何となくネタを書く気がしないので、今日も一連の今話題の事件に突っ込んでみようと思います。もう少し落ち着いたら真面目ネタは書きますので。

それではおっぱじめます。

民主党支持者にはいまだに小沢支持の人が多いと思います。そして検察の動きに腹を立てている人も多いと思う。気持ちはわかるけれど、何の為に民主党を支持しているのか?その事を冷静になった上で優先順位を付けた方がいい。勝てなきゃ意味がない。検察の動きは当初自分もやりやがったなこの野郎と思いました。政治資金規正法がザルなのは今に始まった話じゃないのに、なんでいきなり党首を攻撃するのさと。

そして表面上霞ヶ関の逆襲に見えるその影に、霞ヶ関主導の事前チェック型システムにもどって利権を貪ろうという方向性にも釘を刺しているようにも見えると書きました。

ここまでの推移を見ている限り、決して民主党を貶めるためだけに動いているわけではないという事が何となく感じられます。どうも事前チェック型社会に戻ろうとしている方向性に釘を刺す力学の方が強いように感じる。というかそう思ってポジティブに政権交代の為の布石を打てと思う。要するに小沢にはご退場頂き、鳩管も辞めてもらう。執行部もきれいサッパリ刷新して、イメージチェンジするチャンスです。

本当に民主党を潰す気ならば政権交代後にやったでしょう。役人の既得権拡張を一番効率的に実現出来るのはそのタイミングの方がいい。小沢は叩けばいくらでもほこりの出るお人。衆院選で勝った後、首相の疑獄発覚、そして参院選民主党惨敗、今のねじれとは逆のねじれが生じるようでは、本当にあと数年間、最悪10年くらいはこの国は二進も三進もいかなくなる。逃げ切り世代の役人どもの最後の草狩り場として利用出来る。

にもかかわらずこの時期に民主党から先に攻撃して、自民党は曖昧にしか切り込まないという理由、今小沢に切り込んだ理由と言うかメッセージを闇雲にアンチ特捜だけで見ていると話が前に進みません。結果的にどちらの方が得をするのか?見た目で自民の方が被害が少ないからと言ったって、かえってその方が自民に取って不利な条件になる可能性は十分あるわけです。

まして小泉陰謀説みたいな話では、余計こんがらがる。小泉の最後の寂しそうに無視されて引退してく姿を見れば、もはや彼にはそれほどの影響力がない。息子を人質にとられているわけで、それほど滅茶苦茶な事も出来ない。旧経世会への私怨のみで突き進み、それ以外には政策も興味が無い、金でも派閥の力学でもなびかない変人といわれた男でしたが、所詮人の親ということでしょう。やりたい放題に振る舞った人間の末路。人を利用していたわけだから、利用価値が無くなれば自分も捨てられるという事です。

竹中辺りも必死で自分のやって来た事を正当化しようとしておりますが、多くの政界を去った政治家や知恵袋として活躍していた知識人が辿る末路のように、一生自分の正統性を喚き散らし続けるのでしょう。この国では忘却癖があるので、またいつか正統性が生じてしまうという可能性が無いわけじゃありませんが、彼程のネガティブな印象をまき散らしてしまったら、可能性としては極めて少ないでしょう。惨めに俺は正しかったんだと後悔し続ける事となる。権力を握っている時にやればいいのに、後悔先に立たず。そんな奴はうじゃうじゃいる。だからなんとかかんとか陰謀説みたいな話は括弧にくくった方がいい。外資もそれどころじゃないし。ようは陰謀論があろうが無かろうが、そんな事が重要なのではない。やるべき事がある。

自分は今まで不人気な方にだいたい肩入れして来たので、今小泉竹中を叩いている連中というのは信用出来ません。植草教授とか、天木直人とか、そういう彼らに痛い目に合わされたと主張している人達ならまだわかる。しかしそういう尻馬に乗っかって喚いている連中の半分以上、否もっとか?7・8割は小泉改革のときは拳を振り上げて支持していた人達だったはずです。それが見事にひっくり返ったというだけなので、本質的には何も変わらない。同じ事を言っている。どこそこに悪者がいる。それが抵抗勢力という幻影が、小泉竹中改革という幻影に変化しただけ、本質的な理由もなければ、出てくる話はなんとかかんとか陰謀論。勘弁してくれよって話です。みんなで支持していたくせに何を言いやがる。自分の頭で考えろって事です。要するに勝ち馬に乗るバンドワゴン現象。山本七平じゃありませんが、空気支配に流されているだけ、戦前から何一つ変わっちゃいない。そういう連中と共闘なんて絶対にやりたくない。同じにしてもらっちゃ困る。

民主党にとっては今回の出来事は、見ようによっては何となく野党連合のなあなあ政権ではなく、単独過半数を狙って、思いっきり革新を目指す政党へと生まれ変わるチャンスにも見える。民主党の政権交代後の政策というのは、本当に全部実現出来れば多分日本の形は180度変わると言えるくらいの変化です(もちろん一気に全部実現するという事は出来るわけないし、一回くらい政権交代をしたくらいで日本の状況が劇的に変わるという事はないけれど、少なくともその為の最初の一歩という意味ではでかい)。これは我々の民度も重要になる。お任せ政治ではなくて市民性がためされるというか、市民性を成熟させないと回らないのではないか?という方向性です。しかしそれが達成出来れば、随分と日本が変わるかもしれない。これのネックは政権交代が本当に出来るのか?という問題。そして我々がそれに対応出来るのか?という市民性の問題。そしてもう一つが政権交代出来たとして、その改革を本当に民主党が貫徹出来るのかという問題。

自分は政権交代の劇薬として小沢の力は必要不可欠だと書いてまいりましたが、丁度小沢問題が浮上する前に書き出したネタの主旨は、民主党が政権を握っても何となく古い体質を切れないような予感がしたので、新自由主義的な方向性自体に問題があったわけではないという事を書きました。この眼目は民主党で言えば政権交代後、もっとも厄介なのは小沢の抱えている旧来の体質と、独善的な性格(に見られてしまう小沢の人間関係の結びかたのヘタさ)、小沢の事を生理的に毛嫌いする人の多さ、そして旧左翼的な頭の腐った連中であって、そいつらを牽制しないと、結局何も変わらないどころか、厄介な方向に行ってお終いというパターンになりかねないという意味も込めて書いていたわけです。もちろん新自由主義でも何でも無い小泉竹中的なものを否定するのはいいとしても、旧来の自民党的ダーティな再配分は尚更絶対マズい。

