※最初に(前)と(中)を読んで下さい※
【撃吐】
project"ILL"の1度目のイベントが終わってから、長尺曲の「撃吐(げきはく)」の制作を始めた。
僕自身の過去の経験をそのまま歌詞や曲に起こした30分間の楽曲。
制作スタッフは以下。
作詞、作曲、歌、ブックレット内部デザイン:少年(しょーや)
ジャケットイラスト、ジャケットデザイン:つらくも七瀬
ボイスアクト:浅葉爽香、自縛ポエトリー/うい
ういちゃんと浅葉爽香(以降は「さやお」と表記)の2人には、全く同じセリフを渡した。
僕が過去に元カノから言われた言葉を2人に表現してもらった。
ただ、僕は三重県で生まれ育っているため、言われた言葉自体も三重訛りになっている。
なので2人には「普段自分がよく使う言葉に置き換えて表現して欲しい。内容が変わらなければ言い回しは好きに変えてくれて構わない」と伝えた。
2人に伝えたオーダーはただそれだけ。
出来上がった音源内では、二人共全く異なるキャラクターのボイスアクトに仕上がった。
2018年春にシングルCD「撃吐」をリリースし、その年の7月に購入者限定の無料イベントを鑪ら場で開催した。
それぞれ時期は違うけど、鑪ら場は偶然にも僕がういちゃん、さやお、つらくも七瀬ちゃんに初めて会った場所でもある。
1時間のトークセッションの後に、浅葉爽香→自縛ポエトリー/うい→少年(しょーや)の順にライブパフォーマンスを行った。
自分の出番が終わった直後、2人が僕に駆け寄ってきてお客さんの目の前でハグをしてくれた。
その日の夜、僕とさやおはういちゃんの家に泊めてもらった。
「この3人はバックボーンが似ているから気が合うんだろうね」ってういちゃんが言っていたのが印象深い。
「女2人が騙されてる感じの写真撮ろうよー」という謎の流れになり、僕が真ん中になって3人で写真を撮った。
ういちゃんと一緒に携帯で写真を撮るのは、これが最初で最後になってしまった。
【演劇版「撃吐」】
「撃吐」を演劇で表現してみたく、企画を立ち上げた。
2018年9月初め頃から声掛けをスタートさせた。
ういちゃんにも声を掛けた。
CDでボイスアクトとして演じてくれた元カノ役を引き受けてくれた。
そして、今年の3月頭から制作を始めたが、諸事情により、下旬頃にはういちゃんが辞退してしまった。
これは、根本的に僕の不甲斐なさが招いてしまったトラブルだった。
制作陣から抜けたいと言われた日に「ういちゃんが抜けたからといってどうこう思う事は無いし、これからも仲良くして下さい」と伝えた。
それと、「ういちゃんは僕のお守りのような存在です」とも伝えた。
「とても嬉しい」と言ってくれた。
「また電話で話したいね」とも言ってくれた。
その翌日、久しぶりに電話で話した。
3時間くらい、ずーっと雑談をした。
何か気がかりな事が起こると、いつもういちゃんは楽しいお喋りで笑わせてくれた。
お互いの時間が許す限り、いつもずっと話し相手になってくれた。
辞退してからも演劇版「撃吐」の事を気にかけてくれていた。
2019年4月5日。
演劇版「撃吐」の打ち合わせ(というかご飯会?)を名古屋で行った。
それが終わってから僕はういちゃんの部屋に泊めてもらう予定でいた。
3月末に僕が北海道に遊びに行ったお土産を渡したかった。
数年前に北海道に行った時も六花亭のバターキャラメルをあげてとても喜んでくれたから、「また買ってきたからあげるわー」って言ったらとても嬉しそうにしてくれていた。
打ち合わせが終わって、ういちゃんにLINEを入れた。
「今終わって名古屋駅向かって歩いてるところ」
「了解です。明日、倍音ざんまいの練習があって朝すごく早くにお見送りしなきゃいけないけど大丈夫?」
「朝何時くらいになる?」
「7時くらいかなぁ」
「そっか。さすがに悪いし今日はやめとくわー」
