「発信する!尚禮舘空手を沖縄から」
師 渡口政吉先生の沖縄本来の文化としての「尚禮舘空手」を約束の地「沖縄」に還す為に道場を設立し発信する活動しています。
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皆さんこんにちは
今日は渡口先生と東恩納氏との関係について書いていこうと思います。
東京での出会い
1960年10月。
上京した剛柔流渡口政吉先生(43)が代々木にある道場開設の為、指導を依頼されます。
この道場は大盛況で次第に生徒が増え始める中で沖縄から上京した剛柔流の拓殖大学生に手伝いを頼みます。
その学生は後に剛柔流の世界的指導者になり、沖縄県無形文化財認定者となりました。
それが東恩納盛男氏(21)です。
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【歴史背景】
渡口館長は1960年10月に代々木の道場主の依頼を受けて東京に移住します。(4月に東京入り)
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その頃、彼は21才の若者。当時43歳の渡口先生から尚禮舘の分解組手を習ったのでしょうか?
彼の指導方法にはその名残が見受けられる様に思います。
動画では私達は分解組手と呼びますが「連続分解」の撃砕第一を披露しています。
(出典: IOGKFのFacebookより)
(東京尚礼舘の分解組手)
当時渡口先生(43)は宮城先生の弟子。
東恩納氏(21)は孫弟子。
年齢も親子ぐらいの差があります。
渡口先生の在籍していた2年間で同じ代々木の道場で様々な交流を重ねていった事を想像します。
渡口先生はこの2年間で6〜7人の尚禮舘の弟子を育成し法政大学や各地の露天道場で剛柔流を普及を始めます。