森川重謙
高須藩の藩校日新堂の教授。通称篤蔵、謙山と号する。壬申(明治五年)当時六十一歳。
天保七年二月より天保九年二月まで尾張藩儒者秦松州に皇漢学を嘉永二年十二月より嘉永五年まで津藩儒臣斎藤拙堂に学ぶ。嘉永三年十二月十五日養父苗紋右衛門隠居に伴い家督を継ぎ日新堂講授並堂中諸事締筋これまでのとおり勤めるよう仰付けられる。嘉永七年正月九日学業、教授方も行届いているということで五俵加増される。維新後は養老根古地村の小学義校(育雛舎)の皇漢学教授、また神道教導職となり、更に家塾において子弟に教授をする。明治十七年五月廿三日歿す。高州山瑞応院に墓がある。
墓碑銘
通称篤蔵號謙山性恭謙好学奉職於舊藩学校廃疾囗神道教導職傍囗家塾教授子弟囗共徳者多矣明治十七年五月廿三日不禄享年七十三嗣子重明建墓碑也囗子女囗姪松岡利紀助建也依嘱門之岡崎綱三諚焉
(平成2年当時の写真)