本日はかなり強引な暴論を吐きますのでご注意を。
これは自分の個人的な感覚なんですが、経済政策で何が合理的であるのか?というのは、いろんな経済政策がそれこそありますけれど、多分それぞれ言っている事は全部ある意味では正しい事なんだろうと思う。それはある局面では正しいというのかもしれない。
だからどんな対策を打つかという事では本当はないんじゃないか?と思う時があります。要するに人々の心の問題なんじゃないかと。もちろんこれは極論ですよ。合理的な政策を打つ事自体は重要な事だと思いますけれど、それを人々が信用出来なければ、あまり効力を発揮出来ないのではないかと。
経済というのはタマネギの皮みたいなもんで、ある種のルーマン的な社会システムの一形態でしかありません。なんで金が欲しいのか?金が欲しいからだ。というか、それが合理的かどうかは別として、自己増殖機能によって何が理由なのかはわからないけれど、それはそういう事になっている。そして理由をつきつめても理由はない。なんで株が上昇するのか?みんなが上がると思うからで、本当に上がる理由がなんであるかは定かではない。みんながこれでいいと思ったものが合理的なんだみたいな、ある種の理不尽さによってドライブしてしまうものです。時に暴力的なまでに暴走し、その反動で多くの人々を理不尽に叩き込む。人の無意識的な意志が暴走を引き起こし、多くの人がそれに熱狂し、必ずトレンドは上昇してピークを示し、ピークアウトする。だから資本主義を否定する人達なんかが無意味だと切って捨てるのだろうと思う。民主主義制度も同じようなものでしょう。
しかし意味なんてものはそもそもありとあらゆるものの中には無い。勝手に人が意味付けしているだけ。自ら意味付けをして、それに自縄自縛でとらわれているのが人間であり愚かさであり、愛すべき所なのかもしれません。だから人の意志が介在する以上、それが無意識的であれ、意図的であれ、どんなものでも必ずトレンドがあって、必ず暴走を引き起こす可能性を秘め、やがてみんなが忘れ去る。そこに意味は何も無い。意味付けするから意味がある。意味は所与のものではない。
いろんな経済や政治や社会や様々な分野での合理的な政策はこれこれだというのをそれぞれ見て行くと、それぞれ正しいと思える所もあるし、間違っていると思える所もある。だけど一番重要な事は、みんながそれが合理的だと思って信用出来るという事なのではないか?と思えます。
社会システムというのはすべて、なぜそうなるのかはわからないけれど、それはそうなっているというのが駆動原理でであって、そこに疑問を持ったり、なぜそれはそうなっているのか?おかしいのではないか?と感じた瞬間にそのシステムはすでに壊れている事を意味します。
そしてそのままほ放置して元通りになる事は無いし、人工的に再構築して上手くいく事も無い。人工的だと自覚している時点でもとのようなものは作り直せません。ある意味人が人工的に社会システムを設計して構築するという事はそもそも出来ないと、ルーマンは言っています。ハーバマスなんかも最初は出来ると言っていましたが、ルーマンとの論争を経て限界があるという事を認めている。
壊れているにもかかわらずいまだに駆動しているものが民主主義と資本主義なのかもしれません。だから失敗だらけ。というか失敗を人々が自覚し、誰もが信用していないけれど、それしか合意調達が無いないからいまだに機能していないのにそのままそれはそこにある。
道徳が機能している時には道徳主義者はいません。みんなが道徳的に生きている時代がはたしてあったかどうかはわかりませんが、みんなが道徳的に生きている時代が仮にあったとして、そういう時代に道徳を守れなんて言ったって意味が無い。みんな守っているのだから。守っていない奴がいて、価値観が破壊されているから、道徳を守れ、伝統を守れ、愛国心を持て、という輩が出てくる。道徳が機能しなくなって壊れて初めて道徳主義者というのが出てくる。
そう考えると、何々主義にしろ、何タラ経済学にしろ、ウンタラ政治学にしろ、アホダラ教にしろ、である「べき」だというのは全部すでに壊れているか、人工的に再構築しようとする試みであると言えますので、そもそも不可能なんだと言えるかもしれません。だから一番重要な処方箋はどういう政策が合理的だとか、どういう風にする「べき」かではなくて、合意の問題なんだろうと思えます。最近特に合意調達という言葉をよく使うのはそれを意識してです。
そもそも我々は何らかの社会システムを合意して駆動させているわけではありませんし、合意を必要としている時点でそのシステムは壊れていると言える。だから逆説的なのですけれど、どんな合理的な政策であろうと、人工的にシステムに介入してコントロールする事には所詮限界があるし、ハナっから無理な話なわけで、どんな介入を行おうとしてもシステムの制御はそもそも不可能なのだから、どんな政策によってコントロールするのかに意味は無いのではないか?それよりも合意さえ出来ればどんな政策を打ってもそれほど結果は変わらないのではないかとも思えるのです。
乱暴に言えば、民主制のプラットフォームがあって政権交代が機能していてある程度の牽制さえ働いていれば、その中での政策的な違いにはさほど意味が無いのではないか?みんなが合意出来れば、少々政策的な難点があっても結構上手く言っちゃうもんじゃないのか?と。その間に的確に分配してこぼれ落ちる人達を手当てすればいい事で、分配出来ないような袋小路のままでいるよりはマシなんじゃないのって気がするのです。その方が救えるじゃないかと。もちろんこれは暴論覚悟で言ってますから話半分で聞いて下さいね。
それを考えると例えばある政権が政策を実行して、それなりに景気が回復したとする。しかしそれに対して批判もあるし、景気がピークアウトして落ち込んでくると、更にやれこれこれの政策が間違っていたのだとか、そもそもこれこれの政策が原因なのだとか、言う人が途端にいっぱい出てくる。
小泉政権時代、自分は批判していたのですが、実際問題、りそなを救ったあたりから株価が回復し始めて、郵政選挙で更に加速して政権末期の頃はかなり株価も上昇していた。検察の介入で一気に下がっちゃいましたけれど、それまでの間は失業者も減っていたし、バブルだ!!なんて言っている人もいた。その事は批判的な自分から見ても確かにそうなっていたと思えます。バブルだったかどうかはわかりませんけれど、はじけた後にしぼんだのだからそうだったのかもしれません。だけどそれ潰したのって検察や小泉以降の政府だよね、って話で、その後の無策やコンプライアンス不況、官製不況によって、どんどん株価も先進国の中でダントツに下げまくっていた。世界的に好景気でみんな株が上昇しているのに。それって小泉竹中改革が潰したわけじゃなかったはずです。
断っておきますけれど自分は小泉政権を擁護したくてそんなことを言っているのではありませんよ、むしろ文句の方が山ほどあって書ききれません。しかし事実としてそう言えるのではないかと言いたいだけです。
派遣を喚き立てていたけれど実際は失業率は減っていて、サブプライム後に急激に失業者が増えたのは派遣規制をしたからで、派遣規制していなければ昨年の年末派遣村というのは無かったかもしれない。あれほど一気に失業者は増えていないかもしれない。もちろん派遣で搾取されている人達は辛いのでしょうけれど、仕事が無いよりある方がマシなわけで、そう考えると派遣がない方がいいという理想は正しいと思いますけれど、派遣を認めて失業率を減らす事と、派遣を認めずに失業者を増やす事と、どちらがよりよい政策なのか?一概には言えません。もちろん派遣を規制して、失業率を減らし、景気が回復すれば最高に決まっているわけですが、そんな方法があるのなら誰かやれよって話です。派遣を規制しろといっている人はいっぱいいます。だけどそれで失業率が減らせているのかと言えば、減ってるどころか増えているわけで、それで救っているという事になるのか?
