川内當當 | 松風園文庫 「高須藩への招待」

松風園文庫 「高須藩への招待」

岐阜県海津市にかつて藩庁が置かれた尾張藩の支藩である高須藩について紹介するブログです。また、所蔵品も載せていきます。 
 

高須藩藩校日新堂教授を務める。

諱は泰、字は交通、雅号は當當、隠居号は自適といった。通称は、始め長治のち甚左衞門と改めた。宝暦十三年三月十五日に高須藩で御先手物頭を勤めた川合忠兵衛の子として生まれる。

安永八年六月十五日に父の隠居に伴い十六歳で家督を継ぎ、馬廻に召出された。禄高は五拾俵。のち小性並、御馬廻与頭を歴任する。

當當は、尾張藩の藩校である明倫堂の督学細井平州に学びまた、江戸において本多利明に受量天海運之術及び諸豊饒の方法を学んでいる。




墓碑銘

  吾外祖父、名泰、字交通、川内氏、当々其号、四世仕於藩、翁自幼好学、家伝書法、職在武弁兼好文事、因晩摂文官、蓋其宿志、後年老半身不仁、致仕養余年、与其師友、尾張督学紀平州及儒官秦滄浪二先生、最相親善、而如滄浪先生、四十余年鴻魚往来、如織、知而無不教、聞而無不告、曽遊江都、従本多利明先生、受量天海運之術及諸豊饒策、尽極其奥、時入五山詩社交五山人亦善疑接、而翁之為人、九偏話中委之、其在江戸、所交、一時文人、緑蔭、詩佛、星巌、薫堂、向陵、詩禅、秋浪、竹界也

  翁以宝暦十三年癸未三月望生、安政四年丁巳三月十一日終

             外孫   松倉広  

             嗣子   川内敬忠建