個人的な見解なのであるが

かなり、昔の大江健三郎ではなく 
大江千里さんというアーティストの

『カッコ悪い振られ方。』

という、曲がある。の、だが、

好きな方にはたいへん申し訳ないが

かなり、卑屈なタイトルだと思う。 
また、これが受け入れられた

そういう時代というか、
日本のポップシーンが

確かにあった。

と思うのだけど、
 


こういった音楽、というか、
歌詞の音楽性は

なにを志向していたのだろう?  



振られ方がカッコ悪い。


知らねーよ。


と、思うのであるが


どう思いますか? 


そんなこと、歌われても
と、正直に思ったりもします。


でも、この時期の白井貴子さんとか
大貫妙子さんとか

は、それなりに音楽性というか

ある。と思うのですよ。

白井貴子さんは、ロックな感じ
がしたし、
 
それとか、同時期でいえは、
佐野元春さんなんかは
  
メッセージと、音楽性が
あった。あるように思うのです。


確かに、大江千里さんの
この曲や

雰囲気はその当時、あまり
ない感じでそれが新しい感じが

していたのかもしれませんで

もちろん、聞く人が良ければ
よいので、

一概に否定することは
できないでしょう。


好きな人はいるのだろうと 
思うから、


よく、小室哲哉さんの音楽性を
消費音楽だから

と、軽く見ることが

あると、思うのですが

当時を生きたひとや
聞いていた人に


響いていれば


否定することはないと
思ったりもします。



で、このカッコ悪い振られ方。

という曲の内容というのは

振られた。彼女が好きだ。
すごい好きだ、云々、

その後、しかし、


キミと出会わなければ
違う生き方してた....のように


展開して着地するのです。 



かなり
卑屈なリリックです。




さっき、サブスクで聞いてみて
卑屈だなー。と


思ってしまいました。



いまほどではないけれと、


いろいろなことが


カンタンにできるように
なってきた90年代とかに
 
いろいろな感度とか
いろんなある意味、


キャッチーに捕らえられた
という可能性もなくはない。


ですが、



どう思います。


振られ方についての音楽を

要求しますか?






続く.....