そういう風に考えると、今回の特捜の介入はもの凄くクリティカルな意味が込められているような気がする。かつて鈴木宗男事件といったような、というかロッキードからこのかた、特捜の戦いは金権政治との戦いであったと言える。それは即ち旧経世会的腐敗堕落の構造と常に対峙して来た。鈴木宗男事件の際、佐藤優氏は検察からこれは時代の変わり目の事件なんだと言われたそうな。それはこれからの日本は昔のような再配分、しかも腐った再配分は不可能な時代になっている。財政は逼迫し、グローバル化が進み、人口減、高齢化と余分な金をバラまける構造じゃなくなっている。したがってその象徴として、利権政治の象徴的存在であった鈴木宗男という生け贄が必要だったと。

それは旧経世会憎しの小泉純一郎と利害が一致した。だから小泉改革の片棒を担いでいたように見えた。それを引きずってまだそういう事を言っている人がおりますが、小泉竹中的な改革が進むと、今度は市場を使って金儲けが何よりという連中が出てくる。これもそういう社会になってしまえば日本はマズい方向に行きかねない。そのブレーキとしてライブドアや村上ファンドをパクった。

小沢の事件が発覚する前、明らかに民主党は政権交代がかなり実現可能な現実と化していた。だから自分も麻生がどこまで引っ張るかというのが第一の懸念でした。それがそのまま政治空白を作り出しているわけだから、一刻も早く選挙をやってくんないと政治が前に進まず、日本が自民党の権益の為に一歩も前に進めないような停滞を引き起こしてしまう。しかしその次のネックは、やはり政権交代後の劇薬として用いた小沢の力を、どうやって無効化してサブスタンシャルな方向性に進むのかという問題、そして旧左翼的ないつの時代の話をしてんだよというリベラルバカを無効化し、冷戦崩壊以降のリベラリズムの常識をわきまえた人間達の政策が前に出てくるようなスクリーニングが必要だというのが現実的になって来た。だからそんなような話を書こうと思ったわけです。

政権交代を先ずはやらなきゃしょうがないので、小沢の力は必要だし、ここまで民主党を戦える政党へと変えたのは彼の功績だと思う。お友達の政治ごっこ的仲良し集団から、政権を渡してもいいんじゃないか?と国民が思えるようになった。もちろん自民の自爆が半分くらい原因ですが、小沢が党首になっていなければここまでの飛躍は無かったかもしれない。だけど政権交代が現実味を帯びてくると、小沢の旧来の体質や独善的と思われる性格、そういうものが実質的な問題点として出てくるような気がした。旧左翼系のアホを動員に使っているというのも問題だし、再配分的な構造に戻りたい連中も動員に使っちゃっている。だからその部分がこれからの一番の課題だと思っていた。そこに今回の一件が出て来た。

出て来たときは先ず大前提である政権交代が吹っ飛ぶ可能性が何より厄介なので、自分も逆上しましたが、ここまで見ていると、まだ政権交代は可能だし、上手く舵取りをすればそういう政権交代後のネックをお掃除するチャンスでもある。今回の一件は誰の肩を押しているのか?それをポジティブに考えた方がいいような気がする。これは一種の民主党のマネージメント能力を問われているとも言える。今の与党にはそれが全く無い。ゼロです。しかしこれを上手くマネージメント出来れば、民主党にとってはもの凄くプラスにもなるし、今まで変えたくてもどうしても変えられなかった構造、動かそうとしても動かなかった構造を変化させるチャンスでもある。こういうチャンスはそう何度もあるわけではない。今後の日本がどのように生き残って行くのか?という分水嶺でもある。民主党の甘ちゃん達はまだまだ未熟でとてもじゃないけれど信用出来ないという人もいっぱいいるでしょう。そういう人達に対してアピールする為にも千載一遇のチャンスでもある。変な陰謀論でグズグズしているよりは、物事をシンプルに考えプラス思考で突破した方がいい場合もある。それを踏まえれば、小沢を断固支持する事がプラスかどうか?民主党支持者達は冷静になった方がいい。

小沢を麻生にしちゃマズい。とっとと引導を渡してやんなきゃダメです。本当に何を成すのが最善か?という事を考えた方がいい。ここで上手く小沢が辞めれば、政権交代を確実にさせる布石も打てる。このタイミングを誤ると麻生と同じになっちゃう。いつまでもどうせ政権交代後に引退する事を前提にしている小沢に頼っている場合ではない。

今、二階や漆間、森と、与党を攻撃しても民主党の党首が同じ構造を抱えちゃっているわけで、なんだよそれ?って印象は拭えない。益々不人気になって行く。所詮政治家なんてのは与野党含めた談合集団でしかないという諦めがこれ以上芽生えたらこの国はもうお終いです。

だから上手く小沢が辞任する必要がある、これを上手くやれば間違いなく政権交代も可能だし、よりその後のこの国の構造転換の為のスクリーニングにもなる。先ずは自分ばっかり不公平だという事は言わせない。検察の陰謀的な話も言わない。与党の謀略的な話も言っちゃダメ。これらは全部ネガティブにしか作用しない。このまま居座っていたずらに時を稼げば麻生と同じになる。推定有罪報道で益々人心が離れて行く。検事総長の参考人招致なんてのは絶対にやらない方がいい。やるなら小沢が辞めてからでないと、人心が離れるだけで何もいい事は無い。小沢の潔白を証明したり、正しさを証明する事よりも、政治家として勝つ為の布石を打て。

だから先ずは法的な罪を認めて退陣するわけではないという事は言った方がいい。今回の政治資金規正法の適応は従来の基準から考えると、ちょっと無理スジでもある。だからその事を先ず素直に言った方がいい。迂回献金をもらうという事は実は法律違反ではないという事。ダミー団体かどうかが問題なわけだがダミー団体かどうかというのは非常に曖昧で、政治資金規正法というのはそもそもダミー団体から迂回献金をやりやすくする為のザル法であるという事。その事を国民に説明をした上で、しかし法律に従うという事ばかりに目が行き過ぎていて、野党の党首としては透明化をする事が国民にとっての情報の可視化になるわけだから、法律に従い透明化すれば国民を裏切る事にはならないと増長していた。一番肝腎の政治家としての倫理観みたいなものを見失っていたという事を素直に国民に謝った方がいい。金を貰っていたのは事実なわけですから。そういう政治を打破するためという名目で、同じ事をやっているようでは国民の期待を裏切ってしまった。それに全部秘書がやった事という従来の政治家的な逃げもやっぱりよくない。秘書は政治家あっての秘書な訳だし。知らなかろうが、本当に秘書が勝手にやった事だとしてもその責任は政治家個人にもあるという事を認めれば、これはもの凄い今までにないタイプの誠実さをアピールする事が出来る。だから法に反しているかどうかはこれから戦って行くしか無いけれど、少なくとも野党の党首として、国民の期待を裏切った事に対する責任を取りますと、このくらいの事を言って辞任すれば、一気に形勢逆転、政権交代確実になる可能性があると思う。

