いつもブログを見てくれてる皆様、
とてつもなくお久しぶりです。
昴琉のための闘病ブログだったこともあり、
投稿することがなくなってしまっても
毎日毎日アクセスしてくれてる皆様、
コメントやメッセージをくださってた皆様、
本当にありがとうございます。
その後お変わりないですか⁇
今日は昴琉の命日です。
あれから1年が経ちました。
この1年の坂元家には
こちらで報告させてもらいました
24時間テレビを始め、
いろいろな日常の変化がありました。
まぁそれはおいおい
ご報告させていただこうと思いますが
昴琉とお別れをしてから1年、
初めの頃は、
去年のこの日の事を思い返せなくて
いなくなった寂しさ悔しさ哀しさ
後悔ばかり思い返しては
泣くは寝れないはの日々でした。
次第に、
昴琉との楽しかった思い出、
笑顔、口癖、仕草、行動、を思い返し
少し前に進めたかな⁇と思っていました。
でも命日が近づくにつれ、
当日のあの時の昴琉の顔や身体
体温や息遣い、細くなった首の脈の打ち方まで
鮮明に思い出しています。
そして昴琉の最後をお伝えすると言っていながら、
できてなかったなと思ったので
ちょうど1年の今日、
あの日の事を思い返しながら
書いていこうと思います。
去年のちょうど今日4月13日、
昴琉が緩和ケアに移動してから約1ヶ月半、
最初の方は意識もはっきりとしていたけれど
腫瘍とモルヒネ投薬のせいで
だんだん寝てる時間が長くなり、
喋ることもなくなり
大好きなチョコやカルピスを
口にすることもなくなり
目も開かなくなり、片目は閉じなくなり
手の反応もなくなり、
お人形さんのように横になってる日々でした。
トイレの回数も1日1回
血の混じったオシッコだけ。
4月から新しい保育園に
通い出したみちるが
その日も相変わらず
行きたくない病で
たまたまお休みをしていました。
お昼前にきーちゃんが病院にきてくれ、
お昼ご飯を食べ、
病棟内にある洗濯機を回していたので
みちるが取りに行く〜と
張り切って病室を出たみちる
後ろから追いかけるきーちゃん
私は病室からのぞいていました。
するとベッドから
うーーーー‼︎と昴琉の声が。
それは苦しそうな声ではなく
私を呼んだような声でした。
久しぶりに昴琉の声を聞いた私は
びっくりしてすぐさま昴琉の横に。
昴琉起きてたー⁇
カカずっとおるよー
おらんと思ったんかな⁇
と声をかけながら
いつも通り手を握りました。
その頃は頻繁に昴琉の口元に耳をあて、
小さい小さい息遣いをきき、
手や首の脈があるかどうか触って確認し
頭を撫でながら横に寝転んで手を繋ぐことが
日課になっていました。
お喋り大好きだった昴琉が
久しぶりにお話ししてくれたんだんだなと
話しかけていました。
きーちゃんが戻ってきた時、
昴琉また肩で息してるな
と言いました。
気づいていました。
でもよくあることと
昴琉を抱き上げて、
ぎゅっとしながら
話しかけていました。
何分経ったかわからないけど
少しずつ落ち着いてきたなーと思って、
リハビリの先生か
看護師さんがきてたと思うので
昴琉をベッドにそっとおろしました。
その時脈もしっかり触れてて
静かに息をしていました。
よかった
と思いながら昴琉の横で手を繋ぎながら
顔をみていました。
そして13時半、40分くらいかな⁇
それまで小さい息をしていた昴琉が
何度か普段元気だった時のように
息をして、繋いでた手が久しぶりに
ぎゅっと握ってくれたとおもったら
大きく深呼吸を1回、
ゆっくりし終わった後に、
それまで細くなって目視できてた
手や首の脈がピタッと止まりました。
手の力も抜けてしまい
服を開けると目視できてた
心臓の動きが止まっていました。
とにかくすぐに昴琉を抱き上げて
すばるよく頑張ったね
もう頑張らんでいいんよ
カカのためにこんなに頑張ってくれて
ありがとう
昴琉ずっとずっと大好き
と耳は一番最後まで聞こえてると
聞いた事があるので
抱きしめながら
何度も何度も
伝えました。
みちるは、
なんでにーにを抱っこして
私やきーちゃん、妹が
泣いてるのかわからず
泣き止みー。と
ひたすらティッシュを渡してくれていました。
みんな順番に
昴琉を抱っこしながら声をかけ、
そのうち先生が
やって来て
13時59分、と診断がおりました。
先生も何人もそんな子をみてきてはるのに
一緒に泣いてくれました。
昴琉に優しく声をかけてくれました
