こんにちは。

 

今作っているiPhoneアプリの事前予約を開始しました。

 

カードギャザリング 〜召喚士たちの挑戦〜

https://yoyaku-top10.jp/u/a/Mjc2MTc

 

以上!

 

 

・・・って、このブログは一応技術ブログでしたね。

なので、今回は僕がアプリを作るまでの経緯を書いていきます。

 

久しぶりにブログを書くので、どのように書けば良いのか戸惑ってしまいます(苦笑

とりあえず、長文失礼します。

 

小学校時代

このブログに何度も書いていますが、僕は小学校の頃からプログラミングに興味がありました。

それは小学校の頃に友達の家で初めて触った「PC-9801(CPU286)」がきっかけでした。

当時のパソコンは立ち上げても真っ黒な画面が表示されるだけで、今のようにいきなりゲームをやったりすることはできませんでした。

 

C¥ >    

 

こんなもの(イメージ)が一番上に表示されているだけで、何も面白いものではありませんでした。

でも、僕はなぜかこのパソコンにとても興味が湧いてそのPCに付いているリファレンスマニュアルを読み漁りました。

今のPCとは違い、PCに付いている説明書(リファレンスマニュアル)は4冊ほどあってそのうちの2冊はめっちゃ分厚い本でした。

 

今思い返しても、あれを小学校6年生でよく読めたなと思います。

 

イメージはこのようなものです。

https://aucview.aucfan.com/yahoo/l398915909/

 

その中の一つに「N88-Basic」というプログラムの書き方が入っていたので、その本を友達から借りて家で

 

ずぅーっと

 

読んでました。

めっちゃオタクですね・・・。

それが今の仕事の基礎になっているから不思議なものです。

(余談ですが、そのPCは友達のお父さんが買ったものだけれど使い方がわからずそのまま誇りを被っていました。それに僕が魂をいれました!)

 

当時のプログラムは本当に難しく、行番号をつけてプログラムを書いていくものになります。

しかも、変な行番号をつけると行と行の間にプログラムを入れるのが困難になっていきます。

 

N88-Basicのイメージはこちら

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/N88BASIC_tenkey.gif

 

これでゲームを作ったのが僕のゲーム次戦で初のゲームになります。

 

中学校時代

僕も子供だったので、中学校時代はそれなりにサッカーとかをして遊んでいました。

なので、この頃はほとんどPCを触ることがありませんでした。

ただ、中学校三年生の頃に学校に置いてあるPCで将棋ができる事を知り衝撃を受けました。

あの「黒と白」の画面で作ったプログラムでこんなにもグラフィカルなゲームが作れるというのを知ったのは本当に衝撃でした。

 

今となっては当たり前かもしれませんが、N88-Basicの時代では一つの線を引いて消すことも難しかったのです。

 

高校時代

それから高校時代になってから、僕はお年玉を貯めてPCを書いました。

「PC9821-Mate」というマシンだったと思います。

CPUは「486」という当時では画期的に早いマシンでした。

確かハードディスクも20MBくらい付いていました。

 

ハードディスクが付いているなんてめっちゃ画期的でした。

それまでは3.5インチフロッピーに書き込んでいたのが、ハードディスクに保存できるんですよ。

ディスクの入れ替えをする必要がないなんて素晴らしい!

しかも、フロッピーディスクよりも書き込みも読み込みも早い!

 

す・ば・ら・し・い!

 

そんなPCをわざわざ秋葉原まで買いに行って、そのまま持って帰りました。

当時のPCはめちゃめちゃ重い上に、ダンボール2個!

電車に乗るのも一苦労で、家の階段を登る時にそのうちの一つを落としてしまうという・・・。

 

なので、開封時にPCのディスプレイの端っこが曲がってました。

 

36万もした超高級なPCが!!!!

 

(注釈:実はお年玉だけでは買えず、おばあちゃんにも出してもらいました。)

そんな思いで手に入れたパソコンが三ヶ月後に家の家電量販店(ヨドバシ)で21万で売っていたのを見てもう一度ショックを受けました。

わざわざ秋葉原まで行って高いお金を払う必要はなかったじゃん・・・。

 

めちゃめちゃ横道に逸れましたね。

と、色々苦労して手に入れたPCでプログラムの勉強を・・・

のつもりでしたが、この時にはPCのゲームは進化していたので僕は勉強をそっちのけでゲーム(三国志や信長の野望)に明け暮れていました。

 

