ああ、時間がねえ!!!!
いきなり愚痴をぶちかましましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?クソ忙しいでしょうね。言うまでもなく。
年末っつうのは、何ともやる事がいっぱいありすぎて、時間が足らなくて困ってしまいます。あれもまだ終わっていない、これもまだやらなくちゃ!!分身の術が出来るようになりたいと夢想する三日坊主でございます。
昔、若い頃、仕事中忙し過ぎて「分身の術が使えるようになりたい」と泣き言を言いました所、先輩に「なんだお前、分身の術も出来ねえのかよ、ダセぇぜ」と言われたのを思い出しました。その人に習っておけばよかった。
と、まあ泣き言もほどほどにして本題に入ろうと思います。いざ!!
今派遣切りが問題になっています。今に始まった事ではないにも関わらず、ここまでどうにもならなくなってからやっと大メディアが瞳を輝かせて嬉しそうに騒いでおります。
なぜここまで放置して来たにもかかわらず、こんなにいきなり騒ぎ出したのか?というと、これは背後に元経団連会長のメディア恫喝問題。そして元厚労省事務次官刺殺事件、このへんから眺めてみると、違った見え方がして来ます。
あんまり(厚労)官僚叩きばかりしていると、スポンサーを考え直すぞ!とトヨタの奥田がほざき、メディアが一斉に官僚たたきの自粛を始めようとした時点で、丁度、元事務次官刺殺事件が重なった。この偶然?によって新たな報道のネタが必要になる。叩く対象を作らねばならない。そこで出て来たのが、派遣問題大騒ぎ報道です。
バカ麻生が先日ハローワーク視察をしました。この派遣問題対処というのが、新たな官僚利権にすり替わる。というかすり替えようと、利用している。ハローワークは厚労省管轄です。労働基準監督署もしかり。
これは地方の出先機関統廃合の動きにも楔を打っている。必要な機関であると、民意にすり込み作業をしているわけです。何も不必要だとか言いたいわけではありませんが、こういった力学が背後にある事に対して、あまりにも無自覚なんじゃないかと思うわけであります。
メディアも所詮記者クラブ制度などによって、官との癒着まみれなので、わかりやすい次元で官僚利権を叩いているフリをしながら、しっかりヘッジをかけて、こういった利権の広報活動によって国民を洗脳する。
毎度毎度の構図で嫌になりますが、実際、個人的には無関心だけれど、政府に何とかしろという力学が沸き起こっていますので、まさに思う壷というわけです。読売なんかは先頭切って派遣切りの悲劇を嬉しそうに大騒ぎしています。
誤解されると困るので一応書いておきますが、自分は派遣切りは問題だと思っておりますし、何らかの対処は必要であるだろうとも思っています。しかし現状騒いでいる対策というのは、全てこの力学で回っている。末端の派遣が苦しむ事をむしろ喜んで利用しているわけです。なのでそこの所をキッチリわけて考えないと、利用されるのみです。
そしてこの派遣問題、そもそも何でこんな顛末になってしまったのかと言えば、最初は流動化しろという社会的プレッシャーがあって、それに合わせてレジームが変化した。利用する為に乗せられていたのだとしても、これは多くの国民も積極的に望んで来た事でもある。
例えば、談合などによる不透明な再配分政策に対して、可視化と流動化を求める力学が今でもあります。公共事業などによって、ある意味失業対策を打って来た。今派遣で切られている人などは、時代が違えばそういう所で飯を喰っていた可能性が高いわけです。それを切り離して流動化させた。官から民へという流れです。結果どうなったかと言えば今の有様。
小泉竹中改革の痛み的な批判も多い。あたかも元々その時点から批判をしてました的ものいいが多過ぎます。だいたい派遣法が今日の体たらくになる口火としての法改正は99年ですので、別に小泉竹中じゃなくても、おそらく結果はたいして変わっていないでしょう。どの道、この国の方向性はそういう方向性に、年次改革要望書スキームに従う以外の選択肢がない状況に追い込まれていた。
そして、組合系への批判や、フリーターなどへの怠業批判、そして官僚たたきの力学と散々国民も喜んで加担して来た。そういう事をすっかり忘れ去って、あたかも政府が勝手にやった的な言い方が多過ぎる。自分達が責任の一端を担って来たという事をしらばっくれて、一方で官僚たたきや政府を批判しながら、一方で官僚利権の増大や政府の介入を支持する。一体何を望んでいるのか?
