#夏至前の炙り出しは強烈

先週のインスタアカウント乗っ取りから
この現象を創り出しているのは
一体何なのだろうと考えた。

  
和歌山に移住してからもうすぐ
1ヶ月が経とうとしてるが
ここに来て内観が必要になった。

 
いつも自分の欲が出ない。
相手の欲を優先してしまう。
自分の欲がどこにあるのかさえ
見つけられないくらいに
自分の要求を相手に伝えることを
今までにしてきてこなかった。

 
いつだろう。
1番最初に自分の要求を飲んだ時は。
ずっと深堀りしていくと
最後はやはり母親にたどり着いた。

 
産まれてから3歳になる頃くらいまでは
母親と一緒に母方の実家に住んでいた。
父親は週末になるとそこへ来て会うという生活。
ある日突然に保育園に行くことが決まった。
もちろん僕が小さいので事前に
保育園に行く事の相談はなかったと思う。

 
思い出したのは通園初日。
抱っこされた母親から先生の所へ
母親が預けた瞬間だ。
「嫌だ。行きたくない。」「お母さんと離れたくない」恐らく人生の中で1番泣き叫んだであろう。
どれくらいの時間が過ぎたのか分からない。
でも、最後は無理やり引き剥がされて
母親の姿が見えなくなっても泣いていた。

 
こんな事が通い出した日からしばらく続いた。
いくら泣き叫んでも自分は保育園に預けられて
母親は仕事へ行く現実は変わらない。
自分の中では保育園に慣れてきたから
泣かなくなったのだろうと思っていたが
自分の要求を通したら母親にも先生にも
迷惑がかかると子供ながらに思って
要求を飲み込んでいたのだと気づいた。

 
「本当はどうしたかった?」沢山聞いた。
なかなか話してくれなかった。
諦めずに聞いた時にやっと要求が出た。
「本当は保育園なんか行きたくない。お母さんとずっと一緒に居たい」
極度に寂しがり屋な面があるのは
この時の感情が癒えてないからだろう。

 
この時から今までずっと
自分の本音を隠すように生きてきた。
自分の本音は誰かに迷惑かけて
傷つけたりするんじゃないだろうかって。

  
でも、誰かと一緒に居る上で
本音で話せないのは致命的だ。
いつも相手に言いづらいことを言わせて
自分は後出しになる。
大事なことと認識すればするほど
言葉に出せなくなる。
そうすることで自分は傷つかないが
いつも本音で向き合ってくれている人達が
結局傷つくものだ。

 
まだまだ自分の欲に対して
素直にはなれていないだろう。
本音を伝えるのは恐い。
ただ、その恐怖の向こうには
見たことのない大きな幸せが
広がってることは分かった。

 
自分との内観は終わりがない。
だからこそやりがいがある。
嫌な自分も沢山見るし
隠してた感情もいっぱい出てくる。

 
一つ一つがギフトだと
しっかり噛み締めて向き合っていきたい。