皆様こんにちは。
今年は、完全に24時間テレビを堪能できずにいる、
愚痴聞きカウンセラー作家の、心笑亭 杉のです。
リーダー、マラソン頑張っとるのかな?
さて、
先ほど、今日の予定を終えて、「さ、ブログでも書こうか」とアメブロにログインすると、
大好きな、尾木ママのブログがアップされていて。
杉の、尾木ママが大好きで。
つうか、尾木ママが「子育て」に関して述べていることは、
正直、時々「??」と共感できない時もあるのだけど、
尾木ママの、「子供の幸せフェチ度」はハンパない。
それらは、杉のの何百倍の知識と、経験から生まれているのだ。
尊敬しないではいられない。
なのに、たまに反抗する杉の。
つっても、
これは、杉のの場合、誰だってそうで、
この偏屈、屁理屈、ヘタレの杉のにかかったら、
あの心屋さんのいうことにしても、
「なぬぬ?」
と、素直に受け止めない節があるほどだ。
それほど、自分本位な女である。
だから、今日も、
その大好きな尾木ママの言うことにも、こうして、異論を唱えようとする始末。
ほんと、反省を知らない女。
まあね、尾木ママに限らず、
誰だって、
「子供を怒鳴ってはいけない」
「手を上げるなんて、虐待と同じ」
という。
これは確かに正しいけれど、
そんな極論は言っちゃおしまいよ。
と、杉のは思うわけで。
それを、尾木ママのような偉い人が言い続けることで、
「子供を怒鳴る親は、いけない」
「手をあげる親や、先生はおかしい」
という「正論」だけが一人歩きして、
結局、
「怒鳴る」=親、教師失格
「体罰」=親、教師失格
と、ジャッジされることになる。
そうなると、
「愛はあるのに、つい怒鳴ってしまう親」
「愛しているからこそ、手を挙げてしまった親」
たちが、自分を責めるしかなくなるのだ。
そして、こんなふうに、
尾木ママたちがおっしゃることは間違っている、と、誰かが言えば、
じゃあ、愛があれば、怒鳴っていいの?
殴ることが愛情だと、子供に伝えていいの?
そんなもん、恐怖心しか生まれないでしょ?
と、反論が起きる。
怒鳴る・怒鳴らない
これは、「子供への愛情のバロメーターでも何でもない」
殴る、殴らない
そんなもん、どっちゃでもいい。
親って、そこまで完璧じゃないといけないのかな?
「怒鳴らなくても、言って聞かせることはできる」
親なら、誰でもそんな話術を持っていないといけないのかな?
人間なんて、元々そんなに完璧にできていない。
しかも、
親になって数年の人間が、
自分の思いをうまく子供に伝えられなくて、
自分の心をコントロールできなくて、
つい、手を出してしまった、
つい、怒鳴ってしまった、
そんなこと、日常的にあっておかしくない。
親だって、
機嫌の悪い日もあれば、
悲しくて仕方ない日もあって。
お母さんだって、
友達とうまくいかなくて、
イライラしてしうま日もあって。
それなのに、
それが普通なのに、
なにも子供の前だからといって、
人間としてまだまだ未熟な自分を、
隠そうとすることない。
そんな自分を無理することはない。
つうより、
むしろ、
そんな姿を丸出しにして、
いけないオカンの姿全面に押し出して、
時には凹み、
時にはおもくそ反省し、
時には、子供に謝ればいい。
ごめんね、って、涙を流す自分を、
子供にぎゅっと抱きしめてもらえばいい。
そうやって、
不器用でも、
精一杯、子供を育てようとすることで、
自分も、
親として少しずつ成長していけるのだと思うけど。
子供って、
そういう親の姿を見て、
それでも、
笑っていようとするお母さんを見て、
少しずつ、
大きくなって行くんじゃないかな。
そして、
そんなふうに育てられた子供こそ、
社会に出て、
いろんなことを経験することになっても、
臨機応変に生きていける強さを持っていることもある。
いっても、
どんなに親が立派でも、
社会に出れば、大人の世界にもいじめなんて山ほどあるからね。
どうしようもない、大人は一杯いるからね。
そんな中で、生きていくには、
子供の頃からの、いろんな経験が大切になる。
うちの子たちもそうだけど、
杉のが知るだけでも、
小さい時から、親からしょっちゅう殴られ、怒鳴られて育った子は大勢いる。
この子達は、今、
「理不尽なことですぐ怒鳴る教師・上司」
「なんてことない」、と、へとも思わない強靭な心を持っている。
それにね、
たとえ、つい殴ってしまった教師がいても、
「親に殴られる痛み」
「子供を殴る親の痛み」
を知っている子供は、
決して、
「体罰教師!!!」
なんて、舐めたことは言わない。
つうか、
「殴られないなら、なんでもしてやれ」
なんて考える子供にはならない。
かと言って、
「怒鳴られたことのない子供」だって、
「殴られたことのない子供」だって、
大切なことはちゃんと知っている子は山ほどいるさ。
結局は、
子供達と一緒に過ごす毎日の中で、
「そこに愛はあるのか?」
と聞かれた時に、
堂々と、
「ある!!」
と答えられて、
そして、
自分も、子供たちも、
いつも一緒に向き合って笑っていられるのなら、
そんなもん、どっちゃでもいいのだ。
本当の虐待とは、ここが違うことをちゃんと知ってほしい。
自分の威厳を知らせるために、子供の指を包丁で切った父親。
過去に子供を死に至らせても、
何度も体罰を繰り返した母親。
そこに愛なんてない。
子供たちは笑ってなんかいない。
ね、
そこで頭をかいている、今、子供を怒鳴ったばっかのヘタレオカン。
そこの、つい手を出してしまうヘタオカン。
そして、
今まで、そんなヘタレオカンを白い目で見てきた、
自分たちだけが「正しい親」だと思ってきたあなた。
多少、怒鳴ったって、
多少、殴ったって、
怒鳴らないことを徹底しても、
殴らないことを一番だとしても、
どちらを否定することなく、
「どっちにも愛はあるよ」
と、子供たちに教えることさえ、怠らなければいいのだ。
今、
それらを、「イケナイコト」とし、
自分を責めて、責めて、苦しむヘタレオカンは大勢いる。
「そんな親は最低」
そんな風に、周りの目が厳しくなってく世の中が、
「子供を殴ってでしか、ストレスを解消できない親」
「子育てを楽しめず、他に楽しみを見出そうとする親」
を生み出している。
私たち先輩は、
もっとおおらかな心で、
今、子育て真っ最中の、ヘタレオカンたちを、包んで上げて欲しいと思う。