昭和41年春。
ごくごく普通の家庭に、それはそれはおっそろしく不細工な赤子がこの世に性を受けた。
その赤子――
顔は恐ろしく痩せこけ、顔の真ん中に必要以上に存在をアピールしている巨大な鼻。
眼光だけは鋭く、まるで獲物の見つけた猛獣のような瞳。
その容姿にして、なお、生まれ落ちるやいなや哺乳瓶に食らいつき、ミルクを300ccも一気に飲み干したという、その助産院の伝説を作り上げた赤子。
それが、心笑亭 杉の。
現在47才。
普通のサラリーマンである父と、専業主婦である母のもとに生まれ、生まれてすぐにその醜態。
しかも、二歳上の姉がいたことから、「また女か」と、両親だけでなく親戚一同にまで残念がられた上での、その容姿。
――こんな子、育てる自信がない。
と、母は、出産後、この赤子の杉のを見て泣き崩れたという。
まったくもって、残念すぎる、心笑亭 杉のの誕生である。
しかし、このように悲惨な誕生逸話を抱えるも杉のは、生後一ヶ月にして、驚くべき進化をもたらすのである。
その結果、あれほど、「育てる自信がない」と、号泣しまくりやがった母は、その一ヶ月後、毎日のように杉のを連れ回すという奇怪な行動を起こし始める。一ヶ月検診で訪れた保険所にも、「もう来なくていいですよ」と言われても、毎週通い続けたという。
その理由。
誰もが褒めてくれるから。
なんと、この杉の。
あれほど悲惨な容姿で生まれたものの、一ヶ月後にはほっぺはふっくら、桜のようにほんのりとピンク色。体はぷくぷくとはち切れんばかり。
それはそれは、玉のように愛くるしい赤ん坊に進化していたのである。
聞くところによると姉の時は、いつも保健所では「栄養が足りませんよ」と叱られ続け、無理やり乳を飲ませようとどれだけ頑張っても、なかなか飲んでくれなかったらしい。その上、すぐにお腹を空かせて泣いてばかりで、母は、相当心が折れていたらしいのだ。
その姉と比べてみれば、この赤子の杉の。
いつも、乳を美味そうにガブガブと飲み干し、腹が張ったら満足げに寝る。お腹がすいたら泣き、そしてまた乳を飲み干しては寝るを繰り返す、超、お手軽赤ちゃん。
そのうえ、保険所では、「順調に育ってますよ」「申し分ありません」なんて完璧優良児。近所の人からも、「なんて可愛い赤ちゃん」と、散々褒められまくる杉のを、母は、誰かに見せたくて見せたくて仕方がなかったらしいのだ。
杉の、生後一ヶ月目にしてやっと掴み取ったチヤホヤ人生。
それにしても調子のいい母。
その母をあざ笑うかのように、誕生からわずか一ヶ月で、待ち受けていたはずの悲惨な毎日を、自らの力で輝かしいものに変えてみせた杉のもなかなかなものである。
今思えば、杉のの人生は、生まれた時から順風満帆ではないことを知らされていたように思う。
人生簡単にはいかないよ!と言わんばかりの出来事が、幼い杉のの人生に幾度となく訪れるわけである。
誰からもチヤホヤとされていた杉のの毎日は、わずか一年余りで終了。
なんと、両親に、待望の男の子が生まれるのだ。杉のの年子の弟。
コイツは生まれつき、男のくせに可愛らしい容姿を持ち合わせ、生まれた時からくるくる巻き毛にぱっちりお目目。まるでペコちゃんみたいに可愛らしい赤ちゃん。
それに比べてあの容姿で誕生し、まったくのハゲちゃびんだった杉のとは雲底の差である。
もう、そうとなりゃ両親、親戚、近所の目は一斉に可愛い弟に注がれる。
あんなに注がれていた杉のへの注目度、ほぼゼロ。
それを裏付けるように、その頃、杉のはある事件を起こす。
その名は、
杉の、ぼっとん便所、墜落事件。
それは、もうすぐ二歳になるというある日のこと。杉のは、あのぼっとん便所、いわゆる当時のほとんどの家庭がそうであった汲み取り式便所に頭から墜落するのだ。
母を探して。
いつも生まれたばかりの弟に気を取られている母。そりゃ仕方ないといえば仕方ない話ではあるが、まだ二歳の杉のにとっては、母の姿が見えないことは一大事である。
その日も、そんな母を探そうと、ヨチヨチ歩きの杉のは、なぜか預けられていた祖母の家を一人で歩き回ったらしいのだ。「ママ!ママ!」と叫びながら。
そして、母がいないかと、ぼっとん便所を覗き込み、頭からぼっとん。
ホント、ギャグ漫画でさえ描くことを躊躇するほどの、吉本新喜劇並みのコテコテ具合である。
「ママ!ママ!」と叫び声が響く誰もいない便所。
誰にも気づかれないまま、一人、便器の中で泣き叫ぶ、二歳にも満たない杉の。
数分後、奇跡的にも杉のは、その鳴き声を聞いた祖母に無傷で助けられた。
正直、その時の記憶は当たり前にはっきりとはないけれど、ちょうど汲み取りがきた直後で、ほぼなんにも排泄物がなかったらしいその暗闇の中で、一人ちょこんと座り、ずっと光が射す便器の穴を見上げて泣いていた記憶だけはおぼろげに残っているのだ。
その見つめていた頭上の光だけが、今でも目に焼きついている。
45年以上経った今でも、はっきりと覚えている。
おそらく、杉のの一番遠い記憶。
もしかすると、杉のの人生は、その暗闇から抜け出すためだけの人生だったのかもしれない。
と、少し読者様をしんみりさせようとそんなフレーズ使ってみたけれど、「つうか、それが便所じゃなけりゃ言うことねえけどな!ったく使えねえ」と、本人がツッコミ入れている時点で、「しんみり効果なし」。
つってもその事件は、たまたま汲み取り直後の事件であったために一命は取り留めたものの、もし、ウンチやら何やらと溜まりに溜まった状態であったなら、この杉の、間違いなくウンチにまみれて窒息死。あるいは、ウンチに溺れた挙句の溺死。
そうであれば、あの悲惨な出生エピソードに、その結末。
笑うに笑えない杉のの人生だったというわけだ。
しかしながら、この杉の。
運(この場合はウンが正解だろうか)があるのかないのか。
笑えないはずだったその結末も、運(ウン)がなかったことで、その後、誰よりも増して、笑いを求める人生になったと言って過言ではない。
こうして、本当なら、寂しさから起こったちょっぴり泣けるはずのぼっとん便所墜落事件も、今となってみれば、
「小児科の先生に『こんなに臭い患者は初めてや!』って怒鳴られたのも、あれが最初で最後や」
そう大爆笑かます母にとっては、そして杉のにとっても、なんてことない、日常の子育て珍事で終わっている。
残り香も無く。
たぶん……、杉の、もう臭くないと思う。
てなことで、それでは皆様お待ちかねの、杉の画像。
磨いて磨き上げた挙句、
こんなことになってしまいました。
目、探してね。
どっかにあるよ。
っていうか、自分、やっぱ…
に似てた……。

