「両辺の値が【存在】するかぎり」と書いてあるのは、興味深いな。「ゼロ除算となる場合を除くなら」と | Institute of Reproducing Kernels

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色々な事を書きます。マイペースで書きます。

「両辺の値が【存在】するかぎり」と書いてあるのは、興味深いな。「ゼロ除算となる場合を除くなら」という意味だろう。 https://twitter.com/nabekichi32/status/1478237540335636482… #掛算 #超算数 #算数 #算数教育 #恒等式 #方程式 #恒真式 #ゼロ除算

https://twitter.com/flute23432/status/1479361308793655296

the abyss is where god divided by zero

https://twitter.com/royalbys/status/1477465854853926913

深淵(しんえん)とは、深いや水の深く淀んだ場所を指す語。英語“abyss”に対応する。 新共同訳聖書では創世記に登場する単語テホム(en:Tehom)の訳語として用いられている。

フレッド・ゲティングズ著『悪魔の辞典』によると、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、すなわち人間の行き着く最後の未来を意味する。これから連想が進み、ヨハネの黙示録アバドンといったイメージになった。カバラの学者は深淵をマサク・マヴディルと表現し、落伍者の行き着く場所と解釈している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E6%B7%B5

 

再生核研究所声明650(2022.1.7) : 数学教育の効用-数学的な精神について

数学について有名な言葉 幾何学知らざる者 この門をくぐるべからず プラントンのアカデミィアの門にそう記されていたという。 これは数学教育の原理を与え、現在 数学教育が 応用や知識、技術の意識の強い影響を受けて、数学教育の原理を見失いかねない状況にあると危惧の念を懐いている。 さらに悪いのは 入試などの選抜に利用されて、競争意識を高めたり、能力を測る手段にさえ利用されていると考えられることである。 さらに世情、研究、研究、業績、業績と騒がしいが プラトン学派の数学上の業績は 殆ど知られていない状況ではないだろうか。 その標語は数学が寄与する精神面の寄与を意味するのではないだろうか。
我々は数学とは何か 本質的な面について述べて来た:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
が、ここでは教育効果について触れたい。
まず、数学には論理という原理があり、基本的なことを元に 論理的に導く考え方、表現方法があり、デカルトの思想のように あらゆる学述書の基礎的な考え方を与える。上記 プラトンのいう幾何学はユークリッド幾何学であるが、記述はその論理において 素晴らしく、人をして感銘させてきたと考えられる。 彼らはその発想の重要性と共に 幾何学に述べられている定理の美しさに 
理想的な世界の存在を深く認識して、この世の世界を越えた世界に深く思いを致したと考えられる。絶対の世界である。
我々はそのような美しい絶対の世界を捉えて 数学は神学であり、数学の存在は神の存在を示し、悟りと信仰の元であるとの心境に達している。 
数学の研究は神の意思を推し量る行為であると考えている。
しかしながら、ここではそのような方向ではなく、より一般的な効用について触れたい。
絶対的な論理の世界、それは人間を越えた、客観的な存在の存在を意味する。
権威や習慣、感情や思い込み、偏見や独断、そのようなことから解放された
規準、精神を開放する考え方を数学教育は齎すだろう。 こうこうだから 
こうでなければならない、 ねばならないの発想をするだろう。 
そうそのような精神は 仏教の 因果の基本精神 に通じている。
数学教育の最も大事な観点ではないだろうか。このような観点からは教材は少なくてよく、精選が逆に大事であると言える。 ある時期にユークリッド幾何学の初めの部分の教育は大いに利用できるのではないだろうか。ー その時、試験や入試の影響を受けて広い世界を覗いて、教育を混乱させない気遣いが大事であると考える。 論理の訓練と定理の美しさを楽しむ、プラトン流 教育である。
次の問題は、数学が世界を記述する言語であるという観点から、基礎概念を年齢に応じて学習して行くことになる。 当然、基礎から次第に高度になるが、当然それはそれぞれの学生、生徒の将来によって具体的な教材は変更されるべきだが、それらは精選されて論理的、組織的になされなければならない。 特にAIや 計算機の劇的な進化とインターネットの普及で教材の内容は大きく変更されるべき時代を迎えていると考える。 実際多くのことが不要になる状況が起き、逆にどんどん必要な概念や、考え方がどんどん生まれている。 
万物流転、数学の教科書が面目を一新してしまう時代は近いのではないだろうか。
ー 古い数学の多くは 技術は 何の役にも立たなくなった、ただ訓練したことが 良かったと 発想するだろう。 もちろん、訓練に役だち、内容も活用できるに こしたことはない。 ー しかしながら、訓練し過ぎも人間の自由な創造性や精神のありように害する場合もあることに注意したい。
教材は 各論で、深入りはできない。
幾何学に王道無し という ユークリッドの言葉は 有名であるが、それは数学では自分で考えることの重要性を述べていると考えられる。数学では とことん考えて納得する、よく理解することが大事である。よくよく納得することが数学好きや数学ができるようになる鍵ではないだろうか。 数学で考える力の無い者、数学嫌いな者には 考えることが嫌いで結果に拘り、やり方の暗記で誤魔化そうとする者が多い。 酷くなると型を覚え、解答ができれば良いとの発想、それは所謂共通テスト以来 速やかな回答を出す訓練の傾向を齎し、数学教育を本質的におかしくしていると考える。 マークシート方式の数学は本質的におかしいとして導入時期相当に一般的に危惧されてきたのに一旦制度化されたためか、ずーっと続いてきたが 相当、児童、生徒の考え方を変えてしまってきていると危惧される。考えない人間、批判できない人間、パターン的な思考の持ち主を育成している。
数学は考えることから 創造性の教育の訓練の要素も期待されたが、パターン化した訓練は 創造性や批判精神などを 阻害し、期待される数学教育の効果を 薄めてきていると考えられる。
民主主義の国では いわば国民の総体的な世相が政治に反映され、国家の方向を決めて行くから、構成国民の素養は国家にとって重要である。 変化の激しい時代、創造性、批判精神、公正な精神と秩序への愛、それが大事で、数学の学習はそれらの精神の涵養に大きく寄与すると考える。
我々は数学の教育の在りようを反省して、 より良い教育を目指して行きたい。
数学を楽しみ、深く考える人間の育成を 志向したい。
                                以 上

