2006年の記事 をふりかえってみた。

感想としては個人技が目立っている気がした。


この時からKPTをやっていたのかと思うと、自分に偉いと言ってあげたい。(この頃は丁度30歳になったころだな・・・)

この時も会議の方法や命名規約について等で悩んでいるのは僕らしい。そして、プログラムに関して絶対の自信を持っているのも僕っぽい。(苦笑)

まぁ、でもそれも当然か。この頃の僕が見ていたプロジェクトはCMMで言うならばレベル1~2程度(すなわち管理が出来ていない状態)。エースプログラマーが大活躍する時代だ。


さて、それから3年の月日が流れた。ブログの一人称も「俺」から「僕」に変わった。この業界に対する目もだんだん変って行った。

僕が最近プロジェクトで重要だと思うのは、コミュニケーションである。いや、コミュニケーションなんてアバウトな言葉で言うと伝わりにくい。情報共有である。


3年前とは違い、最近の僕はWeb系の仕事をメインに行っている。このWeb系の仕事は2006年の記事 とは違って技術力はそこまで重要ではない。ここで書いている三角関数を使った画像処理プログラムとか常駐プロセスのような高度なプログラム(*1)を自前で作る必要が殆ど無いのだ。

Web系のアプリケーションを作る上で必要な情報はgoogle等のサービスを使えば直ぐに手に入れれる。ご丁寧に簡単なサンプルがついている場合が殆どであるため、それを真似すればあらかたのプログラムは完成してしまうのだ。

・・・となると、重要なのはどの技術をどこに誰が投入するかを操作することである。この鍵を握るのが情報収集能力である。


やる事さえ明確に決まっていれば大抵の人は出来る。また、インターフェースさえ変わらなければ中のプログラムは多少駄作でもよい。そういう状況に持っていく為にはメンバーや各プロジェクトが持っている情報を収集して判断出来る人間がやる事やインターフェースを的確に切り出せば良いのだ。

だから、材料である情報を集める能力やそれをメンバーみんなに共有させる能力が今後必要になってくるのだ。


天才的なプログラムを書ける人間は一部で良く、それを自分の会社に囲い込む必要はだんだん無くなってきているのだ。(Web系以外もだんだんとそうなっていくだろう)


プログラマーとして生きて来た僕としてはすこーしだけさみしい事だが、これも時代の流れ。仕方がない事なのだ。そもそも世界的にプログラムの再利用が出来るようになってきている今の状況を喜ぶべきなのだ。時代は刻一刻と変化していく。その波に乗れるか乗れないかが今は重要なのだ。




*1・・・これを高度と書くのは微妙だが、少なくても今のWeb系の仕事をしている時に自分で画像処理やスレッド制御をおこなうようなプログラムは殆ど書かないためここでは高度プログラムと書いている。(実際にこの手のプログラムはセンスが大きく左右する所もあり、誰でも書けると言うものではない。)