さて、何を書いていたのか忘れそうですが、何しろ暇がないもんで、書く時は一気に書いて、毎日適当に区切ってアップするってパターンなのですが、ストックが切れて補充出来ないまま放置しておりました。なので何を書いていたのか思い出しながら続きを書こうと思います。
自分はそもそも民主党を結果的に支持しているので、マニフェストを実行しろと言っていますけれど、政権交代が起こる事が重要だと思っていたので、ここから先ははっきり言ってオマケのようなもんだと考えています。民主党がまともな舵取りが出来るなんてハナっから期待もしちゃいないし、政権交代が起こりうるという状態に持って行く事が出来れば、それだけで初期の目的は達成出来たと。なので本音を言えば、ここから先は別にどうでもいいといえばどうでもいいのです。ただ政権交代の為であるとは言え、民主党に一票入れてしまっているので、自分には責任がある。だからどうでもいいというわけにも行かないと思って、まああれこれ書いているわけです。
これはすでに書いている事ですが、自分は正直政策的なものにはあんまり興味がない。何をどうやろうともいずれ必ず失敗する。それなりにいい事もあるでしょうし、副作用は必ず生じる。失敗しているという事を転換出来る仕組みとして、政権交代によって牽制となり、後から吟味してチェック出来るように担保されている事が重要なのであって、恒久的に完璧な政策なんて打てるわけがないので、時間が経てばどの道何らかの問題が生じる事は避けられないと思う。だから民主党の政策的な部分に共感したから支持したわけでもなんでもないので、所謂世間一般の言い方としての、民主党の政策を指示したわけではない!!!というクリシェ的な批判も正直わからない事もないのです。
選択的夫婦別姓とか、外国人参政権とか、まあ批判している人達みたいな物言いは別に同調する気もさらさらないし、そういうのと一緒にされちゃかなわないのですが、正直こんな政策どうでもいいだろと思っています。別にやるのは構わないのだけれど、今の日本の状況で、こんなどうでもいい政策を優先する前にやる事あんだろと思う。切実な問題がある。こんなものをこの二進も三進もいかない状況の今騒いで、得意げになっているクソみたいな政治家は、本当目障りです。小泉の郵政民営化よりもはるかにどうでもいい政策だと言える。
それ以外でも子供手当しかり、母子加算復活しかり、再配分政策や弱者救済の措置を取るのは別に構わないけれど、結局分配するにもその配るものがないわけで、それをこれからどういう風に確保して行くのか、この国がどうやって飯を食って行くのか?という事の方がどう考えても切実です。今助ける事が出来ても、それを何とかしなくちゃ先行きは真っ暗。いずれ救えなくなる。増税するのがいやだという話なんだろうから、その辺をどうするのかを考えないと、無駄の削減だけでは限界があるでしょう。
再配分すれば多少消費を喚起する事は出来るでしょうけれど、縮小再生産のスパイラルが深刻な状況の今、出口戦略としては、あまりにもショボ過ぎる。
環境問題にコミットする。-25%削減だ!!はわかったけれど、その問題よりも国民にとって切実な問題はあるわけで、このまま一蓮托生で超高齢化、人口減によって経済が縮小再生産の負のスパイラルに歯止めがかからなければ、二酸化炭素がどうこう言っている場合じゃなくなる。生活に困っている人が膨大に増えているのに、環境にコミットしている場合じゃないだろって話になるでしょう。
環境がこれからの経済を牽引するって声も結構あるので、期待出来ない分野ではないと思うのですが、それで多くの国民が恩恵を受ける状況までの道のりは遠く、また壁も果てしなく分厚いので、そこまでこの国が持つのか?って気もするし、突破出来るような勢いも感じない。
アフガンの給油を止めて『別な』方法を、普天間問題も『別な』解決策を、なんでもそうですが、別な何か、見直して決断、言うのはいいけれど、どこかでその『別な』何かを示す必要があるわけで、その決断を遅らせたって問題の先送りにしかならないし、決断すれば確実に問題は生じる。さっさと決断して問題に対処せんかいと思う。それが政治家の仕事だろって話です。
事業仕分け、無駄削減はいい、コストカットして行く事は重要でしょう。これを今までやらずに自動的に金をつけていた事の方がどうかしている。何にどう使われているのか?効果は?そういった事のチェックもなければ、フィージビリティ・スタディなどあるわけもない。だけど、使わないようにケチケチしているだけでは、国の雰囲気がいっこうに明るくならない。みんながもう少し希望を持てるような、何らかのビジョンを示せよと思う。それが無駄削減とか、脱官僚とか、まあ言ってる事は正しいとしても、気持ちがポジティブになるような話では全然無い。
やっている事をいちいち批判するつもりはないけれど、この負のスパイラルからの出口戦略が今一番重要なのではないかと思う。そういう事を考慮すると、自分は高速道路無料化という政策だけは、これからの日本の構造問題に取り組むには、民主党が掲げている政策の中では一番まともな部類に入るのではないかと思えます。
子供手当のように、一部の人たちに配るわけじゃないし、物流の恩恵は誰でも受けている。それに景気対策にもなるし、財政再建策としてもそれなりに有効だと思える。しかも分権化やポスト工業化社会への布石としても結構重要な可能性を秘めた一撃になりうる。
しかもそれを今あるもので賄って何とかなる。これ以外に現状を打破する有効な政策を民主党は掲げていない。比較的損する人が少なく、結構簡単に無料化までは出来る。やる気になればそれから先の国家像も変化させうるし、この国を生き返らせる可能性のある一手になりうるのではないかと思えるのです。
なのでこの政策は比較的自分としてはコミット出来ると思って、民主党を支持した手前書いているのですが、正直みんなが反対するのなら通らなくてもしょうがないと思っています。どんなに合理的な政策であっても、それをみんなが合理的だと思えなければ、政策なんて上手く行くわけないし、合意調達の為に突破してでもというやる気が、民主党にあるとも思えないのでバックアップしなければ頓挫するでしょう。中途半端な骨抜きになる可能性もある。