 

再生核研究所声明649(2022.1.6)  現代数学の欠陥 ー 恥ずかしい数学

(日本数学会の指導的な人から 有難い助言 矛盾が見つかっていないのに欠陥があるというのは,多くの数学者を敵に回すことになりかねませんので,ご発言は慎重になさったほうがいいのではないかと常々心配しております.を頂き、その理解の様子を知って愕然、それで直接的な解説をしたいと考えた。)
我々は繰り返し、現代数学には欠陥があり、恥ずかしい状態だと公言、広く世界の理解を求めてきている。真相は 明かにされなければならない。数学はおかしい と公言している。数学は恥ずかしい状態だと 言明している。 歴史的な判断を求めるために 著書の出版をした。 存念は相当表現して、心は晴れやかである:

Introduction to the Division by Zero Calculus - Scientific ...
https://www.scirp.org › book › detail...

Division by Zero Calculus—History and Development
https://books.google.com › ... › Books


何故数学に欠陥があるのか。 そもそも数学は四則演算が基礎である。ところが割り算には例外があり、ゼロで割ってはいけないが、歴史家によれば物理的な意味から、アリストテレス以来ゼロで割ってはならないという、有名な事実があって、現在でも世情大きな関心になっている。ところが実はゼロ除算には自然な意味があって ゼロ除算はゼロであるという、数学的に自然な理論が存在することが明らかにされた:

再生核研究所声明645(2022.1.2): ゼロ除算は 当たり前で、数学的に1920年には知られていたと言え、単にその意義に気付かなかった ということである

これは数学の欠陥を示していると考える。 厖大な意義と大きな影響は上記著書に充分解説されていると考える。 具体例を沢山論文などでも述べている:

https://romanpub.com/dbzc.php

H. Okumura, {\it Geometry and division by zero calculus,} International Journal of Division by Zero Calculus, {\bf 1}(2021), 1-36.