検察の鼻持ちならないエリーティズムというか余計なお世話のパターナリズムはムカつきますが、彼らは腐っても検察、ここは陰謀論や裏を読む事ばっかりしてないで、素直にシンプルに捉えた方が物事は前に進むような気がする。政治家というのはこういう時に叩かれて使い捨てられる覚悟を持った人間がなるべき役割。そういう人間の潔白を主張する事を最優先にしていてはサブスタンシャルじゃなさ過ぎる。単なる政局の消耗戦と化してしまう。

従来のような利権金権政治はもうもたない時代ですし、かと言って稼ぐが勝ち的な資本主義を思いっきりブーストさせるような方向性もマズい。素直に検察の一連の動きを見れば、そういう所に釘を刺して来たと言えるわけで、今回の小沢への攻撃も、政権交代しても政治資金規正法のような誤摩化しを続ける気じゃないだろうなという釘を刺しているようにも見える。天下りを根絶出来ない原因はそこにあるわけです。政治家への献金と役人の天下りというのは言わばセット。

行き過ぎた事後チェック、もしくは腐敗した事前チェック、その双方の綱引きじゃなくて、もう少しまともな次世代を見据えた構造のシフトをいい加減にやらんかい!!というプレッシャーとポジティブに捉えれば見えない事も無い。もちろん本当はどうかはわかりませんよ。ただ本当は何か?なんて事をグズグズ考えているヒマがあるのなら、検察なんかに突っ込まれないようなまともな国家像を目指した方が実りがある。

事後チェック型の社会に変化したと言っても、今のそれはただ構造を複雑化し、責任を末端に押し付ける、もしくは責任を取らなくて済む構造に変化させただけとも言えるので、そこに無理矢理特捜が介入すると、害をまき散らして辺り一面焼け野原にしないと叩けない構造に変化している。事前チェック型の腐敗堕落を叩いたら、稼ぐが勝ちのやりたい放題へと構造がシフトしてしまい、その行き過ぎに対して、今度はライブドアや村上ファンドへの攻撃が、官製不況の引き金になり、その後のコンプライアンス利権の争奪戦を引き起こしてしまった。事前チェック型で権益を貪りたい連中が跳梁跋扈し、どんどん巻き返されてしまい、今の麻生政権ではサブプライムをいいわけにして堂々とやりたい放題、なんの効果も望めない意味のないバラマキ景気対策と票を買う事を堂々とやっている。定額給付金のような選挙違反とも取れるバラマキを平気の平左でどんどん押し進めてしまう。こういう不毛な綱引きが繰り返されていては、この国はもう持たない。

透明化し情報を極限まで可視化し、市民性を成熟させ、高コスト構造を是正して、まともな意味での事後チェック型の社会に移行しないと、セーフティネットも整備出来るわけないし、役人も信用されない。検察は益々複雑化していく社会に対応出来なくなってくる。しかしまともな事後チェック型に変化させるという事は可視化されるので、悪い事は出来難くなるわけだから、間違いなく特捜の仕事は減る。この相矛盾したジレンマも抱えているのは間違いないとは思います。

だから信用は出来ないというのはわかるけれど、彼らを攻撃しても実際に何が変わるわけでもない。小沢は金を貰っているという事は事実なんだし、今やるべき事がなんであるのかを考えれば、与党の謀略だろうが、役人の権益拡張であろうが、民主党がとるべき戦略は何も変わらない。何が何でも政権交代させなくちゃ物事は始まらない。当の彼らにその意志が弱いのだとしても、彼らを使うしかないという事は民主党支持者であればそこには諦めも混じっているのかもしれませんが誰でもわかっているはずです。小沢の潔白に拳を振り上げるのではなく、民主党が勝つ為に成すべき事に向かって尻をひっぱたいた方がいい。肉を切らせて骨を断て、という事です。

そんな事を思う次第です。本日はこれにて。
小沢の会見について、「とほほという感じです」と書いたのですが、何が「とほほ」なのか説明せよという要望がありましたので、少し補足させていただきます(また真面目なネタが書けないけれどまあいいや)。

先ず今回の検察の捜査には自分も言いたい事は山ほどあるし、こんなもんで有罪にするなんてのはいくら何でも強引過ぎる。明らかに今まで放置して来た事を急に犯罪扱いをして取り締まる。

しかし事はすでにおこった事であり、相手はあまりにも強大、であれば出来るだけ被害を最小にとどめて、戦略を練り直す必要があるのですが、ダメージコントロールの観点から言って、相当問題があるように感じます。

検察は白いもの(今まで違法扱いをされなかった白という意味)でも黒にしてしまう組織なわけで、特捜を甘く見ていると思える。相当発言には気をつけた方がいいという意味と、強制捜査、国策捜査に対する抗議に結構な時間を割きましたが、気持ちはわかるけれど、その事は言わない方がよかった。彼は国家権力者なんですから。

自分の潔白だけを主張して、潔白だから何を調べられても問題ないという事で押し通した方が良かったような気がする。捜査に対して政治家が恣意的だと介入する事も、それはそれで問題が生じてしまいます(その前に司法の政治介入と言えばそうなんですけどね)。まして野党の党首な訳で、それを言うならせめて代表を辞任してから言うべきです(本当は政治家が言う事じゃないような気がする)。政権交代後に首相の可能性だってまだ残っているわけですから、そうなった時、一政治家の発言とは重みが違ってくる。

それにそれを言ってしまうと有罪に出来なかった場合、検察の威信の失墜は間違いありません。だから何が何でも有罪に持ち込むというモチベーションを煽るだけになりかねない。繰り返しますが検察は白いものを無理矢理黒に出来る組織です。検察が黒だと言えば黒になるのです。そんなに甘いもんじゃない。全面対決しても絶対に勝ち目は無い。

例えば逆に、まさか検察が政治に介入するような強制捜査という事は、あるわけが無いですから、国策捜査などという言い方は慎むべきだとたしなめるくらいの余裕を見せてほしかった。国民の皆さんにいらぬ疑心暗鬼を招く事にもなりますからとか何とか。仮にもしそう言う事があるのであれば、これは大問題だけれど、まさかそのような事は無いと信じます。検察は公平な組織であるはずです。くらいの事を言った方がかえって支持は集まったのではないか?という気がする。

