再生核研究所声明 748(2024.2.27)  乱暴な議論、発想 ー 宗教法人の解散、イスラエ | Institute of Reproducing Kernels

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色々な事を書きます。マイペースで書きます。

再生核研究所声明 7482024.2.27 乱暴な議論、発想 ー

宗教法人の解散、イスラエルの過剰暴力

 

これは突然に 閃いたものである。次の声明に通じるところがある:

 

再生核研究所声明 7392024.1.20) おかしな派閥解消の議論と日大アメフト部 廃部構想 ー 単細胞的な思考

 

その中で、特に次のように述べている: 上記2つの問題、単細胞的な思考で、〇か×の 軽薄な判断と考えられる。 

現に存在してきている状況には 永い歴史的な重みがあるものである。 何でもそうである。 現実は 過去の永い流れに従ってそれなりの理由があって、そうなっている。 それ故にそれを大きく変えるには、 問題の大きさ、性格に従って、それ相当に慎重な検討が加えられて 対処すべきである。

 

また関係して、次も参照: 

 

再生核研究所声明69 単細胞人間 ― 単細胞的思考

再生核研究所声明70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず

 

そもそも宗教とは強い信念、信仰を意味し、共感、共鳴する者が集まる仲間のなす集団が いろいろな宗教、宗派をなし、集団が宗教法人をなすと考えられる。 政治と宗教の分離を多くの国は謡っているが、本質的には難しい面があると考えるべきである。良き社会を 創ろうとする者は政治勢力を動かしたいと発想するからである。心情が強いだけに政治に期待する思いも強いと考えられる。それ故に政教分離さえ運営には節度と抑制、調整を慎重に行なって行く必要があると考える。特に宗教法人や集団の構成を禁じれば、国家の政権の中枢部の破壊のように、大きな混乱が生じるだろう。熱心に信仰してきたものが禁じられ、抑圧されれば、その人たちの迷い、不安は甚大になるのではないだろうか。逆に宗派の指導者をとうして、適切な指導を要求した方が現実的であり、スムースに改善されるのではないだろうか。 急激な組織の解体は大いに問題であり、慎重な対応が求められる。簡単に愛するものを取り上げてはならない。また宗教の在りように対しては、言論界や教育界がもっと真摯に対応すべきでは無いだろうか。

これらの問題は、現在のイスラエルのハマス壊滅軍事戦略にも言える。 攻撃されたから自衛のためにそれを阻止する。それは何時でも、誰でも対応せざるを得ない第1原理である。

しかし、ハマス壊滅まで徹底的に行うは行き過ぎだろう。 ハマスにはハマスの大義があり、強い信念で立ち上がっている事実を考慮すれば、 根絶など途方もないことに考えられる。これらを自然界の生存競争、神聖な闘争と考えても、世はバランスから成り立っており、ほどほどの勝利でなければ その地域の繫栄はあり得ないだろう。

宗教法人も、イスラエルも 国家も人々も 全体の調和を求めて 妥協し、共栄、共存の道を求めて欲しい。楽しく共感、共鳴できるような世界を築きたい。

再生核研究所声明第一を 参考にして欲しい。

                                   以 上

 

付記: 

再生核研究所声明 1 (2007/01/27): 美しい社会はどうしたらできるか、 美しい社会とは:

最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニュー

ヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どう

したら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての

解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.

平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ま

した.

1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.

2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.

3) それはみんなに受け入れられるか. 

4) それは安定的に実現可能か.

これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正とい

える.

現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,

行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.

また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし

,環境の保全などにも貢献すると思います.

特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,

芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣

人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,

人々が助け合うようになるような教育が望まれます.

 

2024.2.26.19:47 論文纏まったら、悟る様にこの声明構想が湧いた。

2024.2.26.21:24 良い。

2024.2.27.5:25 良い、今朝完成、公表できる。

2024.2.27.6:04 良い、完成、公表: 微積分学の基本定理を思わせる、 基本不等式公表した。

 

 

 

Ryuichi Sakamoto: Improvisation for Sonic Cure

 

https://www.youtube.com/watch?v=dIoz-SsXoDs

Alva Noto – Xerrox 4 (Full Album)

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=Ir10_BvOz5U

0409

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=d7CIXlmnEvc&list=OLAK5uy_mijWH0etAwNdXKjM5_58PZbfBoEiuusVo&index=15

 

 

再生核研究所声明35(2010/04/23): 社会と個人の在りよう―細胞の役割

               

