世の中には実に様々な宗教が存在しますが、まずこれらを『因果』をきちんととらえているかどうかを基準に比較相対してみると、仏教では因果を根本としていますが神頼み系の信仰は因果が明らかでなかったり、因果を無視し否定しています。
キリスト教では『神』の存在から全て始まりますが、ではその神は何を原因として生じたのか?何も明かされていません。またイエス・キリストは処女マリアが身籠ったとされていますが果たしてこんな事が道理として皆さん納得できるでしょうか?
よく医学でも『原因の分からない病気は治せない』と言いますが、このような明確な因果の理を無視した、おとぎ話のような教義では全ての人を幸福境涯に導くことは到底不可能でしょう。
さらにキリスト教では表面上博愛を掲げていますが、!?
ヨハネの黙示録第8章の↓
7 第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、血のまじった音と火とがあらわれて、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった。
8 第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一は血となり、
9 海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった。
10 第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。
11 この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。
こいつら『神』の御使いですよね?『博愛』という仮面の中に好戦的な鬼神の姿があるじゃありませんか!!
だからキリスト教は偽善者、二重人格と言われるのです。
今、宗教◯世と問題になっている旧統一教会やエホバの証人を見てごらんなさい。
好戦的な破壊神の影響を受け人格が破綻してしまうのは言うまでもありません。
釈尊が法華経において、自ら『真実の法とは、法華経ただ一つである』と説かれていて、さらに自身の入滅後二千年以降の末法時代に至ると、『自分の教えの力は無くなり、そこに新たな仏が出現し、一切衆生を救済するであろう』と予言されました。この予言どおり、末法の仏として出現されたのが日蓮大聖人です。
日蓮正宗法華講
妙相寺全国地区信徒
神奈川県 野元 貴博
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