「猫」「言葉」「村上春樹」 | SYP友の会

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ご想像通りというか、ご想像以上に更新は不定期です。                                 ちょっとした暇つぶしにお読みいただければ嬉しいです。

毎週日曜日に楽しみにしている新聞の記事があります。
作家・内科医の南木佳士さんの「生きてるかい?」という随想。
毎回、南木さんの繊細な文体に癒されているのですが
今回は「猫」「言葉」「村上春樹」という私の大好きな
3つのキーワードに思わず過剰に反応してしまいました。


猫語を話す


 猫を飼っていたころ、こたつに寝ころんでいると

彼が腹の上に乗ってきてどっかりと座ることがよくあった。
 重いからやめてください。いまは静かにしていたいんです。
 手はださず、わざと丁寧な言葉で話しかけてみるのだが、

当然のごとく猫は呼びかけを無視し、

のっそり前脚を畳んで胸に置いてから巨体を沈めにかかる。
 ふだん言葉を使って病者の訴えを聴いたり、

みずからの想いを文字で表出する仕事をしているから、

猫との対話で言葉の無力さを思い知ると、

意外にもすがすがしい気分になれた。
 語ったからわかってもらえたのだろうと錯覚するよりも、

まったくわかってもらえないのを承知で猫に語りかけたほうが、

言葉の限界がおのずと明らかになってくる。

表現者としては貴重な体験であった。
 ところが、村上春樹の「海辺のカフカ」には

猫語を話せる人物が登場してくる。

おなじ猫のなかでもきちんと話せるのもいれば

そうでないのもいて、その人物も相手をみて話すようになる。
 こういう現実と非現実の境を楽々と越える人物を

リアルに描けるのが村上春樹のすごいところであり、

彼の小説が世界中で読まれ、

ノーべル文学賞の候補といわれる理由でもあるのだろう。
 村上春樹が「風の歌を聴け」でデビューしたころ、小説を書き始めた。

新入賞を受賞したあと、編集者に、

これからどんな小説を書きたいか、と問われて、

村上春樹みたいなのを書きたい、と答えたら、

じぶんをよく知れ、と諭された。
 2回芥川賞候補になった村上春樹は結局受賞せず、

その後はもっと大きな文学賞を取り続けた。

5回目の候補で芥川賞を受賞したこの身は、

いまも猫語を話せる人物を描けないままでいる。


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