「申し訳ない」
「いえいえ。大丈夫!ありがとうね」
「ごめんね。」
「いえいえ、気にせず!いつもありがとうやで」
「ありがとう!」
これが、最後のやり取りになってしまった。
奇しくもういちゃんからの「ありがとう!」で締めくくられている。
4月6日。
この日の深夜にういちゃんは亡くなった。
この時点でまだ僕はその事を知らなかった。
4月7日。
Twitterで知り合い数名がツイートしている内容が気になっていた。
4月8日。
やはり知り合いのツイートがどうしても気になる。
「いいね」をしている人のツイートを見てみたりしているうちに、察しがついてしまった。
そんな訳ない。
ただの自分の勝手な思い過ごしだろう。
ういちゃんのTwitterアカウントを見てみた。
投稿も、ういちゃんが「いいね」を押したツイートも「4月5日」まででストップしている。
もしかしたら、project"ILL"の時のようにまた体調が崩れてしまって病院にいるのかもしれない。
だから携帯が触れなくてTwitter見れないんだな。
何度もそう言い聞かせた。
4月9日からの毎日は辛かった。
嫌な予感がするのに、何一つ具体的な事が分からなかった。
出来たことはただ「泣くこと」だけだった。
4月12日。
共通の知人との電話で事実が分かった。
察してしまった通りだった。
4月6日の深夜に、ういちゃんが亡くなった。
4月21日。
演劇版「撃吐」の制作進行を無期限で停止する事を発表した。
まだ復帰の目処は立っていませんが、遅かれ早かれ必ず完成させます。
もうしばらく待っていて下さい。
もし、泊まりに行かなくても玄関先でも会いに行けば……
大好きだって言ってくれていたバターキャラメルを渡すだけでも会いに行ってあげれば……
演劇版「撃吐」の事で迷惑さえ掛けなければ……
そもそも演劇版「撃吐」に誘わなければ……
ういちゃんは4月6日を生き延びれたのかもしれない。
何度もそうやって自分を責めた。
これを書いている今もまだ整理は付けられない。
せめてあと5分だけでも会いたい。
ちゃんと謝りたい。
ちゃんとお礼が言いたい。
それももう叶わない。
下らないお喋りに花を咲かせる事も、声を聞く事も、会う事も、何も出来なくなってしまった。
ある日突然、それらが全て奪われてしまった。
何度も死にたいと思った。
でも、それも出来なかった。
死んだらどうなるか分からない。
ちゃんとういちゃんに会えるかどうかすらも分からない。
僕は1度も死んだことがないから、何が起こるか、自分がどうなるか、全然分からない。
それが怖すぎて死ねなかった。
自分にできる事は「ういちゃんを忘れないでい続けること」しかなかった。
このブログを書くことも辛かった。
一文書こうとするだけで泣いてしまい、しばらくなんにも手がつけられなくなった。
それでも「自縛ポエトリー/うい」もとい、宇井千晴という1人の女の子がこんなにも優しくて強くてカッコよかったというのを残したかった。
千晴ごめんな。
何もしてあげられへんかった。
4年間、ありがとう。
仲良くしてくれて、ありがとう。
生きていてくれて、ありがとう。
「もういい」って言われるくらいいっぱい面白い話持って会いにいくからな。
今会いに行っても絶対千晴に怒られて追い返えされそうやから、もうしばらく待ってて。
たまにでいいから、会いに来てよ。
いつも会う時いたずらしてきたみたいに、ちょっかい掛けにおいで。
待っとるよ。
大好き。
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余談ですが、ういちゃんが「くがつじゅうさんにち」という詩を朗読する時に流していたエヴァンゲリオンの「komm, susser Tod〜甘き死よ、来たれ」という曲の歌詞の和訳です。