「5月25日」「湊川の合戦」やり切るチカラは必要です | アリガトウ!開運369日ノ國史

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やり切るチカラは必要です

 

みなさん、おはようございます

額に汗していますか

5月もそろそろ終盤です

今やっていることを

やり切りましょう

アリガトウ「5月25日」の國史です

 

「湊川の合戦」

建武3年・延元元年(1336年)

 

摂津国、湊川で

足利尊氏の軍、約50万人に対し

新田義貞、楠木正成の朝廷軍、約5万人

 

劣勢になっても後醍醐天皇へ忠義を尽くした楠木正成の最期の戦いです

 

背景には、後醍醐天皇と公家の正成を軽視する姿勢がありました

武家を冷遇し、朝令暮改を繰り返す後醍醐天皇と一線を画した尊氏

 

朝廷軍から尊氏への合流者が続出することに正成は危惧し

尊氏との和睦を進言するも却下され、返って不審を買います

 

また、兵力の差から、一旦、比叡山に避難し挟み撃ちをして兵糧攻めにする案も

公家のメンツから反発され却下となります

 

結果、最悪の正面突破となり

絶望的な状況の中で湊川の合戦になります

 

正成は息子・正行(まさつら)と

桜井(大阪府島本町)で別れます

 

「息子よ、父は帝のために死にに行く

お前は生き延びよ」

桜井の別れです

 

正成は弟・正季(まさすえ)と果敢に戦います

「七生報国」

何度生まれ変わっても国の恩に報いる

と2人は自刃します

 

神戸市にある湊川神社には

御殉節地として祀られています

 

室町幕府は

伊勢の神宮の式年遷宮をしませんでした

武家政権でしなかったのは

室町幕府だけです

 

最後までお読みいただきありがとうございました

今日は天神様の縁日です

いくつになっても勉強です

知って死ぬか

知らずに死ぬか

今日も元気にハタラク(傍楽)

行ってらっしゃい!

 

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