三波春夫さんは、「お客さんは神様です。」と言っていた。この言葉は誤解されて、「お金を払っているんだから何をしてもいい。なんてったって、私は神様なんだから。」みたいなおっさんを生んでしまったが、三波氏はそういう意図で言ったのではないらしい。「お客様は(人間ではなく)神様です。」というのが彼の真意らしい。(もっとも、実際にお金を払って自分の芸を見に来てくれているお客さんも神様の一員であるというような形でお茶を濁してはいたが。)
そもそも、神様とは何者か。
基本的には学問の対象として宗教を捕らえている僕は、「神様という嘘」は存在するという立場をとっている。そしてその嘘は、誤解を恐れずに言えば、人間の理解を超えたものになんとかつけた名前の事だと思っている。その嘘を確かに共有する(共有できない嘘は、単なる妄想だ。)ための儀式が祭りだと思う。祭りこそが演劇のあるべき姿だと思っている僕は、現代の一般的な舞台芸術の、客、演者の関係性がどうも不自然に思えてならない。
「しかし、神様はお金をくれない。お客さんからお金をもらわなきゃ、芸術家は生きていけんだろうが!カスミでも食ってろ、このハゲ!」という声も聞こえてきそうだが、お金は「サクラ」からもらえばいいと思う。この場合の「サクラ」は、もちろん今日一般的に使われている用法ではなく、あの、江戸時代の芝居小屋の一緒に芝居を創っていく人のことだ。役者に順ずる位置で芝居に参加している「サクラ」にお金を貰うのは、(もともとただ見客の事を指していた言葉だし、)一見理不尽に感じるかもしれないが、世の9割以上の役者は結構な額のチケットノルマを課せられて芝居をしている。集まったお金だって祭りを続けるための運営費みたいなものだ。日本経済をなんとか立て直す為にも、こういった類の無駄遣いはどんどんしていくべきではないだろうか。
演者を神様に観て頂き、サクラがさらに盛りたてていく演劇。なんのことはない、本来の祭りの構図なのだが、この関係性の成立しない舞台の上には作品を乗せたくは無い。
そうか。つまりは、「サクラ」がたくさん入り込める余地のある演劇を、どうやって考案するかなんやね。
