次にやってきたのは、
●聖護院[G]
大政奉還150年記念非公開文化財特別公開
第51回『京の冬の旅』スタンプラリー☆3ヶ所目。
第51回『京の冬の旅』スタンプラリー☆3ヶ所目。
凸(−_−;)
山伏で知られる本山修験宗の総本山である。
1090年三井寺の増誉大僧正が白河上皇の「熊野御幸」の先達を勤めた功績によって「聖体護持」より2字を取った「聖護院」を賜わり、さらに「熊野三山検校職」に任命され、修験者を統括し、全国に2万余の末寺をかかえる一大修験集団となった。
しかし明治政府によって「修験道廃止例」が出され、多くの山伏は還俗し、寺院は衰退した。
こちらで御朱印を。。
増誉の後、4代目に後白河天皇の皇子が入寺され、明治維新まで37代のうち、25代は皇室より、12代は摂家より入寺し皇室と関係の深い門跡寺院である。
中でも聖護院相続で入寺されていた祐宮兼仁親王は安永8年、光格天皇として皇位を継承された。
その後の「天明の大火」で御所が炎上した際、光格天皇は聖護院に避難、また幕末にも孝明天皇が仮皇居としてご使用になられた由緒から「聖護院旧仮皇居」として史跡に指定され、現在もゆかりの品が数多く所蔵されている。
宸殿には上段の間があり、絢爛豪華な「花鳥図」「老松図」など約170面に及ぶ狩野派の障壁画が残る。
御所から移築した瀟洒な書院(重文)は、釘隠しや透かし彫りなどみどころが多い。
また、明治期までは春秋に御着替をなされた初公開の「弁才天尊」(旧才智院本尊)や、財運・金運の蛇神「宇賀神像」などが公開されている。
この日は、ここまで。。