S.Saitoh, {\it History of Division by Zero and Division by Zero Calculus}, International Journal of Division by Zero Calculus, {\bf 1} (2021), 1-38.

こんなことも認知できない:

0/0=1/0=z/0=0 , \tan (\pi/2) = \log 0= 0、 (z^n)/n = log z for n=0, exp(1/z) =1 for z=0、

基本的な関数 y=1/x の原点に於ける値は ゼロである。 無限遠点がゼロで表される。分数とゼロの意味の 新しい発見である。

現代数学、真面な数学者ならば、恥ずかしくて教科書、学述書を書き直したいと考えるのではないだろうか。 念のため追加説明を与えて置く:

そもそも数学とは何かに関してですが、数学の元は、ユークリッド幾何学と 四則演算の算術 の法則にあると考えられます。 この算術は インドの  ブラ―マグプタによって ゼロの導入と共に西暦628年に確立された。 図形、そして 算術の法則 です。重要で、面白いことには これらは、デカルトの座標系の導入で、統一される。これらの基礎の上に、幾何学、代数学、解析学が発展している と考えられる。 ところが驚くべきことに、両方の基礎には 
初めから欠陥が存在していた と考えられる。 無限遠点の考えと、ゼロ除算である。 空間の認識では無限の彼方は どうなっているかという観点が欠けていた。 四則演算においては、割り算における ゼロで割る問題 ゼロ除算問題 である。ブラ―マグプタ自身は  初めから0/0=0 と きちんと定義していたが、一般のゼロ除算は 考えなかった。- これは 不可能である と考えたと思われる。 ゼロ除算の歴史は、もっと古く、物理的な意味から、
アリストテレスが ゼロ除算は考えるべきではなく、かつ不可能である と述べていて、欧米の文化に大きな影響を与えてきたという。 ギリシャ文化は、ゼロや空、無を嫌う 強い文化を有してきた。他方、インドでは 相当に深い思想をもってきた。
ゼロ除算の結果は:

関数 f(x)/x  の原点での値は、 関数 f(x) が原点で微分可能であれば、そこにおける微分係数f’(0) で、微分可能でないときには、0とする。特に、
1/0=0/0=z/0= tan(\pi/2) =0 and (z^n)/n = log z for n=0, exp(1/z) =1 for z=0。

基本的な関数 y=1/x の原点に於ける値は ゼロである。 無限遠点がゼロで表される。分数とゼロの意味の 新しい発見である。

これらの数学の素人向きの解説は 55カ月に亘って 次で与えられている:

数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学

www.mirun.sctv.jp/~suugaku/

数学的な解説論文は 次で公表されている:

viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30,
What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World

カリキュラムの変更内容は:

割り算の意味を、繰り返し減法、除算で指導する。基本的な関数 y=1/x の原点に於ける値は ゼロである。 ゼロ除算とゼロ除算算法の導入、無限遠点とゼロ点が接していること、リーマン球面に対して、ホーントーラスの導入、多くの応用;

ゼロ除算算法の数学とは:

要するに 分母がゼロである ところで、あるいは 所謂 極と言って 孤立特異点を持つ解析関数で、あるいは ローラン展開で、今まで考えなかった、分母がゼロや極、あるいは孤立特異点 その点で、意味のある値が 定義されていた ということです。
これらは、ユークリッド幾何学、解析幾何学、微積分学、線形代数学、微分方程式、複素解析学に広範な影響を与える。現在、1200件を超える所見、具体例を持っていること。我々は 初等数学には 基本的な欠陥がある と述べている。
初等数学は 相当に変更されるべきである と考える。ゼロ除算は 数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と考えられる。

    以 上

 

