「1月20日その2」「木曾義仲」源氏初の征夷大将軍は自己犠牲の武将 | アリガトウ!開運369日ノ國史

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「木曾義仲」源氏初の征夷大将軍は自己犠牲の武将

 

 

 

みなさん、おはようございます

今日は初大師、年初の空海のご縁日です

空海はやはり偉大ですね

 

さあ、今日「1月20日その2」の國史を学びましょう

 

「木曾義仲(源義仲)、没」

寿永3年(1184年)

 

源義仲は、2歳の時

父の源義賢(よしかた)が源義朝に討たれ

信濃国に逃げ落ち、木曾山で育ったため

「木曾」を用います

 

1180年、以仁王の令旨により平家を討つため挙兵

1183年、俱利伽羅峠で平家を討ち

京都・平安京に入ります

 

1183年8月、後白河法皇の第4皇子

後鳥羽天皇が即位

 

義仲は以仁王が京都を平家から守ってくれたため

以仁王の遺児である北陸宮こそが次期天皇であるべきとしましたが

受け入れられませんでした

 

義仲と後白河法皇は不仲になり

一方で、後白河法皇は源頼朝を重宝し始めます

 

法住寺合戦で義仲は実権をにぎり

1184年1月、源氏初の征夷大将軍に任命されます

 

しかし、宇治川の戦いで源範頼・義経軍に敗れ戦死

31歳と短命でした

 

この時、共に戦ってきた女武将・巴御前を逃がし

命を助けました

 

また、近江の義仲寺には

義仲の墓の隣に松尾芭蕉の墓があります

芭蕉の遺言によるものです

 

俱利伽羅峠には芭蕉の句の

石碑があります

 

「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」

 

芭蕉は義仲を尊敬していたのです

 

最後までお読みいただきありがとうございました

今日は「南無大師遍照金剛」を唱えるのがいいですね

 

さあ今日も元気にハタラク(端楽)

行ってらっしゃい!

 

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さあ、ともに学びましょう!

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