マスメディアというのは無責任の象徴のような存在なので、必ずどちらに民意が転がってもヘッジをかけるようポピュリズムに媚びながら、ちゃっかりズブズブの癒着関係にある政府、官僚、大手企業の広報活動も忘れない。派遣切り問題に対処する事は重要だけれど、政府に何とかしろ!という言い方だけでは、必ず同じような問題を引き起こす。自分達が何に賛成していて、何に反対しているのか?それが全くわかっていない人が多過ぎる。
例えば、今ガキの携帯規制花盛りです。自分も別にそれはそれで構わないとも思う。しかしマスメディアが言うそれは、子供の事なんて微塵も考えちゃいない。携帯が普及して一番割を食っているのはテレビと雑誌、新聞など、旧来の媒体を利用している、大手メディアそのものでもある。
可処分所得と可処分時間をそれに食われるという事は、様々な産業が割を食っている。若者が車への興味をなくしているのも、大本をたどればそのへんにある。洋服が売れないのも、外食産業が不振なのも、時間と金の使い方が大きく変わってしまったからに他なりません。
中でも旧来のマスメディアというのは最も携帯的コミュニケーションと天敵関係にあると言っていい。広告収入自体もネットへと移って行ってしまう。
マスメディアが従来のように、思考停止的に下らん番組作りのまま情報を牛耳っている為には、携帯は邪魔なわけです。ガキの頃から携帯漬けになるという事は、旧来のメディア漬けに洗脳する機会が減る。だから子供の携帯に騒いでいるだけの話でしかない。
それによって起こる犯罪の絶対数だって、これだけ利用している人がいるにもかかわらずという事を考えれば、非常に安全なツールでもあるわけです。
従来のマスメディアであれば自殺や犯罪の連鎖反応を間違いなく誘発して来たわけですし、ネットの炎上的なものだって、メディアスクラムと同じ。ガキの携帯を規制するかどうかは親や学校が決めればいい事であって、政府が介入する事じゃないし、ましてマスメディアなんぞが偉そうにいう事ではない。下らない思考停止報道から脱却する為にはむしろネットの普及はいい事でもある。
それを考えれば酒や煙草が及ぼす害は計り知れないし、車が社会に及ぼす影響も計り知れない。包丁は人を刺す事が出来る道具だから包丁を規制しろと言っているようなもので、何かがあるからそうなるという考え方、どこかに悪者や原因があって、後はオートマティックにそうなると言う考え方に問題の根幹がある。
マイケル・ムーアのボーリング・フォウ・コロンバインじゃありませんが、コロンバイン高校の事件はその日の朝犯人の学生達がボウリングをやっていたからボウリングのせいだと言っているようなもので、銃のせいだとか、政府のせいだとか、小泉竹中改革のせいだとか、どこかに帰属処理をして学ばない我々に原因があるわけです。
自分は陰謀論的なものを聞く事や夢想する事は好きですが、全く信じません。ユダヤ陰謀論なんかが大好きな人もいっぱいいますが、聞く分には面白いけれど、何か物事を超越的にあらかじめ決めるという事は、ちょっと物理の法則を知っていればありえないという事は誰にでもわかる。
都度都度オポチュニスティックに振る舞っているだけであるにも関わらず、それなりに影響力を持っている人間がそれをやると、あたかも陰謀みたいに見えてしまうという話でしかないという事の方が多いでしょう。陰謀論が嘘だとか言いたいわけではありませんが、話半分で聞く事も重要だと思います。
ゲーデルでもいいし、ハイゼンベルグでもいいですが、神様はいないわけです。これは物理的にも数理的にも証明されている。何かの原因があって、そこから因果律によって結果が決まるという事を社会全体に当てはめて考えるというのは、神様の存在を信じる事と同じです。