ベッドにそっとおろしてから
ずっと開きっぱなしだった片目を閉じてあげ、
口も閉じてあげました。
私はもちろんですが、
保育園を休んだみちる、
毎日来てくれてたきーちゃんと妹は
昴琉の最後を看取ってあげれたけど
トト。その日は岡山まで行っていました。
トラック乗りなので
その前日の夜、一度病院によって、
すばみちの顔をみて
昴琉に話しかけ、
すぐさま仕事に向かったトト。
私たち家族には
寝る前の合言葉がありました。
それは昴琉が病気になってから
病院で寝るときに
昴琉が言い出した言葉
おやすみ
大好き
と
明日もよろしくね
毎日毎日寝る前に
みんなで言い合ってたので
前日もトトは
明日もよろしくねと声をかけていました。
話さないとと
電話をかけようとしたのですが
運転中だったら聞いて動揺しても危ないと
とりあえずLINEで
電話できるときにして
と入れといて
私は看護師さんや先生方に
昴琉くんお風呂いれてあげましょうか
今確認したら小児病棟のお風呂が空いてるし
プライマリーの看護師さんも
日勤でいてるので
大好きなお風呂
ゆっくりいれてあげましょう
昴琉を借りていたリクライニングできる
車椅子に乗せてあげ、
部屋の片付けを
駆けつけてくれた
お義母さんときーちゃんに頼み、
小児病棟へおりました。
居合わせた看護師さんたちも
昴琉に優しく声をかけてくれました。
昴琉のパジャマを脱がせて、
細くなって内出血が広がって
黒くなってた身体、
ポートの周りを覆っていたテープ
褥瘡カバーテープを
昴琉はテープを剥がすのが痛くて
いつも嫌がってたので
ゆっくり濡らしながら剥がしてあげ
丁寧に丁寧に洗ってあげました。
私にはなんとなく表情が
気持ちよさそうに見えました。
看護師さんが
私たち出て行くから
おかあさん一緒に湯船浸かりますか⁇
と聞かれましたが
昴琉と入ったお風呂は
笑った思い出ばかりで
その思い出を大事にしたくて
断りました。
私の友人から
もらった昴琉が大好きだった
忍者タートルズのパジャマに着替えて
緩和ケアの部屋に戻りました。
そこからは凄いバタバタしてたので
あまり覚えていません。
が義弟、私の兄、じーじが来てくれ、
じーじなんて
泣いてるところは
一度も見たことなかったけど
その時ばかりは昴琉に話しかけながら
泣いていて私も涙が止まりませんでした。
病院の手続きや
葬儀屋の手配や
緩和ケアの荷物を片付け、
その間にも
昴琉がお世話になった
外科病棟、外来の看護師さんたちや
小児科、脳外科の先生方が
続々と昴琉の顔をみに来てくれました。
私に優しく声をかけてくださいました。
そして夜19時半頃、
全部の段取りが済んで
昴琉を家に連れて帰るという時に、
仕事を終わらせ、
渋滞に巻き込まれ
なかなか帰ってこれなかった
トトが病院に到着、
一番最後に昴琉に会いました。
昴琉、トト遅くなってごめんな
ようがんばったな
大好きやで
ごめんな。
声をあげながら泣いているのを
私やみんなも我慢できず、
泣きました。
20時過ぎ、
病院の地下から葬儀屋さんの車に
昴琉と私が乗り込み、
先生や看護師さん、
30人くらいの人たちに
見送っていただきながら
病院をでました。
家に帰ると
私の友人やトトの幼馴染家族、
昴琉の顔をみに来てくれ、
葬儀屋さんと準備を済ませ、
久しぶりにみんなでリビングで
川の字で寝ました。
と私もトトも夜な夜な
昴琉の保冷剤に囲まれた冷たい体を触っては
泣きの繰り返しで
寝たっけ⁇くらいなかんじでしたが。
そのあとは
次の日お通夜で、その次の日葬儀と
バタバタと過ぎていきました。
お通夜、葬儀とたくさんの方々が
来てくださって、
その後の24時間テレビをみて
声をかけてくださる人たち、
月命日には昴琉の大好きだったお菓子を持って
手を合わしにきてくれる方たち
本当に感謝しかないです。
長くなったけど
すばるの最後の日はそんなかんじです。
昴琉が最後に私を呼んでくれたその声は、
一生忘れることはできません。
握ってくれた手は
忘れたくありません。
そして保冷剤で囲まれる前まで
昴琉のポカポカした身体、
その体温も忘れたくありません。
その後も火葬を済ませるまで
何度も何度も冷たくなった
昴琉の身体を触り続けたその感触も
忘れません。
未だに遺影のおでこの部分に
キスするので
唇の形がついてしまい
トトに怒られます。笑
昴琉もうざそうに怒ってるやろうな。笑