い尽くしている。自己責任なんてけしからん!!と喚いている人も、アイツの言っている事は不合理だ、そんなやり方ではナンセンスだ、今必要なのはこれこれだという感じで、結局合意の不可能性に加担しているだけで、サブスタンシャルではない。

グズグズそんな事をやっているうちに、景気の見通しは立たず、人々は益々困窮し、自殺はいっこうに減らない。人口は減り、老人は増え、加工貿易で安い賃金の新興国と競って外貨を獲得するという勝ち目のないかつての成功体験から脱却出来ず、負の連鎖がとどまる所を知らない。外資には文句をいい、外国人参政権なんてけしからんって感じですから、移民なんて出来そうも無い。増税には文句をいい、減税にも文句をいい、金を直接分配すれば文句をいい、中抜きすれば文句をいい、無策にも文句をいい、何かをすればするで文句をいい、官僚になんとかしろと言いながら、官僚を叩き、自己責任に文句をいい、みんなで助け合いましょうと言えばそれにも文句をいい。ふーっ、さてさて、どうにもならない八方ふさがり。
まあ人それぞれ自分が思う事を言うのは自由なのでそれはいっこうに構わない事です。しかしはたして、その先の理不尽の可能性に対して覚悟はあるのか?

つづく
高速道路を無料化にするなんて、そんなおいしい政策には裏があるはずだと、政府を信用していない国民からすれば疑心暗鬼になるのも当然かもしれませんが、何らかのインチキスキームを潜り込ませた時は、確実にこのブログでも容赦なくぶった切ります。基本的にこのブログのスタンスは権力者は敵ですから。

しかし今の時点での批判というのはことごとく的外れもいい所です。もちろんこれを説明出来ない民主党に責任がまずあるのは間違いない。それに実行も怪しい感じがしてきましたし。

現状、これを言い出せば利権が減ってしまうとばかりに確実に叩く連中がいるわけで、そういう輩と国民が結託してどうすんだよって話です。民主党にプレッシャーをかけるのなら、てめえらまさかマニフェスト無視するんじゃねえだろうな、だったら許さねえぜ!!の方がいい。

だいたい高速道路が無料化になって、子供手当が2万6千円毎月支払われて、高校の授業料が無料化になって、国民にとって得な事ばかりなのに文句を言うのも不思議な話で、みんなよっぽどパブリックマインドあるのか、それとも単に信用出来ないのか、それとも自分には配分が無いので人が貰っているのが気に食わなくて文句を言っているのかわかりませんけれど、高速料金をとり続けて、子供の教育機会が不平等のままで構わない、だって財源が心配?もっと他に使い道がある?逆に郵政民営化とか、道路公団民営化のような、何が問題で何をしようとしているのかも殆ど理解していないような得なのか損なのかもよくわからないような怪しげな政策にはあれだけ動員出来るのに、何とも不可思議な現象です。

自民党にお灸を据える事が目的だったのだから、別に民主党の政策は支持なんかしていない!!こういう声も結構あります。じゃあ何をすれば満足で何をすれば支持するのか?それを問うのが選挙なんですけれどって話で、民主党に投票しておいて、マニフェストを無視しろと言うのはムカつきますけどまあいいでしょう。じゃあ何を基準にどういう政策を誰が決めてやればいいというのか?何もするなという事でしょうか?何もしなきゃしないで文句を言うのではないか?選挙で問うたわけでもないのに、国民の意志なんて関係ないから、勝手に政策を決めてやれという事でしょうか?それだって何かしらの優先順位はつけなければならないわけで、みんなが合意出来る優先順位なんて神様だってつける事は出来ないでしょう。人がいっぱいいればその人にとっての優先順位はそれぞれ違ってくる。

はっきり言ってこういう意見というのはだだっ子と同じ。自分にとっての優先順位が優先されないからと言って、文句を言い出したら民主制なんて機能しない。民主制というのは所詮その程度の制度でしかない。しかしこれ以外にこれよりマシな制度も無いのです。マニフェストを実行しないとダメだという風にシフトしただけまだマシだと言える。

政治家が勝手に政策を決めて行くような状態を許してしまえば、勝手に政治家が好きなように政策をうてるわけですから、それはもう選挙なんてやる意味も無い。公約なんて意味が無い。どっちが好きか嫌いかで選ぶ人気投票でしかありません。じゃんけんで決めてもいいかもしれない。事前に何をすると言っても無意味になるのですから。