事前にすべて悪巧みをしている輩があらかじめ決めた通りになるというのは、神の存在を信望しているものにしか出来ない発想です。その神を信じる発想、超越的な真理を望む発想が排除や抑圧を生む。原因は他でもない、そこにあるわけです。
WTOなんかでの報道の騒ぎ方も非常に迷走している。関税に対して文句を言い、各国がこの金融危機の最中、保護主義的な方向性に傾いて行くのは前大戦前夜、世界恐慌が引き起こした後の顛末に酷似している!!なあんて言っているのかと思いきや、食料自給率の低下の危機を煽る言い方もあるし、地産地消翼賛的なパッパラパーの物言いも多い。安心安全の観点から輸入作物に対しての危機も大騒ぎする。そのくせ自民党にしろ民主党にしろバラマキ的な方向性に向かいつつある状態に対して批判もする。
農家を甘やかすな!!と言っているのかと思えば、国産米を守れ!!と与党の族議員が農家を煽動して煽り、野党もしっかりそこはポピュリズム、農家を守れ!!なんて言っている。報道でも農家の後継者いない問題や高齢化問題などを騒ぎ、農業の危機を煽る。何をすれば何を守れて、何を守ろうとしているのか?迷走しています。
メディアの報道なんかを見ていると、この問題に関わらずあらかじめストーリーがあって、それにそった形で報じている。
日本の米というのは778%の関税によって保護されている。世界各国の流れから見ると、関税を緩和する方向性に行くとするならば、直接農家への補助金によって農家を支えるという方向性は矛盾していないのに、その事がわかっていないバカが多いので、関税緩和、自由貿易、保護主義打破を言いながらバラマキを批判している人が多過ぎる。そのくせ食糧自給率を嘆き、食の安全を喚き散らして、地産地消を推奨する。何がしたいのかがわからない。
米の自由化を反対し、食の安心を喚き、自給率を騒ぎ、農家を守れと無知な農家を動員して騒いでいる連中が何を守ろうとしているのか?その事もよくわかっていない人が多過ぎる。関税というのは価格保証をする事によって、農家を守るという建て前だけれど、実は国際競争力を失っているという盲点に気付いていない。
関税を撤廃して、直接農家への補助金でバラまく事に切り替えれば、米の値段が自由競争になる。単純に言って、778%も関税をかけているわけだから間違いなく安くなるでしょう。消費者にとっては都合がいいに決まっているし、その事によって、日本の米を海外で売る事がより出来るようになる。そうすれば減反政策なんてやる必要もないし、つい先日騒いだ毒米のようなミニマム・アクセス米を受け入れる必要もなくなる。毒米問題のそもそもの原因の根幹はそこにある。騒いでいる話は全部どうでもいいような下らない話ばかりです。
現在米だけでも年間77万トンのミニマム・アクセス(最低輸入義務)を受け入れているわけで、ドーハラウンドが妥結して日本の米の関税率778%護持するという事は更にミニマム・アクセスを課せられる事になる。それだけの米が国内に入ってくれば、当然自給率は更に下がる。米の自由貿易に反対し、自給率護持を喚いている連中が何を守ろうとしているのか?結果的に自給率を下げる為に騒いでいるようなものです。
自由競争イコール弱者切り捨て図式が大好きな論理性の全く無いバカが多過ぎるので、結果的に自給率を上げる為にも、農家を救う為にも必ずしも合理的ではない方向性に感情的に突っ走ってしまう。戦争した頃から何も変わっていないこの図式、何ともバカバカしすぎて話にならない。農水族議員とJA、そして農水省が何を守ろうとしているのかと言えば、農家の戸数であって農業そのものではない。彼らの利権を守っているに過ぎないわけです。
