この時、わたしは人生で一番泣いたと思う。


(ちなみに二番は十八代目中村勘三郎が2012年に57才で亡くなった時だ。「お前は身内かっ!」と自分にツッコミを入れたいくらい大泣きをした)


そして、いつまでも涙が止まらないので、もうその歌を聴くのをやめた。


その後である。


長年頭に乗っかっていた重しのような物が、スッキリなくなっている事に気付いた。


自分は恵まれているなぁとは思ってはいたが、どんなに嬉しい事があっても、どんな楽しい事をしても、心底晴れ晴れした気持ちになれないと、ここ数年ずっと感じていた。


一人でいるのが好きだから、コロナのおこもり生活は全然苦にならなかったが、「起きてご飯作って食べて、片付けてお風呂入ったり洗濯したり買い物行ったりの繰り返し。後何年生きるんだろう。ああ、もうめんどくさいな」と、時々思うようになってもいた。


そんな負の感情がどこかに吹っ飛んで、やたら元気になったのだ。朝起きた時から機嫌がいいので、鼻歌を歌いながら早朝散歩に出かけた。


無くなりかけていた好奇心も復活し、新しい習い事を始め、某アーティストのファンクラブに入会した。ファンクラブに入るのなんて30年ぶりだった。


このすぐ後にラトケ嚢胞が発覚したのだ。おかげで落ち込む事なく病気を受け入れ、平常心で手術に臨めた。よかった。


わたしはこれを「中のヒト入れ替わり体験」と名付けて、友人知人に喋りまくったのだが、ある人から「セルフ前世療法ですね」と言われた。


前世療法か。


甦りかけた記憶は胸が潰れるほど悲しくて、あまり詳しく思い出したくないものだった。それでも少しだけ涙で癒されたのかな?


「朝から上機嫌」は有難い事にまだ持続出来ている。もう元には戻りたくない。


早朝散歩で発見