少なくともマニフェストは必ず実行すべしという価値は大切にした方がいい。それを捨ててしまったら、民主制のコントロールが効かなくなる。そうなれば何を基準に選択するのか?何を基準に評価するのか?こう言う事がすべて無意味になってしまう。

マニフェストで謳った政策が単なる骨抜き政策であった場合は容赦する必要はないでしょうけれど、それはマニフェストを守るなという批判ではありません。百歩譲って批判するのはまあいいでしょう。マニフェストが想像していたものと違うという事もあり得ますから。しかし政権公約は政治家の命よりも重い。これは民主主義の鉄則なのです。その事は最低限理解する必要がある。

民主制というのは多数決ではありません。これを勘違いしている人が多いのですが、多数決であれば野党議員というのは必要なくなります。選挙で負けた瞬間に全員クビにしても同じになってしまう。しかし民主制と多数決は違いますので、野党であっても少数党であっても存在出来るわけです。むしろそれが必要不可欠な要素になる。

なので少数の声であっても民意を反映させる為に、野党がいるわけで、自民党が嫌いなら他の少数党を選ぶなり、他の選択肢だってあったはずです。少なくとも同意出来ないようなマニフェストを掲げているような政党を支持するのは間違っている。いろんな党があるのだから、その中からマニフェストを吟味した上で、もっとも自分に合うものを探したらいいのです。

投票というのは何も権利であって義務ではない。政治への自由よりも政治からの自由の方が、立憲民主主義国家では優先される事です。だからどこも選べる政党が無ければ、選挙に行かなければいいのです。その上で投票出来る政党が無いという事に文句を言った方がスジが通っている。そういう民意が盛り上がればそこを取りにくる政治家は必ず出現するでしょう。選挙も行っていないくせに文句を言うなとほざく輩がいますが、そういう人は立憲民主主義の常識をわきまえていないたわけであるという事です。選挙なんか別に行かなくたって構わないのです。それで文句を言うのも超OK、投票出来る政党が無いのだったら選びようがない当たり前です。

さてそれでは超不人気な民主党の政策、高速道路無料化について引き続きあれこれ書いて行くとします。

元々田中角栄以来、高速道路を作る根拠として、地方経済を豊かにするというのがあった。地方への分散をするという前提があって、都会の過密を緩和し、過疎地に人が住めるような国土にするというのが理念としてあったはずです。民主党が主張しているのではなくて、自民党がずっと言い続けて来た事。無料にすればそれが実現出来ると主張して来たのだから、とっととやっていればこんな問題がこんな長い年月グズグズ争点として騒がれる事も無かったはず。

地方を活性化させ豊かにして十分暮らせるようにするインフラを整える意味があったはずで、都会に住んでいる人は自動車が無くたって暮らして行けるでしょう。しかし日本の8割以上の国土は交通が9割以上車しか無いというのが現状です。秋田とか山形なんかは97~98%は自動車しか手段が無い。という事はなんだかんだで今でも多くの国民は交通手段は自動車しか無く、現に乗らないわけにはいかない状況を生きている。巨額の金を使い借金までして作ったピカピカの高速道路は殆ど使われないという状況がある。

一般道は狭く、歩行者がおり、信号も踏切もあって地方でも渋滞している。そういう状況を放置しておいて、バカ高い高速料金を取り続けるという合理性の全くない政策を延々と取り続けるのか?借金の返済に関しては前回書いた通り、無料化にしても何の問題も無い。有料にし続ける理由としては、官僚利権の天下りや、政治家へのキックバックの為にという意味しか無く、その為に高速を有料にしておく必要があるのか?

そもそも道路公団民営化法案自体も、2050年までには借金をすべて返して高速道路を無料開放すると言っている。であるのなら出来るのだから前倒しで実施すればいいのに、プラスの経済効果が全く報じられず、マイナス効果ばかりが喧伝される状況はどう考えても不自然です。

高速道路ユーザーから取っている税金ですら、借金の返済財源を上回っている。ただで貰った土地を売っぱらえば返済の収入は更に増える。国土交通省の出した資産で、これはインチキだと叩かれておりますが、経済効果が年間で7兆8千億円あるというのが出ている。経産省試算のCO2-25%による経済へのネガティブな試算はそのまま信用して大騒ぎするのに、一方で経済効果にプラスの試算はナンセンスだと斬り捨てるバカマスコミという図式もおかしな話なんですが、仮にその半分でも経済効果があればそれだけGDPが増えるわけですから、税収も増える。少なく見積もっても4千億くらいは税収アップになる。そして高速道路無料化こそが実は財政再建になり、無駄な道路への金の流れを止める手段であるという話が全く出て来ない。まったくもって不可思議な話です。