それにサブプライムがはじけて、日本は関係ないと政府も有識者もマスコミも騒いでいたけれど、すでにダントツのぶっちぎりで下がっていて、関係なかったはずなのにこれまたどかんと先進国最悪の下げっぷりだった。そして全然元に戻っていない。この違いは何なのか?と思うと、小泉の時の経済政策が合理的だったわけではないのでしょう。みんなそう言っているのだから。だけどそれを是正しろとその後とった政策が合理的であったとはとてもじゃないけれど言えないでしょう。だって実際問題小泉竹中の頃より景気を悪化させているのだから。
景気を悪化させていても正しい事をしているからいいのか?全部小泉竹中路線の負債なのか?と言えば、その時の政策を的確にうっていないからという問題の方がでかいような気がする。そしてこの差は何かと言うと、一番の違いは国民が信用しているかしていないかの差ではないかと。
最初の頃、小泉人気が絶頂の頃は、それこそ小泉政権の政策にノーを言っている人は少なかったけれど、政権が不人気になって、更に辞めたあとはどんどんノーを言う人が増えて行く。そもそもこれこれが悪かったのだみたいな感じの、俺にはわかっていた的議論がいっぱい出てくる。まあ確かにそれはそうなんでしょうよ。専門家さんの言う事だから。
だけど、実際景気が回復していたのは何だったのか?それはバブルだとか、アメリカの不合理な経済政策故だとか、竹中平蔵の利権であるとか、いろんなことを言う人が出てくる、それはそうなのかもしれませんよ、わかるんだけど、いや、実際株価が上がっていて景気もちょっと回復基調にありましたよね?それはそのとき取るべき政策として合理的だったとは言えないのですか?とひねくれ者の自分は聴きたくなる。
そうすると粉飾決算で景気が回復していたようなもので、実態は中身の無い改革と、アメリカのでたらめな政策への追従によって、偽りの景気回復なのだ!!という話になるのでしょう。偽りの景気回復という言い方もよくわからなくて、本当の景気回復って何なんだよと思ってしまう。だってそもそも景気なんてもんは実態が何かそこにあるわけではないわけで、偽りだろうがインチキだろうが、本当だろうが真実だろうが、実際問題国民にとって生活が楽になれば、それは景気が回復している事になるわけで、それを目指すこと自体は、それほど断罪出来るのか?と。金なんてもんはそもそも実態があるものではなくて、単なる信用に基づいた合意システムでしかないわけで、そういうものに基づいた資本主義自体の正しさを論じる事にどれほどの意味があるのだろうと。
だいたいそれがわかっているのなら、なんでみんなではじめっからそれを言って、何が何でも小泉竹中路線を潰さなかったのさ?みんなで賛成していたじゃない、マスコミも含めてさと、愚痴の一つも言いたくなる。最初からわかってたんでしょ?
まあクリントンの時代にしろ、ブッシュの時代にしろ、今のオバマさんにしろ、ありとあらゆることを言う人はいる。だけど、それなら景気回復を今実現してくれよと思ってしまう。わかってるんでしょ?あとから意味付けする事はいくらでも出来るでしょう。それで結果的に経済がダウントレンドになれば、インチキだったというのも嘘ではないのかもしれません。
じゃあ合理的政策を合理的プロセスで誰かが決めれば、国民がみんなそれに対して疑心暗鬼で反対し、文句を言いまくっていて誰も信用していなかったとしたらどうなのだろう?と思うと、それもやっぱり上手くいかないような気がする。
そりゃどんな政策だって失敗もするだろうし、あとから見ればこうすればよかったああすればよかったと言う事は出来る。だったら実際問題一番合理的な方法は何なのですか?と問えばそれこそ十人十色で言う事がバラバラ、年初の今年の株価予想なんて後から見ると笑っちゃう。例えば9000円~14000円台を推移する。なんて真面目腐った事を書いているけど、5000円の開きって・・・・それってわかっていると言えるの?9000円に近づけば買いで、14000に近づけば売りってことなんだろうけれど、そんな事誰でもわかってるよ!!偉そうに言うなって話です。明日は曇り時々晴れで、所により雨が降り夕方からは雷雨の恐れが、深夜には霙に変わり雪になる所もあるでしょう。暴風雨や波浪注意報にはご注意くださいというのは、天気予報とは言いません。
わかっていればみんなそれを当てていてもおかしくはない。要するに早い話が先の事は誰にも分からないし、何が合理的なのかもそのときその時であるにしろ、その時どうなるのかを適切に考えて、最前の手を常に打ち続けるなんて事は出来るわけないわけで。要するにみんなが信用して景気が回復すると思えれば、結構それで何とかなっちゃうもんなんじゃないのって気がするのです。要するに一番のネックは、日本の場合誰もそれを信用出来なくなってしまっている事の方が重要なんじゃないのかと。
もちろんこれは暴論ですから本気にしないで下さいね。話半分で聞いて下さいよ。
バブル崩壊以降とバブルの頃、何がそんなに違ったのかと考えると違いは国民が信用していたかどうかの差くらいしか、厳密に言えば無いような気がするし、その後の90年代の迷走と小泉竹中の頃の違いだって、国民が希望を持てたかどうかの違いくらいしかそれほど大した事はやっていないように思える。いずれにせよ合理的な政策もあっただろうけれど、出鱈目な政策だったとも思える。バブルの頃にいろいろポジティブな、これからも日本経済は盤石だと言っていた人がどれだけいっぱいいたか。
少なくとも小泉政権の頃と言うのはそれまでの数年間の自民党に比べたらそれこそみんなで支持して信用していた。間違っている!!と言っている人はいたし、自分もブーブー文句を言っていたけれど、実際には一時期7000円台まで株価が売りたたかれて、かなりどん底状態にはなりましたけれど、その後、どんどん回復し、久しぶりに本格的に株価が上昇した。後になって意味付けすれば、そりゃ問題は沢山あるのはわかりますよ。自分もそういう事を言い出せばキリが無いし、文句も沢山言った。どうせすぐに落ち込んでくるとも思っていたけれど、仮にライブドア事件が起こらなかったらどうだったのか?と想像すると、急激な回復だったのである程度でピークアウトはして、調整局面にはどの道入っていたでしょうけれど、もう少し続いて景気も多少回復していたんじゃないかと思えない事も無い。まあどの道下がったでしょうけれど。もちろんインチキしていた奴らを野放しにするなという正論は正しいのでしょうし、それはそう思いますよ。だけどあれだけ大騒ぎして大混乱にしてパニック状態にしてまでやるような事件だったの?と思うと、どう考えてもやり過ぎだったと思うし、それは経済政策に無知な検察のある種の失敗だったと思う。
正しい事を優先させて不景気なままの方がいいのかと言えば、困窮状態に放置して正しい事をやっていると言ったって、ハイハイわかりました、凄い凄い。正しい事ね。って感じで、そんな事はいいから、何かしらの効果的な景気対策を打たんかい、コラ!!の方が切実な実感ではないかと思える。
もちろんみんなが熱狂してバブルが膨らんでしまえば、必ず崩壊しそれによって痛みが生じますから、むやみな熱狂によって暴走はしない方がいいに決まってますよ。今暴論を書いていますのでそれは大前提ですから勘違いしないで下さいね。
だけど政策的な合理性云々も大切なんだろうけれど、一番重要なのはみんなが信用してそれに乗れると思える合意の問題なんじゃないのか?と。もちろん繰り返しますけどあまりにも酷い政策は論外に決まってますよ。麻生の景気対策みたいなやつは。それは大前提です。
このブログでは小泉政策そして自民党政策についてそれこそボロクソに批判してきました。そういうお前が合意が重要だと?と思う方もいるかもしれません。しかし自分は政権交代主義者ですので、実際問題政策的な合理性云々よりも政権交代の方が優先度が高かったので、それを主張していた。だから支持はしていませんでしたけれど、みんなが支持しているのだから、小泉政策が実行される事に関しては反対はしましたけれど、選挙で負けたのだから、しょうがないと腹も括っていたし、小泉以降の自民党が小泉政策とは違う方向性を打出したり、マニフェストとは違う方向性が見えたときは、小泉政策が不人気な世論になっていた時であっても、自民党が小泉政策を否定する権利は無い。否定するなら選挙で問えと言って来た。
要するに小泉自民党を支持し、郵政選挙で自民党を支持した人達とは違いますので、少なくとも自民党に文句を言う権利は支持した人達よりは多少は自分にはあると思っていたし、少なくとも小泉がやると言っている事をもちろん自分としては反対だったけれど、自民党議員が総裁選で支持しているくせに反対してる姿は美しくないと思っていた。実際小泉改革が不人気になってからは、どちらかと言えば小泉を批判するスタンスというよりも、国民が支持したんだろ、というスタンスで書いて来た。自分にはそれを言う権利はあると思えるし、今その時と同じスタンスで民主党の事を批判する資格は無いと思っています。民主党を支持して来たのだからエチケットというものがある。
小泉以降の自民党はそこそこの期間、それなりに自民党支持層からは支持を受け、政策を実行する期間もあったと思う。小泉が首相の頃なんて、後期高齢者医療制度のような、絶対合意不可能ではないかと思える政策まで通した。拉致被害者まで連れて帰って来ちゃった。その後の自民党は強行採決によって半ば強引に合意をぶんどっていたけれど、それだって、そこそこ支持を保っていた。
それが政権交代がやっと実現出来て、自分としてはやっとこれで念願の第一歩だと思い、しかしこれだけ大勝し、これだけ支持をかき集めているのだから、今度は民主党をしっかりチェックしなきゃならないな、今度は自分も加担して民主党を勝たせたのだから尚更だ、なんて思っていたら、あっという間にマスコミから世論からブーブー文句が出て来て、みんな自民党支持者だったと言うなら話は別だけれど、民主党に投票しておいて、まだ一度も予算も組んでないのに、マニフェストなんて無視しろ、とか言っている人が出て来ている。これでは政権交代した意味が殆どない。何も出来なくなってしまう。
そりゃあね、気持ちはわからないでもないですよ、マニフェストつったって穴はあるし、特に外交政策なんかは外国との約束もありますから、実行出来んのか?というのもあるし、実際実行しちゃうとマズいんじゃないのというのも確かにありますし。アフガン問題なんかは危なっかしい。だから実行出来ないものがあるのはしょうがないけれど、ハナっから実行するな!!と外交問題ならいざ知らず、内政問題で民主党支持者までみんなで大合唱というのでは、何も変えられません。
チェックすると言っても政権交代が本当に起こっているのか?と思えるような梯子はずしが横行し、まるで政権末期のように打出す政策、打出す政策、ことごとくネガティブキャンペーンによって邪魔されるだけではなくて、民主党支持者まで批判している。これはどうした事なのか?