声明 33:民主主義と衆愚政治 の中で、民主主義

 

( : 諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制 ― 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )

 

の在りよう、 特に一般選挙で代表者を選出する方法、及び多数決で決定する方法 について考察し、民主主義の問題点を考察した。 そこで、(1)まず、代表者の選出過程、重要事項の決定過程に 多くの労力を有し、時間と手間がかかること。(2)投票者が 代表者の行使する行動について、良く理解できず、適切な代表者の選出ができず、いわば考えている代表者とあべこべの代表者を選出する可能性が高いこと。(3) また、代表者の本来の要務以外の能力で、たとえば感じがいいから等で、代表者を選出しがちであること。(4)また、候補者に名演説などで いわば騙されてしまうこと。(5)何でも多数をそろえて、政治その他を推し進めようとなりがちなこと。(6)会議で、多数決で議事を決定する際、投票者が議事に対する理解と公正な判断能力を有しないために言わば数の結果で悪い決定がなされる。(7)さらに、難しい問題を多数の人が理解できるか、判断できるかという観点。 難しい問題を素人の多くの人に判断を求めるのは 逆に無責任で、危険であるということ。

 

として、次の時代には、より進んだ政治体制が考えられなければならないが、当分は適切に適用できる方法が現実的に見当たらないから、現状の体制を維持するとして、民主主義の弊害を少なくするために、運用の在りようについて:

 

1)代表者の選挙については、 選挙の広報をきちんと行うのは当然であるが、 投票しない権利を明確に認め、いわゆる投票率を上げるような行動は慎むこと。 これは投票に興味と関心を有する人に参加して頂き、興味や関心を持たない人に無理に投票して頂くのは 無責任につながりかねないからである。特に政治や社会に関心のない人への勧誘による投票は慎むべきである。投票の案内は当然であるが、投票しましょうという勧誘は良くないと考える。これは、いわば真面目な投票人による選挙を意図していて、いわば無責任な人の投票を排除しようとする意図があることを肯定するものである。

2)代表者の身分が民主主義ゆえに不安定では 責任ある政治を行うことができないから、在任中は特に厚く身分を保証して 本務に専念できるように配慮すること。

3)代表者は 広い視点に立って、自分の立場より、公の立場を優先させて考え、評価については 近視眼的ではなくて、歴史的な評価を大事にすること。

4)代表者の投票者(有権者)は 日ごろ研鑽を行い、投票に責任が負えるように努力すること。

5)特に 代表者の選出過程や代表者の立場が、マスコミの影響を受け易いのが、民主主義の特徴であるから、マスコミ関係者は 高い見識を持つように 特に努力して 報道の5原則にいつも留意すること。

 

とした。そして、民主主義は何時でも衆愚政治 に陥り易いので、 衆愚政治に落ち入らないように努力して  より良い政治の下で良い社会を築いて行こうと呼びかけている。

上記考察のうちで、政党政治の形をとるのが 民主主義の必然的な形態と考えられるが、政党政治は本来もつべき国家や社会についての大きな視点から、 往々にして、政党間の競争、あるいは無用の権力闘争に陥り易い弊害があることも指摘されなければならない。 本来考えるべき国家や社会の問題をないがしろにして、権力闘争に明け暮れるさまは 戦国時代と何ら本質的に変わらない形相と云える。 いわゆる派閥や仲間を作り、公の立場よりも、そのような派の利害を優先した行動がとられ、民主主義が空洞化してしまうのはよく見られる現象である。 また、公人を選出するのに 自己の利益や自己の所属する集団の利益の観点から、代表者を選出しようとするのは、本質的な間違いであるのに 多くの人はそれすら克服できない恥ずかしい状況にあると言える (衆愚政治とは、有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。)  さらに、各個人の属する社会の中での 自己の立ち場に対する配慮 (保身) から、あるいは無気力や自分の専門や仕事に 埋没した多くの人が、自己の意見を表明せず、民主的な多数の意思が、実際には多数の意思を反映せず、一部の強い意見がまかり通ることが結構多いと危惧される (アビリーンのパラドックス)。  バブル崩壊後の新しい特徴として、社会の厳しさが、生活や生きていくことの困難性を生じせしめ、社会や国家について深く想いをめぐらす余裕を失ない、 国家や社会についての理解や論調が 軽薄になっているとみられる。

 