高速道路というか無料化してしまえば一般道になりますので、高速道路というと有料道路みたいな感覚になるのでこんがらがっちゃう話なんですが、便宜上高速道路としておきます。借金返済はどうにかなるとしたって、これから高速道路を建設維持して行く費用はどうするのだという話になるでしょうけれど、これも全く心配ない。もちろん道路予算の範囲内で賄わなければならなくなるので、当然コストは増えます。年間の建設費が6500億、維持費が2600億、トータルで9100億増える。

しかし高速道路を無料化すれば当然コスト削減出来る部分もありますので、地方への無利子貸し付け制度の廃止で1000億、高速道路料金引き下げ等に対する高速道路債務軽減に要する費用が2500億、道路関連施策の廃止によって1500億、これらは高速を無料化すれば必要なくなる。一般道路の渋滞対策費、すなわち高速道路はガラガラであるにも関わらず、その近くにある一般道は渋滞をしてしまっている。それを緩和する為に新たに道路を建設したりして渋滞を緩和させる為の費用が年間2兆円。そのうち高速道路を無料化すれば必要なくなるであろう費用がだいたい4分の1の4900億。ざっと見積もるとトータルで9900億のコスト削減になる。すなわち高速道路を道路予算の範囲内でも十分今と同じスペックであっても建設維持して行く事が出来ておつりまで出る。

経済効果として7兆8千億という(インチキだと叩かれた)試算もある。話半分だとしても4000億くらいの増収になるでしょう。民営化会社の資産を処分すれば遠い昔の簿価で1兆4千億、今の時価でいえば10兆円以上の規模の資産がある。そうすればかなり強力な財政再建策になる。

猪瀬が護持しているスキームはこれから更に20兆の借金を増やす事をやっていて多重債務に陥るのは確実で、これから作る路線は地方の過疎地路線を作ろうとしている。もちろん料金はバッチリ取るので、使う人が殆どいないようなものにしかならず、公共事業のバラマキとしての多少の効果はあったとしても、道路による利便性や経済効果は殆ど期待出来ない。最初から赤字になるのはわかっているようなものに、この期に及んで突っ込んで行こうとしている。これは止めないと国民に負担がかならずのしかかってくる事になる。

現に今地方の経済は苦しい、短期的な公共事業バラマキによる弥縫策ではなく、根本的な救済策を練らないとしぼんで行くしかない。人口も減っているようなこの日本の現状で、そんな近視眼的な逃げ切り戦略や選挙対策で未来にツケをまわし続ける構造を続けていたのでは未来は益々しぼんで行く。この状況を打破する為には戦略的なビジョンが必要です。

地方の路線は道路予算の中から、例えば渋滞対策費が無料化にしても1兆5千億あるわけですから、その中から優先的に最初から無料で使える道路を作って行った方がいい。そうしないと宮崎とか鳥取とか島根のような所に高速道路(というか無料なので一般道と扱いは同じなのですが)が整備される事は無い。これは高速道路を無料化しないと出来ないでしょう。
そして道路の建設費、これも見直す必要があって、今現在でも1キロあたりアメリカの40倍のコストをかけています。

アクアラインなんかは1兆5千億円かけて作った。半分トンネルで、半分橋というような、キックバックの為に両方の業界を満足させる為のバラマキなので、わざわざ金のかかるような頭のおかしい作り方をしている。

海底にトンネルを掘るなんてのは非常にコストもかかる。熊谷組が香港の地下鉄なんかで用いた手法で、パイプで通してしまうという手法がある。パイプを埋めるだけなので、5分の1とか10分の1とかのコストで出来てしまう。という事はアクアラインのようなものだって、1兆5千億ではなくて、1500億とか、3000億くらいで出来る。受益者負担の原則を無視した流用を止めさせて、道路のバラマキを止め、適切な地域にコストを見直して整備して行けば、早く安く高速道路網は完成する。

そして高速道路の出入り口を増やして行く。今現在料金所を作るのに一個あたり40億の巨費を投じて作っている。入り口と出口だけを作るだけなら、一カ所1億で出来る。

今のこの国の道路行政のモデルというのは、大動脈である高速道路の出入り口は数が少なく、しかもその出入り口に料金所と言う関所を設けて、バカ高い料金をふんだくってバルブを閉めているような事をやっているから、料金所渋滞が渋滞の3割4割を占めている。そこで排気ガスを出し、CO2を出して時間がかかり、料金所と料金所の間が遠いので入るのも、出てから目的地に行くのも不便な状態を強いている。資源が無い日本で、こんな無駄をやっているから景気も回復しない。環境問題も悪化させてしまう。

