前回の続きですと書きたい所ですが、xtc4241様へのコメント返しのため、ちょっと休憩させていただきます。

どうも自分が筑紫氏があまり好きではないという事を書いた所に引っかかっておられるようですので、その事を少し書きたいと思います。興味のない方はスルーでお願いします。

尚、このコメント返しには、自分が筑紫さんをあまり好きじゃないと書いてしまった事に違和感を持っている方に対してもある程度の自分の立ち位置の説明になると思いますので、そのへんが気になる方も読んで頂ければ幸いです。

まず一度コメント返しを書いておりますのでそれを先に乗せておきます。

彼の右でも左でも議論しようという姿勢、人の話を聞こうという姿勢に関して言えば、田母神的頭の悪さから考えれば、全然マシだと書いてあります。しかしリベラリズムというのは基本そういうものです。
筑紫さんはキャスターですから、立ち位置をなるべく取らないようにするというのは、これは当たり前の話であって、それが出来ていない人がキャスターに沢山いる現状がむしろ問題かもしれません。
そうは言っても立ち位置は立っていれば必ず生じるし、目を開けばそこに視点が生じる、なので取り除くという事は物理的に不可能であるという矛盾も同時に存在します。
彼が所属する勢力に対する援護射撃になっている所というのが、実際にあったかどうかは実はたいした問題ではなくて、あると思っている人がそれなりに存在してしまっている事が重要です。本当に対極にいたかどうかという事よりも、対極にいると思っている輩が結構なボリュームで存在してしまっている。
問題は、そういう人達が、自由だ人権だ護憲だ反戦だと言うのはいいけれど、自由にしているからホリエモンみたいなけしからん奴が出てくるではないか、人権なんてヌルいことを言ってないでとっとと死刑にしろ、平和平和言っているけれど、中国の台頭をどうするんだ、尖閣は?竹島は?北朝鮮は?テロの脅威は?という輩が出て来てしまうわけです。それに実際にそれなりに脅威もあったりすると、我々は簡単に自由を投げ出してしまう。
それに対して更に、沖縄や広島の悲劇を忘れるなという理念を掲げたりしますと、これがまた燃料投下になっちゃって、俺達が忘れてなくとも、中国やアメリカはとっくに忘れてるぞ!!どうするんだ!!そういう意味で相互補完関係になっています。
彼は準公人扱いされる立場にありますから、そういう風に見られる事に対する一定の責任が生じるのは避けられません。普通の人とは違うわけです。

これが一度めのコメント返しで、これでは納得していただけなかったみたいです。

なのでこれを前提として、もう一度コメント返しの代わりにエントリーにて書かせていただきます。

それでは始めます。


そう読めるのならどうぞお好きなように評価していただいて構いません。

しかし何もかもリベラル勢力が悪いとは一言も書いておりませんし、筑紫さんをバカリベラルと書いているわけでもありませんよ。少なくともこの文章には一言も書いておりません。しかも長くて読んでられないかもしれませんが、まだ何も結論を書いておりません。

どう読めばそう読めるのかわかりませんが、まあ文章力が無いという事は自分の不徳の致す所ですので申し訳ありませんが、仮にそうだとしても、だからなんだって話で終わりです。

このエントリーはリベラルの問題点について書いているエントリーです。

いつもそうですが、批判する角度とか思考する角度においてこの場合はリベラルの問題をアブストラクトしてわざと書いています。それが対象の輪郭を明らかにする為には必要な事だからです。基本的に何かを考察する学問というのは全部そうです。政治学も経済学も社会学も、科学もある特定の条件に置いてそれはそう見える、もしくはそうなるという話でしかない。

それが政治の場合もあるし、メディア、役人、右翼、国民、都度都度テーマによって、考える主題を変えています。政府の擁護、官僚の擁護、そして小泉擁護の話を書いた事もありますし、安倍擁護の話を書いた事もあります。もちろん両者をメッタクソにけなしているのはご存知でしょう。そういう場合もある。

自民党が嫌いだから、常にただ批判をしているだけというのも片手落ちです。だから本当は書きたくなんてこれっぽっちも無いのですが、自民擁護のネタを書く事だってあるわけです。

そしてそれらの問題の原因は我々のマインドにあるという風にだいたい書いております。誰かを批判して終わりという風には書かないようにしております。つまり特定の所にスコープをしぼって問題点をあぶり出し、なぜそれがそうなっているのか、それはいろいろ原因があるけれど、我々にもあるのではないかと。それを見直しましょうという主旨です。

何かが正しくて、何かが間違っているという事を二元論的に書かないようにと少なくとも書いている本人は思っています。それにはそれなりの理由もあるのだと。今回のネタに関して言えばまだ途中だという事もありますが、少なくともそういう風には書いている自覚はありません。