再生核研究所声明648(2022.1.5) 日本数学界の数学教育の軽視と悪しき状況 ー 数学の社会貢献を願って

(2022.1.2.10:20頃 山間部を散歩していて、神の言葉のように全構想が閃いた。 背後には教育学部における数学教室の著しい弱体化の情報を得ていたことが背景にある。)

大学法人化の後、日本の財政の厳しさもあって、予算の効率化の一環として、評価、評価、予算削減、重点配分などの文教予算の減少は 日本の大学を弱体化させている。 それは大学事務員のパート職員への転換、職員の減少、研究費の削減など広範な影響が出ていると危惧している。
数学から見ても 教育学部の名称変更、組織替え、しかしながら数学教室として形を成さない程の組織の減少は目を追うばかりであり、それで日本の大事な数学教育が上手く行くだろうか と 大いに危惧の念を懐いている。
このような状況を齎したのは もちろん日本数学界全体の責任であると反省を行なうべきである。 そのような状況を齎したのは 数学界が社会に果たしている役割を認識せず、社会に働きかけせず、放置して来たためであると考える。 大事な役割を果たしている分野を弱体化させる国家が存在するだろうか。
数学教育の重要性を社会に認知させることが出来なかったから、そのような結果を招いたものであると考えるべきである。ー 仕方なや 蒔いた種は生えるもの。(誰の作か分らないが、あちこちで拝見している ー 仏教の基本精神、因果応報を表している。)
さて数学では、数学の教育活動が大事であるのに、日本数学会における教育活動は如何なる状況であろうか。雑誌などでも殆ど議論にならず、教育者の意見反映など無いようである。 教育活動の意見とは 教育とは無関係の専門家が 専門外の分野まで現れて教育現場の意見など無視されているようである。 
工科系でも同様であるが、教育界の活動は殆どなされず、いわば研究重視で、大事な教育の要素が少なく、よって教育現場などの意見など反映せず、数学教育分野は衰退し、数学界の基礎部分は弱体化している。 工科系もそうだが、教育学部の衰退は 壊滅的な状況であると考えられる。
数学界に存在する考えは、研究重視で、研究業績を過重に評価して、数学教育の軽視傾向、数学教育関係者の軽視傾向が本質的な影響を与えていると考える。
数学の研究は厳しいから、真面に研究すれば 数学教育が疎かになるのは必然ではないだろうか。
また、優れた研究業績を挙げている者が 適切な良き数学教育者であるといえず、逆の場合の方が多いのではないだろうか。 変な権威で教育界まで影響を与えると場違いの、教育現場の実状とは反した有害な影響を与えかねない。
実際、数学の才能が有り、数学好きが、数学の嫌いな、数学のセンスのない学生や生徒、児童の気持ちを理解し、適切に指導できるだろうか。
教育界の弱体は、教育系教員の誇りを失い、変な研究業績に影響された 悪しき評価、評価の世相に巻き込まれてしまった状況を反映しているとも言える。
また、日本数学界の総体が研究に偏った視野に囚われ、数学界全体の社会における役割の認識をないがしろにして来た状況が見える。
要するにこれは、数学の社会的な役割を認識して、数学教育の重要性を社会に訴えて 数学界の基盤を強化すべきだと述べている。
我々は 我々の数学には基本的な欠陥があり、我々が教えている数学は恥ずかしいものであると公言して、 恥ずかしい数学を修正しようと訴えている。 
数学教育の基本がおかしいとしている。
日本に数学の教育と研究に責任を懐く数学者がいるならば、このような意見を尊重して、真相の解明にのり出すのは、数学界として相当に基本的な義務ではないしょうか。 それらが無視されている状況は、真面に数学の研究と数学教育に責任を懐いている者がいないことを示しているのではないだろうか。
置かれている教育学部、義務教育で数学を教える数学の先生の教育が上手くなされる体制にあるか、日本数学界は真剣に検討すべきではないでしょうか。工科系の数学教育は上手く行くような体制にあるでしょうか。 日本数学界は全体的な状況を理解し、対応を検討して行くべきではないでしょうか。 それらは抽象的で細分化された研究活動よりも大事であるという視点も大事ではないでしょうか。
数学の研究 から 数学教育に。良き数学の研究者が、良き数学教育者とは言えない。