自分達のような支持者が逆上して国策捜査ふざけんなと叫ぶのはいいとしても、政治家がそれを煽っちゃマズい。なのに自分ばっかり不公平だみたいな言い方をしちゃっているのもマイナスだったと思います。だって認識していないからと主張しても、疑われていて、貰っているという所までは事実なんですから。

そして発言に関しては、認識していたかどうか?ここが争点になるわけですが、ここの所が何を認識している事がダメで何を認識している事がセーフなのかが、急に解釈が恣意的に変更されてしまっています。

そもそも政治資金規正法はザル法で、それはむしろ与党が恩恵を受けて来た。自民党の責任は重い。

資金の出資者と献金者が分かれている事には何の問題も無いし、迂回献金もどこの企業もどこの政治家もやっている事なので全く問題なし。西松に請求書を渡していたというのも問題なしだし、迂回献金を認識していて入金を催促したという話も問題なし、口利きをしたという話も見返りを貰っているか否かによって意味が違ってくるけれど、これも政治資金規正法では取り締まれない。別の話になる。

問題があるとすればダミー会社である場合になる。しかしこれもザルで、帳簿があって代表者がいれば、ダミーにはならない。政治団体というのは1万数千あるわけで、政治家の数から考えれば多過ぎる。それはザル法であるからで、ダミーだと言い出したらキリが無い。迂回献金なんてやりたい放題なわけです。その事に問題はあるものの、そういう法なのでその法に違反しているかどうかが問題の争点になる。

これが法解釈のまともな見解です。

小沢に違法性があるとすれば秘書がダミー会社であるという事を文章に残すとか、何らかの証拠を残している場合に限られるわけですが、そんな事はあるわけないので政治資金規正法で小沢まで突っ込むという事はどう考えても出来るわけが無い。秘書を有罪にする事も出来ない。贈収賄などの別件への突破口としての話であるのならありえるけれど、そういう別件の何らかの証拠があって特捜が動いているのでないとしたら、本当に政治資金規正法だけで動いているのなら、特捜の能力も地に落ちています。まあ秘書が何らかの証拠を残しているのなら話は別ですが、それがあるとすればこの秘書は相当迂闊な奴です。

しかしダミーであった事を認識していたかどうかという話が、迂回であった事を認識していたかどうかという話にスライドしています。迂回自体は問題ないけれど、ダミーかどうかが本当は問題で、何を持ってダミーとするかも実は非常に曖昧なわけで、だから事実上ザルだった(まあ一般人の感覚からするとムカつく人がいるのはわかるのですが)。

それが迂回していると認識している即ちダミーであるというズラしが起こっていて、マスメディアも検察もそのように突っ込んでいる。事後的に法の解釈を変えて事前にさかのぼって適応するという罪刑法定主義無視の強引な話です。ここにもの凄い恣意性を感じるわけですが、繰り返しますが相手は特捜、そんな話が通用する相手ではありませんし、マスメディアも推定有罪でメッタクソに叩き、このザル法の抜け穴に一般人も憤りを感じるでしょう。その事に鈍感な会見だったのではないかと思うわけです。

小沢氏は会見の中で次のように発言しております。

「私は、大変大勢の個人の皆さんからも献金をいただいてますし、ゼネコンだけじゃなくその他の企業からも身に余るほどの献金をいただいている」~その後、大切なのは可視化にあって情報公開して国民が判断出来るようにする事の方が重要なんだという持論を展開しました。

情報公開は全くその通りなんですが、問題はその前の、ゼネコンだけではなく他の企業からも貰っていると認めてしまっているくだりです。ありゃりゃって感じです。そこを問題にされているのに・・・・

もちろんこれには復線があって、「西松だと認識していれば政党支部で処理しているはずだ、献金として受け取ったという事は認識していなかったからだ」と言いました(小沢の西松だと認識していれば、というのとマスメディアや検察、そして我々の西松だと認識の意味が違っている。小沢のそれは西松の迂回献金ではなくて、西松建設名義の直接献金であることを認識していればという意味で、我々のその意味は迂回にしろなんにしろ、裏に西松がいるという事を認識していたかどうかという話になっているという事も注意する必要がある。小沢の言っている事は法的解釈であれば間違っちゃいないし、そういう事をやって来た政治家は山ほどいるのですが、多くの人はそこの所を看過出来ないし、マスメディアは本当にバカだからなのかもしれませんが、検察は明らかに意図的にそこを民意を利用してズラして小沢を叩いている。)。

要するに企業献金は適切に処理しているという事なんですが、自分が立たされている状況、発言は間違いなく都合よくカットされ、推定有罪のバッシングが始まるという事を想定すれば、あまりにも不用意な発言をしちゃっています。

小沢は言われる程悪い人ではないのでしょうけれど、あまりにも無防備、ノーガードで推定有罪リンチに真っ向勝負を挑んじゃっている。あまりにも分が悪い正面突破です。勝てなきゃ意味がないわけで、玉砕覚悟じゃ痛い目に合うのは我々国民です。

その後も、ダメージコントロールの観点から見るとあまりにも稚拙な会見だったと思います。

「献金してくれるという方について、このお金はどういうところから出ているのかという類のことは、一般常識として詮索はしないのが大多数だと思う。献金してくださるみなさんの善意を信じてやってきている。全く知らない人からもたくさん献金をいただいている。したがって、その献金の原資そのものが違法であるということが明らかになった時には、それは返却するということにして、けじめをつけている」

このように発言をしました。という事はノーチェックで貰えるものは貰っているという事を言ってしまっています。暴力団であろうが違法組織であろうが、くれるという人の事は信じるという話になる。ハッキリ言ってこれを普通の人が聞いたならあまりにも認識が非常識と思ってしまうのではないかと思います。返せば許されると。こうなると情緒過剰の我が国、悪いものは悪いんだという感覚が強いわけで、ルールの問題と感情の問題の峻別は難しく、また啓蒙も無い。そんな事はメディアは言いませんから、この流れに逆らうのは容易ではない。

またノーチェックであるというのなら、「企業献金だと認識すれば政党支部で処理をする、献金として受け取るという事は認識していなかったからだ」という言い分も、先ず認識する努力をしていないわけですから、適切に処理なんて出来るわけが無いわけで、であるにもかかわらず適切に処理していると言い切ってしまうという事は、普通の人が聞いたら知らなければ何でもOKと言っているに等しい(OKなのですが、そんな事は通じない)。これはマズい。叩いてくれと言っているようなもんです。