マスコミの連中もこの政策には当然反対に決まっています。一極集中の中央集権体制が大手マスコミにとって最大の利権なわけで、それを手放す可能性のある政策を支持するわけがない。実験費用として計上した6000億を削るという話を、高速無料化見直しと恣意的に報道している。高速無料化見直しと言えば広い意味ではそういう風に言えない事もないけれど、どうも悪意を感じる。
まあ今更大手マスコミ情報を鵜呑みにして、それが一時影響があるにしろ、何らかの力学を生み出すような時代ではないと思いますけれど、要するに、みんなが反対だと思うのなら、マニフェストを実行するという事が重要だと思えない民度なのですから、これは自分が喚いた所でどうにもならない。みんなが民主制なんて機能しなくて構わないというのであれば、それ以上何も言いようが無いし、それがこの国の運命なんだろうと思うしかない。徹底的な痛みを味わって後悔するまでは、これはどうにもならない。まあせいぜい自分の生活再優先に考えて、手を打っておくしかやりようがない。
それに、この政策の最大の問題は実際に分権化を機能させる為には、国民のコミットメントがもの凄く重要になる。我々にその気がなければ上手く行かない。国民がその気にならないと、逆に一極集中を余計に強めてしまうものでもありうるし、分権化出来たとしても、シャッター商店街ばかりといったような、焼き畑農業的な地域性をぶっ壊す構造に加担する事になりかねない。ようは我々がやる気があるのか、その気がないのか、自分達の問題として引き受けるつもりがあるのかないのかによって大きく結果は異なってくる。
もちろん自分達の問題だと引き受けたからと言って、必ずしも上手く行くわけではないでしょう。だから一時は格差も生まれるだろうし、ヘタすれば分権化なんてするんじゃなかったって話も出てくるに違いない。だけど必ずその中には成功例が出てくる。その成功例を生み出す為に分権化して、それぞれがトライアル&エラーしながら模索するという事が重要で、成功例さえ出てくれば、それをもとにして設計し直せば失敗は克服出来る。いずれにせよ、お任せで何とかならない時代に変化しているわけだから、お任せ出来ないとなれば、自分達で何とかするしかないわけで、自分達で何とかするなら、その権限を地方に渡さないとそれは出来ない。それを引き受ける気がないのなら、これはどうにもなりません。
要するに中央集権型の国家像というのは、失敗する時も成功する時も一蓮托生になってしまう。散々この国の統治権力は無能無策を続けて来て、失敗を繰り返し、責任も取らない。だからこの国の統治権力は、お任せして国を一元的に管理する能力なんてそもそもない。グローバル化が進み、見通しが益々不透明になってしまった現在、一蓮托生で失敗し続けて行くわけには行かないから、しょうがないから分権化して全員で泥船に乗って沈没しない為の保険としての意味でしかないので、分権化すれば成功するって話じゃありません。ただ全員失敗する事はないだろうという意味と、その中には成功例も出てくるだろうという意味で分権化が必要だという話になる。短期的には格差の拡大も分権化のせいで厳しい地域が出てくる事も、本当は全部織り込み済みの政策でもある。もちろんその事を国民が合意しているとは思えないし、政治家がそれをキチンと言っているようにも見えないけれど、分権化というのはそうであるしかない。
バラマキだと批判されているような政策も、弱者救済措置という側面ばかりに光が当たりますけれど、分権化を前提とすると、スタートラインが揃わない事には始まらない。そしてその上でないと競争もクソもない。一極集中の弱肉強食ではどうやったって地方は斬り捨てられるしか無くなる。しかし競争すれば必ず格差は生まれる。その事まで分権化というのは織り込んだ上での政策です。そこに行かないとただ単にバラまいているだけになる。
無能な連中が牛耳る中央集権体制のままで、ただただ一蓮托生で失敗を繰り返して行く状況で構わない、死なばもろとも泥舟で沈没しようというなら、それはそれで選択肢の一つとしては不毛ですが致し方なし。この泥舟は必ず沈没します。その時間を先送りする事は多少出来るので、逃げ切れる人はいる。だけどこのままでは確実に沈没するのは避けられない。今手を打たないとそこから脱出する方法もなくなる。もうすでに手遅れかもしれません。
地方の政治や行政なんてはっきり言えばもっとたちが悪い上に無能である事の方が多いですし、分権して結局それぞれの政治や行政にお任せでは変わらないどころか悪化するとも言えるので意味がない。引き受ける気があるかどうかが最終的には重要になるでしょう。
地方に権限を渡して任せてしまうと言っても、それぞれの地理的な要因や気候、元々あった地域性、観光地として人を呼べるか否かなど、それぞれに任せても初期手持ち量はバラバラなので、それがパレート最適したとしても勝つ所と負ける所が固定化してしまう。初期手持ち量を多く握っている方が必ず勝ってしまう。これを是正しないと、競争と言う名の弱者斬り捨ての固定化になりかねないので、結局格差は縮小しないだろ、という事になる。第三の道も同じような問題を抱えていて、今は第三の道路線であっても、世界的に見るとかなり厳しい実情があるのは確かでしょう。だから社民的な方向性が力を握ったりしている。結果平等も必要だろと。まあ一番不人気になった原因は、ブレアがブッシュの中東政策にくっついて突っ込んでしまったからなのでしょうけれど、第三の道自体の問題も単なる「思いやりのある保守主義」でしかなく、競争による格差を生む構造は是正していない、なんて特にリベラルサイドから批判もされてしまう。もちろん従来の保守の人からは、リベラル過ぎると批判されるわけですが。
これは例えば高速道路の価格設定までひっくるめて地方に任せてしまえという議論がありますが、それをやってもこの問題は是正出来ないので、無料化も有料化も裁量を地域に任せてしまうのも、いずれにせよ初期手持ち量の格差是正にはなりません。唯一国が優先順位をつけて、値を付ける事だけが、道路の通行料によって地域間格差、初期手持ち量の格差をコントロール出来る。しかしそんな能力はこの国の統治権力にあるわけないので、この案はナンセンスというか事実上無理だし、誰も納得出来ないでしょう。