まあもちろんそれをどう読むかは読んでいる人に委ねられますので、それはどう読まれようとどう批判をされようとそれはそれで尊重しますし、自分の考えが浅はかであれば正します。間違っていると思われるのもしょうがないと思っております。

少し自分の考えを詳しく書かせていただきます。

自分はリベラルの考え方に多くの部分が合致しております。死刑の問題にしろ重罰化にしろです。だからこそ、徹底的にそれを解体し、相対化する必要があるわけです。徹底的な反論によってバラバラにして、そこから再構築する事が、自分の信じる事であればある程やらなければ危険と表裏一体となります。だから通常よりも長くなっているのかもしれません。しかしそれは信じている故にです。

まして自分は普段から死刑反対とか、重罰化ふざけるなとか、監視社会NOとか、そっち系の援護射撃的な事を散々書いているわけで、基本反権力です。だからそういう人達を批判しない、もしくは問題点を見過ごすというのは、やっぱりフェアじゃない気がする。

筑紫さんは聡明な人であったと思うのなら、尚更それをバラバラに解体しつくした後で擁護しなければ、絶対化している事と同じです。それは彼を好きかどうかとは関係ないし、尊敬しているかどうかとも関係ない。

彼が何を言っているかではなくて何をしているか、何をして来たかそれを見た方がいいと思います。

物事には優先順位というのがあります。このエントリーではリベラルの問題点を書いているわけで、例えば仮に筑紫さんをバカ扱いしているとしても、それがこのエントリーの主題ではない。

それを言葉尻をとらえてというか、書いてもいないので言葉尻では無いのですが、筑紫さんの言説があまり好きではないという冒頭の言葉に引っかかって文脈を参照出来ないのは、日本人の致命的な欠陥です。

なぜそれをあえて書いたのかと言えば、自分はそういう人間ですから文脈から割り引いて参照して下さいねという意味です。それを言わずにこてんぱんに筑紫氏に罵詈雑言を浴びせるような事を書いているのであれば、何を言われてもしょうがないと思いますが、そもそも自分はそういう人間ですからバイアスがかかると思いますと書いているではないですか。

だからその事で何かを言われても、何も言いようがありません。その上で罵詈雑言にならないように書きますと言ったわけです。これは好みの問題ですから、その事を言われても困ってしまいます。

人には好みというのがあります。好きな食べ物、好みの女性、もしくはその逆。それを論理的に説明せよと言っても人間は出来ません。なぜお前はカレーが好きなんだと聞かれても答えようが無い。嫌いだったり好きだったりする事に理由は無い。

嫌いだからアイツの言っている事は全部間違っていると、自分は書きましたか?それに全部リベラルの責任だとも書いていませんよ。そういう要素があったのではなかろうかという考察です。中立的な目線である事を装って書くよりも、自分はそういう所がありますから、それは割り引いて読んで下さいねという批判の方が誠実な気がしますが。

アメリカのニュース番組では必ず大統領選になれば、最後に当番組は誰々支持ですと言いますし、株のニュースを流せば、当番組は何々会社の子会社です。という事を必ず言います。自分達はそもそもそういう目線だから、中立と言っても限界がありますので、皆さん割り引いてみて下さいねという事です。

日本のニュース番組でそれをやっている所があるでしょうか?我々は自民党政権には反対ですとか、自民党を支持しますとか、そういうことを一切言わないにもかかわらず公正中立を謳って事実上バイアスをかけて報道する方が、全然誠実ではない。

そういう感覚でならされている日本人の特質なのかもしれませんが、公平中立なんて人間がジャッジするのだから無理です。無理であるという事を最初に言うのはフェアネスの精神から言うと、自分は全然公平な気がしますがそうは思いませんか?

それに仮に自分が筑紫氏を大っ嫌いだから罵倒していたとしても、それが何の問題があるのでしょうか?倫理的に死人に追い討ちをかけるような酷いやつだという事は言えるかもしれませんが、それを認めなければ、好きだという自由も無いのですよ。だいたいそういう風には書いておりませんし。

貴方は筑紫氏を認めなければ許さないとでも言うつもりですか?筑紫氏を擁護しなければ認めないとでも言うつもりですか?筑紫氏を好きでない人間は信用出来ないとでも言うつもりですか?それをファシズムというのです。

勘違いされると困るので書いておきますが、ファシズムというのは蔑称でもなんでもありませんからね。自分はファシストであっても、それがその人の信じる姿勢であれば、基本的には排除するつもりはありませんが、自覚の無いファシズムというのが一番恐ろしいという事は歴史が証明しております。なぜなら当の本人には悪気は無いわけですから。

もちろん貴方が筑紫さんを尊敬していて、彼の批判を許さないというのは貴方の自由です。だからその事には何も言う事はありませんが、であるのなら、逆の言説もまた自由であるわけです(逆の言説を書いたつもりはありませんが)。批判するのは構わないのですが、そういう所で引っかかってもらっても嫌いなものは嫌いだとしか言えないし、嫌いだからアイツはダメなんだとも書いていない。