あげく民主党は血迷い始め、マニフェストとは関係ないような話が出て来たり、増税話の言質を取られ、まず徹底的な予算の見直しという事に対して、国民からのバックアップも無いし、マスコミや役人の大バッシングで、身動きが取れなくなってしまっている。実際予算の組み替えにしても時間もマンパワーも無い、アメリカなんかでは各省庁にそれぞれポリティカル・アポインティが数百人単位で入る。要するにオバマさんが大統領になって各省庁に引っ張って来た人材が数百人入れ変わるという事です。それだって忙しくて寝る暇も無いほど、疲労困憊するというのに、日本では大臣、副大臣、政務官、基本的にこの三人しか各省庁に入って行かない。これは絶対に是正出来ない仕組みをそもそも抱えている事を示しています。政治主導なんて不可能な制度です。
大臣は一人だけ政務秘書官を連れて来れるのだけれど、副大臣や政務官にはそういうポストが無い。スケジュール、アジェンダ・セッティング、アポイント、とにかく何から何まで外部からシャットアウトされて役所の役人が決めてコントロールし、公務をバンバン入れて予定をぎっちり詰めて、考える間を与えない。
副大臣や政務官は政策秘書を同行させているのだけれど、これの守秘義務が無いという事で、会議に出れなかったりしてはじかれてしまう。そこで、党の職員を党から給与を出しながら、国からは無給のまま(無駄遣い!!と叩かれるので)、専門調査官という臨時的な身分を作って入れたのだけれど、公務員と同じような仕事になるわけだから、民主党の党職員では中立性が担保されていないという事で、今度は野党からごもっともな反論で叩かれている。この部分の制度をとっとと変えればいいのだけれど、民主党はアホなので、その三人でなんとかしようと奮闘している。そんなの無理に決まっているわけで、実際各省庁はやりたい放題で民主党の方向性を邪魔しまくっている。全くコントロール出来ない状態になってしまっている。
実際怒濤のスケジュールとやるべき事が山積しているので、プライオリティをどこから手を付けていいのか大臣達は翻弄されている。油断して言質を取られた瞬間に大バッシングで叩かれ、国民も拳を振り上げてしまう。大臣、副大臣、政務官の顔を見れば明らかですけれど、明らかに怒濤のスケジュールとやるべき事の多さ、そして不満の声の盛り上がりによって、生気を失った死人のような顔になっちゃっている。疲れ果てているのが一発でわかる。実際厚労大臣なんかは鬱病になっちゃってるなんて説まである。
自民党のように全部官僚にお任せしてしまえば楽なんだろうけれど、それでは国民は納得するわけないので、大臣達が抱え込まざるを得ない状況に陥っている。大臣がいっぱいいっぱいになってしまっていたのでは全体像を俯瞰する事なんて出来ない。ポリティカル・アポインティを増やすなりして、大臣の仕事を大臣まで上げずに処理して行って、本当に大臣が向き合うべき仕事に没頭出来るようなバックアップが必要なのに、それをやるとなればなったで、無駄遣いと叩かれるだろうし、今のままで官僚達に任せればそれは自民党の官僚にお任せ政治と同じになる。とにかく役人の管理の手のひらの上で、いいように操り人形状態になってしまっている。それを見て国民は、無能!!やる気が無い!!官僚にコントロールされている!!と怒ってしまう。これで世論のバックアップが無ければ、何も出来るわけがない。約束した事を実行する為の制度が整っていない。皮肉な話ですがマニフェストなんて実行しなくていい!!と吹き上がっている人は心配する事ありません。この状況では出来るわけがないからです。全部骨抜きになるに決まっている。
天下り人事だと批判されている所なんかもそうで、実際問題人材がいないのでしょう。郵政の西川社長に対する対応を見れば、そりゃ西川氏は問題が無かったとは言えないと思うけれど、自民党の時でさえ叩かれて、自分をバックアップしていた人達はみんなトンズラしちゃって、民主党には叩かれるし、あげく政権交代が起こって、亀井が大臣になれば、そんなの直接辞めろというよりも陰湿なプレッシャーの掛け方です。それを見れば普通誰だって尻込みするし、給料だって別に大してもらえるわけではないので、民間の方が安全だと思うに決まっている。
しかし西川たたきをして辞めさせろ!!と国民が騒いで後押ししていたのも間違いなくて、民間から連れてくれば薄汚れているとノーを突きつけ、引き受けてがいなくなっちゃって、丁度いいのがいたと飛びついたら、今度は天下り人事だと叩かれて、クリーンで優秀な人材を希望するのはわかるけれど、そんな奴いるのか?って感じもするし、仮に高額で誰かを引き抜くという事をやろうとすれば、無駄遣いと言われるだろうし、そのまま何もせずにいれば今度は無策と言われてしまうでしょう。
政治主導を掲げていたのに、役人にコントロールされやがって!!と吹き上がる人も出て来て、支持した人達からのバックアップもどんどん減り始め、マニフェストは実行しなくてもいいかのような話になっている。これでは実質政権交代が本当に起こったとは言えないんじゃないかと思えます。所詮自民党なんてのは役人の操り人形、ステークホルダーの二人羽織でしかなかったわけで、お飾りを取っ払っても、本当の問題点はそのまま君臨している。そして同じようにお飾りであるしか無い民主党がまさに今ぶっ叩かれている。
当然民主党の甘さというのはありますし、アホだというのもそりゃそうです。何考えてんだよと思う。そんな事わかっていたんじゃねえのかよと。実際天下り人事と言われて当然の方向性を出してしまえば、不人気になるに決まっている。マニフェストと矛盾しているような政策をうっておいて、マニフェストを必ず実行すると言ってもそりゃ説得力も無い。そもそも記者クラブをそのままの状態にしてしまったのは今の官邸であり、自業自得だし、プルサーマルは始まっちゃったし。頭にくるのもごもっともなんですけれど、ここで叩き潰してしまえば何も変わりません。それは政権交代というのは事実上この国では無意味だという事を示してもいる。
少なくとも小泉自民党にしろ、安倍、福田くらいまでは、もう少し様子を見ようという空気があったはずです。少なくとも自民党を支持していた人は。
しかし民主党を選択肢が無いとは言え、支持したのに、自民党からの延長線上で、末期政権を叩くかのようにやる事なす事ことごとく否定しているような輩までいる。これはいったいどうした事か?少なくとも自分は自民党の頃とは違い、民主党には投票してしまった。そして後悔はしていない。ずっと政権交代こそが重要だと思って来たし、やっとの思いでそれが出来た。もちろん民主党には問題点はいっぱいあるけれど、とりあえず投票したからにはマニフェストや政策インデックスにあるような政策をきちんと実行してくれよ、という思いだし、それと関係ない事をやり出さないようにチェックをしなきゃならないとは思っているけれど、支持した以上、梯子を外して批判する前にやる事があると思っている。支持したケツは自分でふかなきゃならないと。
だから自民党を批判して来た時のように、ボロクソに批判する気にはならない。みんなが民主党翼賛なら、そういう事を書くでしょうけれど、自分の立場を棚に上げて退路を確保し、梯子外しをする気にはならない。だって民主党には自分は投票してしまっているのだから。民主党を支持した人は少しそういう事を考えた方がいい。そういう人の中には自民党を支持し小泉改革に拳を振り上げ、そして政権交代に拳を振り上げて民主党を支持した人もいるでしょう。というか大多数がそうであるはず。政権交代が起こっていて、今は麻生政権じゃない。自民党政権ではないのです。民主党は初めて政権についた政党だし、だから甘く見ろって話じゃ無いけれど、批判するならエチケットってもんがある。少なくとも民主党に票を入れた人は。