もちろん関税をを引き下げるという事は農家に直接補助金をバラまいて、それで自由市場で競争するという方向性になるわけで、アメリカとかヨーロッパとか、直接バラまく事が出来る国と、そこまで農家を支援出来ない国との間での自由競争になれば、必ず勝つ方は決まってしまう。だから反対する国の論理はわかる。でも日本国内のそれは論理もクソもない、合理性もクソもない感情論をステークホルダー達にまんまと利用され、結果的に農業の為にはなっていない。
様々な論点があり、いろんな立ち位置に立てばいろんな見え方がするという事を、常日頃からこのブログで書いているわけですが、そういう矛盾に気付きながら、ある部分は流動化すべきかしないべきか切り取って考える事は重要です。
しかしこの国で現在起こっている事態というのは、この矛盾と言うかねじれを自覚していない輩が多過ぎる。表層的な見え方に都度都度感情的に条件反射しているだけ、それが社会を動かしてしまう。そして動いてしまった社会に対して殆どの人が当事者意識がない。みんな被害者面をする。
農水省だって、農業そのものが衰退してしまえば彼らの存在意義もなくなりますので、このままではマズいという力学もある。農協だって悪だと言えるのかと言えば、彼らに原因を帰属させてしまうというのも話を矮小化してしまう。政治家だって政治家になる為には選挙で受からねばならず、彼らは彼らの合理性に基づいて行動しているわけだから、それが悪だと言ってしまっていいのかと言えば、それも違うような気もする。
自由貿易か?保護主義か?という頭の悪い二元論に収束されている議論が何を意味しているのかを見極めるリテラシー能力の欠如が結局の所原因でもあるわけです。
つづく!!
いきなり愚痴をぶちかましましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?クソ忙しいでしょうね。言うまでもなく。
年末っつうのは、何ともやる事がいっぱいありすぎて、時間が足らなくて困ってしまいます。あれもまだ終わっていない、これもまだやらなくちゃ!!分身の術が出来るようになりたいと夢想する三日坊主でございます。
昔、若い頃、仕事中忙し過ぎて「分身の術が使えるようになりたい」と泣き言を言いました所、先輩に「なんだお前、分身の術も出来ねえのかよ、ダセぇぜ」と言われたのを思い出しました。その人に習っておけばよかった。
と、まあ泣き言もほどほどにして本題に入ろうと思います。いざ!!
今派遣切りが問題になっています。今に始まった事ではないにも関わらず、ここまでどうにもならなくなってからやっと大メディアが瞳を輝かせて嬉しそうに騒いでおります。
なぜここまで放置して来たにもかかわらず、こんなにいきなり騒ぎ出したのか?というと、これは背後に元経団連会長のメディア恫喝問題。そして元厚労省事務次官刺殺事件、このへんから眺めてみると、違った見え方がして来ます。
あんまり(厚労)官僚叩きばかりしていると、スポンサーを考え直すぞ!とトヨタの奥田がほざき、メディアが一斉に官僚たたきの自粛を始めようとした時点で、丁度、元事務次官刺殺事件が重なった。この偶然?によって新たな報道のネタが必要になる。叩く対象を作らねばならない。そこで出て来たのが、派遣問題大騒ぎ報道です。
バカ麻生が先日ハローワーク視察をしました。この派遣問題対処というのが、新たな官僚利権にすり替わる。というかすり替えようと、利用している。ハローワークは厚労省管轄です。労働基準監督署もしかり。
これは地方の出先機関統廃合の動きにも楔を打っている。必要な機関であると、民意にすり込み作業をしているわけです。何も不必要だとか言いたいわけではありませんが、こういった力学が背後にある事に対して、あまりにも無自覚なんじゃないかと思うわけであります。
メディアも所詮記者クラブ制度などによって、官との癒着まみれなので、わかりやすい次元で官僚利権を叩いているフリをしながら、しっかりヘッジをかけて、こういった利権の広報活動によって国民を洗脳する。
