いつもはお気楽極楽のふろっぐも先日のわろし一件から気持ちがふさいでおりました。
長年、大変な事がありつつも楽しみながらやりがいを持って真剣に行ってきた活動。
一部の生徒さんの本音を知ることになってしまい、私のやってきた事が無意味に思えて、もう筆、ならぬバイオリンを折ろうかと。
(いえ、そんな事しませんが。だってバイオリンという楽器は私がこの世からいなくなっても、誰かに大切に引き渡すべきこの世の宝ですから。
今は私が一時お借りしている世界の財産なのです。)
そう、好きだったので続けてはいましたが、バイオリンの先生になろう、なんて言語化した事も、もっと踏み込むと思考さえした事なかった、と気がついたのです。
ただ、どうやらそちらの才能が自分にはあったらしく、周りの思惑のもと、勧められ、流されて成り行きでそうなっていた部分があったわけで。
と考えると、少し肩の荷が降りる反面、よくもこの歳になるまで長いこと気がつかなかったもんだ、と笑えるのです。
もう、やめよう…。
そんな折。
不思議な事が。
あるメッセージが私の元に届きました。
それは四半世紀も前の生徒さんからのメッセージ。
中学生だったその方は、ご結婚され家族もお子さんも持たれた今、もう一度バイオリンを習っている、と。バイオリンを弾くと私を思い出し、練習しなかった事を謝りたい、私のおかげで今の先生から基礎的な部分は全然注意されずにいる、と。
あまりのタイミングに私は救われた気持ちになりました。
私のやっている事は本当の結果がでるのは10年、20年後。それをその生徒さんは報告してくれました。
もう、人知れず涙、ですよ。
それで気がついたのですが、意外な本音を私にぶつけたのはほんの一部の人で、それ以外の方からは私の体調を気遣ってくれたり、発表会のお礼をすぐにメッセージくれたりしていたのです。
また、私のレッスンを卒業し、社会人になってもバイオリンを引き続けている方たちも…。
私はそんな事は受け取らないで、わろし部分ばかり気にしていたのです。
今回の事を良い方向にとらえると、これから私が大切にしていく人たちが誰なのかが明らかになった、という事でしょうか。
その点で気づきを得たのは感謝する出来事だったのです。
そして自分の事においても気づきを得ました。
同じ活動を続けるかどうかはしばらく考える事になりそうですが、本当に不思議な出来事でした。
生徒さんから発表会後にハイセンスなパッケージに入ったお菓子のプレゼントをいただきました。嬉しい…🥲ありがとうね。