小さな街で起こった殺人事件。 | 心笑亭 杉のの笑いの空間

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只今ブログ改変中です。しばらくこのままでお許し下さい。

皆様こんにちは。

杉の家のリビングにも、

ついにコタツが現れ、誰よりも歓喜している、

愚痴聞きカウンセラー作家の、心笑亭 杉のです。




とゆーか。



昨日、うちの市でなんと殺人事件が起こり。

そんな事件滅多に起こらない我が街では、ちょっとした大騒ぎになっていて。

その事件現場のすぐ近くでたまたま業者と打合せしていた、杉の弟なんか、

テレビカメラの前を横切った!と、顔を真っ赤にして興奮しながらうちにやってきていた。


といっても、

その被害者も、犯人も、県外から働きに来ておられていた方らしいので、

名前を見てもさっぱり知らない人で、胸をなでおろしているところ。


ま、知らない人だからいいっつうワケではないし、

被害者の方のご冥福は、お祈りしてやまないけれども。


だけど、そんなテレビドラマの中でしか見たことのない事件が身近で起こっても、

人間って、なかなかそれを現実として受け取れない部分あるよね。


だけど、

杉の、実は、これまで二人の知人が殺人犯として逮捕されているのだ。


二人共、杉のがやっていた居酒屋のお客さんで、

一人は小学校からの幼馴染。

もうひとりは、居酒屋の常連さんでもあり、とてもお世話になっていた方の息子さん。

その息子さんも、何度も店に来てくれていたのだ。


しかもね、二人共、その犯行から逮捕までかなり時間を要していたわけで、

その間、杉の、何度も顔を合わせていた、ということを、後で、知ったわけだけど。


そう。

二人共、犯行から逮捕までの間、何度もうちの店に来ていたのだ。

普通にいいお客さんだった。

杉のと、何度も笑顔で会話してたんだよね。


その逮捕を知った時、

人って、たとえ殺人を起こしても、普通にいられるんだと、

正直、そう思ったことを覚えている。


そのときは、それが杉の、すごく悲しくって。

それは腹立ちとか、裏切りだとか、そういうんではなくて、

ただ、ただ悲しかったのを覚えている。


だってさ、

二人共、昨日の日本刀を使った事件のように、わざわざ殺人をしようと犯行に及んだ、普段から極悪人と呼ばれる「殺人しそうな人」ではないわけで。

もし、普段から、「人を殺しそうな人」であるならば、

「そんな人であるから、普通にいられる」と思ったと思うけれど、

この二人は、決して、そんなことしそうな人には見えなかったから。

つっても、昨日の事件の犯人も、実はそんな普通の人なのかもしれない。


確かに幼馴染の方は、昔からやんちゃものだったけれど、

今は、悪い道から足も洗って、奥さんも子供もいて、仕事もがんばっていたんだよね。


もうひとりの子だって、お父さんに似て正義感があって、妹思いで、仕事をバリバリと頑張るいい青年だった。


そんな普通の人たちが、ある日、殺人犯になってしまうんだよね。

しかも、

誰だって、そんな事件に関わるかも知れないというような、普通の日常の中で。


詳しい事件の詳細はここには書かないけれど、

ひとりは、誰もが起こしかねない交通事故

もちろん、ひき逃げしてしまったというところは弁解の余地はないけれど、

この事件は少し有り得ない事件で、

『そのはねられた子の両親も悪い』という声も当時たくさん上がっていた。


もうひとりのほうだって、毎日そこらへんで起こっている喧嘩が原因。いわゆる傷害致死

この人の場合は、逃げていたのではなく、被害者がしばらく意識不明だったことで、立件がされていなかったことから、逮捕されずにいたということ。



だからって、

その間、普通にいられるわけ?

笑ってられるの?

人間って、そんなに冷酷なん?

って、杉の、ひたすら悲しかったんだよね。


まあ、そのへんについては今もよくわからないけれど。

実際、自分がそうなってみないとわからないのだろうけど。


ただ、今思うのは、


杉のが知らないだけで、

普通にいられたわけじゃないっかもしれないってことだよね。

毎晩、眠れない夜を送っていたかもしれないんだよね。


他人からはわからなかったけれど、

一人でその苦しみを隠し通すことって、

とっても大変なことだっただろうね。


何も知らない人たちの前で普通にいることが、

もしかしたら、

とんでもなく辛いことだったかもしれないよね。


それは、当の本人にしかわからなくて。

杉のがそれについてとやかく思い悩んだり、

否定することではないということだけは、今はわかる。


罪を憎んで人を憎まず。


被害者の家族の方からしてみれば、こういう言い方はとても癪に障るのかもしれないし、また違う心のあり方があると思うけれど、

第三者は、

そういう思いで見つめることが一番好ましい。

そして、たぶんそれが正解なんだろうな、と思ったり。



だけど、こう思うとさ、

今、「殺人なんて絶対に有り得ない…」って思っている自分だって、

いつ、どんなことがあって、殺人犯になってしまうかなんて、わかったもんじゃないよね。


家族や子供だって、いつ、そんなことに巻き込まれるかもわかったもんじゃない。



先日も、息子が、駐車場の塀に車をぶつけて帰ってきて。

「あの時は無の心やったな・・・」

と、しみじみ、事故の原因を「悟りの時間中やった」と、言い訳する息子を大爆笑で眺めていたけれど。


「あ~人をはねなくてよかったんや」


と、その時、その時、ラッキーだと思える自分でいたいと思った。


一見、ツイテなくても、

たとえ、不幸な出来事でも。

泣いて、悔やんで、苦しんでも。



結果、



「それでよかったんや!ありがたいな!」



って、最後に感謝できる自分がいたら、

きっと、

最悪な事態も、小さなラッキーで埋め尽くされる・・・



そんな、超スペシャルな自分で居続けることが出来るのかもしれないね。



そんなことをひとり思う週末。



今日はやけに日差しが強い。(意味はない)





それではまた。