「2月3日」「大岡越前守」節分の豆まきは福は内を一回多く | アリガトウ!開運369日ノ國史

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 「大岡越前守」節分の豆まきは福は内を一回多く

 

みなさん、おはようございます

今日は節分です

 

豆まきは

鬼門の方位方から

鬼は外より福は内を1回多く言う

 

土用も明けますので

畑仕事もいいですね

 

アリガトウ「2月3日」の國史です

 

「大岡越前守、江戸町奉行になる」

享保2年(1717年)

 

大岡忠相(ただすけ)は江戸町奉行の南町奉行となり

越前守と名乗ります

 

これは中町奉行の坪内定艦が同じ能登守を

名乗っていたためです

 

1712年、忠相は

遠国奉行の山田奉行に就きます

同年、従五位下能登守となります

 

山田奉行は伊勢奉行と称され

伊勢神宮の守護、造営を司ります

 

幕府領と紀州藩領との境界争いが

たびたび起こります

 

代々の山田奉行は幕府御三家の紀州藩を恐れ

明確な判定を避けます

 

しかし、忠相は権威に屈することなく

公正に判断し

境界を紀州藩領内に引かせます

 

紀州藩主は忠相を立派な人と思いました

後の八代将軍、吉宗です

 

忠相は

吉宗の享保の改革を支えます

 

防火体制の強化としては

いろは四七組をつくりました

 

そして「2月3日」の惨劇、悲しい事件

「通化事件」

終戦の翌年

国家が機能を失い

関東軍からも見放された

極寒の満州の通化で

 

約3千人の日本人が

中国共産党軍、朝鮮人民義勇軍に

虐殺されました

教科書から伏せられています

 

最後までお読みいただきありがとうございました

ともに日本を学びましょう

 

いよいよ明日は立春

新しい春です

今日も元気にハタラク(傍楽)

行ってらっしゃい

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