パリ パラリンピック2024  | Institute of Reproducing Kernels

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NHK パリ パラリンピック2024 

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再生核研究所声明 7662024.8.12) :  オリンピックから学ぶ、人間とは何か 

ー 人間はつくられたものであり、如何につくられるか。

 

 

 

人間はつくられたものであり、気づいたらこのような姿で、このように生まれて来た。

我々の意志に関係なく、多くが定められている。 さけられない生物的な本能など、人間には食欲があったり、死が存在する等、多くの基本が定められている。そこで、 人生とは何だろうかとか、人生如何に生きるべきか等と自由意志が働く範囲で、いろいろ考えたり、行動している。人間良い感動を求めたり、幸せを追及している。そこで、ここでは 良い感動や幸せとは何だろうかと考えたい。ところが、良い感動や幸せと言うことが、 人それぞれであるという事である。 幸せとは、良い感動とは人それぞれであるが、 そのように感じる人間はどのように構成されるだろうか。動物である人間が動物以上の部分の精神構造、性格はどのように構成されるだろうか。

 

開催中のオリンピック競技を見て 競技の多様性には驚かされる。 厳しい競技に4歳頃から志し、金メダルを獲得して歓喜している凄い選手などに驚嘆させられる。 とても想像もできない厳しい世界で成し遂げられた想像もできない偉業、 人間とは何ものかと考えさせられてしまう。 どうしてあのような競技に人生を掛けられるのだろうかと考える競技も多い。 気づいて数学者を振り返っても、 何百年も未解決な問題に挑戦して解決したり、 抽象的なことにはまって人生を掛けられている数学者も多い。 Facebook の世界で様々な人生の断面が簡単に拝見できる状況があるが、人間の多様性には驚嘆させられる。

人間の心、感性など どのように形づくられるのだろうか。

4歳からやってきたは、心の構成に大きなヒントを与えてくれるのではないだろうか。

幼児、子供の頃の環境が精神の構成に大きな影響を与えるのではないだろうか。 そもそも我々は多く環境によって強い影響を受けるが 幼児期は特に感性面でおおきな影響を受けるのではないだろうか。何をもって美しいと感じるか、興味関心の湧く理由、根拠である。 6歳の天才少年、巨大素数の構造に最も強い興味関心を擁くと述べたものであるが、理由はなく、好きだからしょうがないと言われては 生まれながらにと考えざるを得ない。 それらもどうしてそのように思う、心ができたのか大いに興味、関心がある。 言葉が幼児期に習得される様を見ても、 心の構成が幼児期に甚大な影響を受けるは うなずける。

上記オリンピック選手、生まれながらの才能もあるだろうが、人間の構成の初期環境の影響が 大きな影響を与えているのではないだろうか。

人生志を決める頃までには、基本的な感性、人生観は相当固まっていて、志してからは どんどんその道の先を進む事になる。

男女関係も同じようである。 好み、相性が何故か自然に決まってきて、具体的な対象の出現で関係の発展過程が 好き、恋、愛の形で発展していく。 どのような存在に惹かれるかが微妙な心の問題である。 惹かれる対象は 相当前に準備されているようである。

我々は環境に強い影響を受ける。その表現では不十分ではないだろうか。我々は環境によってつくられる存在と表現されるのではないだろうか。 上記、4歳の件、幼児期に相当に環境で無意識の性格の部分の形成がなされるのではないだろうか。 何に興味、関心を擁き、何に価値を置くか、何を美しいと感じるか、人間のそのような感性の部分の基礎が幼児期に確立すると考える。

人間が環境の産物との発想から、人間は時代や社会の影響を強く受けて、 人は自ら思うほど、実は自由な存在にはなりえないのではないだろうか。

幼児期となれば普通は両親、兄弟の影響を強く受けることになる。両親の価値観などが子供に強い影響を与えることは、自分自身を振り返っても実感される。両親、兄弟に褒められるようになりたいは 相当強い感性ではないだろうか。 歌舞伎など伝統的な世界では 代々続けている分野が結構存在する。 微妙な境地の観点から そのような伝統は幼児教育の面からも評価されても良いと発想する。 大きく複雑な政治社会などでも 指導者たちの代々の在りようにも理解を示して、 国の偉大な指導者を育成していく面も 大いに尊重されるべきだとの 視点も述べたい。

 

                                  以 上

 

 

 

自分

自分 が送信しました:

次のように発想したのですが、関係文献や思想があるでしょうか。人間が環境の産物との発想から、人間は時代や社会の影響を強く受けて、人は自ら思うほど、実は自由な存在にはなりえないのではないだろうか。2024.8.10.21:10

Copilot

回答を生成しています…

Copilot が送信しました:

興味深い発想ですね!このテーマに関連する思想や文献はいくつかあります。

 

社会的影響と自由意志:

 

社会的存在としての人間: 人間は基本的に一人では生きていけず、社会の中で生きることが重要です1。この観点から、人間の行動や思考は社会的な影響を強く受けると考えられます。

無意識の影響: 人は無意識的に他者から影響を受けて行動することが多いです2。例えば、流行や友人の勧めなどが行動に影響を与えることがあります。

 

哲学的視点:

 

松下幸之助と安岡正篤の人間観: 松下幸之助は、人間が宇宙の摂理に従いながらも万物を支配する力を持つと述べています3。一方で、安岡正篤は人間の本質を探求し、社会の中での人間の役割を強調しています3

 

現代の思想:

 

新しい人間観: 現代の思想家たちは、人間が極めて自由な存在であると同時に、社会的な影響を受けることを認識しています4

これらの文献や思想は、あなたの発想に関連する深い洞察を提供してくれるでしょう。さらに詳しく知りたい場合は、これらの文献を読んでみると良いかもしれません。

他にも興味のあるテーマや質問があれば、ぜひ教えてください!