正直、自分は自民党が打出して来た路線の中には支持出来るものもあったから、その事は支持出来ると言って来たし、自民に投票する気はさらさらないけれど、時には民主党、お前らが言っている事の方が合理的じゃないぞと批判もした。郵政にしろ、道路公団民営化にしろ、公約を破れと言って批判していたわけではなくて、公約とやっている事が違うだろという意味で批判していた。公約を守れよと。そりゃ郵政にしろ、道路公団民営化にしろ、問題は金の使い方なわけで、郵政そのものや道路公団そのものを叩くのはちょっと違うんじゃないかとは思えたけれど、その先を見据えて改革するのなら、それはそれで一つのやり方なので、公約をしてそれを多くの国民が支持をしているのだから、公約をキッチリ果たす事には文句は無いというか、言ってもしょうがないと思っていた。
最初に小泉が出て来たときなんかは完全にやられたと、歯噛みをして悔しがった。せっかく森喜朗が超不人気で、加藤の乱なんかが起こって、自民党はもう末期症状だった。しめしめこれで政権交代が出来るわいと思っていたら、いきなり彗星のごとく現れて、政権交代の可能性をぶっつぶして人気をかっさらってしまった。それに01年の所信表明演説なんかも、言っている事も魅力的だと思ったし、民主党が言わねばならない事を、わかりやすく、しかも何より愛嬌もある。みんなが支持するのもわかった。超面白い奴が出て来ちゃったなこりゃと嫉妬した。民主党の醜い必死さに比べると、ユーモアもあるし(中身ないけど)余裕も見えたので、ああやられた。駄目だこりゃと。
もちろん森と派閥が一緒じゃねえか、どうせ自民党だろ、どうせ大蔵族なんだろ、と斜に構えて観ていましたが、実際に手を付けて行った政策も最初の頃はかなり目のつけどころが的確だったので、この人はひょっとするとやる気なのかもしれないと一瞬思えたし、もし本当にそれを実行出来るのなら、この人は大宰相なのかもしれない。郵政民営化にしろ、道路公団民営化にしろ、当初言っていたような事を貫徹していたら、土下座じゃ済まないなと思っていた。自分が全部間違っていましたと。もちろんすぐ後に馬脚を現し、その考えは跡形もなく吹き飛びましたけれど、支持者からの人気は下がらなかった。
民間から大臣を起用し、どんどん知恵袋を取り込んで、それまでの自民党の意思決定のプロセスからすると、随分オープンに変化したようにさえ最初の頃は見えた。政権交代こそが民主制のチェックになるはずだと思って来たけれど、もしかすると日本というのは結構特殊な国なので、自民党の多様性さえ維持されていれば、アホな国民の投票行動なんかに期待するよりは、よっぽど民主制を代替するような機能があり、それがまさに今機能して世直しが始まったのかなとまで錯覚した。
この間死んじゃったのでレヴィ=ストロースをここんとこ読み直していたら、日本というのはフランスと違って革命によって近代化したのではなく、復古(明治維新)によって近代化した。古きものをすべてぶちこわして新たなものを構築するのではなくて、古き善きものを呼び出してそれを今必要な形に焼き直して、古いものはそのまま尊重し、時代に合った形に融合させる日本人的価値観。
みたいな話があるのですけれど、もちろんそこまで明確に思ったわけじゃありませんけれど、自浄作用というか善きものを呼び出して、古い構造が再活性化するような日本の独特の伝統みたいなものが機能しているのかもしれないなんて、冗談じゃなくて、一瞬錯覚するほどだった。自分の偏見が全面的に間違っていたごめんなさいと改める必要があるのかもしれないと思った。組織自ら自浄作用なんて絶対に働かないはずだと思っていたけれど、その腐敗が一定の水準を超えると、日本というのはそれを是正するような英知があるのか?と。歴史に学ばない俺のバカ!バカ!!自民党の伝統は伊達じゃないのかもしれないと。
何しろその頃の民主党の体たらくと来たら、ずっと支持して来た人ならわかるでしょうけれど、トホホな状態だったわけで、今でもトホホですけれど、当時のトホホは半端じゃなく、ちょっとやそっとのトホホじゃありません。正直政権交代が重要だと思って来たから民主党を支持しているけれど、こんなアホ共に期待しなきゃならないのかと怒りまくっていた。このバカ共死ね!!呪われちまえ!!お前の母ちゃんでべそ!!!と。あの小泉旋風のさなか、政権交代という言葉は虚しく、織田鉄砲隊に正面突撃を敢行する武田騎馬軍団の気分だった。オリャー政権交代!!!バキューン!みたいな。
郵政選挙のときなんかは、それこそ全く民主党の政策なんて誰も気にしちゃいない。構造改革対抵抗勢力の図式に絡めとられてしまって、政権交代こそ構造改革になるんだよ、なんて言ったって、お前バカか?的扱いを受け、最初から、民主党?民主党がどうかなんて関係ねえんだよ。今重要なのは改革か後戻りかだろ。みたいな感じで自民党対自民党の意味の分かんない仁義なき戦いにばかり目が奪われて(まあ面白かったのは否定しませんけどね)、それこそ土俵にも乗れないような有様。観客席から野次っている気分でした。否、競技場の外から歓声を聞いて虚しく愚痴っているような気分。声は全く届かない。
ずっと政権交代を待ち望んで、小泉政権で世論が8割も支持し、イラクに派兵し、インチキ改革をどんどん実行し、民主党のような売国政党を支持する輩は反日分子だ、売国奴だと罵られ、ケッ望む所だぜ、自民党を愛する事が愛国者なら、売国奴でも反日分子でも、むしろ誉れであり最高の褒め言葉だぜと開き直りながらも、その政権交代の届かなさに全然歯が立たないと何度も諦めかけて、一方、民主党は民主党で年金未払い問題で自爆し、郵政選挙で絶望的な気分になり、ライブドアメールで自爆し、支持しても不可能性を感じ、絶望を突きつけられて、やっと小沢が挽回したと思ったら検察が出て来て、それでもなんとか、麻生の自爆によってやっと政権交代出来たというのに。それをその時の空気で、小泉を支持したり、民主党を支持したり、右往左往しながら、政策の中身も吟味せず、わかったような顔をして、マニフェストなんて実行するなは、そりゃ無いよ。
自分がかつて自民党を批判していた時のように、自民党支持者はいくらでも民主党に文句を言っていいと思う。だけど民主党に入れちゃった人は、せめてもう少し支持した事の責任を自覚してほしい。今の民主党に必要なのは適切なバックアップです。何も翼賛しろとは言いませんけど、このままじゃ何も出来ませんよ。
自分はかつて小泉支持者や竹中の政策や、猪瀬直樹の政策をボロクソに批判し、その支持者もろともクソミソに叩いた時のように、自民党支持者が自分の言っている事をボロクソに批判して、論破して、数年後に自民党がちゃんと復活を遂げて、政権交代が再び起こった時に、民主党のようなダメ政党を支持をしていた奴はアホだったと言われる覚悟を持って民主党を支持してきた。そうなる事はしょうがないと思うし、そうなる事が真の民主制の第一歩だろうと思う。実際今の今までそういう扱いを受けて来たのだから、別に気にするほどの事も無い。言いたい奴は好きなように言えとも思っている。だけど、民主党を支持していた連中がこれほどあっという間に、俺は最初からわかっていた的に高みの見物を決め込んで、お任せ主義は変わらないのはどうかと思う。民主党は引き受ける政治だと言っていたのに。
別に俺には最初からわかっていたなんて偉そうに言わなくとも、そんなのアホでもコケでもわかる事で、自分だってそんなのは100も承知です。だけど自民党がずっと政権を牛耳っている状態では民主制が機能しないから、政権交代だ!!とずっと言って来たし、それは今でも変わらない。自民党がもう少しマシな政党になったあかつきには、政権交代をぜひとも再び実現してほしい。だけど今は政権交代が、すでに起こっていて、一歩でも一ミリでも、少しはマシな状態になるようなサブスタンスが必要なのに、このままではそれが殆ど期待出来ない。
最低3回くらいは予算を組まなくちゃ、全体的な権益の配置が入れ替わるという事にはならないでしょう。それをまだ一度も予算を組んだわけでもないのに、麻生政権末期の時みたいに叩いてしまっては何も出来なくなってしまう。
そりゃね、気持ちはわかりますよ。すでに民主党のやり方の中には、こ、このバカ野郎と言いたくなるのもある、自分も文句を言っているし、ガッカリしている事もある。だけどチェックする事とバッシングする事は違う。何も出来なくなってサブスタンス皆無にまでしてしまったのでは、何の意味も無くなってしまう。