地域に裁量を移譲して、それぞれの地域事に価格設定をさせるというのも、一見分権化の発想に近いような気がするので、これは悪い話ではないような気がするけれど、道路というのは繋がっているわけですから、ある地域が有料で、ある地域が無料、もしくはかなりお得なお値段という地域が隣り合った場合、価格設定を自分の住んでいる所への政治参加によって、ある程度コントロール出来るとして、無料の方が有利だと思って、もしくは価格が安い方が有利だと思って、地域の政治にコミットして、それなりに自分達にとって有利な条件を引き出せるとしても、例えば隣接する地域の価格設定によって、ある地域が潤うかどうかが、自分達の合意形成とは関係ない所で決まった合意によって、決定的な違いを生み出してしまう。
例えば県境で何らかの商売をやっている人が、自分の住んでいる所へのコミットによって無料化や安い値段設定によって有利に働くと思い変える事が出来たとしても、となりの県で道路がただかどうかによって交通量が変わってしまう。もしくは変わらないとしても、変わっているような気がしてしまう。隣接する地域の価格設定によって、どのような経路で自分の住んでいる地域に車が流れてくるのかも大きく変わってしまう。自分のコントロール出来ない領域の決定によって大きく商売が左右されてしまうというのは、やっぱりそれはそれで不満が出てくるだろうし、それにどういう風に交通をコントロールするのかによって、必ずそれは権益になり、住民の間に分断線を引いてしまう事になる。
だから国が一元的に管理するのが納得は行かなくとも一番マシな正統性があると思えるわけですが、その国の管理が一番信頼出来ないのでそれもダメ。地域性に任せてもやっぱり必ず不満は出てくるわけだから、ある程度の価格是正もひっくるめて有料のままか、基本無料にして国家が例えば都市部をどうするのかとか、ある程度コントロールするしかない。国家の裁量は出来るだけ小さくした方がいいと考えれば、基本無料化にして、どうしても通行量が多く、ただでさえ高速も一般道も混雑しているような地域は有料のままにするという方法が一番納得出来るのではないかと思える。
ただこれだと有料でも無料でも地域性に任せるとしても、初期手持ち量の差というのは是正は出来ません。観光地の多い地域とそうでない地域、地理的な条件によってそもそも地域間の格差というのはあるので、それが固定化してしまうと、新たな人口集中が生じてしまう。関所的な役割として、有料の高い通行料を取り、出入り口を閉めておけば、人口流入を減らせるのではないか?というトンでも論も全くのナンセンス。これは鎖国体制時代なら有効かもしれませんけれど、グローバル化が進んでしまっているのだから、国内に関所を設けて流通のバルブを閉めるような事をしていたのでは、海外に出て行ってしまう。これでは海外に出て行く前に、国内の地方に出て行くという選択肢が生まれて来ない。現時点でも初期手持ち量による格差はすでにある格差で、是正しようと言う動きも全くないし、有料化のままにしていても、問題は全く解決しないので、無料化反対のロジックとしてはズレています。高速道路を無料にすると余計その初期手持ち量の格差を広げて固定化するってわけではないので、ここを混同した議論は意味がない。
高速道路無料化は第三の道への布石になるなんて書いたので、例に出したのですけれど、第三の道という方向性もまさにここに落とし穴があって、第三の道とは新自由主義を発展継承したものですので、新自由主義の問題点にはかなり対処しているのですが、そのまま引き継いでしまっている部分もある。まさにそこが問題になってしまう。
機械の平等をそろえて自己責任というのが新自由主義の方向性だとすれば、第三の道というのはそれを更に進化させ、教育やセーフティネットを充実させ、自己責任取れるようなリソースを徹底的に配分した上で、自己責任で生きて下さいというのが第三の道であると言えます。日経のようなバカ新聞が高速道路無料化を批判しながら、機械の平等をそろえる為の政策をバラマキだと批判していたりしますけれど、分権化されたら困るという事なのでしょう。こんなアホ新聞が経済紙を気取って偉そうにしているから日本の経済はよくならない。機械の平等をそろえなければ競争しても勝つ方は決まっている。だからこういった批判はお門違いもいい所です。問題はそんな表面的な事じゃない。
そこにはどのように担保しようとしても、取り払う事の出来ない初期手持ち量の差というのがある。高速道路で言えば高速道路がに近い所に住む人、遠い所に住む人、それが自分の地域にはない人、すでにそれだけでも差が生じる。我々はみんな違う条件を生きているわけだから当たり前なのですが、その差によってあらかじめ競争の優劣が決まってしまうという事に対して何も第三の道は答えていない。大企業と中小企業のスタートラインをそろえて、様々な手当をして行ったとしても、そもそもマンパワーや資本の差というのはあるので、勝つ方は決まっているではないかという話になる。だから機械の平等というのは担保するのも難しいし、それだけでは足りないのではないか、という事で、結果平等によって競争を中和する必要があるという話が出てくる。だから第三の道がこれからの日本にとって進む道なんだと言っても、日経のような中央集権護持の為のアホな批判は的外れでしかありませんけれど、第三の道にも問題は大有りなのです。
なので第三の道に進めば成功するとか言いたいわけではありません。必ず問題は出てくるだろうし、不満を持つ人も出てくるでしょう。その事は不可避です。そしてどのような選択肢を選んだとしても、日本の国力を維持する事が出来たとしても、可処分所得が増えて、みんな裕福になれるような時代はおそらくもう二度と来ない。大地震が起こるとか、戦争が起こってインフラが根こそぎぶっ壊されて、人がいっぱい死んでしまうとか、そういう事でも起きない限り、景気が回復したとしても、みんながそれを実感して消費を謳歌するような時代にはならないでしょう。一次産業への方向転換が出来たとしても、食って行くには困らない程度にはなれるかもしれませんけれど、経済成長をみんなが実感出来て、右肩上がりの社会にはなりようがない。グローバル化がある以上絶対に不可能です。少なくとも今後数十年は。