今となっては全く役に立たない知識ですが、当時はゲームインストールはとてもハードルが高いものでした。

autoexe.batやconfigをガリガリいじってバッファとかメモリの割り当てとかを調整しないとゲームが動かないのです。

しかも、ゲーム毎に割り当てる内容が違うのでいくつかの「autoexe.bat」を用意して起動のたびに入れ替える必要があったのです。

(そのうち、この起動プログラムを切り替えてくれるプログラムを手に入れました。当時はそれにも感動しました。)

 

今のWindowsやMacは本当に楽になりましたよね。

 

大学時代

この頃からWindows95〜2000が出現してPCも一般化してきました。

高校時代のPCにもWindowsは入っていたのですが、当時のWindowsは3.1と言われているもので、処理速度がとても遅くゲームなどには不向きでした。

なので、僕はWindows3.1はすぐにアンインストールしてMS-D0S5.0で遊んでいました。

(当時のWindows3.1はMS-DOSの上で起動していたのでめちゃめちゃ遅かったのです。)

 

この頃に出たWindows95は処理速度が早くなっていて、グラフィカルにPCを扱えるようになっていました。

まだ高い買い物でしたが、僕はこのマシンを手に入れました。

そう、悪名高い

 

Windows ME

 

を・・・。

知っている人は知っていると思いますが、これがWindows98ベースの最後の作品です。

今後はWindows2000が主流になっていきます。

 

この先がないPCで僕は久しぶりにプログラムの勉強をしました。

あの頃からプログラム言語は進化していて、グラフィカルなゲームを作れる

 

Visual Basic

 

というものが出現していました。

しかし僕はレトロな人間(お金もなかった)だったので、学校のPCで使えるPascalやC言語を学んでいました。

Pascalはまだわかりやすかったのですが、C言語は本当に辛かったです。

本を読んでいると眠くなるし、面白いプログラムは書けないし・・・

 

C言語はプログラムを嫌いになるんじゃないかと思うほど辛い言語でした。

(今でも理解しているとは言い難いけれど、ここで学んだおかげでポインタの概念を覚えられました。)

 

20代社会人

大学では学べなかったVisual Basicを初めの会社の研修で学べました。

大学時代に「なんでこの言語を学ばなかったんだろう?」というほど簡単にプログラミングができる事を知って再びプログラムに対しての情熱が燃え上がりました。

 

その情熱は素晴らしく、1日で神経衰弱ゲームアルカノイドのような壁当てゲームを作るほどでした。

 

しかし、研修でこのような事を学んだのに実際の仕事ではFortranという相変わらず「黒と白」の世界に戻ってしまいました。

 

「せっかくこんなに素晴らしい言語があるのに、なんでこんなレトロなプログラムをしなければならないんだ!」

 

と、僕は憤慨して会社をやめました。

(入社してから一年半でやめました。上司に「お前を一人前にするためにいくらかかったと思っている?」などの小言を延々と言われました・・・。)

 

そして、このようなプログラムができる小さな会社に移りました。

若かかったからか、性分なのか。僕は

 

将来の安泰よりも目先の楽しさ

 

を優先していました。

そして、それは今でも変わっていません。

一つ書いておくと、僕の中では

 

「レトロなプログラムを学習するより自分の好きなプログラムを学んだ方が将来の利がある」

 

と思っていました。

これは今でも変わっていません。

 

そして、小さい会社でVisual BasicやPHP、Apacheなどを学び始めます。

僕の中でWebの時代が到来した瞬間でした。

 

今まではPCの中だけで完結していたことが、友達などのPCも巻き込める事を知ってWebプログラムについて学びました。

いわゆる、掲示板チャット写真共有などをPHP(4.3)というプログラム言語を使ってどんどん作りました。

サークルのHPも作りました。

 

なんでも作れるというのが本当に楽しかったのです。

 

30代前半社会人

20代の頃はプライベートでのプログラムを楽しんでいましたが、収入の問題もあったため仕事では「つまらないプログラム」を書くことも度々ありました。

そして、どうせつまらないプログラムを書いてお金を貰うのなら

 

もっとお金が欲しい

 

と思い、会社をやめてフリーランスになりました。

この頃からプライベートのプログラミングと仕事のプログラミングは別だと強く意識するようになってきました。

 

そして、この頃からビジネスについて意識しはじめます。

プログラム以外にもマネジメントやマーケティングにも興味が出てきたので、セミナーに出たりドラッカーやコトラーの本を読んだりもしました。

だんだんプライベートなプログラミングが減っていき、僕はビジネスマンになっていきました。

 

今思い返しても、この時が一番お金に貪欲でお金を稼いでいました。

仕事のプログラムも楽しむようになってきました。

 