毎度毎度の構図で嫌になりますが、実際、個人的には無関心だけれど、政府に何とかしろという力学が沸き起こっていますので、まさに思う壷というわけです。読売なんかは先頭切って派遣切りの悲劇を嬉しそうに大騒ぎしています。
誤解されると困るので一応書いておきますが、自分は派遣切りは問題だと思っておりますし、何らかの対処は必要であるだろうとも思っています。しかし現状騒いでいる対策というのは、全てこの力学で回っている。末端の派遣が苦しむ事をむしろ喜んで利用しているわけです。なのでそこの所をキッチリわけて考えないと、利用されるのみです。
そしてこの派遣問題、そもそも何でこんな顛末になってしまったのかと言えば、最初は流動化しろという社会的プレッシャーがあって、それに合わせてレジームが変化した。利用する為に乗せられていたのだとしても、これは多くの国民も積極的に望んで来た事でもある。
例えば、談合などによる不透明な再配分政策に対して、可視化と流動化を求める力学が今でもあります。公共事業などによって、ある意味失業対策を打って来た。今派遣で切られている人などは、時代が違えばそういう所で飯を喰っていた可能性が高いわけです。それを切り離して流動化させた。官から民へという流れです。結果どうなったかと言えば今の有様。
小泉竹中改革の痛み的な批判も多い。あたかも元々その時点から批判をしてました的ものいいが多過ぎます。だいたい派遣法が今日の体たらくになる口火としての法改正は99年ですので、別に小泉竹中じゃなくても、おそらく結果はたいして変わっていないでしょう。どの道、この国の方向性はそういう方向性に、年次改革要望書スキームに従う以外の選択肢がない状況に追い込まれていた。
そして、組合系への批判や、フリーターなどへの怠業批判、そして官僚たたきの力学と散々国民も喜んで加担して来た。そういう事をすっかり忘れ去って、あたかも政府が勝手にやった的な言い方が多過ぎる。自分達が責任の一端を担って来たという事をしらばっくれて、一方で官僚たたきや政府を批判しながら、一方で官僚利権の増大や政府の介入を支持する。一体何を望んでいるのか?
マスメディアというのは無責任の象徴のような存在なので、必ずどちらに民意が転がってもヘッジをかけるようポピュリズムに媚びながら、ちゃっかりズブズブの癒着関係にある政府、官僚、大手企業の広報活動も忘れない。派遣切り問題に対処する事は重要だけれど、政府に何とかしろ!という言い方だけでは、必ず同じような問題を引き起こす。自分達が何に賛成していて、何に反対しているのか?それが全くわかっていない人が多過ぎる。
例えば、今ガキの携帯規制花盛りです。自分も別にそれはそれで構わないとも思う。しかしマスメディアが言うそれは、子供の事なんて微塵も考えちゃいない。携帯が普及して一番割を食っているのはテレビと雑誌、新聞など、旧来の媒体を利用している、大手メディアそのものでもある。
可処分所得と可処分時間をそれに食われるという事は、様々な産業が割を食っている。若者が車への興味をなくしているのも、大本をたどればそのへんにある。洋服が売れないのも、外食産業が不振なのも、時間と金の使い方が大きく変わってしまったからに他なりません。
中でも旧来のマスメディアというのは最も携帯的コミュニケーションと天敵関係にあると言っていい。広告収入自体もネットへと移って行ってしまう。
マスメディアが従来のように、思考停止的に下らん番組作りのまま情報を牛耳っている為には、携帯は邪魔なわけです。ガキの頃から携帯漬けになるという事は、旧来のメディア漬けに洗脳する機会が減る。だから子供の携帯に騒いでいるだけの話でしかない。
それによって起こる犯罪の絶対数だって、これだけ利用している人がいるにもかかわらずという事を考えれば、非常に安全なツールでもあるわけです。