                               以 上
再生核研究所声明646(2022.1.3): 天才の盲点、天才の欠点

ここで言いたいことは、想像もできない程の天才、巨人に思わぬ 信じられないような欠点、盲点があって、いわば完全な凄い方が極まれである ということの認識を深め、権威主義や妄信を慎み、絶えず天才、巨人に対しても批判精神を怠らず、慎重な対応が大事であるということに思いを致すことである。
数学で言えば、天才ガロアの 対社会における対応のまずさは その偉大な才能を惜しむ立場から誠に残念である。
近年では下記に添付する ぺレルマンについてもそう言えるのではないだろうか。これはどんどん才能を活かせる場面で、活かしきっていないような観点から残念に思われる。
微積分学の偉大なる発見に対して、 ニュートンとライプニッツの生涯における法廷闘争にも 天才たちの大人げない状況が見える。 それでは数学者は変人集団と社会的に見なされてしまうだろう。
数学の高度な抽象の世界での研究に集中してしまい、社会性や自己を見失ったりするのは致し方の無いことと優しく、いわばあどけない状況と見なす必要があるのではないだろうか。

当たり前のゼロ除算については アリストテレス、ユークリッド、ブラーマグプタ、バースカラ、オイラー、ニュートン、アインシュタインなど天才達が気づかず、あるいは間違いに陥ったり、 独断、偏見、思い込み、慣習にハマってきた状況が歴然と現れていて 非ユークリッド幾何学や地動説を受け入れるのに困難性があった歴史的な事実が想起させる:

 Saitoh, S., 2021. History of Division by Zero and Division by Zero Calculus. International Journal of Division by Zero Calculus, 1(1), pp.1-38. 
https://romanpub.com/dbzc.php
付記:
ペレルマンとポアンカレ予想[編集]
arXiv で以下の3つのプレプリント (Preprint) を発表し、ポアンカレ予想を解決したと宣言した。
The entropy formula for the Ricci flow and its geometric applications, 2002年11月11日
Ricci flow with surgery on three-manifolds, 2003年3月10日
Finite extinction time for the solutions to the Ricci flow on certain three-manifolds, 2003年7月17日
彼は、ウィリアム・サーストンの幾何化予想(ポアンカレ予想を含む)を解決して、その系としてポアンカレ予想を解決した。そして、そのときに採用した手法も、リチャード・S・ハミルトンの発見したリッチ・フロー (Ricci flow) (ハミルトン・ペレルマンのリッチ・フロー理論)と統計力学を用いた独創的なものである。ペレルマン論文に対する検証は、国際的な数学者の協力のもと2006年夏頃まで続き、以下の三つの研究チームの検証論文が提出された。以下の検証論文は、いずれもペレルマンの証明は基本的に正しく、細部の誤りに関してもペレルマンの手法により修正可能である、と結論付けている。これにより、少なくともポアンカレ予想については、ペレルマンにより証明されたと考えられている。
ブルース・クライナーとジョン・ロット, Notes on Perelman's Papers(2006年5月)
oペレルマンによる幾何化予想についての証明の細部を解明・補足
朱熹平と曹懐東、A Complete Proof of the Poincaré and Geometrization Conjectures - application of the Hamilton-Perelman theory of the Ricci flow(2006年7月、改訂版2006年12月)
oペレルマンの証明で省略されている細部の解明・補足
ジョン・モーガンと田剛、Ricci Flow and the Poincaré Conjecture(2006年7月)
oペレルマンの証明をポアンカレ予想に関わる部分のみに絞って詳細に解明・補足
2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献により「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞(幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して)を受賞した。しかし、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として受賞を辞退した。フィールズ賞の辞退は、彼が初めてである。ペレルマンは、以前にも昇進や欧州の若手数学者に贈られる賞を辞退するなどした経緯があり、賞金に全く興味を示さなかったり、自分の論文をあまり公表したがらない性格でも知られていた。一方で、アメリカの雑誌 The New Yorker の取材に対しては、誰を証明の貢献者とするかの争いについて言及した上で、「自分が有名でなければ、数学界の不誠実さについて不満を述べるという醜いことをせずに、黙ってペットのように扱われておくことができるが、有名になると何かを言わなければならなくなる」と答えている[3]。
2010年3月18日に、クレイ数学研究所は、ペレルマンがポアンカレ予想を解決したと認定して、ミレニアム賞(副賞として100万ドル)授賞を発表した。彼は、2010年6月8日の授賞式に姿を見せなかったが、クレイ数学研究所の所長は「選択を尊重する」と声明を発表し、賞金と賞品は保管されるという[4]。同年7月1日にロシアのインテルファクス通信がペレルマンの話として伝えたところによると、受賞を断った理由は複数あるが、ハミルトンのリッチ・フロー発見に対する評価が十分でないことなど、数学界の不公平さに異議があることをその主たるものとして挙げたという[5]。これを受けて、クレイ数学研究所は、同年秋までに賞金の使途を数学界の利益になる形で決定すると述べた。
2011年4月、映画プロデューサーの Aleksandr Zabrovsky が彼に関する映画を作ることで合意し、彼へのインタビューを公開した[6]。しかし、これには彼の発言の矛盾点が指摘された。そのため、多くのジャーナリストは、このインタビューは「捏造の可能性が高い」としている[7][8][9]。
近況[編集]
現在は、マスコミを避け、妹夫婦の滞在先のスウェーデンに移住して研究を続けている[10][11][12]。趣味はキノコ狩りとされ、人付き合いを嫌い、ほとんど人前に姿を見せない人物であるが、学生時代までは笑顔の絶えなかった少年として周囲から記憶されている[13]。
                              以 上