しかし日本の場合、第三の道路線どころか、小さな政府路線ですら、全然進んでいないので、現段階でそこを全く経由しないで、新たな路線を目指すという事が出来るならやればいいと思うけれど、それはかなり難しいと思う。事前チェック型の護送船団裁量行政復活ではどうにもならない事はすでにわかっているのだから、現状で政府の役割をただ大きくして結果平等に対処するとなると、単にその頃に戻るだけになりかねない。ネオリベがあったから、第三の道もあったわけで、第三の道があったから、ポスト第三の道という話になるわけです。
今の日本の状態は、新自由主義的な小さな政府路線を貫徹しているとは言い難いので、第三の道を掲げても大きな政府路線と変わらなくなってしまう可能性がある。民主党への批判もまさにそこにあるわけで、機械の平等をそろえた先にもどうしても揃わない初期手持ち量の格差という所まで問題にするような状況でも無い。だから今の段階で第三の道へと進むにしても、それが単に大きな政府の再配分政策へと堕落しないように小さな政府を守らないと、財政が持たないというチェックは必ず必要なので、そういう意味ではある程度、今の民主党に対するバラマキ批判というのも(もちろん中には的外れもいっぱいありますが)重要な牽制であるとも言えるでしょう。だけどそれを言うなら分権化をとっととやれそれをやらなければ単なるバラマキの大きな政府だろという批判か、分権化する気がないならバラまいても無駄だから止めろという批判であるべきでしょう。分権化する為に必要な政策を打とうとすると文句を言いながら、バラマキも批判するというのでは、両立不可能な要求を突きつけている事を自覚する必要があるでしょう。
90年代から台頭し、後に小泉を支持した「保守」の連中みたいに、サッチャーの小さな政府を翼賛しながら、あえてその負の側面に言及しなかったような言い方はしたくないので、ハッキリ書いておきますが第三の道にも問題はあるし、むしろこの路線も若干どころかかなり遅いともいえる。20年遅れのネオリベと同様、15年遅れのニューレイバーとも言えるでしょう。5年早まっただけでも、進んだともいえるけれど、それはネオリベ路線が不十分である事とも無関係ではない。第三の道にいく為には、第二の道、新自由主義を貫徹していないと難しい。新自由主義を否定して第三の道があるのではなくて、それを発展継承しないと上手くいかない。日本では小泉改革アレルギーが強過ぎるので、新自由主義を否定しないなんて言うと非常にネガティブな反応がかえって来てしまう。
小泉政権のやり方を否定して現政権があるように思っている人が多いと思うのですが、基本的には小泉政権で目指していた方向性を否定する事は出来ない。彼らがハナっからやる気がなかったのか、それともそれなりに頑張ったのだけれど、所詮自民党であるという限界故にそうであるしかなかったのか、今となっては結果は出ているので、それがどちらであっても、彼らは言った事を実行しなかった。理念とはかけ離れた中身のない改革であったという事は間違いない。
しかし実際に走らせた政策の中身に問題はあったけれど、方向性としては正しい方向性を向いていたと思うし、現政権もそれを引き継いでいる。例えば分権化一つをとってもそうでしょう。小泉の改革は責任を地方に押し付けただけの切り捨てだと批判されましたし、自分も散々文句を言った。だけどそれは分権化の発想そのものが間違っているという意味ではない。
そういう風に考えると、分権化して人口分散が進んで地方が地域性を取り戻して、ある程度復活再活性化出来れば、別に郵便局を国の事業としてやる必要は必ずしもないとも言えるので、それを民営化する事も決しておかしな発想ではない。ただ地方を斬り捨てて、分権化も全く進んでいない段階で、いきなり地方の郵便局がブッ潰れかねないなんて煽られれば、僻地に住んでいる人達は不安になるに決まっている。だから反対の声があったのでしょう。
道路公団民営化にしたって、走らせた政策そのものはかなり問題ありまくりなんですけれど、これだって最初の段階ではおそらく無駄な道路建設を止めて、借金返済のスキームを確立し、暫定措置でしかないはずの有料化措置を出来るだけ早く撤廃して、高速道路を無料開放するというのが理念としてはあったはずです。法案の中身は骨を抜かれまくっていて、結局肝腎の道路問題の根幹には手が届いていないし、ここでも法案そのものはインチキであるという事で批判されたわけですが、理念そのものに反対している人は道路族とかそれで飯を食っている人達だけでしょう。一般の国民はそのこと自体は悪い話だとは思っていないはず。それに法案そのものが最終的には高速道路の無料化を謳っている。
これだって分権化して政府の役割を縮小する方向性の一つの手段として、道路の無料開放というのはスジが通っている話でもあるので、方向性自体は今もそれと変わっているわけではない。
今一番徹底しなきゃならないのは、実は小さな政府路線であると言えるかもしれません。が、多分それでは国民がもう納得出来ない。グローバル化がこれだけ進んでしまった現在、今からそこだけを徹底するには遅過ぎる。だから同時に第三の道の方向を取るしか無い。そしてそれらを徹底して、ある程度政府の役割がコンパクトになって、機械の平等がそこそこ担保されて、セーフティネットによって再チャレンジ出来る仕組みを構築し自己責任が取れる環境を整備して、その上でどうしても取り払う事の出来ない初期手持ち量による格差に対処する為に、はじめて結果平等を持ち込むというようにしないと危険が大き過ぎる。そこまで経由して初めて格差の固定化になってしまうという話を持ち出して来ても、従来の腐敗と堕落の裁量行政である大きな政府へとバックフラッシュするのではない結果平等路線を持ち込めるとも言える。
だからここで言う第三の道へ進む為にも高速道路を無料化するのが合理的ではないか?分権化の為にも必要ではないか?という意味は、こういった前提の上で言っている事ですので、それですべてが万事解決ってことでは全くありません。
ただここにはもう一つ処方箋が隠れていて、それは物理的に多様性を担保する社会を構築してしまおうというのも入っています。その地域間に生まれる差こそが日本の最大の弱点である多様性のなさに対する処方箋になりうるのではないか?と。
あんまり話が進みませんでしたが、ならし運転という事で、続く!!
