四国と言えば、弘法大師こと空海ゆかりの土地ですね。彼が修行をしたとされる四国八十八箇所があります。その影響か、真言宗のお寺の檀家さんが多いです。ウチの実家も真言宗。(いや、寺じゃないよ?よく勘違いされるけど。)帰省時に発声練習代わりにお経を朝夕詠んでたら、「あ~、とうとう愛理くんも本当のお坊さんになったねぇ。」と勘違いされました。まあ、見た目はすでにお坊さんかヤクザやけどね。


お経って不思議なもんで、言葉の意味はわからんでも、何度か繰り返して詠んでるとなんとなく映像が頭の中に浮かんでくる。お葬式とは関係ない、なんか、万華鏡を覗いた時みたいなんが。漢字を見てるから、その字のイメージかなぁとも思うが、それだけでもない。言葉が持っている響きが、とぉおいとぉおい記憶を呼び覚ましているのかもしらんね。


唱玄さんの祀り唄もこういうことなのかなと思って唱玄要妄集の中の言葉を繰り返してみた。


さいおうししょうおう

みんろうしきょうおう 

さいのうみみょうこう 

めいひょうりこうそう


今まで、言葉の意味を読み取ろうとして必死になっていたけど、赤ちゃんが「ばぁあぶぁ」とかって言葉で遊ぶようにやってみたら、俺なりの祀り唄が再現できるのかもしれない。一旦は西洋音楽の理論と決別しないと、どうにも邦楽の世界の論理体系を掌握することはできないみたいだと最近気付いた(おそっつ!)が、当たり前の事を対象とするのは、結構難しい。オツムは似て非なるものをすぐに同じものだと考えたがるから。

えーぃ。

もう、臆面もなく実験してみることにした。


気がつけば、絵でいうところの抽象画の世界に足を踏み入れようとしている自分にちょっとびびっている。

下手すりゃ狂人の世界の入り口。

まぁ、何人か友人がいるからいいか。

とりあえず、実験に付き合ってくれる人は一緒に遊んでください。



ちなみに、字幕inってサイトで字幕つけれます。自由に自分なりの意味をつけてください。


コレ→http://jimaku.in/w/jhYMpmpfN6g/1JhOyeVqNJx

帰省して、自分が生まれ育った町を歩いて、色んな人の話をきいてきました。


地元、西条市が抱えている問題。地元の人々の意識。自分の未熟さ。

よーくわかりました。


そんなこんなで、この数日間、僕を助けてくださった方々、どうもありがとうございました。


ほんまに、至らんところの多い僕ですが、精進します。


結局俺が武田唱玄という人物をウソペディアと連動してでっち上げようとしているのは何故かというと、弁天の演奏法がわからないからという一言に尽きる。どっかの民族楽器で弁天みたいなのはきっとあるんだろうけど、「いい音」とか、「奏法」とかは俺の頭の中にしかない。自由ってなんて不自由なんだという言葉は、ある程度自分のルールで生きている人間なら、誰でも理解できる言葉だと思うが、まさかこれほどまでとはというのが弁天創作後の俺の実感。


前例がないので、何やってもいい代わりに、傍目から見れば支離滅裂以外の何者でもない。


しょうがないので、歴史をでっち上げることにした。

大概の歴史はその時の政治形態にとって都合のいいように解釈されるという前例を露骨に前面に出したウソペディアを使って。


しかしなぁ・・・・


ヒトの鳴き声が祀り唄なのだというところまではまとまってきたのだが、ヒトとして鳴く為には俺の畏敬の念はチープな気がするのだ。とりあえず、畏れを実感するために帰省したときにお遍路さんしてみます。時間の関係で西条市限定で。


この、中途半端さが俺の芸の甘さなんやろね。


まあ、ヒントだけでも掴んできます。ちゅうわけでしばらく、完全に音信不通になります。

では。