再生核研究所声明645(2022.1.2): ゼロ除算は 当たり前で、数学的に1920年には知られていたと言え、単にその意義に気付かなかった ということである

ゼロ除算は自明で、重要であると 論文を公刊し、理解を求める努力を7年を越えて行い、論文、著書、いろいろな国際会議を含む会合で発表を続け、その専門雑誌を公刊したものの その意義と重要性の認識の遅れは、世界の数学界ばかりではなく マスコミ界、現代社会全体の歴史的な汚点であると記録されるだろう。 それは人類の愚かさ、真理を追究する真摯さの欠落を意味する。非ユークリッド幾何学の受け入れ、地動説の受け入れ、ゼロ除算の受け入れは 世界史の3大事件と語られるだろう。

そもそも割り算 a 割るb 、 それを分数で x=a/b と表記するが それは方程式 bx=a の解である。 そう、割り算は掛け算の逆である と考えられる。 直ぐに分かるように b がゼロならば a はゼロであるから、aがゼロでなければ ゼロ除算は不可能である。 例えば 1/0 は考えられない、できないと発想して来た。
ゼロ除算はできない、不可能であると 世界の人々は今でもそう考え、インターネット上でも 今でも話題になっている。 一流の数学者でもそのように決めつけている現状が見える。
 ところが、肝心の方程式 bx=a は何時でも、常に、唯一つの解が 定まることが Moore–Penroseによって確立されていた。 数学は概念を拡張して進歩して来た 基本的な歴史が存在するから、数学者は当然のこととして、 そこで存在する解を 一般化した割り算、分数の定義として 採用すべきであると発想するだろう。 これは当然で 常識であるが、その一般化した分数、割り算では 1/0=0 が帰結され、世情驚嘆されたものである。
我々は2014.2.2それを認識し、再生核研究所声明148を2月12日確信に満ちて公表したものであるが、両者がそれを知れば ゼロ除算は我々の理論から自明であり、既に知られていたと言明して来ただろう。 これらは数学的な事実、真実であろう。
元々、Moore–Penrose によってゼロ除算は発見され、知られていた。それは下記記録で、1920年、1951年のことである。