ここまで落ちる所まで落ちてしまった衰退国家を、政権ヴァージンの政党が半年とか一年くらいで何とかなるのだったら、自民党がとっくに何とかしているでしょう。合意したと思ったのに、合意が壊れてしまっている。それは民主党のせいでもあるけれど、それだけではない。合意調達それが問題です。それが無ければ、この梯子外しが繰り返されるだけでしょう。それでは出口がありません。
ふーっ続きましゅ。
これは自分の個人的な感覚なんですが、経済政策で何が合理的であるのか?というのは、いろんな経済政策がそれこそありますけれど、多分それぞれ言っている事は全部ある意味では正しい事なんだろうと思う。それはある局面では正しいというのかもしれない。
だからどんな対策を打つかという事では本当はないんじゃないか?と思う時があります。要するに人々の心の問題なんじゃないかと。もちろんこれは極論ですよ。合理的な政策を打つ事自体は重要な事だと思いますけれど、それを人々が信用出来なければ、あまり効力を発揮出来ないのではないかと。
経済というのはタマネギの皮みたいなもんで、ある種のルーマン的な社会システムの一形態でしかありません。なんで金が欲しいのか?金が欲しいからだ。というか、それが合理的かどうかは別として、自己増殖機能によって何が理由なのかはわからないけれど、それはそういう事になっている。そして理由をつきつめても理由はない。なんで株が上昇するのか?みんなが上がると思うからで、本当に上がる理由がなんであるかは定かではない。みんながこれでいいと思ったものが合理的なんだみたいな、ある種の理不尽さによってドライブしてしまうものです。時に暴力的なまでに暴走し、その反動で多くの人々を理不尽に叩き込む。人の無意識的な意志が暴走を引き起こし、多くの人がそれに熱狂し、必ずトレンドは上昇してピークを示し、ピークアウトする。だから資本主義を否定する人達なんかが無意味だと切って捨てるのだろうと思う。民主主義制度も同じようなものでしょう。
しかし意味なんてものはそもそもありとあらゆるものの中には無い。勝手に人が意味付けしているだけ。自ら意味付けをして、それに自縄自縛でとらわれているのが人間であり愚かさであり、愛すべき所なのかもしれません。だから人の意志が介在する以上、それが無意識的であれ、意図的であれ、どんなものでも必ずトレンドがあって、必ず暴走を引き起こす可能性を秘め、やがてみんなが忘れ去る。そこに意味は何も無い。意味付けするから意味がある。意味は所与のものではない。
いろんな経済や政治や社会や様々な分野での合理的な政策はこれこれだというのをそれぞれ見て行くと、それぞれ正しいと思える所もあるし、間違っていると思える所もある。だけど一番重要な事は、みんながそれが合理的だと思って信用出来るという事なのではないか?と思えます。
社会システムというのはすべて、なぜそうなるのかはわからないけれど、それはそうなっているというのが駆動原理でであって、そこに疑問を持ったり、なぜそれはそうなっているのか?おかしいのではないか?と感じた瞬間にそのシステムはすでに壊れている事を意味します。
そしてそのままほ放置して元通りになる事は無いし、人工的に再構築して上手くいく事も無い。人工的だと自覚している時点でもとのようなものは作り直せません。ある意味人が人工的に社会システムを設計して構築するという事はそもそも出来ないと、ルーマンは言っています。ハーバマスなんかも最初は出来ると言っていましたが、ルーマンとの論争を経て限界があるという事を認めている。
壊れているにもかかわらずいまだに駆動しているものが民主主義と資本主義なのかもしれません。だから失敗だらけ。というか失敗を人々が自覚し、誰もが信用していないけれど、それしか合意調達が無いないからいまだに機能していないのにそのままそれはそこにある。
道徳が機能している時には道徳主義者はいません。みんなが道徳的に生きている時代がはたしてあったかどうかはわかりませんが、みんなが道徳的に生きている時代が仮にあったとして、そういう時代に道徳を守れなんて言ったって意味が無い。みんな守っているのだから。守っていない奴がいて、価値観が破壊されているから、道徳を守れ、伝統を守れ、愛国心を持て、という輩が出てくる。道徳が機能しなくなって壊れて初めて道徳主義者というのが出てくる。
そう考えると、何々主義にしろ、何タラ経済学にしろ、ウンタラ政治学にしろ、アホダラ教にしろ、である「べき」だというのは全部すでに壊れているか、人工的に再構築しようとする試みであると言えますので、そもそも不可能なんだと言えるかもしれません。だから一番重要な処方箋はどういう政策が合理的だとか、どういう風にする「べき」かではなくて、合意の問題なんだろうと思えます。最近特に合意調達という言葉をよく使うのはそれを意識してです。
そもそも我々は何らかの社会システムを合意して駆動させているわけではありませんし、合意を必要としている時点でそのシステムは壊れていると言える。だから逆説的なのですけれど、どんな合理的な政策であろうと、人工的にシステムに介入してコントロールする事には所詮限界があるし、ハナっから無理な話なわけで、どんな介入を行おうとしてもシステムの制御はそもそも不可能なのだから、どんな政策によってコントロールするのかに意味は無いのではないか?それよりも合意さえ出来ればどんな政策を打ってもそれほど結果は変わらないのではないかとも思えるのです。
乱暴に言えば、民主制のプラットフォームがあって政権交代が機能していてある程度の牽制さえ働いていれば、その中での政策的な違いにはさほど意味が無いのではないか?みんなが合意出来れば、少々政策的な難点があっても結構上手く言っちゃうもんじゃないのか?と。その間に的確に分配してこぼれ落ちる人達を手当てすればいい事で、分配出来ないような袋小路のままでいるよりはマシなんじゃないのって気がするのです。その方が救えるじゃないかと。もちろんこれは暴論覚悟で言ってますから話半分で聞いて下さいね。
それを考えると例えばある政権が政策を実行して、それなりに景気が回復したとする。しかしそれに対して批判もあるし、景気がピークアウトして落ち込んでくると、更にやれこれこれの政策が間違っていたのだとか、そもそもこれこれの政策が原因なのだとか、言う人が途端にいっぱい出てくる。
小泉政権時代、自分は批判していたのですが、実際問題、りそなを救ったあたりから株価が回復し始めて、郵政選挙で更に加速して政権末期の頃はかなり株価も上昇していた。検察の介入で一気に下がっちゃいましたけれど、それまでの間は失業者も減っていたし、バブルだ!!なんて言っている人もいた。その事は批判的な自分から見ても確かにそうなっていたと思えます。バブルだったかどうかはわかりませんけれど、はじけた後にしぼんだのだからそうだったのかもしれません。だけどそれ潰したのって検察や小泉以降の政府だよね、って話で、その後の無策やコンプライアンス不況、官製不況によって、どんどん株価も先進国の中でダントツに下げまくっていた。世界的に好景気でみんな株が上昇しているのに。それって小泉竹中改革が潰したわけじゃなかったはずです。
断っておきますけれど自分は小泉政権を擁護したくてそんなことを言っているのではありませんよ、むしろ文句の方が山ほどあって書ききれません。しかし事実としてそう言えるのではないかと言いたいだけです。
派遣を喚き立てていたけれど実際は失業率は減っていて、サブプライム後に急激に失業者が増えたのは派遣規制をしたからで、派遣規制していなければ昨年の年末派遣村というのは無かったかもしれない。あれほど一気に失業者は増えていないかもしれない。もちろん派遣で搾取されている人達は辛いのでしょうけれど、仕事が無いよりある方がマシなわけで、そう考えると派遣がない方がいいという理想は正しいと思いますけれど、派遣を認めて失業率を減らす事と、派遣を認めずに失業者を増やす事と、どちらがよりよい政策なのか?一概には言えません。もちろん派遣を規制して、失業率を減らし、景気が回復すれば最高に決まっているわけですが、そんな方法があるのなら誰かやれよって話です。派遣を規制しろといっている人はいっぱいいます。だけどそれで失業率が減らせているのかと言えば、減ってるどころか増えているわけで、それで救っているという事になるのか?
