考え方 | tomo☆のブログ

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我が子の夢を叶えたい、こじれた母の夢物語。
わがこがすきでしかたがない

こんばんわ


私の母は緑色のジャージで正月走っている某大学のOGです。


意外とこちらの大学は私にとって身近で


お客様の中にもОBOGがチラホラ


(ぼくちゃんの通っていた某私立校の関係者だというお客様の方が、実は多い。

母の大学とぼくちゃんの卒業校に共通点はあるが、私の仕事には何も共通点はなく。不思議だ)



話はもとに戻し


あるお客様が母と同世代、同大学卒ということでびっくりし


そのお客様を知っている同僚(この人のパパも母と同じ大学)に


ねぇ、パパ何歳だっけ?と聞いた。


そうしたら


昨年死んだんしってるやん?

生きてたら〇〇歳やけど!


って言われた。


私の中では、家族や親友、大切な人は、同じステージで生きてるか死んでるか関係なく


生きてんねん


現におばあの歳はわからん。


おばあの歳を数えるときは

おじいを思い出す。

おじいに最後にあったのは◯歳

その時私は◯歳 

おばあが〇〇歳


じゃあ

おばあの今の年齢は


おじいがおらんかったら成り立たないし


私の中にはおじいという塊がココに無くなってから30年以上経つが


家族を考えるときに基準となるのは常におじいだ。


オジイは今年で106歳だ。


たまには夢に出てこいよ。


と言いたいが、そろそろ生まれ変わって前世は忘れているんだろうな。



それでもワタシが生きている限り

おじいとの思い出があるからそれで良い。


ガチャガチャした服を着て、派手でダラシないと言われたことや


それが今のオシャレなんですとオバが言ってくれて納得してくれたことや、


孫の中で唯一2人でお出かけ(奈良まで日帰り旅行)して、シカにせんべいをあげたことや


帰ってきておばあに

鹿せんべい買わされて金かかりすぎ!とぼやいていたおじいの姿


8歳の時の記憶だが、特別な記憶で、おじいと2人だけの記憶だ。


生きてたら〇〇歳やなぁ。


なんて言うなよ。


見えないだけで、生きてんねん。