オバマみたいに小口の一般市民からの献金であればチェックしきれないでしょうけれど、ある程度まとまった額を貰うのだから、最低限ノーチェックはマズいと普通聞いている人は思うでしょう。それが自然感情というもの。ザル法は小沢だけが駆使しているわけではないのは百も承知ですが、いったんこういう流れが始まってしまうと、もう止めようが無い。

法的に問題は無いとは言え、世論を敵にしかねない。不可抗力で知らないのと、知る努力を怠っているというのでは意味が違う。マスメディアは絶対に小沢を叩く事を前提に報道するに決まっているわけですから、これでは叩かれる口実を与えているようなものです。不人気になってしまう。

しかも問題の政治団体というのは西松のOBなわけですから、西松OBがくれるというのを全く疑いもせずにそのまま受け取っているのだとしたら、あまりにも不用意ではないかという話になる。小沢本人はともかく、秘書がその事を知らず、しかも調査もしていないとしたら、やっぱり返せば許されるという感覚は非常識だというのが一般的な感覚です。

自分は違法性があるかどうかは、オリックス郵政問題と同じで、ヤラセをヤラセ(知っていたか知らなかったか)だと証明する事の難しさから考えて、違法性を証明する事は難しいと思いますが、検察がその気になれば、少なくともしばらくはこの問題が続いて行きます。無罪を勝ち取れるとしても、膨大な時間がかかる。それに今回市民の反応は比較的冷静だとは思いますが、有罪推定報道がこのまま繰り返されれば、いずれこの流れは止められない。

そしてそれより何より、政治として政権交代を目指す事を優先させるとするのなら、もうここまで問題が大きくなってしまってはOUTという他ありません。しかもあのダメージコントロールの稚拙さから考えると、もう彼個人の違法性の問題を越えてしまっている。

自分は彼が辞めようが辞めまいが考えは変わりませんが、多くの人はそうはいかないでしょう。毎日推定有罪報道をしつこく見せられれば支持率も下がって行くでしょうし。

辞めないで続けるのなら、もう少しマシな戦略を練れよと思いますし、辞めるのならなるべく被害を最小限にして辞める方法を考えよと思います。理不尽だけど、こうなった以上もう他に手も無い。小沢を守る事よりも優先させるべき事がある。

個人的には今の民主党の力量を考えると小沢は必要不可欠な劇薬的存在だと思っていましたし、期待もしていたけれど、事ここに至れば止むなし。時を逸すればまた長い不況がこの国を益々ダメにして行くでしょう。

小沢もどうせ散るのなら旧経世会的腐敗体質の与野党の議員どもも道連れにして、古い体質の政治屋共を一掃するチャンスと捉えればある意味いいきっかけかもしれません。

小沢が潔く政治家である事まで辞めれば、自民党の重鎮何人かをメッタクソに叩いて失墜させる事が出来る。どうせ最後の戦いと次の選挙を意気込んでいたわけですから、その最後の戦いに至る前にこのままでは政治家としての事実上の影響力を失ってしまいます。

で、あるのなら、政権交代の捨て石となって貫徹させる事の方が、事実上彼の戦いには勝利する事が出来る。政治家として惨めに生きながらえるか、散って名を取るか、自分は小沢が政治家としてのプライドがあるのなら、事ここにいたってはどうにもならない。後者を希望します。
書いている最中のネタの続きを書こうと思っておるのですが、どうもその気が起こらないというか、何ともテンションが上がりません。それどころじゃなくなってしまった感があります。なので、本日はいったんこのモヤモヤをもう少し整理してみようかと思います。

中断していたネタの主旨は、そもそも役人の権益巻き返しが構造改革や新自由主義、小泉改革という土のついた言葉を批判する影に隠れているぞというノリで始めたのですが、あそこまで直接的に霞ヶ関が権力を行使するとは、ちょっと読みが甘かった。小沢の黒い疑惑というのは、ネット界隈では半ば公然の事実として常識的な話でしたし、西松建設問題が浮上したときも、小沢への牽制なんじゃねえか?的な話も溢れておりました。だけど本当に権力を行使するとは思わなかったというか、やろうと思えばいつでもやれそうなのにやらないという事は、やはり検察も国家権力の一部であるわけで、何となくタブーが存在するようにも感じていた。この政局が微妙な場面でその禁じ手を使えば、ヘタしたら検察の威信自体にも傷がつく。そうまでしてなぜ突っ込むのだろうというのが、どうも釈然としない。

そして皆さんもご覧になった事でしょう。小沢の会見。とほほという感じです。誰も突っ込みませんでしたが、あれじゃ事実上認めちゃってるよって感じでした。なんで政治家っつうのは脇の甘い連中が多いのでしょう。墓穴を掘る発言を聞かなかった事にするかのような、記者の談合体質も困ったもんです。基本的に民主党の会見というのは記者クラブ関係無しに自由なのですが、自由にしても記者の質があれですと、そう簡単な話じゃないなと思ったりもしました。

自分は政権交代を最優先に考えているので、小沢が代表を続けようがなんだろうが、民主党に投票するでしょう。しかし民主党を支持したいわけじゃない。それどころか民主党には相当危ういものを感じている。ただ、自民が嫌なだけです。自民が嫌いという意味でもなくて、現状の政官の癒着構造を切り離すという事しか興味が無い。政治家なんてみんな嫌いです。見ると石をぶつけたくなる(やりませんが)。握手なんてしている連中を見ていると虫酸が走る。手が腐るぜって感じです。

政策的な事には今の政治家達の力量を見ていると、全く期待は出来ないし、どっちが政権を握ってもしばらくはロクでもない方向に行くのは間違いない。だから国民がせめてNOを突き付けて行き続けるしか無いと思っています。

さてさてこの手の話題に付きまとう誰々陰謀説的な話というのは、実際にあったとしてもそれを確認する事は出来ません。それぞれがいろんな思惑でああだこうだ論じているという時点で、すでに術中にハマってしまっているという感じがします。なので誰それの陰謀という話はちょっとわきにおいて考えようと思います。誰それの陰謀という話に繋げて理解しようとすると、必ずどこかに矛盾が生まれる。その事に思考停止する為に都合がいいのが陰謀説であると言える。

例えば特捜の影に小泉的なよくある話がありますが、小泉政権の時にホリエモンがパクられたという話もあったわけで、あの時は明らかに小泉政権の人間はハトが豆鉄砲食らったような顔をしていた。単純に市場原理主義、アメリカ、ユダヤ、小泉、特捜みたいなワンパターン図式に陥ると見えなくなるものが多過ぎる。それは無いと言いたいわけじゃなくて、わからない事を憶測で論じても無意味という事です。俺にはわかる的な発言をしている人の殆どが憶測であるわけですから。