それにサブプライムがはじけて、日本は関係ないと政府も有識者もマスコミも騒いでいたけれど、すでにダントツのぶっちぎりで下がっていて、関係なかったはずなのにこれまたどかんと先進国最悪の下げっぷりだった。そして全然元に戻っていない。この違いは何なのか?と思うと、小泉の時の経済政策が合理的だったわけではないのでしょう。みんなそう言っているのだから。だけどそれを是正しろとその後とった政策が合理的であったとはとてもじゃないけれど言えないでしょう。だって実際問題小泉竹中の頃より景気を悪化させているのだから。
景気を悪化させていても正しい事をしているからいいのか?全部小泉竹中路線の負債なのか?と言えば、その時の政策を的確にうっていないからという問題の方がでかいような気がする。そしてこの差は何かと言うと、一番の違いは国民が信用しているかしていないかの差ではないかと。
最初の頃、小泉人気が絶頂の頃は、それこそ小泉政権の政策にノーを言っている人は少なかったけれど、政権が不人気になって、更に辞めたあとはどんどんノーを言う人が増えて行く。そもそもこれこれが悪かったのだみたいな感じの、俺にはわかっていた的議論がいっぱい出てくる。まあ確かにそれはそうなんでしょうよ。専門家さんの言う事だから。
だけど、実際景気が回復していたのは何だったのか?それはバブルだとか、アメリカの不合理な経済政策故だとか、竹中平蔵の利権であるとか、いろんなことを言う人が出てくる、それはそうなのかもしれませんよ、わかるんだけど、いや、実際株価が上がっていて景気もちょっと回復基調にありましたよね?それはそのとき取るべき政策として合理的だったとは言えないのですか?とひねくれ者の自分は聴きたくなる。
そうすると粉飾決算で景気が回復していたようなもので、実態は中身の無い改革と、アメリカのでたらめな政策への追従によって、偽りの景気回復なのだ!!という話になるのでしょう。偽りの景気回復という言い方もよくわからなくて、本当の景気回復って何なんだよと思ってしまう。だってそもそも景気なんてもんは実態が何かそこにあるわけではないわけで、偽りだろうがインチキだろうが、本当だろうが真実だろうが、実際問題国民にとって生活が楽になれば、それは景気が回復している事になるわけで、それを目指すこと自体は、それほど断罪出来るのか?と。金なんてもんはそもそも実態があるものではなくて、単なる信用に基づいた合意システムでしかないわけで、そういうものに基づいた資本主義自体の正しさを論じる事にどれほどの意味があるのだろうと。
だいたいそれがわかっているのなら、なんでみんなではじめっからそれを言って、何が何でも小泉竹中路線を潰さなかったのさ?みんなで賛成していたじゃない、マスコミも含めてさと、愚痴の一つも言いたくなる。最初からわかってたんでしょ?
まあクリントンの時代にしろ、ブッシュの時代にしろ、今のオバマさんにしろ、ありとあらゆることを言う人はいる。だけど、それなら景気回復を今実現してくれよと思ってしまう。わかってるんでしょ?あとから意味付けする事はいくらでも出来るでしょう。それで結果的に経済がダウントレンドになれば、インチキだったというのも嘘ではないのかもしれません。
じゃあ合理的政策を合理的プロセスで誰かが決めれば、国民がみんなそれに対して疑心暗鬼で反対し、文句を言いまくっていて誰も信用していなかったとしたらどうなのだろう?と思うと、それもやっぱり上手くいかないような気がする。
そりゃどんな政策だって失敗もするだろうし、あとから見ればこうすればよかったああすればよかったと言う事は出来る。だったら実際問題一番合理的な方法は何なのですか?と問えばそれこそ十人十色で言う事がバラバラ、年初の今年の株価予想なんて後から見ると笑っちゃう。例えば9000円~14000円台を推移する。なんて真面目腐った事を書いているけど、5000円の開きって・・・・それってわかっていると言えるの?9000円に近づけば買いで、14000に近づけば売りってことなんだろうけれど、そんな事誰でもわかってるよ!!偉そうに言うなって話です。明日は曇り時々晴れで、所により雨が降り夕方からは雷雨の恐れが、深夜には霙に変わり雪になる所もあるでしょう。暴風雨や波浪注意報にはご注意くださいというのは、天気予報とは言いません。
わかっていればみんなそれを当てていてもおかしくはない。要するに早い話が先の事は誰にも分からないし、何が合理的なのかもそのときその時であるにしろ、その時どうなるのかを適切に考えて、最前の手を常に打ち続けるなんて事は出来るわけないわけで。要するにみんなが信用して景気が回復すると思えれば、結構それで何とかなっちゃうもんなんじゃないのって気がするのです。要するに一番のネックは、日本の場合誰もそれを信用出来なくなってしまっている事の方が重要なんじゃないのかと。
もちろんこれは暴論ですから本気にしないで下さいね。話半分で聞いて下さいよ。
バブル崩壊以降とバブルの頃、何がそんなに違ったのかと考えると違いは国民が信用していたかどうかの差くらいしか、厳密に言えば無いような気がするし、その後の90年代の迷走と小泉竹中の頃の違いだって、国民が希望を持てたかどうかの違いくらいしかそれほど大した事はやっていないように思える。いずれにせよ合理的な政策もあっただろうけれど、出鱈目な政策だったとも思える。バブルの頃にいろいろポジティブな、これからも日本経済は盤石だと言っていた人がどれだけいっぱいいたか。
少なくとも小泉政権の頃と言うのはそれまでの数年間の自民党に比べたらそれこそみんなで支持して信用していた。間違っている!!と言っている人はいたし、自分もブーブー文句を言っていたけれど、実際には一時期7000円台まで株価が売りたたかれて、かなりどん底状態にはなりましたけれど、その後、どんどん回復し、久しぶりに本格的に株価が上昇した。後になって意味付けすれば、そりゃ問題は沢山あるのはわかりますよ。自分もそういう事を言い出せばキリが無いし、文句も沢山言った。どうせすぐに落ち込んでくるとも思っていたけれど、仮にライブドア事件が起こらなかったらどうだったのか?と想像すると、急激な回復だったのである程度でピークアウトはして、調整局面にはどの道入っていたでしょうけれど、もう少し続いて景気も多少回復していたんじゃないかと思えない事も無い。まあどの道下がったでしょうけれど。もちろんインチキしていた奴らを野放しにするなという正論は正しいのでしょうし、それはそう思いますよ。だけどあれだけ大騒ぎして大混乱にしてパニック状態にしてまでやるような事件だったの?と思うと、どう考えてもやり過ぎだったと思うし、それは経済政策に無知な検察のある種の失敗だったと思う。
正しい事を優先させて不景気なままの方がいいのかと言えば、困窮状態に放置して正しい事をやっていると言ったって、ハイハイわかりました、凄い凄い。正しい事ね。って感じで、そんな事はいいから、何かしらの効果的な景気対策を打たんかい、コラ!!の方が切実な実感ではないかと思える。
もちろんみんなが熱狂してバブルが膨らんでしまえば、必ず崩壊しそれによって痛みが生じますから、むやみな熱狂によって暴走はしない方がいいに決まってますよ。今暴論を書いていますのでそれは大前提ですから勘違いしないで下さいね。
だけど政策的な合理性云々も大切なんだろうけれど、一番重要なのはみんなが信用してそれに乗れると思える合意の問題なんじゃないのか?と。もちろん繰り返しますけどあまりにも酷い政策は論外に決まってますよ。麻生の景気対策みたいなやつは。それは大前提です。
このブログでは小泉政策そして自民党政策についてそれこそボロクソに批判してきました。そういうお前が合意が重要だと?と思う方もいるかもしれません。しかし自分は政権交代主義者ですので、実際問題政策的な合理性云々よりも政権交代の方が優先度が高かったので、それを主張していた。だから支持はしていませんでしたけれど、みんなが支持しているのだから、小泉政策が実行される事に関しては反対はしましたけれど、選挙で負けたのだから、しょうがないと腹も括っていたし、小泉以降の自民党が小泉政策とは違う方向性を打出したり、マニフェストとは違う方向性が見えたときは、小泉政策が不人気な世論になっていた時であっても、自民党が小泉政策を否定する権利は無い。否定するなら選挙で問えと言って来た。
要するに小泉自民党を支持し、郵政選挙で自民党を支持した人達とは違いますので、少なくとも自民党に文句を言う権利は支持した人達よりは多少は自分にはあると思っていたし、少なくとも小泉がやると言っている事をもちろん自分としては反対だったけれど、自民党議員が総裁選で支持しているくせに反対してる姿は美しくないと思っていた。実際小泉改革が不人気になってからは、どちらかと言えば小泉を批判するスタンスというよりも、国民が支持したんだろ、というスタンスで書いて来た。自分にはそれを言う権利はあると思えるし、今その時と同じスタンスで民主党の事を批判する資格は無いと思っています。民主党を支持して来たのだからエチケットというものがある。
小泉以降の自民党はそこそこの期間、それなりに自民党支持層からは支持を受け、政策を実行する期間もあったと思う。小泉が首相の頃なんて、後期高齢者医療制度のような、絶対合意不可能ではないかと思える政策まで通した。拉致被害者まで連れて帰って来ちゃった。その後の自民党は強行採決によって半ば強引に合意をぶんどっていたけれど、それだって、そこそこ支持を保っていた。
それが政権交代がやっと実現出来て、自分としてはやっとこれで念願の第一歩だと思い、しかしこれだけ大勝し、これだけ支持をかき集めているのだから、今度は民主党をしっかりチェックしなきゃならないな、今度は自分も加担して民主党を勝たせたのだから尚更だ、なんて思っていたら、あっという間にマスコミから世論からブーブー文句が出て来て、みんな自民党支持者だったと言うなら話は別だけれど、民主党に投票しておいて、まだ一度も予算も組んでないのに、マニフェストなんて無視しろ、とか言っている人が出て来ている。これでは政権交代した意味が殆どない。何も出来なくなってしまう。
そりゃあね、気持ちはわからないでもないですよ、マニフェストつったって穴はあるし、特に外交政策なんかは外国との約束もありますから、実行出来んのか?というのもあるし、実際実行しちゃうとマズいんじゃないのというのも確かにありますし。アフガン問題なんかは危なっかしい。だから実行出来ないものがあるのはしょうがないけれど、ハナっから実行するな!!と外交問題ならいざ知らず、内政問題で民主党支持者までみんなで大合唱というのでは、何も変えられません。
チェックすると言っても政権交代が本当に起こっているのか?と思えるような梯子はずしが横行し、まるで政権末期のように打出す政策、打出す政策、ことごとくネガティブキャンペーンによって邪魔されるだけではなくて、民主党支持者まで批判している。これはどうした事なのか?
