再生核研究所声明516 (2019.11.27):  数学者はずるいか ー 個性 | Institute of Reproducing Kernels

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再生核研究所声明516 (2019.11.27):  数学者はずるいか ー 個性
次の解説の8-9ページ:
しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
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19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く面白く触れたい。
骨格は .... の上に立って判断されるべきです (再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の. 審判)。実際、何十年も経って、

数学者はずるい、仲間で 出来た出来た と褒め合って大層なことを
やっているように思わせるが、 われわれにとって、そんなものは何の意味もない
について、初めて所見のように、美しい紅葉の山間部を散歩していて 閃きました。
これは今朝頂いた、ゼロ除算算法についての意見表明に直接影響を受けています。尤も上記の言葉が何時も相当に気になってきました。 それが研究の方向に影響を与えてきたのも事実です。
まず、原理的な2つの基礎背景です。 一つは、現代数学が高度に進化していて、少し専門からズレると そもそも理解できず、多くは、理解どころか、その数学の感覚さえ分からない場合が多くなっている。 そのような数学は、そう感じる人にとっては、
何の意味もなく、無いものと 同じようだとの印象を擁かせがちになる
こと。
第2は 数学はそもそも公理系、仮説系、仮定系から展開される 理論体系で 関係の網で構成される集合体である。 その集合体で 基本的な役割を果すものは 普遍的な価値を有するが 数学と違って 人間社会では 人間社会に貢献する数学ほど価値がある ということになる。 それで、価値判断は 世界史の全貌に左右されることになる。
これらは、当たり前であろうが、 最近急激に感じてきたことは、数学も非常に個性によっていて、人それぞれで 感じ方が異なる という印象である。
美空ひばり様のある歌に 何時も感動していたのですが、 それで
友人たちに見て、聞いて頂きました。ところが全く、共感、共鳴せず 途中で 止めることになりました。
アヴェイロ大学でのことです。-ー 欧米の方は共感せず、中国の方、アジアの方は共感するようでした。
ある招待された国際会議で、ゼロ除算を正面切って講演したのですが、 destroy 現代数学を破壊するもので 一切認められないと 公然と発言されたと思いきや、 指導的な人が、 ブレイクスルー アイディアで 今回の国際会議で 最大の話題であったという発言があった。すなわち数学でも 個性があって、音楽等のように好みが強く反映するということである。
特に、数学では、予断、誤解、思い込み、偏見、学習課程、基礎知識、などが反映して数学者の人格が構成されているようである。
ゼロ除算の研究で、 数学に対する感性、感情、個性が 芸術分野における個性のように強く反映されることを 感じてきている。
さて、言いたいことは、この先である。 人間とは何だろうか。 
どのように作られていくだろうか。
このことの分かりやすい例は、結構普遍的に分かり、理解し易い例として、男女の仲の発展過程があげられるのではないだろうか。 初めに好奇心などで惹かれて交流が始まっていくと 対象は特定され、どんどん深まっていく、相互交流、共感、共鳴が広がり、どんどん独自の世界を拓いていく。 愛は深まって行く。 志を しっかり、若い時代に抱いて励めば、 同じように その世界にはまり、 精神は そのような世界に限定されて どんどん独自の世界にはまり込んでいく。 名人や一流の方は それぞれの世界に深く入り込んで 視野や世界も限定されていく。 生きがいや夢も 喜びも その世界に有って 深い独自の世界になっていく。 このような意味では、 
人間とは 実際、単細胞的な存在で、独断と偏見に満ち、視野の狭い存在である。 
それぞれ、職業や志に染まって、限られた視野を有する存在になってしまう。
何にもならないような 難しい数学に 何十年も はまり込んでいる数学者は 世に多いが、 何十億人も住んでいる人間の中で、一筋に 深くはまり込んでいる存在は 尊いのではないだろうか。その先に 神をも予感し 観て頂きたい と願う。
もちろん、数学に限らず、登山でも、絵画でも、音楽でも、スポーツでも、求道でも いろいろな研究でも 同じような精神ではないだろうか。
しっかりと愛せる世界を探せれば それは幸いであるが、 天と地の間をさすらっていくように 雲のように自由で、 自然を愛でて 詩など作れる存在も また良いのではないだろうか。 拘らない存在。 人間とは 心の存在するところで、愛せるものをしっかり擁ければ それは幸いであると言えるのではないだろうか。 今現在、楽しくって仕方のない数学がある。 正の整数 n に対して 関数z^n/n を考える。 n が ゼロになるとき、なんとそれは log z になると ゼロ除算算法は言うが、 堪らなく楽しい。
深く驚嘆している。
そう言えば 猫に小判という言葉が有りました。
                                   以 上
2019.11.25.10:06 美しい、紅葉の中、散歩の後 初めの部分を一気に書く。
2019.11.25.11:40 予想に反して曇ってくる。初めの部分相当良い。
2019.11.25.13:26 後半一気に書く。曇りになる。
2019.11.25.14:21 既にできている。
2019.11.25.15:46 紅葉の美しい山間部を散歩してくる。
2019.11.25.18:25 良い。何か付け加えることはないか。
2019.11.26.06:19 曇り、良い。微妙な題材であるが、主題は分かる。
2019.11.26.06:52 紅葉の中散歩してくる。正の整数 n に対して 関数z^n/n を考える。 n が ゼロになるとき、なんとそれは log z になる
神秘的だとつくづく思う。
2019.11.26.09:10 猫に小判を想起した。
2019.11.26.12:38 買い物に出かけてくる。寒い、曇り。
2019.11.26.18:18 完成できる。少し寒い。
2019.11.26.21:55 良い。完成できる。
2019.11.27.05:50 良い、完成できる。
2019.11.27.06:30 完成とする。公表。

再生核研究所 再生核研究所声明 2014年2月2日ゼロ除算の発見 2014年3月8日ゼロ除算算法の発見 声明516