物事を決めるときに多数決では決めてはいけない瞬間がある。

僕は今までの人生でも最大級にそう感じる瞬間に遭遇した。


僕がマネージメントしているプロジェクトのうち一つはかなりきな臭いプロジェクトである。僕は火消しとしてそのプロジェクトマネージャーに就任した。就任当初から失敗プロジェクトだと言う事は感じていた。その理由としてはアーキテクトとマネージャーがころころ変わりつつアプリケーションを作っているからである。

システムには一貫性のないプログラムが書かれていて、仕様書は一切残っていない。しかし、そんな中で上層部から早く完成して欲しいと言われている。


僕は何度も「このプロジェクトは破たんしてます。止めてください」と言っていたのですが、上層部は一向に止める様子はない。プロジェクトを続けることによるメリット/デメリットを提示しても進めるの一手張りであった。

メンバーにも確認したが、プロジェクトの推進を希望する声ばかり。


僕はキチガイどもがこのプロジェクトを動かしていると感じつつも、民意の力には逆らえなかった。そして、予想通りプロジェクトを進めても進めても状況は良くならなかった。みんな仕様書が無く各チームバラバラに一貫性の無いコードを書いてるにも関わらず、いつかは成功すると夢見ている。

こんな状況なので僕は民意を汲み取って、出来る限り僕の出来る事を努めた。


努めたが・・・

既にある程度出来あがっているシステムで、一貫性のないプログラムが随所にある「言わば至る所に癌が転移しているプロジェクト」では無力だった。ある程度和らげてもあちらこちらに癌が転移する。

僕が出来る事は如何にしてこの大量のリソースをつぎ込んだプロジェクトを収拾すべきであるかを考える事だけだった。



・・・ところで、なんでこんな酷いプロジェクトなのにみんな止めないのだろうか?



僕の中で至極当たり前の疑問がわいてきた。そして、ある結論にたどりつく。

それは、、、


ここまで進めたのに止めるなんてもったいない


と言う感情を皆が持っているだけだという結論に達した。それにもかかわらず誰も責任を取りたく無いため、プロジェクトを進める事を選択するが責任は取らないと言うスタンスをみんなが貫きとおしているのだ。そう、このプロジェクトの発起人である上層部でさえそうだった。

プロジェクトを止めるのはもったいないが、責任者にはならないと言うスタンスを貫きとおしている。


それが分かっても僕は容易にプロジェクトを止める事が出来ない。その理由としては、(推測だが)上層部が自分の失敗を認めたくないためプロジェクトの中止を決断しないのだ。


上層部は責任は取らないがプロジェクトを進めようとしていて、プロジェクトメンバーはここまでの努力がもったいない(*1)と言ってプロジェクトを進めようとする。

すなわち、多数決を取って民意を汲み取ってしまうとプロジェクトは絶対中止されないのである。


だから僕は多数決をやめた。代わりに今回のプロジェクトのデメリットを多数あげてメリットに


プロジェクトの目的が不明瞭のため計測不可


と提唱して、上層部とメンバーに突きつけた。そして「メリットがある方は自分の責任の範囲内で挙げてください。」と言い放った。

当然だが、誰ひとりメリットを挙げれる人は居なかった。プロジェクトを振り返ってみれば身長が低くて遠くを見れない子供ばかりが集まっているプロジェクトだった。。。




*1・・・もったいない以外にも、この手のプロジェクトにある種類の人間が居る。それは、プロジェクトが成功しようと失敗しようと存続する限りお金がもらえたり自分の地位が保たれる人間も居るのだ。自分にしか出来ない仕事を持っている人は責任は無い上に、プロジェクトが存続する限り上手い汁を吸えるのである。