先ず前提として書いておきますが、国策捜査か?妥当な捜査か?みたいな下らない話が多い。本当に頭が痛くなって来ます。みんなその論点でああだこうだやり合っている。無意味。だいたい特捜を何だと思ってんだ?って話です。

「国策捜査」という言葉が広がったのは、鈴木宗男事件の際にパクられた元外務官僚の佐藤優氏が自らの体験を基にして検察批判をしたのが有名ですが、元々は筋の悪い案件、立件する事が困難な案件でも、国策だからしょうがなく検察が動かざるをえない場合に、検事達が自ら自嘲するように「これは国策捜査だ(からやりたくねえけどしょうがねえんだよ)」という意味がこもっていた。これが記者を通じて広がって行き、やがて検察批判の風潮が高まって来た時に、筋の悪い事件を無理矢理作り出す捜査という意味に変わってくるという経緯がまずある。

そしてこれは大前提なので皆さん先ず念頭に置いて考えましょう。特捜は国の行政機関であるわけで、国策(国の政策)に沿って権限を行使するのは当たり前の話であり、そもそも特捜は全ての案件に突っ込んで行かなきゃならない警察と違い、元々国策に沿った恣意的介入をする機関、特捜の捜査イコール国策捜査であるわけで、国策捜査をする為の機関であると言える。狙い撃ちではないかという言い方もナイーブな話で狙い撃ちする為の組織が特捜検察であると言える。

刑事訴訟法191条では「検察官は、必要と認めるときは、自ら犯罪を捜査する事が出来る」と定められています。これが特捜の独自捜査の法的根拠なわけですが、「必要と認める時」という事は捜査する犯罪を選択出来るという事を前提としている。沢山の疑惑の中から捜査対象を選び、一罰百戒で狙い打つ事によって、法の枠組みを維持する制度設計になっている。
一方警察官というのは刑事訴訟法188条で「犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする」となっていて捜査に選択の余地がない。警察は百罰百戒の組織であると言える。だから人も予算も警察の方が上回っている。

そしてこれも重要ですが国策捜査自体が悪ってわけじゃない。時の政権と国民の利益が一致する事もあるし、しない事もあるわけで、基本的に特捜というのはそういうものでもある。今の政権の政策が霞ヶ関利権護持ですから、当たり前と言えば当たり前、役人の利害とも上手くマッチングします。しかし95年住専事件で時の政権はその問題に対する責任追及を閣議決定している。だからそれに従って住専事件を捜査した。それは国民の望む所でもあった。そういう場合もある。特捜の金字塔と言われるロッキード事件も当時の三木政権が検察に全容解明を指示した。当時自民党の田中角栄率いる田中派を筆頭とした主流派は三木下ろしを画策、三木は田中を検察に摘発させる事で政権の延命を図ろうとした。その際コーチャンから供述を取っていた当時東京地検特捜部検事であった堀田力は直接三木から通常では考えられない事ですが電話を受けたと言っています。そしてこれも時の国民が望んだ事でもあった。政局に巻き込まれているにも関わらずです。

かつて事前チェック型護送船団方式によって、右肩上がりの経済であった頃というのは、基本的に自民党の一党独裁状態であり、野党の牽制やチェックというのが殆ど働かない意味のない談合集団と化していた。しかしたまに検察が政治と金の問題に切り込んで功績を上げると、それは何となく野党が果たす役割を担っているかのような錯覚、庶民の味方感があったのではないかと思います。例え国策捜査でしかないとしても。

しかしこれがバブル崩壊、その後の金融システム危機の到来とともに、事前チェック型裁量行政の腐敗堕落構造がそのまま日本のシステムの制度疲労を引き起こし始めた。大蔵省への追求の甘さや、不況の煽りもあったので、次第に検察システムそのものが恣意的な、政府や国家の犬という感覚を庶民に植え付け始める。正義の味方じゃ無くなっちゃったというか元々正義の味方じゃないのですが、そういう共同幻想が壊れてしまった。

事後チェック型社会に変化する為には事後チェックする為の組織が必要となるわけで、大蔵省は財務省へと姿を変え、金融行政部門が切り離されて、金融監督庁、今の金融庁が生まれるわけです。証券取引等監視委員会スキームなんかはまさにそうで、そこには検察からも人員を送り込んでいる。事後チェック型の行政システムに変更して以降、この検察の力というのは絶大に肥大している。検察国家になっている。なぜなら彼らを牽制する仕組みがないからです。事後チェック型の仕組みに変わるという事は、事前チェック型の護送船団方式よりは腐敗堕落が可視化出来るわけで、その事自体は悪い話ではない。

しかしその事後チェック型で取り締まる人達を取り締まるシステムがない。有罪率99.998%、5万人に一人しか無罪にならないこの国の司法システムに置いて、検察に目を付けられたらお終いという事を意味している。小沢までは届かないと思いますが、あの秘書は絶対有罪に持ち込まれるでしょう。かつて護送船団方式の時の大蔵省の絶対権力が、要するに検察へシフトしているというのが事後チェックシステムのからくりでもあるわけです。大蔵省が絶対権力を握っていた頃は、検察なんかがそれを牽制する役割を一役買っていたわけですから、それよりも絶対的な権力を握っているとも言える。

なので恣意的な権力の行使にはよりいっそうチェックが必要な時代になっている。にもかかわらず、メディアはリーク情報によって推定有罪で徹底的に叩き、国民も弁護士のチェックですら徹底的に血祭りに上げる。推定有罪万歳、国家権力のケツ舐め図式が増えている。鳩山のアホを正義の味方扱いするパーが多いのなんかはその象徴的な話です。小沢の問題も読売とか産経なんかは喜んで推定有罪でやりたい放題、言いたい放題でリーク情報を垂れ流して国民を洗脳しようと必死です。本当に有罪かどうかは別として、毎度毎度繰り返される図式、これで引っかかる国民がいるのか?いるんでしょうねいっぱい。

こう言ったリーク情報を垂れ流すという構図にマスメディアは喜んで乗っかっていますが、これは公務員の守秘義務違反で犯罪でもある。普通の民主国家ならブタ箱行きです。反捕鯨運動のグリンピースをメディアも一斉にバッシングしましたが、同じだろって話です。違法行為で情報を入手しているわけですから。西山太吉事件もそうです。同じです。同じだけど叩かれるのと、叩かれないものがある。困った構図です。