自分はそもそも民主党を結果的に支持しているので、マニフェストを実行しろと言っていますけれど、政権交代が起こる事が重要だと思っていたので、ここから先ははっきり言ってオマケのようなもんだと考えています。民主党がまともな舵取りが出来るなんてハナっから期待もしちゃいないし、政権交代が起こりうるという状態に持って行く事が出来れば、それだけで初期の目的は達成出来たと。なので本音を言えば、ここから先は別にどうでもいいといえばどうでもいいのです。ただ政権交代の為であるとは言え、民主党に一票入れてしまっているので、自分には責任がある。だからどうでもいいというわけにも行かないと思って、まああれこれ書いているわけです。
これはすでに書いている事ですが、自分は正直政策的なものにはあんまり興味がない。何をどうやろうともいずれ必ず失敗する。それなりにいい事もあるでしょうし、副作用は必ず生じる。失敗しているという事を転換出来る仕組みとして、政権交代によって牽制となり、後から吟味してチェック出来るように担保されている事が重要なのであって、恒久的に完璧な政策なんて打てるわけがないので、時間が経てばどの道何らかの問題が生じる事は避けられないと思う。だから民主党の政策的な部分に共感したから支持したわけでもなんでもないので、所謂世間一般の言い方としての、民主党の政策を指示したわけではない!!!というクリシェ的な批判も正直わからない事もないのです。
選択的夫婦別姓とか、外国人参政権とか、まあ批判している人達みたいな物言いは別に同調する気もさらさらないし、そういうのと一緒にされちゃかなわないのですが、正直こんな政策どうでもいいだろと思っています。別にやるのは構わないのだけれど、今の日本の状況で、こんなどうでもいい政策を優先する前にやる事あんだろと思う。切実な問題がある。こんなものをこの二進も三進もいかない状況の今騒いで、得意げになっているクソみたいな政治家は、本当目障りです。小泉の郵政民営化よりもはるかにどうでもいい政策だと言える。
それ以外でも子供手当しかり、母子加算復活しかり、再配分政策や弱者救済の措置を取るのは別に構わないけれど、結局分配するにもその配るものがないわけで、それをこれからどういう風に確保して行くのか、この国がどうやって飯を食って行くのか?という事の方がどう考えても切実です。今助ける事が出来ても、それを何とかしなくちゃ先行きは真っ暗。いずれ救えなくなる。増税するのがいやだという話なんだろうから、その辺をどうするのかを考えないと、無駄の削減だけでは限界があるでしょう。
再配分すれば多少消費を喚起する事は出来るでしょうけれど、縮小再生産のスパイラルが深刻な状況の今、出口戦略としては、あまりにもショボ過ぎる。
環境問題にコミットする。-25%削減だ!!はわかったけれど、その問題よりも国民にとって切実な問題はあるわけで、このまま一蓮托生で超高齢化、人口減によって経済が縮小再生産の負のスパイラルに歯止めがかからなければ、二酸化炭素がどうこう言っている場合じゃなくなる。生活に困っている人が膨大に増えているのに、環境にコミットしている場合じゃないだろって話になるでしょう。
環境がこれからの経済を牽引するって声も結構あるので、期待出来ない分野ではないと思うのですが、それで多くの国民が恩恵を受ける状況までの道のりは遠く、また壁も果てしなく分厚いので、そこまでこの国が持つのか?って気もするし、突破出来るような勢いも感じない。
アフガンの給油を止めて『別な』方法を、普天間問題も『別な』解決策を、なんでもそうですが、別な何か、見直して決断、言うのはいいけれど、どこかでその『別な』何かを示す必要があるわけで、その決断を遅らせたって問題の先送りにしかならないし、決断すれば確実に問題は生じる。さっさと決断して問題に対処せんかいと思う。それが政治家の仕事だろって話です。
事業仕分け、無駄削減はいい、コストカットして行く事は重要でしょう。これを今までやらずに自動的に金をつけていた事の方がどうかしている。何にどう使われているのか?効果は?そういった事のチェックもなければ、フィージビリティ・スタディなどあるわけもない。だけど、使わないようにケチケチしているだけでは、国の雰囲気がいっこうに明るくならない。みんながもう少し希望を持てるような、何らかのビジョンを示せよと思う。それが無駄削減とか、脱官僚とか、まあ言ってる事は正しいとしても、気持ちがポジティブになるような話では全然無い。
やっている事をいちいち批判するつもりはないけれど、この負のスパイラルからの出口戦略が今一番重要なのではないかと思う。そういう事を考慮すると、自分は高速道路無料化という政策だけは、これからの日本の構造問題に取り組むには、民主党が掲げている政策の中では一番まともな部類に入るのではないかと思えます。
子供手当のように、一部の人たちに配るわけじゃないし、物流の恩恵は誰でも受けている。それに景気対策にもなるし、財政再建策としてもそれなりに有効だと思える。しかも分権化やポスト工業化社会への布石としても結構重要な可能性を秘めた一撃になりうる。
しかもそれを今あるもので賄って何とかなる。これ以外に現状を打破する有効な政策を民主党は掲げていない。比較的損する人が少なく、結構簡単に無料化までは出来る。やる気になればそれから先の国家像も変化させうるし、この国を生き返らせる可能性のある一手になりうるのではないかと思えるのです。
なのでこの政策は比較的自分としてはコミット出来ると思って、民主党を支持した手前書いているのですが、正直みんなが反対するのなら通らなくてもしょうがないと思っています。どんなに合理的な政策であっても、それをみんなが合理的だと思えなければ、政策なんて上手く行くわけないし、合意調達の為に突破してでもというやる気が、民主党にあるとも思えないのでバックアップしなければ頓挫するでしょう。中途半端な骨抜きになる可能性もある。
マスコミの連中もこの政策には当然反対に決まっています。一極集中の中央集権体制が大手マスコミにとって最大の利権なわけで、それを手放す可能性のある政策を支持するわけがない。実験費用として計上した6000億を削るという話を、高速無料化見直しと恣意的に報道している。高速無料化見直しと言えば広い意味ではそういう風に言えない事もないけれど、どうも悪意を感じる。
