本1冊 | となりのふくちゃん

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河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』集英社文庫
「世界七大陸最高峰 単独無酸素登頂」「夢の共有」。
センセーショナルなピーアールや共感を誘うキャッチコピーで、
最もメディアから注目されている登山家と名を轟かせた栗城史多。
単独無酸素登頂の最終峰となるエベレスト登頂に、
両手の指を9本切断しながらも、支援を集めながら挑戦し続けた中、
8回の挑戦で命を落とす。
そんな彼の死を多くの人々が悼む一方で、その登山経歴には
多くの疑問が投げかけられていた。
誇大広告とも受け取れる宣伝文句、「単独」や「登頂」の定義。
また、映像としての演出に異常なまでにこだわり続けた彼は、山に何を見ていたのか。
一時は栗城史多を取材し、番組の企画を立ち上げていた著者が迫る、
栗城が演じようとした「劇」の真相!
・・・・・・って感じかなぁ。非常に面白かった!
栗城史多については、そういえば以前結構名前聞いてたなーという印象で、
亡くなったということとその後色々と言われてたことは知っていたのだが、
先日なんとなくヤマケイ文庫の遭難シリーズを物色してたらオススメに表示されたので、
読んでみることに。
タイトルの「劇場」という言葉は揶揄にも聞こえるし、
あらすじなどなどからは色々と批判している本なのかなーと。
読んでみると、確かにそういう側面もある本なのだけど、
それだけではない故人への思いみたいなものが感じられる一冊でしたな。
「あまりいいやり方をする人ではなかったけど、憎めなかったよね」
「もっと他の結末はなかったのかなぁ」
という、どこか寂寥感にも似た雰囲気が感じられる文章でした。
中身の方は、著者が栗城史多に注目した経緯に始まり、
仕事の企画を進める中で、応援から疑問へと変わる瞬間。
そして疎遠となったあとの足取りを栗城史多との活動と平行して記述し、
それと並行して彼の心理を推測しているという雰囲気ですかね。
まぁ、栗城史多については最近亡くなった人でなので、
ここで色々と書くのは良くないと思うので書きませんが、
例えば、「世界七大陸最高峰 単独無酸素登頂」という言葉は、
実はエベレスト以外の最高峰はそもそも無酸素が標準だったり、
「単独」の定義がかなり甘かったりで、関係者から見れば違和感を覚えるものらしい。
また、マナスル登頂の際に「認定ピーク」という言葉を使い、
「実際のピークに登らずとも登頂されたものとみなされる」との主張をしてたらしい
(この件については、本人が完全に悪いとも言い切れない気もするが・・・)。
そういう宣伝の仕方をしていた人なので、まぁ、色々と賛否両論あったらしい。
誇張ってのはなかなか諸刃の剣だよなぁ、と思う。
言葉なんてのは主観的なもので定義が曖昧な部分が多い。
その上、嘘をつかずとも情報を制限することにより、
素人に自分の業績なり活動なりを大きく見せることは誰にでもできる。
サプリメントに大量の「※」とともに書かれてる文章のようなもんでしょう。
極端な話、嘘をついていなければ何でも言ったもの勝ちなところもあり、
とりあえずPRを通さないと始まらないってのも事実である。
ただ、その誇張された自己PRが受け入れられたあとには、
周りからの期待に応える義務が生じるし、
応えられなければ実力とPRのギャップに伴う失望は受け入れなければならない。
PR文が嘘だと主張されたときのためにちゃんと説明するための
論理や理論は用意しておかないといけないし、
用意していたとしても、その説明するにはやはり精神力を必要とする。
やはり、自分のことはまさに等身大に見せるのが精神衛生上一番いいのかなぁ、
という思いになりましたね。
ってことで、なかなか読ませてくれる文章で面白かったです。
気になる人は、ぜひぜひですね!