年が明けて、
もう、7草粥の日(?)ですか?

私は、日曜日の図書館勤務
へ向けて、営団地下鉄に揺られて
います。

習慣として

スマホでFMヨコハマを
聞き、

コーヒーのコーナーのあたり
で、地下鉄に乗るので


なんとなく、自販機で、
タリーズのアイスコーヒー
を買って、飲みながら

車内ですごします。

土日はとても空いていて
のんびりとしています。


さて、昨年末、

私は、父がクリスマスに
食事でもしょうかという提案

をまぁ、ひとりでいるよ。

と、また、私は12月の末に
誕生日を迎えたのですが

それも、なんとなくひとりで

すごしました。


端的に、交友関係が
皆無なのと、

特に思いつかないので

それから、これからも
そういった、ひとりの

時間というものが
くる。というか、そういうもので
あろう。というか...

そういった、ことがらへの
準備活動のように

クリスマスや誕生日に
何もせず、ひとりですこしたのです。
 
私や、例えば統合失調や
その他、いろいろな事情の

人付き合いの不得意な
タイプの人々も、  
 
時間と共に、年齢や
時間をすごさねばなりません。

ある程度の若さを保っている
今の若い方も

当然のことながら
年齢などを重ねていくことに
なります。
  
そういったことがらは
私らのような

タイプには

かなり、重要なまた、
身近であり


考えない人もいるかと
思うけど、

考えだしたらキリがないと
いった、ことがらなのでは

ないでしょうか?


私の母はコロナで他界し
もういません。

父は健在ですが、もう、
高齢なので、

姉と、協力して
サポートしている感じです。

父はいちおう、独居していますが
私は、近所、(自転車で10分くらい)

のところにひとり暮らししています。

私は、最後の入院から退院した時に
役所の社会保障の仕組みで

敷金礼金など諸々、
助けてもらい、始めた
一人暮らしでした。

入院中に聞いていた、
役所が、すへて用意してくれる。

と言ったことが

本当である事がわかり
驚いたことでした。


その後、ケアマネジャーに
サポートしてもらいながら

B型、A型、一般就労と、
してきて、社会保障の仕組みの

援助からは脱出することが
できたりもしました。


母は存命中、僕が、ひとりに
なったらどう、生活していく
んだろうか?

と、問うたら、

母は、助けてくれる、
ケアマネジャーさんたちを

頼って、助けてもらいながら
やっていけばいい。

と、言っていました。

 
それも、そうだなぁ。と
思いつつも、現実的には....


という気持ちも残りました。


実は、母のことで
思うことは、

母が他界して、その後、
私は、母が残してくれた
お金で、

司書の資格の勉強をしました。
そして、資格を取得して、

いま、会計年度任用職員ではあり
ますが、図書館に勤めています。

お金ではなく、

(河合隼雄さんの本で読んだのですが)

母を失うことで、
私は自律をやや、獲得した。

とも言えたりする。
と、思ったりもします。

 

何かを失うことで、手に入れられる。

そんなこんなで、


私は、昨年末、
これから始まる  

ひとりであるだろう
時間に向けて、

 
考えていたりしました。





続く.......