まあ今更大手マスコミ情報を鵜呑みにして、それが一時影響があるにしろ、何らかの力学を生み出すような時代ではないと思いますけれど、要するに、みんなが反対だと思うのなら、マニフェストを実行するという事が重要だと思えない民度なのですから、これは自分が喚いた所でどうにもならない。みんなが民主制なんて機能しなくて構わないというのであれば、それ以上何も言いようが無いし、それがこの国の運命なんだろうと思うしかない。徹底的な痛みを味わって後悔するまでは、これはどうにもならない。まあせいぜい自分の生活再優先に考えて、手を打っておくしかやりようがない。
それに、この政策の最大の問題は実際に分権化を機能させる為には、国民のコミットメントがもの凄く重要になる。我々にその気がなければ上手く行かない。国民がその気にならないと、逆に一極集中を余計に強めてしまうものでもありうるし、分権化出来たとしても、シャッター商店街ばかりといったような、焼き畑農業的な地域性をぶっ壊す構造に加担する事になりかねない。ようは我々がやる気があるのか、その気がないのか、自分達の問題として引き受けるつもりがあるのかないのかによって大きく結果は異なってくる。
もちろん自分達の問題だと引き受けたからと言って、必ずしも上手く行くわけではないでしょう。だから一時は格差も生まれるだろうし、ヘタすれば分権化なんてするんじゃなかったって話も出てくるに違いない。だけど必ずその中には成功例が出てくる。その成功例を生み出す為に分権化して、それぞれがトライアル&エラーしながら模索するという事が重要で、成功例さえ出てくれば、それをもとにして設計し直せば失敗は克服出来る。いずれにせよ、お任せで何とかならない時代に変化しているわけだから、お任せ出来ないとなれば、自分達で何とかするしかないわけで、自分達で何とかするなら、その権限を地方に渡さないとそれは出来ない。それを引き受ける気がないのなら、これはどうにもなりません。
要するに中央集権型の国家像というのは、失敗する時も成功する時も一蓮托生になってしまう。散々この国の統治権力は無能無策を続けて来て、失敗を繰り返し、責任も取らない。だからこの国の統治権力は、お任せして国を一元的に管理する能力なんてそもそもない。グローバル化が進み、見通しが益々不透明になってしまった現在、一蓮托生で失敗し続けて行くわけには行かないから、しょうがないから分権化して全員で泥船に乗って沈没しない為の保険としての意味でしかないので、分権化すれば成功するって話じゃありません。ただ全員失敗する事はないだろうという意味と、その中には成功例も出てくるだろうという意味で分権化が必要だという話になる。短期的には格差の拡大も分権化のせいで厳しい地域が出てくる事も、本当は全部織り込み済みの政策でもある。もちろんその事を国民が合意しているとは思えないし、政治家がそれをキチンと言っているようにも見えないけれど、分権化というのはそうであるしかない。
バラマキだと批判されているような政策も、弱者救済措置という側面ばかりに光が当たりますけれど、分権化を前提とすると、スタートラインが揃わない事には始まらない。そしてその上でないと競争もクソもない。一極集中の弱肉強食ではどうやったって地方は斬り捨てられるしか無くなる。しかし競争すれば必ず格差は生まれる。その事まで分権化というのは織り込んだ上での政策です。そこに行かないとただ単にバラまいているだけになる。
無能な連中が牛耳る中央集権体制のままで、ただただ一蓮托生で失敗を繰り返して行く状況で構わない、死なばもろとも泥舟で沈没しようというなら、それはそれで選択肢の一つとしては不毛ですが致し方なし。この泥舟は必ず沈没します。その時間を先送りする事は多少出来るので、逃げ切れる人はいる。だけどこのままでは確実に沈没するのは避けられない。今手を打たないとそこから脱出する方法もなくなる。もうすでに手遅れかもしれません。
地方の政治や行政なんてはっきり言えばもっとたちが悪い上に無能である事の方が多いですし、分権して結局それぞれの政治や行政にお任せでは変わらないどころか悪化するとも言えるので意味がない。引き受ける気があるかどうかが最終的には重要になるでしょう。
地方に権限を渡して任せてしまうと言っても、それぞれの地理的な要因や気候、元々あった地域性、観光地として人を呼べるか否かなど、それぞれに任せても初期手持ち量はバラバラなので、それがパレート最適したとしても勝つ所と負ける所が固定化してしまう。初期手持ち量を多く握っている方が必ず勝ってしまう。これを是正しないと、競争と言う名の弱者斬り捨ての固定化になりかねないので、結局格差は縮小しないだろ、という事になる。第三の道も同じような問題を抱えていて、今は第三の道路線であっても、世界的に見るとかなり厳しい実情があるのは確かでしょう。だから社民的な方向性が力を握ったりしている。結果平等も必要だろと。まあ一番不人気になった原因は、ブレアがブッシュの中東政策にくっついて突っ込んでしまったからなのでしょうけれど、第三の道自体の問題も単なる「思いやりのある保守主義」でしかなく、競争による格差を生む構造は是正していない、なんて特にリベラルサイドから批判もされてしまう。もちろん従来の保守の人からは、リベラル過ぎると批判されるわけですが。
これは例えば高速道路の価格設定までひっくるめて地方に任せてしまえという議論がありますが、それをやってもこの問題は是正出来ないので、無料化も有料化も裁量を地域に任せてしまうのも、いずれにせよ初期手持ち量の格差是正にはなりません。唯一国が優先順位をつけて、値を付ける事だけが、道路の通行料によって地域間格差、初期手持ち量の格差をコントロール出来る。しかしそんな能力はこの国の統治権力にあるわけないので、この案はナンセンスというか事実上無理だし、誰も納得出来ないでしょう。