そこで問題は、ゼロ除算には 雄大な、神秘的な歴史があるが 彼らが何故その重要性を認識しなかったか という点である。 実は彼らだけではなく、一般逆の有名な理論を 学部程度でも学んできた厖大な人々が一様にその重要な認識を持たなかった事実である。 それどころではない、このような事実を初めから指摘し、ゼロ除算は当たり前であると言明して来たにも関わらず、未だにゼロ除算を認識できないあり様である。 誠に奇妙な状況であると言える。
Moore–Penroseの理論を、結果を受け入れられない状況は、彼らの理論は行列の理論で、1次元の場合には考えないという、独断、偏見、予断に深くハマってきたという状況が考えられる。 この思い込みは相当に普遍的で、深いと考えられる。 次には 1/0=0 は 従来の分数では 当然矛盾であるから、受け入れられない。数年経っても理解できない人は多い。 我々は一般化した割り算、分数を考えているのに 従来の分数、割り算と混同している 愚かさに気づかない。 数学的な考え方のできない人達である。数学者ですら、そうである事実が存在する。 数学的な素養のない数学者集団。
次の問題は、さらに深く、大きな世界観の問題に抵触する。
基本的な関数 y=1/x の原点での値を ゼロとすると 初めから述べて来たので、多くの人は興ざめ、それはだめだ、とても考えられないと発想したものである。
それはアリストテレスの連続性の概念に背馳して ポンと無限大からゼロに飛んでいるからである。現代数学の基礎概念、無限遠点が 実はあべこべのゼロ点だったとなるので、数学界でも驚嘆で、未だに受け入れられない状況が起きている。
そこで、数学的な基礎を与え、沢山の証拠をあげ、それでも不十分と考えられたので、発見と経過、理解を求める存念を2冊の著書に発表した。国際雑誌も創刊できたので、世の理解は 既に時間の問題であると考えている。 数学の論理は絶対的であり、数学の進化は 真相を必ず、明らかにすると確信しているからである。

付記:

Moore–Penrose inverse
From Wikipedia, the free encyclopedia
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In mathematics, and in particular linear algebra, the Moore–Penrose inverse {\displaystyle A^{+}} of a matrix {\displaystyle A} is the most widely known generalization of the inverse matrix.[1][2][3][4] It was independently described by E. H. Moore[5] in 1920, Arne Bjerhammar[6] in 1951, and Roger Penrose[7] in 1955. Earlier, Erik Ivar Fredholm had introduced the concept of a pseudoinverse of integral operators in 1903. When referring to a matrix, the term pseudoinverse, without further specification, is often used to indicate the Moore–Penrose inverse. The term generalized inverse is sometimes used as a synonym for pseudoinverse.

                               以 上

再生核研究所声明644(2022.1.1): 新年を迎えて ー ゼロ除算の現状と展望

昨年のゼロ除算についての表現の豊かさは 夢のようであったと言える。 まず、ゼロ除算の数学の基礎部分を 自己完結的に纏め 著書として出版できた:

INTRODUCTION TO THE DIVISION BY ZERO CALCULUS, January, 2021
https://www.scirp.org/book/DetailedInforOfABook.aspx?bookID=2746

さらにゼロ除算の発見から、その発展過程 及びゼロ除算の理解を求める存念を表現した著書も出版できた:

Division by Zero Calculus - History and Development, 2021 Scientific Research Publishing, Inc.
https://www.scirp.org/book/detailedinforofabook.aspx?bookid=2808

さらに ゼロ除算に特化した国際雑誌を イギリスから創刊できた:

International Journal on Division by Zero Calculus:
https://romanpub.com/dbzc.php

そこでは、ゼロ除算の歴史の要点を纏め、ゼロ除算の本質的な部分を纏め、奥村 博氏が ゼロ除算の幾何学的な意義を 沢山の具体例で示し、さらに リーマン球面に代わる ホーン トーラスのモデルの解説を 創始者Wolfgang Däumler氏 に行って頂き、 創刊号だけでも ゼロ除算の全貌が容易に分かるようになっている。インターネットで、無料公開雑誌である。