話には本筋があるわけです。仲正昌樹さんという思想哲学者が言っていた事ですが、講演とかをしていると、最近話の本筋とは関係ない所に引っかかって吹き上がっている人間が多いと言っておられました。彼はそれをクソミソに罵倒しています(自分が言っているのではありませんからね)。

その場その場にはそれぞれ優先順位があります。自分の優先順位というのが人それぞれあるわけですから、疑問に思ったり、間違っていると思ったりするのは別に構わないのですが、その場の優先順位というのが優先されると言う社会的常識と言いますか、我々が社会を営んで行く為の共通前提をわきまえていない人が増えていると。何で自分が正しいと思っている事をお前は肯定しないのだというのは、だだっ子と同じだと。これでは社会がどんどんまわらなくなるのも必然なのかもしれません。

ここは個人のブログですから、まあそんな固い事を言うつもりはありませんし、批判は甘んじて受けますが、自分が言いたいのはそういう事じゃないという事を理解して下さい。そこに引っかかってそれで全体を評価されても困ってしまいます。それは話の本筋とは全く関係のない事です。

このエントリーの中で便宜上、賢明なリベラルと、そうでないリベラルを一緒くたにしているという事も自覚しておりますし、リベラルと左派を一緒くたにしている事も自覚しております。本当は区別すべき対象だと思っています。その事は非常に申し訳ないと思います。賢明ではないリベラル左派もどきに対して本当は書きたいわけなんですが、それで不愉快に感じるのであればごめんなさいとしか言えません。

しかし本当は賢明なリベラルや左派の人達は、そういう連中の問題点をわかっているはずです。彼らが攻撃したい右翼に対して、もしくは政治に対して、賢明ではないリベラル左派も動員になりますから、とりあえず優先順位という意味で、連帯するのはわかるのですが、80年代ぐらいから始まって、とくにここ10年くらいは、段々そういう連中が賢明なリベラルや、真っ当な左翼の足を引っ張っているように個人的には見えています。

賢明なリベラルや、真っ当な左派の方々も、いい加減そういう連中に批判の刃を向ける事も必要なんじゃないかと思うわけです(実際向けている方々もおられますが)。いくら連帯と言ったって、やっぱり内部が腐っていれば、マジョリティの同意は得られません。それが最近の右傾化に貢献しちゃっている所もある。排除する必要はありませんが、そういう人達を抱えているという事までひっくるめて、少し再帰的に振る舞う必要があるような気がするのです。

そういう意味で例えば筑紫さんが仮に賢明なリベラルとか、真っ当な左派であるのだとすれば尚更彼にも責任がある事になりますし、そうでなくて真っ当ではないひとであるのなら、それは言うまでもありません。どちらでもなく中立であるというのであれば、右的な言説に向ける批判や問いを、やはりリベラル的な思想を拠り所にしている方々にももう少し批判や問いをぶつけてほしかった。と思っておるわけです。その立ち位置であればこそ尚更です。

彼は右か左かと問えば、自分には中道よりは左寄りであったようにも見えます。しかしそれがどう見えようが実在がなんであろうが、そんな事が重要ではないのです。

逆に右翼というか保守の側というのは、真っ当な方々とおバカさんで徹底的にやり合っています。殆どがおバカさんが吹き上がっているだけなのではないかと思うのですが、それが外から見える。

自分の目から見ますと、真っ当な右翼、保守、そして真っ当なリベラル、そして左派、これらの人達は、意外と言っている事がそんなに違わないのです。だからむしろそういう人達が連帯した方が啓蒙活動にはいいのではないのか?という気持ちさえする。これは自民党と民主党にも言える事で、本当は二つが割れて、わかりやすいくくりで再結集すれば、もの凄く簡単に世の中が変わるような気がする。

そういう意味でアホなリベラル左派もどきにはどうせ言っても話は聞かないのでしょうから無駄なのかもしれませんが、賢明なリベラル派や左派、そしてそれを支援する人々が少しそういう事に再帰的になる必要があるのではないかと思うわけです。そういう意味で賢明な方々にはいっそう期待もするし、責任も持ってほしいと期待してしまうのです。

さてわかってもらえなくても納得出来なくとも、これが自分の基本的な立ち位置です。前回筑紫さんの事で貴方にコメント返しでわかりやすく説明したつもりですが、それも読んでおられないのでしょうか?どうもそういう風にしか感じられません。共感出来る事、出来ない事あろうかと思いますが、何々と言った、という批判は批判じゃありません。出来ますれば、本筋の話で、もう少し実りのあるお話がしたいと思う所存です。これが悪口に聞こえ自分を軽蔑し、二度と関わりを持つまいと思うのであれば残念ですが、貴方とは友人であると思っております。再帰的に立ち位置を見直すきっかけになる事を願います。