それは、人それぞれだと思うんだよねー。
例えば、俺と、俺の友達のA君と、B君。
その3人それぞれに、同じだけ悲しいことが起こったとする。
その時、3人とも、その悲しみへの対処法が違う。
例えば、A君は、悲しいときは「悲しい」と言う。
大声で泣く。
B君は、耐える。
悲しいことがあっても、表面に出さず、自分が悲しんでることを、人に悟らせない。
俺は、笑いに変える。
それをネタにして、人を笑わせて、たまに自分も笑って、すっきりさせる。
他にも、やけ食いするとか、大声で叫ぶとか、カラオケに行くとか、買い物するとか、サンドバッグぶんなぐるとか、色々あると思う。
そのどの方法も、良いとも、悪いとも言えないと思うんだ。
俺は、A君の素直さを羨ましいと思うし、B君の強さに憧れる。
でも、見る人から見れば、
「んな事ぐらいで泣いてんんじゃねぇよ。」
とか、
「かっこつけてんの?」
とか、
「そんなに自分の不幸を嘆いて楽しいか?」
とか、思う人もいると思うんだ。
そういう人は、それらの行動の、表面しか見てないと思う。
そういう人には、A君の
「泣かなきゃ耐えられない。」
って気持ちも分からないだろうし、B君の、
「外に出しても、どうにもなんねぇだろ。」
って気持ちも分からないだろうし、俺の、
「笑いに変えねぇと、やってらんねぇよ。」
って気持ちも、分かるわけがないよね。
だから、他人の悲しみへの対処方について、
「それは、ダメだよ。」
ってな事は、言っちゃダメだと思うんだ。
だって、それしか出来ないんだからさ。
俺は、その対処法を
「これが一番いいから。」
と思ってやってる人なんて、いないと思うんだよねー。
みんな、それしか知らないから、それをやってるだけだと思うんだ。
だって、「いい方法」があるんなら、みんなそれをやるでしょう。
「それは、ダメだよ。」
っていう人に対して、
「じゃあどうすればいいんだ?」
って返したら、きっと、そいつは、困ると思うよ。
どんな方法でもさ、悲しみとちゃんと向き合ってるんだから、立派だよ。
長くなってしまいました。
読んでくれてありがとうございます。