11月15日 坂本龍馬と軍鶏 | アラフィフ Miyuki.Sの食暦ブログ

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慶応3年(1867年)12月10日、坂本竜馬・中岡慎太郎、京都河原町近江屋で京都見廻組に襲撃され、坂本は即死、中岡は17日死亡。(「日本史 今日は何の日事典」 吉川弘文館より)

 

本日11月15日は、歴史上の偉人の中でも最も人気の高い坂本龍馬が亡くなった日です。

暗殺されたこの日の夜に軍鶏鍋を食べるはずだった・・・ことはよく知られている話です。

 

ということで、今日は軍鶏について、と、坂本龍馬と広島についてさらっといきたいと思います。

 

軍鶏・・・

字の通り、闘鶏用。江戸時代にタイから輸入されたと言われているニワトリの一種。闘鶏用、食用、鑑賞用として日本国内で品種改良された。闘鶏用として人気がなくなると食用として活用されることがメインとなり、歯ごたえのある硬い肉質を柔らかい肉質へとさらに品種改良された。江戸時代でも食べられていたが、ポピュラーになったのは明治期。

 

坂本龍馬が土佐にいた頃から好きだった軍鶏鍋は、きっとコリコリとした触感の旨味の強い肉質だったのでしょう。

 

坂本龍馬に縁のある軍鶏鍋のお店が京都にありました。

■鳥彌三(とりやさ)・・・京都市下京区

創業天明8年(1788年) 建物が登録有形文化財に指定されている重厚感のある高級店のようです。軍鶏鍋(水炊き)のお店で鶏ガラだけを3日間煮込んで取った白いスープが特長。聞いただけでも美味しさが伝わります。

 

また、東京日本橋人形町に親子丼で有名な玉ひでがあります。

■鳥料理玉ひで

創業宝暦10年(1760年) 親子丼は、お客様が残った鳥鍋の汁に卵を落として召し上がったことをヒントに玉ひで五代目の奥様が発案したそうです。もともと坂本龍馬は、すき焼き仕立ての軍鶏鍋が好きだったとか。こちらの味が近いかも。昔、こちらのお店で親子丼いただいたことがあります。親子丼、長年の歴史という旨味が合わさり、大変おいしゅうございました。

 

一つ一つ歴史が古く、調べていたら切りがありません‼

 

ここで広島の坂本龍馬ゆかりの地をご紹介。

 

■坂本龍馬と日本遺産「鞆の浦」

広島県福山市。

慶応3年(1867年)4月、鞆の沖合で、海援隊の船「いろは丸」と紀州藩の船「明光丸」が衝突し、「いろは丸」が沈没。この件で、坂本龍馬海援隊は鞆の浦に上陸し紀州藩に賠償交渉を行った。

 

いろは丸展示館、桝屋清右衛門宅、御舟宿いろは(旧魚屋萬蔵宅)、福禅寺対潮楼、園福寺・・・。

 

写真は昨年冬に鞆の浦を訪れた時に福禅寺対潮楼から仙酔島を写した写真です。本当に海がきれいでした。

龍馬に関係なく、鞆の浦は歴史が古く食べ物もおいしく魅力的な街です。本当におすすめ。そして、保命酒もおすすめ。

 

 

 

■坂本龍馬と日本遺産「御手洗」

広島県呉市。

旧金子家邸宅

慶応3年(1867年)9月に広島藩と長州藩が挙兵の約定を結んだ場所。町年寄・庄屋役の金子屋(屋号三笠屋)が賓客接待のために建てた屋敷。茶室は上田宗箇流。

(御手洗パンフレットより)

 

御手洗は江戸時代から昭和初期まで栄えた町で、貴重な建物が数多く残っており、近年急速に整備された情緒ある港町です。

 

私は3~4回訪れていますが、こちらもしまなみ海道含めて、銀色に輝く瀬戸の海を満喫していただきたい場所です。

 

さらっといきましたが、内容はものすごく濃いかった。

 

【メモ】

■「竜馬がゆく」・・・司馬遼太郎(1963~1966年)

■1867年・・・パリ万博。大政奉還。