これを今までの出入り口よりも数を増やし、一般道と接続して行けば無駄も減るし、経済的にも効果が見込める。

大都市部で、高速道路を無料化すれば交通量が増えて渋滞が起こる可能性はもちろんあります。

そしてただ単に高速道路を無料化するだけであれば、当然地方分散どころか一極集中を強化する事にも繋がりかねませんので、ここの所はそれぞれの地域地域でコミットメントが必要になるでしょう。官僚の利権を許すな!!と言うからには、その領域を民がある程度代替しないと社会は回りません。

日本の国土全体を考えますと、大都市部だけで日本の国土が成り立っているわけではありませんので、所詮車が無ければ何も出来ない地域が圧倒的であるという事をどうするのか考えねばどうにもならない。

そういう地方が全部高速道路が無いわけではない。むしろあるのに効果的に使われず、一般道が地方であっても混雑しているような状況にある。

当然トラックなんかも走っていますので、子供やお年寄りが巻き込まれるような事故もある。自動車が高速道路を利用出来るようになれば、同じ距離数で言えば事故は12分の1に減る。

当然地方であれば渋滞は間違いなく減る。ガソリン消費も減りますから、CO2も減る。ハイブリットや電気自動車、急速充電器のようなものも、道路予算は全くそういう分野に使って来なかった。これに道路支出の5%毎年4000億でも使うようにすれば、エコポイントを毎年やるようなもんで、環境対応のテクノロジーの普及にも一役買う事にもなる。

環境問題を口実にして高速無料化を反対している人もその辺を少し考えてみるといい。せっかくテクノロジーが開発されても、不景気で普及が中々進んで行かない。したがってコストも下がらないので値段も下がらない。そういうものの後押しになれば、経済効果にもなるし、実質的に地方も便利になる。自動車需要の激減に対しても一定の歯止めの効果や、新たなイノベーションを生み出す可能性もある。

前麻生内閣が全く経済合理性のかけらもない景気対策の一つとして、ETC利権の為の土日の高速道路1000円というバカな政策をうった。この時の渋滞が凄まじかったので、多くの人が高速道路無料化なんてすると、混雑するだけなんじゃないか?みたいな感覚があるのだろうと思いますが、これは非常にバカげた政策で、一番混み合う時期に、そういう事をやればどうなるかは目に見えていた。

観光地に人が集中したり、人口の多い都市部や地域が麻痺してしまう。なので高速道路無料化の眼目はそこにあるのではなく、圧倒的に多くの日本の国土である地方では所詮交通手段が車しか無い状況であるという事。そういう所の自動車が一般道から高速道路に普段の生活のなかで乗る事が重要で、そこに眼目があり、これは確実に渋滞は減る。

そもそも麻生の高速道路1000円という理念もクソも無い政策というのは、ETC利権による誤摩化しであって、ETCの出入り口だってバカみたいにコストをかけて作っている。あれだけ支持率が低くて、政権交代が起これば無料になるかもしれないとわかっていながら、税金まで投入して、ETCを売りつけるというとんでもない姑息な手段を取った。本当なら無料になるかもしれないとわかっていながら購入した人達は自業自得なんですが、これも救済措置として、金を返してあげてもいいのではないかとも思える。無知な一般人を利用して、あまりにも酷い、政府の政策としては最低の政策だったわけで、騙されて自業自得と言ってしまうには若干可哀想でもある。

高速は無料化してETCや料金所のようなものはとっととを取っ払う必要があり、一体いつの時代の政策なんだよと突っ込みたくなるような関所政策によって、国民のものであるにもかかわらず国民には使わせないという、まるっきりお上の発想で非常識で不合理な政策。料金設定をみれば一目瞭然で、キロ25円、100キロで2500円、普通の人が一時間働いて手に出来る金額から考えれば、明らかに使う事を目的として作ってはいないわけで、とてもじゃないけれど民間の発想からは出て来ないような料金設定です。使ってもらえるかどうかなんてのはどうでもよくて、黒字化出来るかどうかなんてのもどうでもよくて、借金はすべて国民に押し付ければ関係ないという、統治権力としては最悪の発想です。

