ダンス講師のフィギュアスケート鑑賞記 -11ページ目

ダンス講師のフィギュアスケート鑑賞記

フィギュアスケート五輪連覇の伝説の王者・羽生結弦選手を独自の視点で応援させていただくことを主な目的とするブログです。
フィギュアファン歴20年以上。

絶句であった。我が心は完膚なきまでに打ちのめされ、廃人状態が約1週間ほど続いた。

 

DOI 2021年版・FaOI 2019年版、これら2公演の演技の比較検証を織り交ぜながら、思うままに雑多に書き綴る。

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ演技は1つも無いし、2019年版も素晴らしかった。だが2019年と2021年の心境の変化や伝えたい事の変化が、素晴らしく可視化されているのである。

 

冒頭の佇まいが、まず違った。曲の開始と共に、得体の知れない洪水の中に引きずり込まれるのを私は感じた。

 

そして暗闇と静寂。ここは何処だ? 森なのか、湖の底なのか。羽生選手の心の中なのか?それとも自分が迷子になっているのか? そのような不思議な感覚に襲われた。

 

 

歌詞中の「淋しさも 悲しみも」から徐々に、チェロの演奏が静かに迫り来る。いや待ってくれ、2019年版では「淋しさも 悲しみも」の時点でチェロの音色は聴こえなかったと私は記憶している…。だが2021年版では違っていた。音源のわずかな違いによって、ここまで印象が異なるものだとは。その流れに続いて「彷徨うように」の直後、チェロ奏者は大きなビブラートをかけて哀愁漂う音色を響かせたのである! 時間が停止した。それは我が心を突き刺し、我が意識を失わせんとした。3Aが実行されたのは、まさにその瞬間であった。奇跡の芸術だ。2021年版は2019年版よりも、3Aが一層美しく見えるように前後の振付がブラッシュアップされていることにも注目していただきたい。

 

さらに「血の涙」での着氷の瞬間、壮大な音楽のアクセントが見事に一致している。3Aの直前に意識を失いかけた私に容赦せず畳み掛けてくる。

 

 

ニーチェは言った。

「怪物と戦う者は自分自身も怪物にならぬように心せよ。深淵を長らく覗き込む時、深淵もまたこちらを覗き込む。」

私は畏れ多くも『マスカレイド』の演技を通して、神・羽生結弦の孤高なる苦悩を見ようとした。それ故に、我が意識は暗き湖の深淵で溺死しそうになったと言うのか?

一方でニーチェは次のようにも述べている。

事実は存在しない。存在するのは解釈だけである。」

 

 

一連の流れはまだ私を逃してはくれなかった。2019年版と比較すると「銀色に」の部分も非常に魅力的にブラッシュアップされているのだ。キレが増していた。丹念に研ぎ澄まされた刃物のようだ。全ての種類の金メダルを持つ王者にとって、銀色は忌み嫌うものかもしれない。だが王者の誇りを昇華させたかのような見事な表現によって、羽生結弦には永遠に金色こそが最も相応しい事を再度証明してみせたのだ。羽生選手は言葉無しに、振付によって雄弁に語ったのである。「血の涙」から「銀色に」までの中間部分の動きが綺麗なアニメーションのよう。それは一流ダンサーの証である。陸上だろうと氷上だろうと、誰でも出来るものではない。また鋭利な強さだけでは無く、『マスカレイド』には美しき魂の祈りも共存していた。

 

 

 

 

続く