従来のマスメディアであれば自殺や犯罪の連鎖反応を間違いなく誘発して来たわけですし、ネットの炎上的なものだって、メディアスクラムと同じ。ガキの携帯を規制するかどうかは親や学校が決めればいい事であって、政府が介入する事じゃないし、ましてマスメディアなんぞが偉そうにいう事ではない。下らない思考停止報道から脱却する為にはむしろネットの普及はいい事でもある。
それを考えれば酒や煙草が及ぼす害は計り知れないし、車が社会に及ぼす影響も計り知れない。包丁は人を刺す事が出来る道具だから包丁を規制しろと言っているようなもので、何かがあるからそうなるという考え方、どこかに悪者や原因があって、後はオートマティックにそうなると言う考え方に問題の根幹がある。
マイケル・ムーアのボーリング・フォウ・コロンバインじゃありませんが、コロンバイン高校の事件はその日の朝犯人の学生達がボウリングをやっていたからボウリングのせいだと言っているようなもので、銃のせいだとか、政府のせいだとか、小泉竹中改革のせいだとか、どこかに帰属処理をして学ばない我々に原因があるわけです。
自分は陰謀論的なものを聞く事や夢想する事は好きですが、全く信じません。ユダヤ陰謀論なんかが大好きな人もいっぱいいますが、聞く分には面白いけれど、何か物事を超越的にあらかじめ決めるという事は、ちょっと物理の法則を知っていればありえないという事は誰にでもわかる。
都度都度オポチュニスティックに振る舞っているだけであるにも関わらず、それなりに影響力を持っている人間がそれをやると、あたかも陰謀みたいに見えてしまうという話でしかないという事の方が多いでしょう。陰謀論が嘘だとか言いたいわけではありませんが、話半分で聞く事も重要だと思います。
ゲーデルでもいいし、ハイゼンベルグでもいいですが、神様はいないわけです。これは物理的にも数理的にも証明されている。何かの原因があって、そこから因果律によって結果が決まるという事を社会全体に当てはめて考えるというのは、神様の存在を信じる事と同じです。
事前にすべて悪巧みをしている輩があらかじめ決めた通りになるというのは、神の存在を信望しているものにしか出来ない発想です。その神を信じる発想、超越的な真理を望む発想が排除や抑圧を生む。原因は他でもない、そこにあるわけです。
WTOなんかでの報道の騒ぎ方も非常に迷走している。関税に対して文句を言い、各国がこの金融危機の最中、保護主義的な方向性に傾いて行くのは前大戦前夜、世界恐慌が引き起こした後の顛末に酷似している!!なあんて言っているのかと思いきや、食料自給率の低下の危機を煽る言い方もあるし、地産地消翼賛的なパッパラパーの物言いも多い。安心安全の観点から輸入作物に対しての危機も大騒ぎする。そのくせ自民党にしろ民主党にしろバラマキ的な方向性に向かいつつある状態に対して批判もする。
農家を甘やかすな!!と言っているのかと思えば、国産米を守れ!!と与党の族議員が農家を煽動して煽り、野党もしっかりそこはポピュリズム、農家を守れ!!なんて言っている。報道でも農家の後継者いない問題や高齢化問題などを騒ぎ、農業の危機を煽る。何をすれば何を守れて、何を守ろうとしているのか?迷走しています。
メディアの報道なんかを見ていると、この問題に関わらずあらかじめストーリーがあって、それにそった形で報じている。
日本の米というのは778%の関税によって保護されている。世界各国の流れから見ると、関税を緩和する方向性に行くとするならば、直接農家への補助金によって農家を支えるという方向性は矛盾していないのに、その事がわかっていないバカが多いので、関税緩和、自由貿易、保護主義打破を言いながらバラマキを批判している人が多過ぎる。そのくせ食糧自給率を嘆き、食の安全を喚き散らして、地産地消を推奨する。何がしたいのかがわからない。