あげく民主党は血迷い始め、マニフェストとは関係ないような話が出て来たり、増税話の言質を取られ、まず徹底的な予算の見直しという事に対して、国民からのバックアップも無いし、マスコミや役人の大バッシングで、身動きが取れなくなってしまっている。実際予算の組み替えにしても時間もマンパワーも無い、アメリカなんかでは各省庁にそれぞれポリティカル・アポインティが数百人単位で入る。要するにオバマさんが大統領になって各省庁に引っ張って来た人材が数百人入れ変わるという事です。それだって忙しくて寝る暇も無いほど、疲労困憊するというのに、日本では大臣、副大臣、政務官、基本的にこの三人しか各省庁に入って行かない。これは絶対に是正出来ない仕組みをそもそも抱えている事を示しています。政治主導なんて不可能な制度です。
大臣は一人だけ政務秘書官を連れて来れるのだけれど、副大臣や政務官にはそういうポストが無い。スケジュール、アジェンダ・セッティング、アポイント、とにかく何から何まで外部からシャットアウトされて役所の役人が決めてコントロールし、公務をバンバン入れて予定をぎっちり詰めて、考える間を与えない。
副大臣や政務官は政策秘書を同行させているのだけれど、これの守秘義務が無いという事で、会議に出れなかったりしてはじかれてしまう。そこで、党の職員を党から給与を出しながら、国からは無給のまま(無駄遣い!!と叩かれるので)、専門調査官という臨時的な身分を作って入れたのだけれど、公務員と同じような仕事になるわけだから、民主党の党職員では中立性が担保されていないという事で、今度は野党からごもっともな反論で叩かれている。この部分の制度をとっとと変えればいいのだけれど、民主党はアホなので、その三人でなんとかしようと奮闘している。そんなの無理に決まっているわけで、実際各省庁はやりたい放題で民主党の方向性を邪魔しまくっている。全くコントロール出来ない状態になってしまっている。
実際怒濤のスケジュールとやるべき事が山積しているので、プライオリティをどこから手を付けていいのか大臣達は翻弄されている。油断して言質を取られた瞬間に大バッシングで叩かれ、国民も拳を振り上げてしまう。大臣、副大臣、政務官の顔を見れば明らかですけれど、明らかに怒濤のスケジュールとやるべき事の多さ、そして不満の声の盛り上がりによって、生気を失った死人のような顔になっちゃっている。疲れ果てているのが一発でわかる。実際厚労大臣なんかは鬱病になっちゃってるなんて説まである。
自民党のように全部官僚にお任せしてしまえば楽なんだろうけれど、それでは国民は納得するわけないので、大臣達が抱え込まざるを得ない状況に陥っている。大臣がいっぱいいっぱいになってしまっていたのでは全体像を俯瞰する事なんて出来ない。ポリティカル・アポインティを増やすなりして、大臣の仕事を大臣まで上げずに処理して行って、本当に大臣が向き合うべき仕事に没頭出来るようなバックアップが必要なのに、それをやるとなればなったで、無駄遣いと叩かれるだろうし、今のままで官僚達に任せればそれは自民党の官僚にお任せ政治と同じになる。とにかく役人の管理の手のひらの上で、いいように操り人形状態になってしまっている。それを見て国民は、無能!!やる気が無い!!官僚にコントロールされている!!と怒ってしまう。これで世論のバックアップが無ければ、何も出来るわけがない。約束した事を実行する為の制度が整っていない。皮肉な話ですがマニフェストなんて実行しなくていい!!と吹き上がっている人は心配する事ありません。この状況では出来るわけがないからです。全部骨抜きになるに決まっている。
天下り人事だと批判されている所なんかもそうで、実際問題人材がいないのでしょう。郵政の西川社長に対する対応を見れば、そりゃ西川氏は問題が無かったとは言えないと思うけれど、自民党の時でさえ叩かれて、自分をバックアップしていた人達はみんなトンズラしちゃって、民主党には叩かれるし、あげく政権交代が起こって、亀井が大臣になれば、そんなの直接辞めろというよりも陰湿なプレッシャーの掛け方です。それを見れば普通誰だって尻込みするし、給料だって別に大してもらえるわけではないので、民間の方が安全だと思うに決まっている。
しかし西川たたきをして辞めさせろ!!と国民が騒いで後押ししていたのも間違いなくて、民間から連れてくれば薄汚れているとノーを突きつけ、引き受けてがいなくなっちゃって、丁度いいのがいたと飛びついたら、今度は天下り人事だと叩かれて、クリーンで優秀な人材を希望するのはわかるけれど、そんな奴いるのか?って感じもするし、仮に高額で誰かを引き抜くという事をやろうとすれば、無駄遣いと言われるだろうし、そのまま何もせずにいれば今度は無策と言われてしまうでしょう。
政治主導を掲げていたのに、役人にコントロールされやがって!!と吹き上がる人も出て来て、支持した人達からのバックアップもどんどん減り始め、マニフェストは実行しなくてもいいかのような話になっている。これでは実質政権交代が本当に起こったとは言えないんじゃないかと思えます。所詮自民党なんてのは役人の操り人形、ステークホルダーの二人羽織でしかなかったわけで、お飾りを取っ払っても、本当の問題点はそのまま君臨している。そして同じようにお飾りであるしか無い民主党がまさに今ぶっ叩かれている。
当然民主党の甘さというのはありますし、アホだというのもそりゃそうです。何考えてんだよと思う。そんな事わかっていたんじゃねえのかよと。実際天下り人事と言われて当然の方向性を出してしまえば、不人気になるに決まっている。マニフェストと矛盾しているような政策をうっておいて、マニフェストを必ず実行すると言ってもそりゃ説得力も無い。そもそも記者クラブをそのままの状態にしてしまったのは今の官邸であり、自業自得だし、プルサーマルは始まっちゃったし。頭にくるのもごもっともなんですけれど、ここで叩き潰してしまえば何も変わりません。それは政権交代というのは事実上この国では無意味だという事を示してもいる。
少なくとも小泉自民党にしろ、安倍、福田くらいまでは、もう少し様子を見ようという空気があったはずです。少なくとも自民党を支持していた人は。
しかし民主党を選択肢が無いとは言え、支持したのに、自民党からの延長線上で、末期政権を叩くかのようにやる事なす事ことごとく否定しているような輩までいる。これはいったいどうした事か?少なくとも自分は自民党の頃とは違い、民主党には投票してしまった。そして後悔はしていない。ずっと政権交代こそが重要だと思って来たし、やっとの思いでそれが出来た。もちろん民主党には問題点はいっぱいあるけれど、とりあえず投票したからにはマニフェストや政策インデックスにあるような政策をきちんと実行してくれよ、という思いだし、それと関係ない事をやり出さないようにチェックをしなきゃならないとは思っているけれど、支持した以上、梯子を外して批判する前にやる事があると思っている。支持したケツは自分でふかなきゃならないと。
だから自民党を批判して来た時のように、ボロクソに批判する気にはならない。みんなが民主党翼賛なら、そういう事を書くでしょうけれど、自分の立場を棚に上げて退路を確保し、梯子外しをする気にはならない。だって民主党には自分は投票してしまっているのだから。民主党を支持した人は少しそういう事を考えた方がいい。そういう人の中には自民党を支持し小泉改革に拳を振り上げ、そして政権交代に拳を振り上げて民主党を支持した人もいるでしょう。というか大多数がそうであるはず。政権交代が起こっていて、今は麻生政権じゃない。自民党政権ではないのです。民主党は初めて政権についた政党だし、だから甘く見ろって話じゃ無いけれど、批判するならエチケットってもんがある。少なくとも民主党に票を入れた人は。
正直、自分は自民党が打出して来た路線の中には支持出来るものもあったから、その事は支持出来ると言って来たし、自民に投票する気はさらさらないけれど、時には民主党、お前らが言っている事の方が合理的じゃないぞと批判もした。郵政にしろ、道路公団民営化にしろ、公約を破れと言って批判していたわけではなくて、公約とやっている事が違うだろという意味で批判していた。公約を守れよと。そりゃ郵政にしろ、道路公団民営化にしろ、問題は金の使い方なわけで、郵政そのものや道路公団そのものを叩くのはちょっと違うんじゃないかとは思えたけれど、その先を見据えて改革するのなら、それはそれで一つのやり方なので、公約をしてそれを多くの国民が支持をしているのだから、公約をキッチリ果たす事には文句は無いというか、言ってもしょうがないと思っていた。