事後チェック型のシステムに切り替わって行く過程で実に様々な制度変更をなされました。より監視化が進み、体感治安が煽られ重罰化に舵を切っている。厄介なのは事後チェックを司る権力が絶対権力を握ってしまっていてそれに対するチェックが無いにも関わらず、それを多くの国民が望んでしまっているという事です。市民のメンタリティが事後チェック、つまり市民の監視と牽制なしでは権力の暴走を阻止出来ない状況になっているにもかかわらず、事前チェック型のお任せ民主主義のまま。しかも啓蒙も教育も無いどころか、より奴隷を育て上げるシステムがまわり、不安や恐れを煽って権益を吸い上げる仕組み、敵を設定してスッキリ感を満たしてあげる仕組みが回っている。

検察関係者は世論にもの凄く敏感です。検察が不必要になったり、特捜が不必要になったりする事なんて、普通に考えればあるわけ無いのに人気を気にする。そしてその人気までも人為的にほぼ設定出来る構造にシフトしてしまった。

相変わらずバカ左翼は国家権力の横暴と叫ぶパターンを繰り返しておりますが、そういう単純な話ではない。事後チェック型に転換する事によって、国民が望んで支持するようになる。国家権力自体のバブル崩壊以降の弱体化をカバーする為に、責任をパージして弱体化を防ぎ強化する。陰謀論的などこかに敵がいてという図式で叩いても、結局自分達にその矛先がかえってくる。もしくは分断統治へとすり替わってしまう。悪者探しをする事よりもそのシステムに市民社会が対応しないと、足の引っ張り合いという図式から出られない。残念ながらネットも殆ど役には立ってない。むしろそれをブーストさせてしまっている。それを望んで善悪二元論を叫んでいるのかもしれませんが、そういう問題じゃないのです。

事後チェック型に変更する過程に置いて、検察の国策捜査が民意と離れるようになってしまった。権力の手先といった感じの認識が広まる。決定的なのは大阪高検の現職公安部長であった三井環が、高知地検次席検事であった頃の体験をもとに、調活費の不正経理、不正流用を、最初は雑誌にリークして、後に虚偽公文書作成、同行使、詐欺で知人に刑事告訴をさせる。しかし不起訴。全く傷をつけられない事に怒った三井は実名でマスコミに出て、国会で証言する事を決心する。三井がテレビのインタビューに応じるまさに当日、大阪地検特捜部は三井を無理矢理口封じと見られてもおかしくないくらい強引に逮捕する。鈴木宗男事件もこの三井事件から目をそらさせる為の国策捜査だなんて言われました。

いずれにせよ事後チェック型の番頭役となった検察ではありますが、検察そのものが事前チェック型旧弊システムの一部であったわけで、その事がどんどん見えるようになり、恣意性と腐敗堕落が見えるようになる。

そこで思い出してほしいのがライブドア事件と村上ファンド事件です。本来、特捜が取り扱うべき案件というのは政治家とか大物が裏に隠れているのではないのか?と思えるような疑獄に突っ込んで行くというイメージであったわけですが、この二つの事件というのは、大山鳴動して鼠一匹的なショボイ事件でしかなかった。しかしここに検察のパラダイムシフトが見て取れる。要するに民意に媚びて悪者退治をするという図式です。事後チェック型スキームという国策に従って人気を得る。しかもその民意も人為的に設定出来る時代にシフトしている。

特捜部長が額に汗して働いている人の何たらかんたらという記者会見もありましたが、格差や新自由主義の悪弊が叫ばれるようになり、外資への恐れ、市場を使って金儲けをしている不届きものという民意に媚びて、これを摘発。司法制度改革による裁判員制度、被害者参加制度、死刑の乱発、すべて国民の俗情に媚びて生き残りを図る戦略に切り替えた事を意味する大きな転換です。不安に弱い国民、そして国民の投票によって政治家が生まれるわけで、政治家はそんな不安はたいした事無いんだよなんて事は絶対に言えないし、その不安を切り口にして権益争奪戦が行なわれている。

さてこれらの流れを前提にして今回の小沢秘書の問題を見てみますと、この一連の流れから検察の行動原理の一番の根幹にあるのは法の番頭役という常識論はわきにおいて、どんな組織でもそうですが、検察自体の生き残り戦略でもあるという事がわかると思います。利益の最大化と生き残りの戦略。

バックに誰々がいるというのもあるのかもしれませんが、まず彼らにとって損か得かが大きな問題だと思う。組織である以上それは当然な事であり、その事自体が悪いという話ではないのですが、厄介なのはそれをチェックする仕組みが無いというか作動していない、市民性も成熟していないという問題がある。だから裁判員制度が必要なんだというロジックが成り立ってしまう。敵を捜す事よりも、それを叩く事よりも、事後チェック型の仕組みへの理解を優先させないと、この構造からは出られない。搾取されるのみです。

裏に誰それがいるという風に見えたり、誰かがそれを言っているとしても、その事自体が検察の生き残り戦略でもあるわけで、どちらかと言えば検察をコントロール出来ると思わせる事によって逆に手の平で踊らせているという風にも見える。小泉飯島ラインなんかはそうだった可能性の方が高いと思います。

自民党の政局利用という話が今あるわけですが、かつて三木に政治利用されるという事は世論も支持したし、検察の利益増大という意味で考えても、一か八かの賭けではあったと思いますが、それなりに政局に利用される価値はあった。田中派への牽制にもなるわけですし。しかし今の麻生政権に媚びても何もいい事は無い。だから麻生自体が解散引き延ばしの根拠として利用した可能性はあっても、逆は無いような気がする。賢明な人間なら、今の麻生政権にベッタリになるという事は自滅覚悟の無謀な戦略です。だから行政機関として従っているフリはするでしょうけれど、麻生の画策で政局潰しに検察が動くという事ではないような気がする。そんな事をしたって、麻生の人気が上がるってわけではないでしょう。簡単な話ではない。

小泉の陰謀という線ですが、旧経世会潰しという意味で利害が一致していた時期はあるものの、利害が反している時は世論をバックにして小泉改革的なるものに牽制をかけていたわけで、これも検察の利益の最大化という見方の方が自然な気がします。

じゃあなぜ今回小沢を狙い撃ちにしたのか?ここからは妄想になりますので、話半分で聞いて下さい。先ず今回の一件は、官僚利権の巻き返しのようにも見えます。自分も最初は霞ヶ関の先兵となっているように思えた。ここまであからさまに利権の巻き返しをするか?って。しかしこれはもの凄くリスクが付きまとう。これだけ野党の支持率が高い状況であえてそれをすればバッシングの矛先が役人に向きかねない。これで絶対に役人の既得権打破という機運が逆に高まってしまうかもしれないわけで、だから二重の意味を込めているという気がする。