しかし・・・

 

僕はこの生活が定年まで続くのか・・・

 

という不安も抱えるようになってきました。

 

30代後半社会人

僕はフリーランスとして企業から報酬を貰う仕事だけではなく、自分でもお客さんを持って自分で稼ぎたいと思い色々な企業のシステムを作っていました。

しかし、それも上手くいかず・・・

 

企業のシステムを作っているときは楽しいのですが、作り終わった後の保守・メンテが僕には苦痛だったのです。

しかも僕の交渉技術は拙くて、上手く仕事を繋げることができませんでした。

 

なんというか、僕の人生があまり上手く回っていないと感じて働いていました。

昔取った杵柄というか、当時身につけた技術力のおかげで仕事はなんとか回るのですが楽しくなかったのです。

 

そんな中で僕はiPhoneに出会いました。

当時、iPhoneは画期的でした。

これでゲームは作れないだろうか?

 

そう思い僕はMacbook airを買ってiPhoneゲームを作り始めました。

初めて作った時に

 

これでお金を儲けられるのでは?

 

と思っていた事を今でも覚えています。

 

しかし、現実は甘くありませんでした。

初めて作ったゲームは半年間かけて8000円ほどしか儲かりませんでした。

それから6年くらい作り続けても、トータルで3万円くらいの稼ぎ。

とても仕事にするとは言えませんでした。

 

しかし、これが無駄だったわけではありませんでした。

当時iPhoneでプログラムができる人はほんの僅かでした。

なので、僕はプライベートで得たスキルを使って仕事をするようになりました。

 

Webシステムもクライアントアプリも作れる人材はそこそこ重宝されたのです。

 

40代〜現在

僕は売れないゲームを作り続けていました。

ここまでくると執念です。

 

みんなが昼休みに食事に出ている時でも、土日に遊んでいる時も売れないゲームを作り続けていました。

そんな時に「偽りの物語」というゲームが少し売れ始めました。

利益的には開発期間半年で10万程度です。

しかし今までは6年くらいかけて3万だったので、ここで手応えを感じ始めました。

 

この「偽りの物語」と、昔作ったWebゲームである「勇者を育てろ(放置ゲーム)」を合わせてみようと思ったのです。

そうして出来上がったのが「勇者の冒険」でした。

このゲームは40万ほどの売り上げがありました。

 

そこから手応えを感じて「人喰い惑星」を作り、ユーザー様から意見をもらえるように成長してきました。

正直いきていくには辛い金額しか稼げてませんが、先ほども書いたように「ずっと会社にお金をもらって定年まで生きていく」ことに疑問を持っていた僕はこれにかけてみることにしました。

 

フリーランスとして会社に所属するのではなく、自分の作りたいものを作って生きていこうと思いました。

なので、今年に入ってから会社に所属する事をやめました。

会社にいる方が報酬もいいですし、生きていきやすいのはわかっています。

でも、僕にはそれが苦痛でしかたがないのです。

 

会社から離れて「Vanitas」というゲームを作りました。

出だしは好調でした。

しかし「転生システムの仕組み」のユーザー受けが悪く、多くのユーザーを失ってしまいました。

 

そこでユーザー様の意見を取り入れて改善を繰り返していったのですが、一度離れたユーザーは戻ってきません。

僕はGoogle広告を支払う事で新しいユーザーを取り入れ始めます。

このGoogle広告とユーザー様の意見を取り入れたため、ある程度のユーザーが残ってくれるようになりました。

首の皮一枚が繋がった感じでした。(ユーザー様ありがとうございます。)

 

こうして、僕は自分で作ったゲームをユーザーの意見を取り入れる事で生き返る事を経験しました。(ギリギリの生活ですが・・・)

 

そんなユーザーの意見を取り入れて、なおかつ僕が遊びたいゲームを来月リリースします。

その事前予約を開始しました。

 

カードギャザリング 〜召喚士たちの挑戦〜

https://yoyaku-top10.jp/u/a/Mjc2MTc

 

です。

この後、どのように僕の人生が進んでいくのかはわかりませんができる事なら僕は好きなことに情熱を捧げて生きていきたと思っております。

その情熱が世の中に受け入れられる事を願って・・・

 

長文、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

P.S.

繰り返しになりますが、情熱を捧げている時の方が良質なプログラムを書けると思っています。それが世の中とマッチするかどうかはわかりませんが、それが世の中とマッチすれば良いなぁと思っています。

 

これからもTownSoftをよろしくお願いいたします。