明日6月号発売を前に、遅れましたが5月号報告。
穆に遭遇うて兩兩、晁に遇いて激激、楊に逢いて焔焔。
歳流れて、身に在るは、海潮の調、一觴の酒、鉄上の音。
青江黄塵赤海を奔りて、遮る者はなけれど、
復び立ちて、いま朋らの元へ急ぐ。
李俊がついに逝ってしまった。
場所は十三湊、側にいたのは王清だった。
今は王清が十三湊を仕切っているようだ。
108星中の生存者は、史進・顧大嫂・項充、そして病身の李立だけになる。
砂嘴の突端にある小屋で暮らし、砂嘴で遊ぶ子供たちを眺める暮らしで、
張朔が来ても、出撃させろとすら言わなくなっていた。
潟の筏で遊んでいた女の子が落とした木偶を取ろうと、
飛び込んだ少年が潟のなかの流れで外海に引っ張られたのをみて、
李俊は海に飛び込んだのだ。
岳飛・秦容の南宋進攻は本格化、
岳飛は程雲と直接の手合せ。
岳飛率いる動く3千五百と、各地の岳家軍が合流して都市を解放する戦略。
戦場になると轟交賈が止まることを恐れる秦檜の思惑、
埋伏好みの程雲の性格が重なり
対峙戦にはならない。
秦容は四川から揚子江に沿って東に進軍、
点を制する岳飛に対して、秦容は線で制することを目指す。
梁山泊の対金戦争をにらみながらの動きだ。
白帝城や夷陵といった三国志でおなじみの地名が登場する。
その他、
張朔、日本列島周回航路を実現しようと、
親潮にのって太平洋岸を南下、
九州沖の島伝い航路に出る補給基地として、
瓢の形をしていて、東西に二つの山がある島に目をつけるが、
島の形から伊豆諸島の八丈島だろう。
そこで、京を追われて来たとする漢語を解する日本人と出会う。
保元の乱で伊豆大島に流された源為朝は、八丈島で死んだという伝説もあるようだが、
時期的にちょっと無理か。
保元の乱は1156年、為朝は清盛と戦うのだ。
その後、張朔は炳成世=清盛とも遭遇している。
二人旅の韓順・蕭周材、梁山泊を訪れる。
秦檜、岳飛と秦容が南宋領内にいるうちに、
雲南からの許礼と、夏悦水軍で南を制圧を考える。
病いを得たらしく、やや焦り気味。
秦檜の病死は1155年のことだ。
年号 まだ1151年
(季節の記述が見当たらない、「半月で巫山に達した」という秦容の言葉から今月号の時の経過はわずかと思われる)
初登場 趙光(景徳鎮の南宋守備指揮官で岳家軍に参加)
鄒明(秦容軍で魏庸とともに4千を指揮)
鄭建(巴蜀の岳家軍将校、2月号で名前だけ登場)
死者 李俊
5月号で第14巻分終わり、
史進・顧大嫂・項充の最後を描き、
岳飛のなんらかの死で『岳飛伝』は予告どおり15巻で終了、
「大水滸」の新伝に変わる可能性も強くなってきた。