金利が上がって行けば、高速料金は更にひき上がって行くでしょう。そうすると更に誰も乗らなくなる。残った借金は40年後の国民に押し付けて逃げ切ろうという不届き千万な発想です。これを今断ち切らなかったら、この国に取っての復活の経路は益々閉ざされて行く。

自動車事故が今でも6000人年間で死んでいる。経済界も統治権力も我々の住む社会も、この問題を放置して来た。これをどうするのかも考えた方がいい。例えば電車なんかがこんなに沢山事故を起こすのか?と言えば、飛び込み自殺はあるにしても、人身事故は殆どないでしょう。一般道を走っている自動車が高速道路に乗っかれば、一般道の歩行者や自転車なんかは安全になるし、対向車線や踏切や信号や交差点も無いわけだから、一般道よりは確実に事故は減る。スピードを出す危ないバカが出てくるってのも、今現在でもいるだろって話です。それは高速道路に乗ろうが乗るまいが関係ない。頭の悪い議論のすり替えです。

コンパクトシティ化構想のような発想は理解出来ますけれど、実際に財政が苦しい状況の今、現に今あるリソースで出来る事から始めないと、地方は救えない。脱車社会というのはいいけれど、現に今車しか移動手段が無い地域の人にそんなことを言っている場合じゃない。

自民党の村岡という道路部会長だったお人のお膝元、秋田では無料の直轄高速道路が出来ている。どうなったかと言うと、今まで3000台しか通っていなかったのが、7000台増えて、日に1万台の交通量になった。その事によって渋滞しているのかというと、全く渋滞しておらず、そのおかげで7000台も高速に上がってくれているのだから、一般道も渋滞が無くなった。高速道路は片側二車線で、踏切も交差点も信号もないし、歩行者もいないのだから、当然スムーズに走れる。

地元の企業や消防なんかも非常に感謝していて、通勤時間が半分になったり、商品の流通時間もコストも大幅に削減出来たと。救急病院に運び込むスピードも速くなり、そのおかげで命も助かるようになっている。多くの地方に取ってはかなりのメリットが期待出来る。

どうしても大都市部に住む人達が渋滞を懸念するのであれば、大都市部は有料のままにしたらいい。そうすればその分の料金によって財政も更に改善する。問題はどの道交通手段が車しか無い地域であって、そういう地域は道路が無料化になったせいで鉄道を利用していた人が車を使い出すような事には殆どなりません。

そういう地域の自動車が一般道から高速道路に上がる事によって燃費は確実に向上しますからCO2削減には効果がある。環境を口実にして無料化反対している人はそういう事を少し吟味してみた方がいい。

エネルギーも中央集権的な電力の独占構造を解体して、太陽光や風力のような自然エネルギーへとシフトし、これからの産業の流れとしては、自分はあまり賛同出来ませんけれど、ガソリン車からハイブリット車そして電気自動車へとシフトして行く流れでしょう。そういうものへと適切に投資して行く為にも、無駄な道路予算を削って、政治家へのキックバックがだいたい年間4000億と言われているわけですから、それをそのまま引っぱがして環境適応の予算にすれば、高速道路無料化を突破口にして環境問題への特効薬になる。

環境を悪化させるというのもそもそもおかしな理屈なんですけれど、だったらなんでこんなに沢山高速道路を作ったんだよって話で、作ったものを使わせずにいる事が環境対応だなんて考えているのだとしたら大間違いのコンコンチキです。

どうも世界的にもそうだと思いますし、日本でも特にそうだと思うのですが、環境原理主義者というのは人の話を聞かない。自分でこうだと思い込んだ前提を絶対に譲らない所がある。だから環境問題というのは、一部の人は熱心でも、多くの動員にはならず、そんなものに金を使っている場合じゃないだろうと、生活に困窮している人達から反発を招く。地方に住んでいるとそれを非常によく実感出来ます。だって環境はきれいですからね。田舎は。じっちゃん、ばっちゃんに聞いたらこうかえってくるでしょう。環境問題?何それ?