詳細情報

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自分

自分 が送信しました:

人間の心、感性などどのように形づくられるのだろうか。について次のように考えたのですが、関係文献や思想があるでしょうか。2024.8.10.21:16 4歳からやってきたは、心の構成に大きなヒントを与えてくれるのではないだろうか。 幼児、子供の頃の環境が精神の構成に大きな影響を与えるのではないだろうか。 そもそも我々は多く環境によって強い影響を受けるが 幼児期は特に感性面でおおきな影響を受けるのではないだろうか。何をもって美しいと感じるか、興味関心の湧く理由、根拠などである。

Copilot

回答を生成しています…

Copilot が送信しました:

あなたの考えは、心理学や神経科学の研究と一致しています。幼少期の環境が心や感性の形成に大きな影響を与えるという点について、多くの研究が行われています。

例えば、立教大学の研究では、五感を通じて得られる情報が脳で処理され、感情や行動に結びつくことが示されています1。幼少期にどのような経験をするかによって、何を美しいと感じるか、どのようなことに興味を持つかが形づくられるのです。

また、日本心理学会の解説によれば、心は脳というハードウェアを基盤として成立するソフトウェアのようなものであり、環境との相互作用によって形成されるとされています2。特に幼少期は、感性や価値観の形成において重要な時期とされています。

これらの研究は、幼少期の環境が感性や心の発達にどれほど重要であるかを示しています。もしさらに詳しい情報や具体的な文献が必要であれば、教えてくださいね。

1立教大学の研究2日本心理学会の解説

詳細情報

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再生核研究所声明 12 (2007/09/17): 人生、世界の存在していることの意味について 

 

天才教育や世界の在りようについて考えていましたら、結局は人生とは何か、存在している意味、目的が大事であると考えました。なぜならば この世の全ての問題は 結局はひとりひとりの心の問題に帰するからです。そこで、次の文章を思い出したので引用して、全ての基礎にしたいと考えます:

 

人生における基本定理

 

・・・ 1995年1月13日朝、目覚めの後、ひとりでに数学のアイディアがうかんだときのように、

「人生の意義は、 ・・・・・・ にある」

という言葉がわいてきた。

私はもの心ついてから: 自分が生きていること、そして死ななければならないことを知って以来、人生そのものの意味について、最も中心的な問題として考えてきた。その核心は、人間は生まれ、生き、死んでいくものであるが、それらがどのような意味があるのか、そして、そのような人生においてどれ程の価値があるのか、という半ば悲観的な見方:

実際、人生は何の意味もないのに、人は死にたくないから、そして人並みにあるいは人並み以上になりたいから、あるいは人に尊敬されたいから等の漠然とした気持ちで生きているのではないか、と。また、そのような人生、人間の目標はどのようなものか、という基本的な問題への疑問であった。

「人間としての存在の究極の意味、価値は」

「人類の目指すべき基本的な方向とは」

これらの基本的な問いについて、私が、全体的に、直観として得た解は、

人生の意義は、感動すること にある」

というものである。

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というような、人生における真剣な問いについて、これは十分な解答になっていると思われる。 

人類の価値: 真、善、美、聖などの基礎を、我々の素朴な「感動させるもの」におき、

また同時に生と死を、感動することと感動の止むことに置き換えれば、我々は死を安らかに受容できると思われる。

 人類の永遠の課題    神、自由、不死

の解決のための確かな道筋を与えるばかりではなく、人間存在における三位一体の理

 存在、知、愛

を 渾然一体のもの「感動」として捉らえたことになろう。

また、藤村 操は、「・・・ 人生は不可解である、 ・・・ 」

という遺言を残して自殺したが、彼を何かに真に感動させ、

「人生の意義は、感動することにある」として、彼を救うことができたかもしれない。何が「人間を感動させるのか」を問うて行けば、「人生如何に行くべきか」の基本的な方向を捉えることができるし、それは多くの人間が素朴に、あるいはぼんやりと抱いていたものと大きな相異はなく、この「人生における基本定理」は 多くの人間によって受け入れられるばかりではなく、新鮮な感動をもって人生の基本的な指針を与えてくれると思われる。

 

謝辞 (略)

追記 基本定理を自覚した後の心情は、

 

人生はそれ以上のものではないという寂しさ、さまざまな人生の肯定、

何か絶対的で永遠的なものを失ったような寂しさ、

感動できる人生を送ることは容易ではなく、逆に人生は苦悩に満ちている、

人生のことは、考えれば考えるほど、わけが分からなくなる、

 

等、であるが、それにもかかわらず、人生の方向と限界を知り、夢中で人生を送っているよりは はるかに賢明になったように感じている。(群馬大学工業会報より抜粋)

 

藤村操

巌頭之感

悠々たる哉天壤、

遼々たる哉古今、

五尺の小躯を以て此大をはからむとす、

ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、

萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。

我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。

既に巌頭に立つに及んで、

胸中何等の不安あるなし。

始めて知る、

大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。

 

                                   以 上

 

 

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か

 

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)

およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。

しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 

されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。

さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 

そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。

まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。

次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。

次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。

挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

 

以 上

 

 

№1316
声明771
76
414頁

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