クロマグロの漁獲制限。
今回はクリアしたようですが 将来的には難しい状況のようですね。
さて マグロもそうですが クジラも含めて 欧米人が言う 絶滅危惧種の愛護って
なんか 受け入れくい感情がある。
それを うまく説明してくれてるのが この記事。
日経ビジネスオンライン
われ、それでもクジラを愛す (小田嶋 隆)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100318/213467/?bvr
小田嶋氏の 言葉を借りると
欧米人が「環境保全」「生物資源」「絶滅危惧種」みたいな お話を始めたのは、
植民地経営が当初の うま味を失い 自分達の既得権益が山分けされた後のこと。
しかし まだ開発途上の国々は工業化の段階に達するためには
その前に 自然からの収奪という過程を踏む以外ない状況。
つまり 先進資本主義国が 環境を守れというのは 先に利益を確保した人々が
まだ 持たざる人に分け前を与えないという身勝手な論理である。
そうなんですよねぇ。捕鯨だってそうです。
捕鯨に反対している国々のなかには かつて盛大に捕鯨を展開していた仲間がいて、
その彼らは、現在でも、別の場面では、別の生き物を捕獲し、
さらに別の場所では、もっと手の込んだやり方で自然からの収奪を展開している人々である。
そう この不公平感が 日本人として クジラ愛護を受け入れにくい感情なんですよね。
でも一方では 一般の外国人の短絡的なイメージとして
日本人は かわいいクジラやイルカを殺す野蛮人と思われてるのも事実。
さらに 面倒なのが その短絡的なイメージが
クロマグロのことや さらにトヨタ叩きに結びついてるかもしれないこと。
そう考えていくと クジラ愛護の論理って 文化の違いを受け入れられない
短絡的な欧米人ってだけじゃ すまないのでしょうね。
なにせ 植民地の反乱を宇宙的に描いた「アバター」も アカデミー賞 とれなかったしね。
人間の心底にひそむ 根深い問題なのかもしれません。