地域に裁量を移譲して、それぞれの地域事に価格設定をさせるというのも、一見分権化の発想に近いような気がするので、これは悪い話ではないような気がするけれど、道路というのは繋がっているわけですから、ある地域が有料で、ある地域が無料、もしくはかなりお得なお値段という地域が隣り合った場合、価格設定を自分の住んでいる所への政治参加によって、ある程度コントロール出来るとして、無料の方が有利だと思って、もしくは価格が安い方が有利だと思って、地域の政治にコミットして、それなりに自分達にとって有利な条件を引き出せるとしても、例えば隣接する地域の価格設定によって、ある地域が潤うかどうかが、自分達の合意形成とは関係ない所で決まった合意によって、決定的な違いを生み出してしまう。
例えば県境で何らかの商売をやっている人が、自分の住んでいる所へのコミットによって無料化や安い値段設定によって有利に働くと思い変える事が出来たとしても、となりの県で道路がただかどうかによって交通量が変わってしまう。もしくは変わらないとしても、変わっているような気がしてしまう。隣接する地域の価格設定によって、どのような経路で自分の住んでいる地域に車が流れてくるのかも大きく変わってしまう。自分のコントロール出来ない領域の決定によって大きく商売が左右されてしまうというのは、やっぱりそれはそれで不満が出てくるだろうし、それにどういう風に交通をコントロールするのかによって、必ずそれは権益になり、住民の間に分断線を引いてしまう事になる。
だから国が一元的に管理するのが納得は行かなくとも一番マシな正統性があると思えるわけですが、その国の管理が一番信頼出来ないのでそれもダメ。地域性に任せてもやっぱり必ず不満は出てくるわけだから、ある程度の価格是正もひっくるめて有料のままか、基本無料にして国家が例えば都市部をどうするのかとか、ある程度コントロールするしかない。国家の裁量は出来るだけ小さくした方がいいと考えれば、基本無料化にして、どうしても通行量が多く、ただでさえ高速も一般道も混雑しているような地域は有料のままにするという方法が一番納得出来るのではないかと思える。
ただこれだと有料でも無料でも地域性に任せるとしても、初期手持ち量の差というのは是正は出来ません。観光地の多い地域とそうでない地域、地理的な条件によってそもそも地域間の格差というのはあるので、それが固定化してしまうと、新たな人口集中が生じてしまう。関所的な役割として、有料の高い通行料を取り、出入り口を閉めておけば、人口流入を減らせるのではないか?というトンでも論も全くのナンセンス。これは鎖国体制時代なら有効かもしれませんけれど、グローバル化が進んでしまっているのだから、国内に関所を設けて流通のバルブを閉めるような事をしていたのでは、海外に出て行ってしまう。これでは海外に出て行く前に、国内の地方に出て行くという選択肢が生まれて来ない。現時点でも初期手持ち量による格差はすでにある格差で、是正しようと言う動きも全くないし、有料化のままにしていても、問題は全く解決しないので、無料化反対のロジックとしてはズレています。高速道路を無料にすると余計その初期手持ち量の格差を広げて固定化するってわけではないので、ここを混同した議論は意味がない。
高速道路無料化は第三の道への布石になるなんて書いたので、例に出したのですけれど、第三の道という方向性もまさにここに落とし穴があって、第三の道とは新自由主義を発展継承したものですので、新自由主義の問題点にはかなり対処しているのですが、そのまま引き継いでしまっている部分もある。まさにそこが問題になってしまう。
機械の平等をそろえて自己責任というのが新自由主義の方向性だとすれば、第三の道というのはそれを更に進化させ、教育やセーフティネットを充実させ、自己責任取れるようなリソースを徹底的に配分した上で、自己責任で生きて下さいというのが第三の道であると言えます。日経のようなバカ新聞が高速道路無料化を批判しながら、機械の平等をそろえる為の政策をバラマキだと批判していたりしますけれど、分権化されたら困るという事なのでしょう。こんなアホ新聞が経済紙を気取って偉そうにしているから日本の経済はよくならない。機械の平等をそろえなければ競争しても勝つ方は決まっている。だからこういった批判はお門違いもいい所です。問題はそんな表面的な事じゃない。
そこにはどのように担保しようとしても、取り払う事の出来ない初期手持ち量の差というのがある。高速道路で言えば高速道路がに近い所に住む人、遠い所に住む人、それが自分の地域にはない人、すでにそれだけでも差が生じる。我々はみんな違う条件を生きているわけだから当たり前なのですが、その差によってあらかじめ競争の優劣が決まってしまうという事に対して何も第三の道は答えていない。大企業と中小企業のスタートラインをそろえて、様々な手当をして行ったとしても、そもそもマンパワーや資本の差というのはあるので、勝つ方は決まっているではないかという話になる。だから機械の平等というのは担保するのも難しいし、それだけでは足りないのではないか、という事で、結果平等によって競争を中和する必要があるという話が出てくる。だから第三の道がこれからの日本にとって進む道なんだと言っても、日経のような中央集権護持の為のアホな批判は的外れでしかありませんけれど、第三の道にも問題は大有りなのです。
なので第三の道に進めば成功するとか言いたいわけではありません。必ず問題は出てくるだろうし、不満を持つ人も出てくるでしょう。その事は不可避です。そしてどのような選択肢を選んだとしても、日本の国力を維持する事が出来たとしても、可処分所得が増えて、みんな裕福になれるような時代はおそらくもう二度と来ない。大地震が起こるとか、戦争が起こってインフラが根こそぎぶっ壊されて、人がいっぱい死んでしまうとか、そういう事でも起きない限り、景気が回復したとしても、みんながそれを実感して消費を謳歌するような時代にはならないでしょう。一次産業への方向転換が出来たとしても、食って行くには困らない程度にはなれるかもしれませんけれど、経済成長をみんなが実感出来て、右肩上がりの社会にはなりようがない。グローバル化がある以上絶対に不可能です。少なくとも今後数十年は。