そこで、国家と個人は、社会と個人は 如何にあるべきかについて、 2010年4月18日 朝、

人体と細胞のように在るべきである

という考えを抱いた。 国家や社会は人体のように全体として、統一のとれた主体的な存在であるが、個人は細胞のようにそれぞれの役割をもって、国家や社会に調和する存在であるべきであるという考え方である。 個々の意思は中枢に反映され、中枢の指示は個々に反映される。 それは細胞のなす、おのおのの器官を通して 全体に調和する形でなされなければならない。 この理念を社会に活かすには、人はそれぞれに希望する形で社会に参加して、1)項のように 強制的でなく、 自発的、自由な意思での参加方式をとるのがよいと考える。

これは社会が複雑になり、人びとの関心と興味が多様になり、一律全体が との形が 逆に大きな弊害をもたらす事実をさけて、 いろいろな役割によって全体に参加することにしようと提案しているものである。 中枢の個々への指示は明瞭であるが、個々の中枢への意思の表示については尚検討の余地があるが、現状の在りようで基本的にはよいと考える。 この声明の趣旨は 人体と細胞のように国家と個人は、社会と個人は有機体の存在として、 調和ある存在 になろう ということにある。実際、一個の人間の存在は 細胞が生体の中で有機的な存在であるように、本来社会の中で有機的な存在ではないだろうか。生体が病んでしまったら、個々の細胞の存在はどのようになるかに 想いを致したい。 

実際、人類の生存は、如何なるものをも超えた存在である(最も大事なこと:声明13)。

以 上

 

 

再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙

 

(初秋、猿の家族が2日間 20頭くらい訪れ まだ渋い 3本の甘柿を食べ尽くして 近くの山に姿を消した。2014.11.9 仕事の区切りがついて、研究室から山を眺めていて 今頃どこで何をしているだろうかと気遣って 人生を想って構想が湧いたが、焦点が絞れなかった。)

 

猿の1団には 生息領域が 相当にしっかり有ると言える。人間でも、江戸時代以前では概ね、終日歩いて行ける距離 概ね半径40キロメートル以内くらいに 普通の人の生活圏は限られていたと言えよう。生涯でもそれを越えた世界に立ち入るのは、希なことであったのではないだろうか。婚姻なども その範囲に多くは限られていたと言える。 多くの動物には 縄張りなどの生活圏が存在していると言える。

そこで、一人の人間Aの存在範囲に思いを巡らしたい。A の存在し、想像し、活動する世界全体を Aの世界Bとして、それは、B の世界、宇宙と考えよう。勿論、B はいわゆる外なる大きな 世界と複雑に関係しているが、A が認知できる一切の世界を Bと考えよう。

 

何が言いたいのか。それは、大きな世界に於ける 個人の存在の小ささである。特に、個人が大きな世界、人間社会に与える影響は 普通は極めて小さいと言うことである。基本的に次のように捉えられる:

 

再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ― 細胞の役割

再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること

 

言わば、個人の物理的な制限である。

歌の世界で例えてみよう。 日本には素晴らしい歌があって、歌謡界のレヴェルは高く、愛好者も実に多く、歌については 日本は世界最高の文化ではないだろうか。俳句や、生花、盆栽、折り紙などについても言えるのではないだろうか。 

そこで、Aの好みであるが、美空ひばり様の多くの歌などは、多くの日本人を感動させるだろうが、好みには個性が有って、人それぞれ、また、好みはA 自身でも時や、状況、年代でも変化して、 共感,共鳴出来る人、真の理解者は ほとんど探せない状況ではないだろうか。 これは同じく、共感、共鳴している間でも微妙に感じるところが 違うのではないだろうか。言語、文化、習慣の違う外国人などには、美空ひばり様の歌の受け止め方は相当に違っている。 そう、この声明の趣旨は見えてきた:

世界B は Aにしか分からず、本質的に人間は孤独であり、己の世界をしっかりと捉える(治める)ことの重要性 の確認である。

しかしながら、人間は本能的に、共感、共鳴し、群がりたい存在であるから、自分の世界と相手の世界の調和、相性、関係をよく捉えて、 交流を図るべきである。 その時の鍵は 社会は多様であり、個性は様々であるから、相手の選択が大事だという視点である。

声明の題名にある縄張りとは、2つの世界が交流するときの お互いの干渉に於ける、相手の世界に与える影響の微妙な評価に対する気遣いである。― これは要するに、自分の価値観や世界観を押し付けないという配慮である。

そこで、類は友をなす諺のように、いろいろ気の合う仲間による いろいろな絆を大事に育てて行くのが、人生であるとも言える。

以 上

 


№1299
声明747
74
411頁

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