そうじゃなくて、そういう人達であってもハッピーになれるような枠組みを提示しなきゃ動員を得られない。ただ単に負担を強いるだけのような、経産省の役人みたいなプレゼンにすら勝てないわけです。

高速道路無料化=環境悪化、というアホな図式でナンセンスというのではなくて、国民の為にそもそも作った国民の為のインフラなんだからそれを上手く活用しながら環境適応を考えないと、要するにそういうのは地方の人からすれば都会の人間がかっこつけて、地方の現状も知らずにファッションとして環境を喚いているだけにしか見えず、だったら地方に住んでみやがれって話になっちゃう。

だいたい無料化=環境悪化みたいな、環境問題からこの問題に反対するような人というのは殆ど東京や都会の人間が多いように地方からは見えてしまう。車が無くても何の問題も無く暮らせる人なんだろどうせって感じで。そして実際にそういう側面は強かろうと思います。

しかし都会、特に東京の人はこれからどういう社会になるのかよくよく考えた方がいい。これからもっとも超高齢化社会に突入するのは首都圏です。地方で起こっているような状況が都会で起これば、凄まじい事になる。高齢者が8割増える事になる。今現在でも介護施設や医療施設は全く足りていない状況であり、順番待ちしている待機老人が溢れている。これが爆発的に増えて行けば、東京にはそういった施設をこれ以上作る余地はない。

そうするとどうしたって田舎にそういう施設を作って田舎暮らしをするしかない。田舎暮らしをすればわかるけれど、その時になって高速道路無料化なんて環境を悪化させるとか騒いでいる人達は車しか移動手段が無いという事がどういう事なのか理解する事になるでしょう。1時間走って2000円以上取られ、往復で3000円も4000円も5000円もかかるような状況がどういう事であるのか?そんなもの年金からは払えない。そんなものに毎日乗れるわけが無い。その時になって泣く事になる。都会に住んでいてそういう無責任な事を考えている人達は、自分達に刃がかえってくる事を自覚した方がいい。

自分は東京生まれで人生の半分くらいは住んでいました。今は田舎暮らしをしているからわかるのですが、環境環境騒いでいる人達は、自分達でそれがどういう事なのかやってみてから言えよという突っ込みを地方からすれば入れたくなる。

例えばカーボンニュートラルだ環境に優しいのだと何らかの消費をするのはいいけれど、カーボンニュートラルという事がどういう事なのか、あんたら本当にわかってんのか?と思ってしまう。自分も都会に住んでいる時はわからなかったし、今でも田舎に住んでいると言ったって中途半端な田舎ですので、全部わかっているとは言えないと思いますけれど、都会に住んでいた頃よりは多少わかったような気がする。

たまにレジャーでアウトドア的な事をすると、結構楽しいぜと思い込むのはわかりますけれど、生活として毎日そういう事をやるとなったら、薪ストーブ一つ焚くにしろ、窯を焚くにしろ、時間も労力もかかる。

自給自足と言ったって、無農薬栽培と言ったって、そんなに単純なものではない。もちろん自分は農家じゃないので、自分の庭で作っている程度ですけれど、それだって結構手間がかかる。そういう環境に住んでいる人間が、環境問題にコミットする為に増税だと言われても、なんかおかしくねえか?と思ってしまうのはどうしても避けられない。だって別に自分たちの住んでいるまわりは不便であって、とてもじゃないけれど環境問題なんて話よりも優先すべき問題が山積しているわけで、地球の環境が!!とか言われても、俺たち別に大量消費してねえし、っつうかその前に不便だしって感じで、どうしても余所事として響いてしまうのは仕方が無いような気がする。そういうのは環境主義者達に言わせれば無責任な無関心と非難されるのかもしれませんけれど、そういうことを言うのなら、まず地方の車しか所詮移動手段が無い状況にたいして、無関心に高速無料化は環境悪化に繋がるなんていう資格は無い。脱車社会なんて話はマジで勘弁してよって感じになる。

これからのこの国が向かうべき方向性としては、そういう細かい話で騒いでいる場合ではなくて、都会の人が住みたいと思えるような地域づくりをして、地方の人もハッピーになれるような地方の再活性化が必要なのです。

それと同時に、地方が寂れていて厳しい状況であると同時に、一極集中である都会の人達がハッピーなのかというと、ドイツのベルリンの人の通勤時間が往復平均で40分に比べて、日本の東京で仕事をしている人達の平均の通勤時間は片道で70分。往復で100分以上時間を通勤に取られている。尚かつ先進国基準で行っても日本人の平均就労時間は長い。ヨーロッパ諸国と比べて、年間600時間も多く働いている。これでは会社に行っていない時間をエンジョイすると言ったって余裕も無い。全然幸せだとは言えない。日本よりも実質貧しい国よりも、幸福度が日本は異様に低い。幸せだと答える人が10人に一人しかいない。OECD加盟国で最低です。自殺も多い。子供も圧倒的に先進国基準でいえば幸福だと感じていない。この構造を転換させる為にも、高速道路無料化は起爆剤になるのです。

続く!!