最初に小泉が出て来たときなんかは完全にやられたと、歯噛みをして悔しがった。せっかく森喜朗が超不人気で、加藤の乱なんかが起こって、自民党はもう末期症状だった。しめしめこれで政権交代が出来るわいと思っていたら、いきなり彗星のごとく現れて、政権交代の可能性をぶっつぶして人気をかっさらってしまった。それに01年の所信表明演説なんかも、言っている事も魅力的だと思ったし、民主党が言わねばならない事を、わかりやすく、しかも何より愛嬌もある。みんなが支持するのもわかった。超面白い奴が出て来ちゃったなこりゃと嫉妬した。民主党の醜い必死さに比べると、ユーモアもあるし(中身ないけど)余裕も見えたので、ああやられた。駄目だこりゃと。
もちろん森と派閥が一緒じゃねえか、どうせ自民党だろ、どうせ大蔵族なんだろ、と斜に構えて観ていましたが、実際に手を付けて行った政策も最初の頃はかなり目のつけどころが的確だったので、この人はひょっとするとやる気なのかもしれないと一瞬思えたし、もし本当にそれを実行出来るのなら、この人は大宰相なのかもしれない。郵政民営化にしろ、道路公団民営化にしろ、当初言っていたような事を貫徹していたら、土下座じゃ済まないなと思っていた。自分が全部間違っていましたと。もちろんすぐ後に馬脚を現し、その考えは跡形もなく吹き飛びましたけれど、支持者からの人気は下がらなかった。
民間から大臣を起用し、どんどん知恵袋を取り込んで、それまでの自民党の意思決定のプロセスからすると、随分オープンに変化したようにさえ最初の頃は見えた。政権交代こそが民主制のチェックになるはずだと思って来たけれど、もしかすると日本というのは結構特殊な国なので、自民党の多様性さえ維持されていれば、アホな国民の投票行動なんかに期待するよりは、よっぽど民主制を代替するような機能があり、それがまさに今機能して世直しが始まったのかなとまで錯覚した。
この間死んじゃったのでレヴィ=ストロースをここんとこ読み直していたら、日本というのはフランスと違って革命によって近代化したのではなく、復古(明治維新)によって近代化した。古きものをすべてぶちこわして新たなものを構築するのではなくて、古き善きものを呼び出してそれを今必要な形に焼き直して、古いものはそのまま尊重し、時代に合った形に融合させる日本人的価値観。
みたいな話があるのですけれど、もちろんそこまで明確に思ったわけじゃありませんけれど、自浄作用というか善きものを呼び出して、古い構造が再活性化するような日本の独特の伝統みたいなものが機能しているのかもしれないなんて、冗談じゃなくて、一瞬錯覚するほどだった。自分の偏見が全面的に間違っていたごめんなさいと改める必要があるのかもしれないと思った。組織自ら自浄作用なんて絶対に働かないはずだと思っていたけれど、その腐敗が一定の水準を超えると、日本というのはそれを是正するような英知があるのか?と。歴史に学ばない俺のバカ!バカ!!自民党の伝統は伊達じゃないのかもしれないと。
何しろその頃の民主党の体たらくと来たら、ずっと支持して来た人ならわかるでしょうけれど、トホホな状態だったわけで、今でもトホホですけれど、当時のトホホは半端じゃなく、ちょっとやそっとのトホホじゃありません。正直政権交代が重要だと思って来たから民主党を支持しているけれど、こんなアホ共に期待しなきゃならないのかと怒りまくっていた。このバカ共死ね!!呪われちまえ!!お前の母ちゃんでべそ!!!と。あの小泉旋風のさなか、政権交代という言葉は虚しく、織田鉄砲隊に正面突撃を敢行する武田騎馬軍団の気分だった。オリャー政権交代!!!バキューン!みたいな。
郵政選挙のときなんかは、それこそ全く民主党の政策なんて誰も気にしちゃいない。構造改革対抵抗勢力の図式に絡めとられてしまって、政権交代こそ構造改革になるんだよ、なんて言ったって、お前バカか?的扱いを受け、最初から、民主党?民主党がどうかなんて関係ねえんだよ。今重要なのは改革か後戻りかだろ。みたいな感じで自民党対自民党の意味の分かんない仁義なき戦いにばかり目が奪われて(まあ面白かったのは否定しませんけどね)、それこそ土俵にも乗れないような有様。観客席から野次っている気分でした。否、競技場の外から歓声を聞いて虚しく愚痴っているような気分。声は全く届かない。
ずっと政権交代を待ち望んで、小泉政権で世論が8割も支持し、イラクに派兵し、インチキ改革をどんどん実行し、民主党のような売国政党を支持する輩は反日分子だ、売国奴だと罵られ、ケッ望む所だぜ、自民党を愛する事が愛国者なら、売国奴でも反日分子でも、むしろ誉れであり最高の褒め言葉だぜと開き直りながらも、その政権交代の届かなさに全然歯が立たないと何度も諦めかけて、一方、民主党は民主党で年金未払い問題で自爆し、郵政選挙で絶望的な気分になり、ライブドアメールで自爆し、支持しても不可能性を感じ、絶望を突きつけられて、やっと小沢が挽回したと思ったら検察が出て来て、それでもなんとか、麻生の自爆によってやっと政権交代出来たというのに。それをその時の空気で、小泉を支持したり、民主党を支持したり、右往左往しながら、政策の中身も吟味せず、わかったような顔をして、マニフェストなんて実行するなは、そりゃ無いよ。
自分がかつて自民党を批判していた時のように、自民党支持者はいくらでも民主党に文句を言っていいと思う。だけど民主党に入れちゃった人は、せめてもう少し支持した事の責任を自覚してほしい。今の民主党に必要なのは適切なバックアップです。何も翼賛しろとは言いませんけど、このままじゃ何も出来ませんよ。
自分はかつて小泉支持者や竹中の政策や、猪瀬直樹の政策をボロクソに批判し、その支持者もろともクソミソに叩いた時のように、自民党支持者が自分の言っている事をボロクソに批判して、論破して、数年後に自民党がちゃんと復活を遂げて、政権交代が再び起こった時に、民主党のようなダメ政党を支持をしていた奴はアホだったと言われる覚悟を持って民主党を支持してきた。そうなる事はしょうがないと思うし、そうなる事が真の民主制の第一歩だろうと思う。実際今の今までそういう扱いを受けて来たのだから、別に気にするほどの事も無い。言いたい奴は好きなように言えとも思っている。だけど、民主党を支持していた連中がこれほどあっという間に、俺は最初からわかっていた的に高みの見物を決め込んで、お任せ主義は変わらないのはどうかと思う。民主党は引き受ける政治だと言っていたのに。
別に俺には最初からわかっていたなんて偉そうに言わなくとも、そんなのアホでもコケでもわかる事で、自分だってそんなのは100も承知です。だけど自民党がずっと政権を牛耳っている状態では民主制が機能しないから、政権交代だ!!とずっと言って来たし、それは今でも変わらない。自民党がもう少しマシな政党になったあかつきには、政権交代をぜひとも再び実現してほしい。だけど今は政権交代が、すでに起こっていて、一歩でも一ミリでも、少しはマシな状態になるようなサブスタンスが必要なのに、このままではそれが殆ど期待出来ない。
最低3回くらいは予算を組まなくちゃ、全体的な権益の配置が入れ替わるという事にはならないでしょう。それをまだ一度も予算を組んだわけでもないのに、麻生政権末期の時みたいに叩いてしまっては何も出来なくなってしまう。
そりゃね、気持ちはわかりますよ。すでに民主党のやり方の中には、こ、このバカ野郎と言いたくなるのもある、自分も文句を言っているし、ガッカリしている事もある。だけどチェックする事とバッシングする事は違う。何も出来なくなってサブスタンス皆無にまでしてしまったのでは、何の意味も無くなってしまう。
ここまで落ちる所まで落ちてしまった衰退国家を、政権ヴァージンの政党が半年とか一年くらいで何とかなるのだったら、自民党がとっくに何とかしているでしょう。合意したと思ったのに、合意が壊れてしまっている。それは民主党のせいでもあるけれど、それだけではない。合意調達それが問題です。それが無ければ、この梯子外しが繰り返されるだけでしょう。それでは出口がありません。
ふーっ続きましゅ。