米の自由化を反対し、食の安心を喚き、自給率を騒ぎ、農家を守れと無知な農家を動員して騒いでいる連中が何を守ろうとしているのか?その事もよくわかっていない人が多過ぎる。関税というのは価格保証をする事によって、農家を守るという建て前だけれど、実は国際競争力を失っているという盲点に気付いていない。
関税を撤廃して、直接農家への補助金でバラまく事に切り替えれば、米の値段が自由競争になる。単純に言って、778%も関税をかけているわけだから間違いなく安くなるでしょう。消費者にとっては都合がいいに決まっているし、その事によって、日本の米を海外で売る事がより出来るようになる。そうすれば減反政策なんてやる必要もないし、つい先日騒いだ毒米のようなミニマム・アクセス米を受け入れる必要もなくなる。毒米問題のそもそもの原因の根幹はそこにある。騒いでいる話は全部どうでもいいような下らない話ばかりです。
現在米だけでも年間77万トンのミニマム・アクセス(最低輸入義務)を受け入れているわけで、ドーハラウンドが妥結して日本の米の関税率778%護持するという事は更にミニマム・アクセスを課せられる事になる。それだけの米が国内に入ってくれば、当然自給率は更に下がる。米の自由貿易に反対し、自給率護持を喚いている連中が何を守ろうとしているのか?結果的に自給率を下げる為に騒いでいるようなものです。
自由競争イコール弱者切り捨て図式が大好きな論理性の全く無いバカが多過ぎるので、結果的に自給率を上げる為にも、農家を救う為にも必ずしも合理的ではない方向性に感情的に突っ走ってしまう。戦争した頃から何も変わっていないこの図式、何ともバカバカしすぎて話にならない。農水族議員とJA、そして農水省が何を守ろうとしているのかと言えば、農家の戸数であって農業そのものではない。彼らの利権を守っているに過ぎないわけです。
もちろん関税をを引き下げるという事は農家に直接補助金をバラまいて、それで自由市場で競争するという方向性になるわけで、アメリカとかヨーロッパとか、直接バラまく事が出来る国と、そこまで農家を支援出来ない国との間での自由競争になれば、必ず勝つ方は決まってしまう。だから反対する国の論理はわかる。でも日本国内のそれは論理もクソもない、合理性もクソもない感情論をステークホルダー達にまんまと利用され、結果的に農業の為にはなっていない。
様々な論点があり、いろんな立ち位置に立てばいろんな見え方がするという事を、常日頃からこのブログで書いているわけですが、そういう矛盾に気付きながら、ある部分は流動化すべきかしないべきか切り取って考える事は重要です。
しかしこの国で現在起こっている事態というのは、この矛盾と言うかねじれを自覚していない輩が多過ぎる。表層的な見え方に都度都度感情的に条件反射しているだけ、それが社会を動かしてしまう。そして動いてしまった社会に対して殆どの人が当事者意識がない。みんな被害者面をする。
農水省だって、農業そのものが衰退してしまえば彼らの存在意義もなくなりますので、このままではマズいという力学もある。農協だって悪だと言えるのかと言えば、彼らに原因を帰属させてしまうというのも話を矮小化してしまう。政治家だって政治家になる為には選挙で受からねばならず、彼らは彼らの合理性に基づいて行動しているわけだから、それが悪だと言ってしまっていいのかと言えば、それも違うような気もする。
自由貿易か?保護主義か?という頭の悪い二元論に収束されている議論が何を意味しているのかを見極めるリテラシー能力の欠如が結局の所原因でもあるわけです。
つづく!!





