上記でゼロ除算の全貌は 概ね充分表現されていると考えられるが、美しい図を多用して ゼロ除算の明確な理解を求めるべく 楽しい論文も作成して公刊している:
vira:2106.0108 submitted on 2021-06-19 20:06:05,
Division by Zero Calculus in Figures - Our New Space Since Euclid -
ゼロ除算は アリストテレス、ユークリッド以来の全く新しい数学で、数学の基礎に関わる基本的な数学であるから、少しでも多くの研究者がこれらの新数学の発展に参加することを期待して、広く世界的に呼びかけている:
そもそも数学とは何かに関してですが、数学の元は、ユークリッド幾何学と 四則演算の算術 の法則にあると考えられます。 この算術は インドの  ブラ―マグプタによって ゼロの導入と共に西暦628年に確立された。 図形、そして 算術の法則 です。重要で、面白いことには これらは、デカルトの座標系の導入で、統一される。これらの基礎の上に、幾何学、代数学、解析学が発展している と考えられる。 ところが驚くべきことに、両方の基礎には 初めから欠陥が存在していた と考えられる。 無限遠点の考えと、ゼロ除算である。 空間の認識では無限の彼方は どうなっているかという観点が欠けていた。 四則演算においては、割り算における ゼロで割る問題 ゼロ除算問題 である。ブラ―マグプタ自身は  初めから0/0=0 と きちんと定義していたが、一般のゼロ除算は 考えなかった。- これは 不可能である と考えたと思われる。 ゼロ除算の歴史は、もっと古く、物理的な意味から、アリストテレスが ゼロ除算は考えるべきではなく、かつ不可能である と述べていて、欧米の文化に大きな影響を与えてきたという。 ギリシャ文化は、ゼロや空、無を嫌う 強い文化を有してきた。他方、インドでは 相当に深い思想をもってきた。
ゼロ除算の結果は:

関数 f(x)/x  の原点での値は、 関数 f(x) が原点で微分可能であれば、そこにおける微分係数f’(0) で、微分可能でないときには、0とする。特に、
1/0=0/0=z/0= tan(\pi/2) =0 and (z^n)/n = log z for n=0, exp(1/z) =1 for z=0。

基本的な関数 y=1/x の原点に於ける値は ゼロである。 無限遠点がゼロで表される。分数とゼロの意味の 新しい発見である。

これらの数学の素人向きの解説は 55カ月に亘って 次で与えられている:

数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学

www.mirun.sctv.jp/~suugaku/

数学的な解説論文は 次で公表されている:

viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30,
What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World

カリキュラムの変更内容は:

割り算の意味を、繰り返し減法、除算で指導する。基本的な関数 y=1/x の原点に於ける値は ゼロである。 ゼロ除算とゼロ除算算法の導入、無限遠点とゼロ点が接していること、リーマン球面に対して、ホーントーラスの導入、多くの応用。

ゼロ除算算法の数学とは:

要するに 分母がゼロである ところで、あるいは 所謂 極と言って 孤立特異点を持つ解析関数で、あるいは ローラン展開で、今まで考えなかった、分母がゼロや極、あるいは孤立特異点 その点で、意味のある値が 定義されていた ということです。
これらは、ユークリッド幾何学、解析幾何学、微積分学、線形代数学、微分方程式、複素解析学に広範な影響を与える。現在、1200件を超える所見、具体例を持っていること。我々は 初等数学には 基本的な欠陥がある と述べている。
初等数学は 相当に変更されるべきである と考える。ゼロ除算は 数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と考えられる。ユークリッド幾何学は初期からの、2300年来の盲点が存在したことが 明らかにされて 革命が起きている:

viXra:2112.0108 submitted on 2021-12-20 15:54:11,
An Essential History of Euclidean Geometry

数学については、相当に表現できたので、人生、世界についても纏めた:

再生核研究所声明643 (2021.12.24): 人間とは何か、生きる意味とは、人生とは何か

そこで世界史の難題、本年は平和を願い、世界史の進化を願い 平和の問題を考察したい。

以 上