しかし日本の場合、第三の道路線どころか、小さな政府路線ですら、全然進んでいないので、現段階でそこを全く経由しないで、新たな路線を目指すという事が出来るならやればいいと思うけれど、それはかなり難しいと思う。事前チェック型の護送船団裁量行政復活ではどうにもならない事はすでにわかっているのだから、現状で政府の役割をただ大きくして結果平等に対処するとなると、単にその頃に戻るだけになりかねない。ネオリベがあったから、第三の道もあったわけで、第三の道があったから、ポスト第三の道という話になるわけです。
今の日本の状態は、新自由主義的な小さな政府路線を貫徹しているとは言い難いので、第三の道を掲げても大きな政府路線と変わらなくなってしまう可能性がある。民主党への批判もまさにそこにあるわけで、機械の平等をそろえた先にもどうしても揃わない初期手持ち量の格差という所まで問題にするような状況でも無い。だから今の段階で第三の道へと進むにしても、それが単に大きな政府の再配分政策へと堕落しないように小さな政府を守らないと、財政が持たないというチェックは必ず必要なので、そういう意味ではある程度、今の民主党に対するバラマキ批判というのも(もちろん中には的外れもいっぱいありますが)重要な牽制であるとも言えるでしょう。だけどそれを言うなら分権化をとっととやれそれをやらなければ単なるバラマキの大きな政府だろという批判か、分権化する気がないならバラまいても無駄だから止めろという批判であるべきでしょう。分権化する為に必要な政策を打とうとすると文句を言いながら、バラマキも批判するというのでは、両立不可能な要求を突きつけている事を自覚する必要があるでしょう。
90年代から台頭し、後に小泉を支持した「保守」の連中みたいに、サッチャーの小さな政府を翼賛しながら、あえてその負の側面に言及しなかったような言い方はしたくないので、ハッキリ書いておきますが第三の道にも問題はあるし、むしろこの路線も若干どころかかなり遅いともいえる。20年遅れのネオリベと同様、15年遅れのニューレイバーとも言えるでしょう。5年早まっただけでも、進んだともいえるけれど、それはネオリベ路線が不十分である事とも無関係ではない。第三の道にいく為には、第二の道、新自由主義を貫徹していないと難しい。新自由主義を否定して第三の道があるのではなくて、それを発展継承しないと上手くいかない。日本では小泉改革アレルギーが強過ぎるので、新自由主義を否定しないなんて言うと非常にネガティブな反応がかえって来てしまう。
小泉政権のやり方を否定して現政権があるように思っている人が多いと思うのですが、基本的には小泉政権で目指していた方向性を否定する事は出来ない。彼らがハナっからやる気がなかったのか、それともそれなりに頑張ったのだけれど、所詮自民党であるという限界故にそうであるしかなかったのか、今となっては結果は出ているので、それがどちらであっても、彼らは言った事を実行しなかった。理念とはかけ離れた中身のない改革であったという事は間違いない。
しかし実際に走らせた政策の中身に問題はあったけれど、方向性としては正しい方向性を向いていたと思うし、現政権もそれを引き継いでいる。例えば分権化一つをとってもそうでしょう。小泉の改革は責任を地方に押し付けただけの切り捨てだと批判されましたし、自分も散々文句を言った。だけどそれは分権化の発想そのものが間違っているという意味ではない。
そういう風に考えると、分権化して人口分散が進んで地方が地域性を取り戻して、ある程度復活再活性化出来れば、別に郵便局を国の事業としてやる必要は必ずしもないとも言えるので、それを民営化する事も決しておかしな発想ではない。ただ地方を斬り捨てて、分権化も全く進んでいない段階で、いきなり地方の郵便局がブッ潰れかねないなんて煽られれば、僻地に住んでいる人達は不安になるに決まっている。だから反対の声があったのでしょう。
道路公団民営化にしたって、走らせた政策そのものはかなり問題ありまくりなんですけれど、これだって最初の段階ではおそらく無駄な道路建設を止めて、借金返済のスキームを確立し、暫定措置でしかないはずの有料化措置を出来るだけ早く撤廃して、高速道路を無料開放するというのが理念としてはあったはずです。法案の中身は骨を抜かれまくっていて、結局肝腎の道路問題の根幹には手が届いていないし、ここでも法案そのものはインチキであるという事で批判されたわけですが、理念そのものに反対している人は道路族とかそれで飯を食っている人達だけでしょう。一般の国民はそのこと自体は悪い話だとは思っていないはず。それに法案そのものが最終的には高速道路の無料化を謳っている。
これだって分権化して政府の役割を縮小する方向性の一つの手段として、道路の無料開放というのはスジが通っている話でもあるので、方向性自体は今もそれと変わっているわけではない。
今一番徹底しなきゃならないのは、実は小さな政府路線であると言えるかもしれません。が、多分それでは国民がもう納得出来ない。グローバル化がこれだけ進んでしまった現在、今からそこだけを徹底するには遅過ぎる。だから同時に第三の道の方向を取るしか無い。そしてそれらを徹底して、ある程度政府の役割がコンパクトになって、機械の平等がそこそこ担保されて、セーフティネットによって再チャレンジ出来る仕組みを構築し自己責任が取れる環境を整備して、その上でどうしても取り払う事の出来ない初期手持ち量による格差に対処する為に、はじめて結果平等を持ち込むというようにしないと危険が大き過ぎる。そこまで経由して初めて格差の固定化になってしまうという話を持ち出して来ても、従来の腐敗と堕落の裁量行政である大きな政府へとバックフラッシュするのではない結果平等路線を持ち込めるとも言える。
だからここで言う第三の道へ進む為にも高速道路を無料化するのが合理的ではないか?分権化の為にも必要ではないか?という意味は、こういった前提の上で言っている事ですので、それですべてが万事解決ってことでは全くありません。
ただここにはもう一つ処方箋が隠れていて、それは物理的に多様性を担保する社会を構築してしまおうというのも入っています。その地域間に生まれる差こそが日本の最大の弱点である多様性のなさに対する処方箋になりうるのではないか?と。
あんまり話が進みませんでしたが、ならし運転という事で、続く!!