役人の既得権護持がまずあって、それと同時に最近事前チェック型の裁量行政に戻るような動きが活発化しています。大蔵省の復活しかり、総務大臣が吠えて総務省が暗躍している事しかり、ことごとく利権を潜り込ませ、天下りの根絶は程遠く、バブル崩壊以降の20年、何をやって来たんだ?と思えるようなバックフラッシュを国民まで支持している。この状態で困る省庁というのは、事後チェック型システムで権益を伸ばした省庁でもある。金融庁というのは旧大蔵に戻るのなら、むしろ利権は増大するかもしれず、絶対権力を手に入れる事が出来るかもしれない。しかし検察というのは事前チェック型に戻ったら間違いなく利権は減る。だから本音は事後チェックの方がいいはずです。だから事前チェック型の裁量行政に戻る事に対する牽制の意味も隠れているような気がする。

検察というのは考えてみれば事前チェック型行政の頃というのは、ウハウハのズブズブだった大蔵官僚なんかを尻目に見ながら、散々辛酸をなめた。後一歩の所で踏み込めず待ったがかかり、苦い思いを幾度もしている。あげくバブル崩壊後焼け野原と化した大蔵省の失策の尻拭いをさせられ、そのベスト・アンド・ブライテスト言われたエリート達の腐敗ぶりに絶望し、大蔵への対応も身内に甘いなんてメッタクソに叩かれた。

だからその象徴的な旧来の体制を引きずっているまさしく小沢の旧経世会的利権システムを攻撃したのではないのかと。要するに事前チェック事後チェックどちらに転がってもヘッジをかけているように見える。表面上は霞ヶ関の事前チェック型利権護持の為に政権交代阻止という布石を打っておいて、裏では事前チェック型の腐敗堕落の構造は許さんぞという恫喝も潜り込ませている。

自民党ではなく民主党を攻撃するという所に、このねじれを潜り込ませる眼目があるのだろうと思う。与党の見るからに事前チェック型のモチベーション満載の人間を攻撃したのでは、あまりにもあからさまな事後チェック翼賛になるわけで、世論的にも事後チェックが不人気な現在、それが小沢を攻撃する理由なんじゃないか?という気がする。

政権交代したとしても党首が小沢では、事前チェック型に戻りかねないし、社民党的左翼と結託して、随分と危ない方向性に戻りそうな予感もある。バラマキというのは霞ヶ関の得意中の得意分野であり、民主の甘ちゃん達のチェックごとききでは、上手い事事前チェックシステムに組み込まれてしまう恐れだってある。こういう連中はおりこうさんと認めてもらいたい症候群の半端者の秀才達ですから、筋金入りの霞ヶ関の秀才達には適わない。従っているフリをして手の平で踊らせるなんてのは多分簡単な話でしょう。まして社民党的バカ(一部まともな人もいますし、応援している人もいます)の集団が一定の発言力を握ってしまったら、役人を叩きながら大きな政府を叫んでいるのですから尚更地獄が待っているような気がする。国民新党だって事前チェック型の象徴みたいな連中の政党です。あれが人気あるのも不思議なんですが、この中抜きを誤摩化されてしまえば、実質事前チェック型に戻るのと変わらない。

政権交代後不利益になるのではないか?という懸念を考えますと、これは法を執行しているわけで、特捜というのは元々狙い撃ちする組織でもある。小沢の献金の額が一番多いのは事実であるわけで、組織の仕組み上、一番の所に食いつく事自体は正統性はあるような気がする。だから法を執行しているという事そのものに対して文句は言えないし、恣意的だという事に対してもそれなりに言い訳は立つ。事前チェック型に戻る事を阻止出来れば、検察の権限は護持出来るし、仮に事前チェック型に戻ってしまったとしても弱みを握っているという事は強いですし、多くの官僚組織に対して特捜の功績であるという恩を売る事にもなる。

とは言っても明らかに今政治家を役人が攻撃するという図式は、霞ヶ関の逆襲効果があるのではないのか?という風に見えてしまう。本当にその気があるかどうかは別として、帰結的に恫喝の効果も生み出してしまう。霞ヶ関の利権に触ったら地獄行きだと。間違いなくその事はわかるはずだし、そういうつもりは無いというに決まってますが、その効果を自覚しながら、その意味は無いという行動を人間はとれない。必ずその事に拘束される。だからその事に気付いているという時点で作為があると思った方がいい。

なのでプライオリティの問題から言うと相当危うい行為に見えるし、何も今やらなくたってという感じは拭えない。もう少し早いタイミングでとっととやればいいのにと思う。しかし検察としては何らかの意味が込められていると勝手に思い込み効果を与えるという意味では時期的にも効果的だと思ったのでしょう。彼らは彼らの利益の最大化、権益護持が目的なのですから。政権交代してもしなくても、事前チェック型社会に戻っても、このまま事後チェック型で進むにしても、利権の最大化の為の布石だと考えると何となく腑に落ちる。

一見霞ヶ関の逆襲と見えてしまう所に二重の意味が本当に込められているのなら、確かに合理的選択だと言える。自分は最初は逆上していたので表の意味しか見えなかった。素直に霞ヶ関の逆襲なんじゃねえかと。霞ヶ関の省庁の内部序列が政権交代が近付く事によって縦割りの指揮系統が乱れて行く。政権交代後パージされるやもしれない上司のもとで言う事をきいてられなくなるわけで、多くの役人達はすでに政権交代後にヘッジをかけているので、霞ヶ関自体の統制が乱れている。その事に対する牽制なんじゃねえかって感じもした。だけど帰結的には別の効果も生み出すとも思える。明らかに小沢系の腐敗を抱えている政治家は自民党の方がいっぱいいるわけで、彼らの行動原理も変わるはずです。そういう意味で考えると、もの凄く賢い一手と言えるのかもしれない。まあ国民にとって善いか悪いかはわかりませんが。

肝腎なのは国民が狼狽える事無く、何が優先順位であるのかを見極める必要があるのでしょう。検察は生き残れても、国民がジリ貧じゃ意味ありません。成すべき事がなんであるのか?そして検察をチェックするには市民性の成熟が急務でもある。それが無いと検察のやりたい放題になってしまう。本当に公共心があって正義の味方ばっかりならいいのですが、権力を集中させるとロクな事は無い。

そんな事を思った次第でございます。これでやっと本来のお題に戻れそうです。本日はこれにて!!