先日のこと。生徒さんの中でもプライベートでも時々お茶する仲の方に、数秘術で、分離した私の今世の資質や役割のようなものを鑑定して頂きました
キーワードとして出てきたのは、“サポート役”“知識”“犠牲”“宇宙の真理”などなど。
これまでに信頼できる占星術や心理学の先生に言われたワードとほぼ同じような見解でした。
数秘術なんて〜ってちょっと疑いの目で見てたのですが。おぅ。ちゃんと根拠のある宇宙の法則は嘘つかないんだねって、楽しくお喋りの時間を過ごしました
その流れで、この方なら、真我や純粋意識についてのお話に興味を持たれるかしらと思って、この世界はスクリーンに映し出された映画みたいな物で、本当の自分はその中にはいないんですよ♩
って少し話してみたんです。
そしたら、、、
「だったら何なんですか」
って言われてしまったーーーー
ですよねですよね
これ結構、衝撃的なお言葉でした
なんで頼まれてもないのに私こんな話してんだろうって我に返って心の中でひきつり笑い
この言葉を、分離の世界として見て捉えたなら、
「よく分からない」とか、「興味が持てない」とかになってくるけども
究極的視点から捉えたら、
自分に向かって「あたりめーだろ。だったら何なんだよ。お前イキってんじゃねーよ」って感じかな
そう。「在る」が私。それが真我。私はスクリーン。目の前の人は私の心が映し出した映画の登場人物。
真理に辿り着いたとて、、
で?
何も変わらんのですよ
悟っても世界は相変わらずあって、次から次へと出来事は起きていて。肉体が死ぬまでは私の感覚も、私の体もあるし、五感をキャッチしてるし、手足動かして何かしてるし。
自分が他の人とは違う何かを知っているっていう高慢な態度を持っていた分離した個人の私の最後の最後のエゴを破壊してもらったような気がして、めちゃくちゃスッキリしました
真理とはあまりにも当たり前すぎるもの。そこにずっとあるもの。今ここに。特別なものでも何でもない
究極に普通のことだった
いやぁ、おもろい。
ほんまに、「だったら何やねん」でしたー
ちゃんちゃん