コロナ禍のもと社会のあり方が問われている。命と健康を守るとりくみ、その先にこそ未来がある。 | 庄本けんじのノートブック

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 コロナウイルス禍のもとで、国際社会のあり方、資本主義のありようにたいして、現状への批判と疑問が沸き起こり、転換の必要性が強調される。

 

 新型コロナウイルスの感染拡大の中で、資本主義の先進国と言われる国々で起きていることを見ていると、現状への疑問と転換の必要性が語られるのは当然と、うなずける。

 

 たとえば、米国では、国民皆保険制度がないため、十分な医療が受けられない貧困層に多数の死者を出している。イタリアでは、人工千人あたりの病床数を半減させるなど、緊縮財政政策による公的医療の弱体化が医療崩壊を招いていると批判されている。日本でも同じことが行われ、たとえば、保健所は現在、全国472カ所となっているが、1995年当時とくらべて半減し、職員数も激減している。病院を減らし、医療体制も脆弱している。いま進行している悲劇の数々が、公的医療の削減が何をもたらすかということを証明して見せている。

 

 これらのいずれの国も、医療体制を充実させ、危機に対応する備えを整備する力を十分すぎるほどに蓄えているはずである。ところが、新自由主義や市場原理主義の前では、危機の備えはムダと認識される。利潤第一主義に振り回される国のありようが問われるゆえんである。

 

 いま、どこの国でも、コロナ対策に対する多額の財政支出が求められる。日本のそれは、あまりにも貧弱で、補償なき自粛要請に固執しているため、国際社会の批判を受けている。日本政府の政策の緊急転換が求められるが、それにしても必要な財政支出は決して少なくない。そこで問題となるのが、税の集め方と使い方である。コロナ後に、国民に負担増を押し付けるこれまでのやり方では、打撃を受けた経済を回復することはとてもできない。大企業や富裕層を優遇する税制ではなく、応能負担の税制への改革が絶対必要となる。コロナで利益を増大させた巨大企業もあるという。そこに税負担を求めるのは当然であろう。そして、多国籍企業の税逃れも許さない課税制度も必要となる。

 

 また、財源といえば、巨額に膨れ上がった軍事費にメスをいれることも、国際社会の強い要請となっている。日本では、毎年5兆円を超える予算をつけ、年々、兵器の爆買が膨張している。ストックホルム国際平和研究所によると、世界の軍事費は、2019年、日本円にして約205兆円にもなっている。国際社会が一致団結して当たるべきコロナ危機、対立と分断を広げる軍事政策は、もう時代に合わないと言わなければならない。

 

 国際社会が一致して立ち向かうべき重要課題は、ウイルス対応だけでなく、ほかにもたくさんある。貧困と格差を解消すること、自然環境を回復し、保全すること、ジェンダー平等を実現することなど、国際社会が一致して取り組むべき重要課題が目の前にある。軍事対立は、文字通り“百害あって一利なし”である。

 

 コロナ危機の中で、社会のあり方の変革の方向が見え始めているように感じる。新自由主義や市場原理主義のレールを爆走するのではなく、資本主義が必然的に生み出す害悪から人々を守る、ルールある経済社会を確立する。日本の変革の方向も、国際連帯としても、そういう方向へ向かうことが必然となっているのではないだろうか。

 

 資本主義は、人類終局の経済システムではない。資本主義の根本矛盾を乗り越えて、新しい経済システムへ進むときは必ずやってくる。しかし、そこへの道のりは、直面する課題を解決しようとするすべての人々の一致した取り組みを通じて、一歩、また一歩と、段階的に進んでゆくものであるはずである。ある段階での次の変革をめざすとりくみは、変革を準備し、あわせて、次へ進んだ段階を担う力をも準備する。その過程の一つ一つが、資本主義を乗り越えた、人類の新しい歴史を開く変革へとつながっていく。

 

 これが、科学的社会主義の理論を打ち立て、人間のとりくみ実践を呼びかけた、マルクスの理論と運動である。そのマルクスを、現代に蘇らせ、まっすぐに引き継ぐ、理論と運動が、この日本に生き生きと存在しているのである。

 

 いまは、新型コロナウイルスから国民の命と健康を守り抜く、そのために力を合わせ、連帯を強め、すべての人の切実な願いを実現するために全力をつくす。これにつきる。その先にこそ、未来がある。